第36話 シアとハグ その二
「「‥‥‥」」
だからといって、かれこれ三十分もこのままの状態っていうのはどうなんだろう‥‥‥?
流石に人一人を抱えるような体制でずっと突っ立っているっていうのは結構きついんだが。
「なぁ、シア。そろそろ離してくれないか?」
「やぁです」
「いや、嫌じゃなくて——」
「嫌ですっ!」
「——ウゴッ!?」
シアの言葉と共に、俺の腰に回された腕に力が入って絞められた結果、俺の口からうめき声が出た。そして俺は戦慄する。
‥‥‥なんということだ。シアタックルが無くなって、もう車に轢かれるような思いはしないと思ってたのに、実はシアベアバッグという絞め技が待っていたなんて。
そう、シアと抱きしめ合って最初は心地よく感じていた俺だけど、シアに寄りかかるわけにもいかずにまったく動かずに変えられない姿勢でいるのはきつく、割と五分もすれば離れたくなった。
その時は、ハグの止め時が分からなくて、シアも微動だにしなかったから声もかけずらく、まぁ少しぐらい我慢するかって思ったんだけど。
それから十分も経ったら、我慢も出来なくなってきた。なんだか少し暑いし、身動きが取れないっていうのは思ったよりも辛いものがある。
だからシアに離れるように言ったんだけど、もちろん答えは今みたいに即答の拒否で、さらには腰に回された腕が少しだけ強くなった気がした。
まぁ、いつもシアが抱きつこうとしてきてもぞんざいにあしらってきただけだからな、もう少しくらい我慢するか。
そんな風に考えて、もう少しシアの望み通りにしようってハグに付き合うことに決めたのだが……。
流石に二十分にもなったら、あれ? 何かおかしいぞ、これ。ってなる。
だって、シアから離れようって思っても、まるでその場に固定されたように身体が全く動かなかったんだもん。
どうせシアに離れるように言っても、同じように即答で嫌って言われるだろうから、俺のほうから離れるかって思って動こうとした時にそのことに気づいた。
しかも、気の所為じゃなければ、だんだんとシアの腕の力が強くなっているような気もして。
そして三十分後、現在俺はシアの両腕から抜け出そうと懸命にもがいていた。
「お、おいシア、もういい加減いいだろ? 早く離してくれ!」
「嫌です!」
もう何度もお願いしても、すぐさま却下される。
かといって無理やり抜け出そうとしても。
「ぬぐぐぐぐぐっ!」
「ふっ……」
シアの肩に思いっきり押して引き剥がそうとするけれど……当然、絡みついたシアの両腕は吸血鬼の力も相まってビクともせず、シアは涼しい表情でいっこうに離れようとはしない。
そして抜け出そうともがく俺を見て鼻で笑われるのが地味に腹立つ。
くそう。わかってたことだけど、シアと力比べをするのは愚の骨頂だな。
ここはやっぱり、何とかシアを説得してシアから離れてもらうしかあるまい。
「シア、ちょっとトイレに行きたくなってきたんだが?」
「いいですよ! 一緒に行きましょう!」
「いやいや、何言ってるの!? シアが離してくれるって選択肢は無いのか!」
「やだなぁ、天斗。そんなのは当たり前にありませんよ。私と一緒におしっこしましょう? 見守ってあげますから!」
「断る! 俺はトイレに行けない三歳児か!」
「もう、我がままなんですから」
やれやれといった感じに、肩をすくめるシア。
抱き合っているから真下に至近距離で、呆れたような上目遣いが小憎たらしい。わがまま言ってるのはシアだっちゅうに!
「というかまじで、いつまで続けるつもりなの?」
「そうですねぇ~、このまま化石になるのも吝かではありません」
「十分吝かだわ! なんだよ化石って! 普通に嫌だわ!」
「えぇ〜……ならば、このまま石像になりましょう! 作品名は『愛した人と』とかどうですか?」
「それも嫌だわ! もういいから離れろよ‥‥‥」
力ずくもダメ、説得もダメ。他に何かシアが腕を解いてくれる方法はあるだろうか?
この前は確か紗季さんが来てインターホンが鳴ったからしぶしぶ離してくれたんだっけ。
でも今日は来客予定はないからなぁ‥‥‥。密林の使者も呼んでないし。
てか、それよりもかれこれ四十分くらいこの体制で立ちっ放しだ。いい加減、疲れて来た。肉体的にも、精神的にも。
本当にもう、このままここでシアと石像か化石になって、後世で見世物になる運命なんだろうか‥‥‥。
そんな風にがっくりと項垂れていると、流石に悪いと思ったのか、シアがバツが悪そうな表情を浮かべる。少し腕の力も弱まった。
「あの、天斗? そんなに私とハグするのは嫌でしたか……?」
「んいや。別に嫌じゃ、なかったけど」
そう答えると、シアは心底ホッとしたようにため息を漏らす。
「それじゃあ、次にまたギュッとしてくれますか?」
「……まぁ、気が向いたらな」
「気が向いたらじゃなくて約束してください! 約束してくれたら、離してあげます!」
変な脅しだなぁ。というか、別に俺が何をしなくてもシアはいつも抱きついてくるだろうに。
まぁ、離してくれるって言うなら約束してもいいか。
「わかったわかった。約束するから、もう今は離して」
「むぅ、なんだかてきとーな気がしますが、まぁいいでしょう。本当はまだ満足してないですけど、今日のところは約束してくれてことに免じて離してあげます」
そう言うと、シアはしぶしぶと本当に名残惜しそうに腕を解いていく。
少し離れて、よく見えるようになったシアの顔は、拗ねるように口をへの字に曲げていた。
……全く、どうしてそんなにも抱きついて来たがるのか。
確かに思ったよりも心地よかったし、不思議と落ち着けるとは思ったけど、そこまで気を落さなくてもいいだろうに。
「シア‥‥‥」
「えっ?」
なんだか、シアに対して言い知れない気持ちが沸き上がった俺は、シアの腕を掴んで引き寄せると、そのままそっと包むように背中に腕を回した。
「——ふぁっ!?」
だけどそれは一瞬だけ。
シアが動転から戻って来る前にすぐに離れて、トイレに駆け込んでカギを閉めた。
トンとドアに背中を預けると、すぐ外でシアがどたどたとやって来る音が聞こえる。
「ちょ、ちょっと天斗! 今のはどういうことですか! もう一回お願いします! 今度は逃がしませんから!」
どういうことって‥‥‥そんなん俺にもわからねえよ。気が付いたら動いてたんだから。
どんどんどんどんとドアを叩かれる音を聞きながら、俺は小さくため息をつく。
「とりあえず、当分はもうハグはいいや‥‥‥」




