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第62話 天斗と頼り人

 



「それじゃあ行ってきます」


「‥‥‥行ってらっしゃい、天斗!」


「‥‥‥」


 前までならほぼノータイムで言ってくれていた返事がワンテンポ遅れてドアを一枚挟んだところから聞こえてくる。


 シアが倒れて看病するために学校を休んだ日から一週間以上経過していた。


 あの日、シアがおぼつかない足取りで部屋に向かってから今日まで、シアが部屋から出ることは極端に少なくなっていた。


 当然、以前は当たり前のように抱き着かれていた洗礼も、その日から一度も受けていない。


 ドギマギすることが無い事は助かるけれど、それに慣れすぎたせいか最近少しなんだか物足りないような気がしている。


「はぁ‥‥‥」


 俺は小さくため息をついて大学に向かうために家を出た。


 流石にシアが体調不良だからといって何日も休むわけにはいかず、シアに強く言われたこともあっていつも通り普通に学校に通っている。


 それにしてもシアのやつ、本当にどうしたのだろうか?


 シアに「部屋を覗かないでください」と言われた日から、俺とシアが会う機会はほぼなくなっていた。


 さっきみたいに声をかければ返事はしてくれるし、こうして日中に学校に行って帰ってきたら洗濯ものとかができているのを見れば、ずっと部屋に引きこもっているわけじゃなくてちゃんと外にも出ていることは分かっているのだけれど。


 シアと出会ってから今の今まで散々抱き着かれたり振り回されたりしていたから、こうも接触が少なくなって戸惑っている。‥‥‥恋人でもない年頃の異性との同居だとこのぐらいの距離感が正しいっちゃ正しいのかもしれないが。


「嫌われた、のかなぁ‥‥‥?」


 そう感じなくもないけれど、違うとは思っている。嫌われてたらご飯を作ってくれたりしないだろうし。ドア越しだけど、声はいつもと変わらないから。


 対面で会うことだけを避けられてる感じだ。


「‥‥‥夜には何かをしているみたいだけど」


 ここ最近、仕事で夜更かしをすると、よくシアの部屋からうめき声というか喘ぎ声というか、苦しそうな声が聞こえてくるようになった。


 何度か気になって声をかけてみたけれど、そうするとぴたりと声は聞こえなくなるし、何をしているのか聞いてもシアにははぐらかされる。気にしないでくださいって言われたら、どうしてもそれ以上は踏み込みづらい。


 そんな感じで、日常生活には支障はないけれど、日々の生活からシアの姿だけがいなくなったような感じがして俺はモヤモヤと胸のざわつき抱えていた。


「それに、なんだか物騒な噂も流れてるみたいだし」


 夢原のお母さんが噂好きの主婦から聞いたって夢原が言っていたんだけど、曰く、真夜中になると血を求めて徘徊する吸血鬼がいるらしい。


 こんな噂を聞いたら普通の人なら不審者とか殺人犯とかを疑うか、根も葉もない噂だと一笑に付すかするのだろうけど、実際にシアと言う吸血鬼の存在を知っている俺の身からすれば看過できないことだった。


 同じくシアの正体を知っている夢原も心配してくれた。


 この噂についても、もちろんシア本人に聞こうとしたのだけれど、夜の出来事だからかはぐらかされてしまった。


 もしも、俺の知らないところでシアが本当に何かやらかしているのだとしたら‥‥‥。


「はぁ‥‥‥仕方ない。あの人を頼るかぁ‥‥‥」


 シアの体調不良のことも、夜の噂のほうも手につかないほど大事になる前に何とかしたほうがいい。


 そう判断した俺は放課後にある場所に行く決意をした。


 あの人にあんまり仮を作りたくないけど、あの人以上にこの件に関して頼りにできる人もいないしな。


 幸い、昨日やっとご機嫌とりの物も仕上がったことだし、なんとかなろう。



 ■■



 そういうわけで、講義が終わった午後。俺はいくつか電車の乗り継いで一つのビルの前にやってきた。


「久しぶりに来たな」


 ここは俺の小説を出版してるラノベレーベル擁する大手出版社だ。つまりあの、俺の担当編集である紗季さんの職場である。


 そう、俺が頼りにやって来たのは紗季さんだ。


 最近知ったことだけど、あの人はシアなどの異世界からやってくる者たちから地球を守る魔術師らしい。しかも、なんか特級とかいうすごい階級の。


 一体なんの漫画設定なのかと思うかもだけど、その目で実際魔術を使ったのを見せられたら納得するしかなかった。


 まぁ、それ以上に担当編集ってことで俺にとっては頭の上がらない人って感じだけど。だからか、紗季さんには色々感謝もしてるけれど、少し苦手な人っていう意識がある。


 ビルを見上げてゴクリと息を飲んだ俺は敵地に赴く気持ちで一歩踏み出した。自動ドアをくぐると広いフロントに迎えられて、なんだか自分がここにいることが場違いな感じがしてくる。


「どこにいるかね、紗季さん」


 一応来る時に相談があるから伺いますって連絡は入れて了承のアポはとったけれど、何分紗季さんはあれでなかなか忙しい身みたいだからちょっと待つことになるかもしれない。俺以外にも担当持っているみたいだし。


 そんなことを思いながら受付に向かおうとして、その前に横から声をかけられた。


「アマト先生、お疲れ様です」


 別にやましいことは無いけれど、思わずビクッと肩を跳ねさせて振り返れば、今日もきっちりと仕事着を着こなした紗季さんの姿が。


「お、お疲れ様です」


「‥‥‥何をそんなにビクビクしてるのですか?」


「い、いえ、お気になさらず」


 前会った時にシアのことがバレて記憶を消されそうになったのが結構トラウマになってるのかもしれない。


 紗季さんは冷や汗をかく俺を怪訝そうに見つめると踵を返して歩き出した。


「行きましょう。相談があるとのことなので会議室を取っています」


「は、はい!」


 紗季さんについて行ってエレベーターに乗り会議室に向かう。これまでも何度か利用したことがあるから場所はわかる。


「「‥‥‥」」


 ‥‥‥けど、なんというか紗季さんと二人きりの沈黙が気まずい。


 あの時のことは色々と衝撃なことも多かったし、紗季さんも未だにシアがこっちの世界にいることについては認めてはいないだろうから。


「はぁ‥‥‥天斗さん」


「な、なんでしょう?」


「そんなに硬くならなくても大丈夫です。今のところはアレクシアさんをどうこうするつもりはありませんから」


 そう言って紗季さんは俺の方に向き直ると、ちょっと困ったように眉を顰めて両手でむにゅっと頬っぺたを引っ張って来た。


「あ、あにょ、しゃきしゃん‥‥‥?」


「お二人が一緒にいることは納得してませんけど、許してはいるでしょう。あなたにそんなにビクビクされるととてもやりにくいです。‥‥‥普通にしてください」


 紗季さんの切れ長の瞳が微妙に逸れてるのは、この人も気まずさを感じてるからだろうか?


 なんだかその雰囲気は仕事でピリッとしてる時や、魔術師としての本性を明かした時よりも幾分か柔らかく、なんだか仲直りしたいけど不器用にしかできない姉みたいな感じがする。


 思わずポカンとしてしまうと、紗季さんは何も言わない俺にしびれを切らしたのか頬っぺたをつまむ指に力を入れながら凄んできた。


「‥‥‥返事は?」


「ふぁ、ふぁい!」


「よろしいです」


 その時、ちょうどエレベーターが目的の階に到着してピンって音と同時に手を離される。


 先にエレベーターから出て先導してくれる紗季さんの足取りは、さっきよりも少しだけ軽くなったような気がした。



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