髪の長い女
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
白石は言う。
「宮田の跡目は、川島が継ぐはずだった。」
ヤクザじゃないんだから、と川島は笑う。
五輪建設で、宮田班、宮田一家、宮田組と呼ばれた、宮田を中心とした、出世コースから外れた者たちの集まり。外れたといっても、窓際族とはまた違う。それぞれが、現場の先頭に立って、きっちり稼いでくる。現場が好きで、現場を回していることに、ある種のやり甲斐を感じていて、自分たちが最前線で稼いでいるんだ、というプライドから、背広組には、いささか反抗的。地場上位に君臨する、ローカルゼネコンが抱える現場監督(所長級)たちと、その傾向が似ている。
谷村理論でいうところの、剛の者。
宮田一家は、宮田がそう自称しているわけではない。まわりからそう呼ばれているだけで、決まった面子の集まりというわけではない。宮田一家寄りの人間ではあるが、一員として数えるかどうかは、微妙。などなど。曖昧なラインもある。
はっきりと、宮田一家だ、と分かるものの総勢は、宮田以下、7名。
宮田、水島、白石、長谷川、鳴神、池脇、そして川島。
半数以上が、禿頭である為、一部の社員から、光の戦士たち、などと陰で呼ばれている。
川島を除く面子は、宮田と同世代か、あるいは近い世代。だから、大半は退職してしまった。かろうじて、鳴神と池脇が、在職中である。
白石は、川島に言う。
「宮の跡は、川島が引き継ぐもんだと思ってたわ。」
川島は、笑って答える。宮田がたまたま親分肌だっただけで、他は、自分を含めて一匹狼だらけ。一匹狼だけになれば、群れは崩壊する。それぞれがいがみ合っているわけじゃないから、宮田が退職しても、一家の枠組みは残っている。しかし、それを保全しようとか、新規に枠組みを作ろうということには、ならない。
「そりゃそうだ。」
白石は、納得した。
この白石という男は、川島に、遊び方を教えた張本人である。
遊びというのは、何もかくれんぼだとか、テレビゲームのことではない。大人の遊びと言われるものである。よく言われるのは、飲む打つ買うの三拍子。飲むは酒。打つは博打。買うのは、春。
白石は、その信条から、買うは、やらない。買わない。女房一筋というわけではない。抱きたいと思った女を、口説き倒してものにする。惚れてもない女は抱けない、というのが、白石の意見だ。
だいたい、三拍子は、どれか一つが欠けるもの、と相場が決まっている。
白石は、飲む、打つ。川島は、飲む、買う。
であるから、白石が川島に教えたのは、飲む、ということになる。
飲むを教えたといっても、川島がよく行くような、バーの飲み方ではない。スナック、ラウンジ、キャバクラ。夜の女絡みの、飲み方である。
白石の虎の巻から、抜粋してゆく。
いわく、好きにありがとうで返す女は、落ちない。
いわく、弟なら30%、兄なら60%、従兄弟なら100%で、彼氏のことだ。
いわく、一途になるな。
一途になるな、という教えが、厄介だった。
宮田と同じで、川島も、ひとりの子をそうと決めたら、その子だけになる。しかし、それではいけない、と白石は言う。
1/1になるから、ダメだというのだ。
これでは、100パーセントで、余裕がない。余裕がない男は、モテない。
分母を増やせ、というのだ。
安月給に何を言ってやがる、と内心、思っていたが、口には出さなかった。リスクの分散じゃないんだから、とも。しかし、顔に出ていたのだろう。
せめて、2人だ、と白石が言った。
丁度いいのは、3から4。店を3つくらい確保して、1店につき、1人として3人。1/3になれば、33%になって、66%の余裕が生まれる。
しかし余裕があり過ぎると、軽薄になる。5人くらいまでだな、と言う。
聞くだけ聞いて、実践はしていない。こういうことには、個人差がある。人には、得手不得手がある。モテる男のモテ方を真似たとて、モテるようになるとは限らない。くれぐれも、こうすればモテる、などという甘言に惑わされぬよう、注意しておかなければならない。はっきり言おう。他人のやり方では、モテない。
自らの成功体験に引っ張られすぎて、前例(行動)の踏襲に執着して、ダメになっていく男たちを何人も見てきた。かといって、なぜ成功したのか、という分析をして、トライアンドエラーを繰り返し、メソッドを構築する、などというのは、しゃらくさい。
それでも、白石からは、ためになる格言を幾つか頂いたので、これまで、夜の街で、なんとかいれ込むことなく、済んでいる。
白石の助言がなければ、迂闊にも、商売女の色恋営業、沼に嵌っていたかも知れない。
「なぁ、川島。こっちは女の話をよく覚えているのに、女はこっちの話をよく覚えていないだろう。女の話を聞く客は己ひとりだが、女に話をする客は己以外にも大勢いる。その理屈を分かってないと、格好悪い妬みに襲われる。思う壺だ。」
追いかけているのは、たった一人の女。しかし女からすれば、数いる客の一人でしかない。それを予め分かっているのは、でかい。
そんな白石が、陣中見舞いにやってきた。
そろそろ、そっちでも店ができただろう、と訊いてきたので、2軒ほどボトルを下ろしている店はある、と答えた。そっちで飲んだことがないから、飲みに行く。陣中見舞いだから、俺が全部出そう、というので、合点承知、と承った。
宮田一家の若い衆、と知られ始めた、まだ若い頃のことだ。
当時、川島は、旅館の新築工事に携わっていた。堀北建設と組んでいたので、堀北からも監督がやってきていた。山岸という、ダンディな男だ。彫りの深い、日本人離れした顔の、今でいうイケオジ。
山岸に言う。
「女たらしの白石という大先輩がやってきます。飲み会を開いてやってください。二次会のスナックからでもいいような男です。」
「よしきた任せろ。」
二つ返事だった。
白石からの注文は、ひとつ。
「俺は、髪の長い女が好きだ。」




