序
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
高校を出て直ぐに、地元の建設会社へ就職した。社風はほどほど。業界に蔓延していたブラックな洗礼はなかったが、基本給は、同級生に比べて安かった。転職するあてもなく、またするような気にもなれず、だらだらと四半世紀以上、勤めた。突貫現場との縁は薄かったが、それなりの現場は潜ってきた。修羅場、というほど格好の良いものではなかったが、心身ともにずたぼろになるような現場には、幸運にも当たらずに済んだ。尻拭いが多かったからか、半ば開き直っていたということもある。つまりは、腹を括るしかなかった。
安い給料では、家族を養えるあてもなく、旧態依然とした男社会で出会いもなく、見てくれも野暮ったい。とうとう独り者のまま、厄年を通り過ごした。35を越えたあたりから、誰も何も言わなくなった。諦めたのだろう。俺も諦めた。お金を払う場所でしか相手にされないのだから、腹を括るしかない。
どうせ向こうは仕事だからと、無責任に口説き倒していた。酔った勢いも手伝って、虚しさを感じることもなかった。だが、飲んだ次の日のある朝、洗面所で顔を洗って、鏡を見ると、目の下にぷっくりと隈が出来ていた。途端に虚しさを覚え、そこから夜に飲み歩くこともなくなった。
はて、生きていて楽しいことは何があったのか。食べ歩き。スポーツ観戦。筋トレ。映画鑑賞。好きなジャンルは、ホラーだ。
怪談も好きだ。よくインターネットで検索している。どれもこれも作り話特有の嘘の臭いがするが、エンターテイメントだ、フィクションだと楽しんで怖がっている。例えば、少年漫画の戦いに、これは八百長だ、ヤラセだなんて言うバカはいない。そういう物語だ。だから、怪談を語ってる連中が一番オカルトを信じていないと思っている。信じていたら、そんな扱いはしないだろう。
お化けなんていない。それはそうだが、例えば夜中に山奥の神社にひとりで行けるか、と言われれば、怖くて行けない。それが正直なところだ。いないから大丈夫だなんて、そういう単純なものじゃない。人間の心を支配するのは、理屈じゃなくて感情なんだ。
カーテンが揺れた時、風の所為にするか。お化けの所為にするか。どっちが自分にとって都合がよいか。気持ちが納得するか。
工事で一緒になる連中から、休憩中に、怖い話はないか?とよく聞くことがある。誰でもひとつくらいは、怖い話を持っているものだ。かれこれ聞いてきたが、怪談でよくある、いわくつきの土地で工事を始めたら工事関係者が次々と、という話が出たことはなかった。
まさか自分が、当事者になるとは想像もしていなかった。これも腹を括るしかないのだろう。話は、少し遡る。