ホラー
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
悪魔は、描かれた姿ほど怖くはない。
外国の、ヨーロッパあたりのことわざだったと思う。
川島さんと出会ってから、彼らから目を背けることが少なくなった。
川島さんとは、お互い映画好きなことが分かって、いつの間にやら、たまに飯を食う間柄になっていた。
川島さんは、ホラー映画が好きだ。自分は、川島さんのように、ホラー映画を好きではない。怖いからではなく、バカバカしいから。観ていて、そんなことが怖いのか、と思ってしまう。本職の人が、専門としている事柄を描いたフィクションに対し、違和感を覚えるようなものだ。
「ポンプ車のブームをあれほど高々に上げて爆走したら、絶対にぶっ倒れるけどな。でも観るのは、そこじゃない。」
どうやら川島さんは、そのあたりについて、エンターテイメントとして受け容れているらしい。引っ掛かりをなくそうとしていれば大丈夫、と。表現したい熱量が膨大であればあるほど賞賛する、と。面白ければ許せる、と。ただ、面白くなかった場合のけなし方は、半端じゃない。とても公表できるレベルではない。あれほど悪口が言えるものなのか、と感心してしまうくらいだ。
ただ、川島さんには、根幹的に苦手な作品群もある。
「題材が太平洋戦争の映画、無理なのよ。」
戦争ものの内、第二次世界大戦中の日本が描かれた作品。自国の敗北をエンターテイメントとしてなかなか消化できないそうだ。全く観れないわけではなく、入り口を狭く感じるのだとか。
ホラー映画の話に戻る。
日本のホラー映画が隆盛を誇った時代、川島さんも嵌っていたという。日本の恐怖表現が研究されて、世界にその理論が展開された。初期こそ、理論への解像度が低く、好事家から、そうじゃないんだよな、などと知った風な口でバカにされていたが、流石、巨大資本は地力が違う。瞬く間に我が物にしていった。昨今の日本のホラーは、世界のホラーの後塵を拝している状態だと川島さんは言う。
ただ、一点。こればっかりは文化の違いなのか、能力の違いなのか、感覚か、価値観か。欧米の怪異は、スタイリッシュが過ぎるのが残念なんだとか。
何と言われてもピンとこない。観ていないジャンルだから仕方がない。
ただ、心霊映画を、川島さんは娯楽として、自分は偽物として、どちらも虚構として受け取っている。
幽霊っぽくする為の装飾、衣装だとかメイク、あれがダメだ。怖さに寄せた姿がわざとらしすぎて、ダメだ。
あいつらの見た目は、世間が思い描いているような姿ではない。実際に(そうだと知らずに)見たら、期待外れと感じるだろう。世間の期待に応えられる、怖い見た目の奴は、なかなかいない。川島さんとの出会いでわかった。怖い怖いと思うから、より怖く見えるだけだ。冷静に見れば、見た目は怖くない。
あいつらが危険なのは、姿かたちではなく、その怨念だったり、未練だったり、そういう部分が厄介なんだ。
数分前から、視界の端に捉えている。目は合った。
この目が合うという感覚。この前、川島さんが言っていたのは、このことなのだろう。実際に目と目が合ったわけじゃないが、目が合った。
向こうも気づいている。この感覚は、怖がっていただけの頃にはなかった。あったのかもしれないが、冷静さを欠いていて、それどころじゃなかったんだ。正直、今も怖い。しかし、あの頃ほど怖くはない。
女の子だ。
気をつけろ、と言われている。目が合うということは、金縛りの前段階だ。射程距離に入っているということなんだ、と。要は、どちらが仕掛けるか、ということらしいが、それは川島さんが仕掛けられる人だから、そういう考えになるだけで、自分は、仕掛けられないから、守りに徹するしかない。金縛り、もしくは別の何かを仕掛けられないように、身構える。
赤いサロペットだ。
気晴らしに、家の外に出て、近くの公園まで歩いてやってきた。さっさと帰ればよかったのに、自動販売機で、コーヒーを買ってしまった。ベンチに座ってゆっくりしていたのが、よくなかった。
おさげを結っている。
さあ、どうしようか。自分には、プライドがない。助けを呼ぶことに躊躇いはない。川島さんを呼ぼうか。呼んですぐ来れるわけは、ないのだろうけど。
「ふっ。」
思わず笑った。笑える余裕がある。昔の自分には、なかった余裕だ。川島さんも言っていたっけ。
陽気に笑え。
「笑えってなんだよ。」
また、思わず笑いが洩れた。
あ、そうだ、サンバをかけよう。
そう思って、携帯をさわり始めると、いつの間にか、もう気配はなくなっていた。
ほっと一息。缶コーヒーをひと口。
今度、川島さんと飯を食う時にでも、他の対処法も聞いておこう。
選択肢は、多い方がいい。




