第3話 悠久のセツナ
それから数十年の月日が経った。
深山幽谷の世界に、とある若い男が現れる。
──ひどく朧げな想い。
彼の中には、彼自身の知らない記憶があった。
それは生まれた時から彼の中に存在していた。
その上、ひどく物悲しくて、深い後悔を伴っている。
彼は、成人してから旅立ち、ようやくこの場所を見つけた。
その内にある感情や記憶は、恐らくここを指し示している。
「初めて来た場所なのに、ボクはこの場所を知っている気がする」
家と思しき建物はすでに朽ち果て、最早、人が住めるような場所ではない。
全体を草木に飲まれた家屋の中に、埃にまみれて壊れた扉を見つける。
手をかけると、扉は砕けるように崩れていく。
奥に入ると、そこも草や苔に覆われていた。
「これは一体……? ここには誰が住んでいたんだろうか」
様々なものが雑多に溢れていた。
「これは、まさか錬金術の施設……? こんな山奥になぜ?」
床石に刻まれた方程式が、それを物語る。
男はそれに見覚えがあった。
「この研究は──。だが、独自解釈だ。これは実現可能なのか……?」
他には、女性の肖像画も見つけた。
それは拙いながらも、丁寧に描かれた物であった。
懐かしい感覚と、ひどく寂しい感覚が混ざる。
「美しい女性だ。誰だろうか……」
なぜだか分からない。急に涙が溢れてきた。
そして、それは止められなかった。
「どうして、こんな──」
男はようやく理解する、この場所へ来た意味を。
「そうか。ボクの中に誰か──、キミはここに居たんだね」
そして、人毛らしきものを見つける。
それは埃に塗れていたが、朽ちることはなく美しいままであった。
更には、同じように朽ちない肉、そして血や骨を見つけた。
*
男は、この場所で住むことにした。
家は可能な限り修繕し、それ以外は建て直した。
そして、残された設備で錬金術の研究を始める。
男は、残された物からこの設備の真の目的に気付いた。
それからというもの、取り憑かれたように研究へ没頭した。
──それは『賢者の石』の製造。
幸い彼には錬金術の知識があった。
以前はその研究にも携わっていた。
だが、壁に突き当たり挫折してしまっていたのだ。
最も大きな要因は、心無い人々による錬金術の悪用と不信感だった。
しかし、男はまたすぐさま壁に行き当たった。
本質的な理論は、石床に掘られていた。
だから、基礎が分かっていれば、さほど難しい問題でもなかった。
問題は、その材料となるものだ。
一体、そんなものがどこで手に入るというのか。
『人魚の肉』も『火蜥蜴の血』も『牛頭巨人の骨』も。
人の身では、一生をかけても手に入れることなどできない代物だ。
──そこで彼は気付く。
不可解な肉と血と骨の存在に。
その後、幾度かの実験を経て『賢者の石』は完成する。
しかし、男性はそれを使おうとはしなかった。
その頃にはもう、彼は随分と年老いていた。
年老いた身で不老不死となり、無限に生きたくはなかったのだ。
*
ある日、男はふと肖像画のことを思い出す。
おそらく、以前ここにいた研究者は見ていた。
自分と同じように、毎日この女性の肖像画を眺めていたのだ。
そして、『賢者の石』を求めた。
「そうか、貴方はこの女性を復活させようとしていたんだね」
賢者の石を用意し、彼女のものと思われる遺髪を依代にする。
そして、もうひとつ。
男は自身の中に、もう一人の魂があることを知っていた。
ここへ導いてくれたこの魂は、きっと彼女のものなのだろう。
なぜだかそう思えてならなかった。
「今、貴女を復活させることに意味があるかは分からない──」
男はそれを彼女へと返し、彼女を甦らせる。
賢者の石は溶け、遺髪と混ざり合った。
「──けれど、なぜだかこれが正解だと思えるんだ」
だが、彼は気を失ってしまう。
それから男が目を覚ますと、不思議なことが起こる。
ボロボロの家が、ずっと知っている家のように感じたのだ。
「ここは──?」
そうしてボーッと眺めていると、部屋に一人の女性が入ってくる。
「ねぇ、貴方は一体誰? ここは私の家のはずなのだけど……」
その女性は、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「それと、どうして家がこんなにもボロボロになっているの?」
彼女は記憶が混濁しているのか、キョロキョロと見回している。
だが、男の方も訳が分からず記憶が混濁していた。
「えっと、──あれ? ごめん、ボクは──、おかしい。分からない」
女性に慌てる様子はない。
ただ、男を確かめるようにじっと見つた。
「──そう、それは困ったわね」
「あ、でも、キミの名前は分かる。──セツナ、で合ってる?」
女性はキョトンとした顔をする。
「どうして私の名前を……?」
「分からない。ふと名前が浮かんできたんだ」
「──もしかして、貴方の名前はトワ……、だったりする?」
その名を聞いた瞬間、男は涙が溢れて止まらなくなってしまった。
女性は男がボロボロと涙を落とす様に狼狽えてしまった。
「どうしたの? 大丈夫? どこか痛いの?」
「ううん。違うんだ、セツナ。多分、ボクはずっとキミを待ってたんだ」