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第33話 シアと覚悟

 


 目の前に、シルクのようにきめ細かいプラチナブロンドが翻る。雲間から伸びた月明かりに照らされるその後ろ姿は、見惚れるほどに綺麗だと思った。


 振り返ったシアは夜の闇に映える紅い瞳を煌めかせて俺を見つけると、慈しむように目元を和らげ、大きく一歩踏み出して両手を広げて抱き着いてくる。


「天斗ぉ~!」


「し、シア‥‥‥」


「はい! あなたのシアです! 大事ありませんか? 私が来たからには、もう安心ですよ!」


「あ、あぁ」


 さっきのショックがまだ抜けきらないのか、シアに抱き着かれても呆然としたままから返事をする俺。


 振り返ったらもう魔法陣が目の前にあって、さっきはもう終わったかと思った。


 記憶を忘れる。そういうことはファンタジー作品でも、ラブコメ作品でもよくあるイベントの一つだけど、いざその当事者になりそうになるとすごい恐怖を感じた。


 ‥‥‥悪かった、今まで『ここで記憶喪失にさせたらストーリーが盛り上がるかもな』とか思って安易に記憶を消してた登場人物たち。君たちにこんな気持ちはもう味わわせないよ。


 そう作家として自分の中の戒めを一つ増やしてると、胸元で少し湿った生暖かい感触がした。


「す~は~す~は~‥‥‥うぇへへ、天斗の香り」


「‥‥‥ちょっ!? おま、人が呆然としてるのをいいコトに何してんだよ!」


「ぐへへ、いいじゃないですかぁ~! もう少しだけクンカクンカしても、減るもんじゃないですし!」


「SAN値が減るんだよ! キャ~ッ! 変態!」


 俺の胸に顔をうずめて離さないシアを必死に引きはがす。‥‥‥こんなことしてていいのだろうか?


 さっきまでなんかすごい真剣な場面じゃなかったか? ほら、視界の向こうで紗季さんが何やってんだコイツらみたいな目を向けて来てんじゃん。


「おい! 今大事な場面なんだからもっとシャキッとしろよ!」


「えぇ~‥‥‥まぁ、そうですね。天斗成分はしっかりと堪能できましたし!」


 シアはそう言うと、俺のことを話してクルリと振り返り、紗季さんに向かって指を突き付ける。


「やい、担当編集! 私を差し置いてよくも天斗の背中を堪能しましたね! どさくさに紛れて天斗のうなじに顔を埋めて、いったい何をしようとしたんですか! 嗅ごうとしたんですか! それとも甘噛み? まさか舐めようと‥‥‥そんなけしか羨ましいこと、この私が許すまじ——あ痛ッ!」


「お前いきなり何言ってるの!? そんなことしようと考えるのはお前だけだわ!」


「いやです天斗、そんなことしたいのは私とだけなんて‥‥‥きゃっ♡——あ痛っ!」


 今度は無言でただ叩く俺。


 なんだろう‥‥‥シアがいると本当にさっき紗季さんがいったような危険なことが起きるのだろうか? 叩かれた頭を涙目で抑えてる残念な姿を見てると、とてもそうは思えない自分がいる。


 紗季さんの方も呆れを通り越して、チベットスナギツネみたいな細い目でこっちみてるじゃん。


「というか、紗季さんがそんなことするわけないだろうが。もうおんぶなんてとっくにやめてるし」


「あれ? そういえばそうですね。つい天斗におんぶされてるあの人が羨ましくて‥‥‥。というか、どうしてこんなに離れて向かい合っていたんですか? そういえば、天斗を見つけて嬉しくなって忘れてましたけど、ここに着地するときになにか踏んずけたような‥‥‥?」


 それはたぶん紗季さんが俺に向かって放った忘却の魔術ですね。


 てか、シアは今ここに来たばかりだから、どういう状況だったのか分かってないのか。


 ならばとりあえず、今の状況を説明するか。紗季さんにシアが吸血鬼であることがバレてることも伝えないといけないし。


 と、思い至ったところで、しかし先に口を開いたのは紗季さんの方だった。


「あなたのことについて話していました。なのでちょうどいいです」


「私のこと、ですか?」


「えぇ、あなたにも言いましたよね? あなたが天斗さんの家で居候をすると天斗さんの負担にしかならないと。あなたは直ぐにでも元の場所に帰るべきです」


 なんのことだろう? と疑問に思うものの、たぶん俺が仕事をしている時にそんなことを話したんだろうと納得する。


 なるほど、紗季さんはなるべく穏便に済ませられるようにシアのことも説得していたのか。


 それよりも、負担か‥‥‥。


 確かに負担がかからないと言えば嘘になるけど、その分助けられてることもあるし気にしないでほしいんだけど。


 でも、こういうこと、シアは結構気にしてる節があるしなぁ。


 とりあえず、あまり深刻に思わなくてもいいよと伝えようとして、しかし紗季さんの言葉を聞いたシアは意外にあっけらかんとしていた。


「あー、そのことですか。それはもう、気にしないことにしました」


「‥‥‥なんと」


「私が負担になってしまうのは、まだ仕方ないです。けれど、いつか天斗の負担を少しでも和らげることができるようにこれから頑張ります!」


 むんすっ! って感じに両腕でやる気をアピールするシア。なんか、吹っ切れたらしい。


「‥‥‥そう、ですか」


 シアの言葉を受けてその気持ちの強さを感じたのか、説得は無理だと悟ったように困った表情になる紗季さん。


「仕方ありません。異世界人にあまり私の正体がバレるのは得策ではないんですが‥‥‥」


 紗季さんはそう呟くと、俺にした説明を今度はシアにも話し始めた。


 自分の正体が魔術師であり、シアのような異世界からの訪問者からこの世界を守っている守護者という存在であること。シアが吸血鬼であることは把握していて、その力を危険視していること。そして、シアがいることによるで影響を受けた存在がやってくるかもしれないこと、それが侵略に繋がる可能性。


 話してる間、紗季さんはどこか緊張しているようで、ずっとシアを警戒しているようだった。


 この話を聞かせることで、シアと戦闘になることを危惧してるんだろう。


 俺も、無いとは思うけど、シアが突然暴れ出さないように、常にシアを気にかけていた。


 そして、全てを聞き終わった後、シアはというと。


「なるほど。ずっと私を警戒して身構えていたり、天斗から遠ざけようとしていたのはそういった理由からだったんですね。私はてっきり、弟のように思っていた天斗を私に取られて嫉妬していたのかと」


「——なっ!?」


 とくに暴れ出すようなことはなく、納得したようにうなずいていた。


 というか、紗季さんが俺を弟のように思っていた‥‥‥? まぁ、確かに俺も姉貴分だと思ってるけど、一方的に俺が思っていただけでは?


 そう思って、紗季さんを見たら、以外にも図星をさされたとばかりに頬を染めていた。


「ちょっと何でこっち見るんですか! 変な勘違いをしないでくださいね! あなたの方も、二人で話したことをここで言わないでください!」


「えぇー、何を気にしてるんですか? ただ天斗のことを想ってのことでしょう? 天斗に怪我をさせたら絶対に許さない! って」


「だから、本人の前で言わないでください! というかそんなこと言ってませんよね!?」


「‥‥‥あ、これがツンデレってやつですね!」


「違いますっ!」


 あー‥‥‥えー‥‥‥また別の意味でなんだ、この状況? 真剣な話をしてたんじゃないの?


 紗季さんの正体とか、結構びっくりすることだと思うんだけど。


 まぁ、もしかしたら紗季さんが気づいてたんだから、お互いに魔法を使う者同士だしシアも紗季さんが魔術師ってことに気が付いてたのかもね。


 というか、シアが紗季さんを手玉にとってる‥‥‥。


 なんか今日は俺の中の紗季さんの冷徹キャラがどんどん崩壊していく日だなぁ。


「ごほんっ、とにかく守護者としてあなたのことは無視できません。今すぐに元の世界に戻ってください」


 まだ少し赤みのある頬だが、シアにいつもの鋭い視線を向けてそう告げる紗季さん。


 でも、さっきのせいかいつもより若干迫力に欠けている気がする。


 そしてシアはというと。


「——嫌ですっ! 天斗の元から離れるなんて断固拒否です!」


 即答で、断言した。シアが暴れないようにとすぐそばにいた俺の腕に抱き着いてくる。


 そんなシアの姿を見て、今度こそ紗季さんの視線が鋭いを通り越して、冷徹になった。


「その天斗さんが、あなたのせいで今後危険にさらされる可能性があるんです。わかるでしょう?」


「はい、あなたのおっしゃったことは無いとは言い切れませんね」


「分かっているなら——」


「——なのでっ! はい、どうぞ!」


 紗季さんの説得を無視して、シアはなぜか紗季さんに向けて両手を差し出した。


 紗季さんはシアの突然の行動に目を細める。


「‥‥‥どういうことですか?」


「私に呪いでも封印でも施して、本来の力を使えないようにしてください。あなたくらいならそういう魔法も使えるでしょう?」


「魔法じゃなくて魔術ですが‥‥‥確かに、そういう効果のあるものもありますね。でも、自分の力を弱めようとするなど、いったいどんなつもりですか?」


 シアは俺の方を一瞬だけ見つめて、紗季さんに真剣な表情を向けると、発言の真意を言い始めた。


「あなたが、私の力を危険視し、それによって天斗と一緒にいられなくなるなら、私は吸血鬼の力など必要ありません」


「‥‥‥」


 そこに一切の嘘も詭弁もなく、本当にそう思っているのがよく分かった。


 これには、紗季さんもとても驚いたようで何も言えないようだった。


 かくゆう俺も、まさかシアがそんなことを言いだすとは思えず、まじまじとシアを見てしまう。


 それに気づいたシアが、俺に向かって柔らかく微笑む。


「いつも言っているように、私にとっては天斗が全てです。吸血鬼の力なんてどうでもいいんですよ」


「——っ!?」


 月に照らされるシアの微笑みがあまりに綺麗で、思わず息を飲んでしまった。


「‥‥‥あなたの覚悟は分かりました。しかし、侵略される可能性はどうするのですか?」


 シアに見惚れる俺の意識が戻って来る前に驚きから立ち直った紗季さんが、もう一つの懸念を口にする。


 すると、俺から再び紗季さんに向いたシアは。


「その時は、私が責任をもって全力で対処に当たります。天斗を、天斗がいるこの世界を、アレクシア=シュトラーセの名に懸けて守り抜きましょう」


 そう言い切った。


 そのまま二人は、まるで視線だけで戦っているように、両者一切の瞬きもせず見つめ合う。


「「‥‥‥」」


 どれくらい、そうしていたのか‥‥‥先に視線を切ったのは紗季さんだった。


「はぁ、やりにくいですね……。今日のところは帰ります」


 そう言うと、道路の上に放置してあったバックを手に取って駅の方面に向かって歩き出す。


 そのまま、何事もなく今日は終わるかなと思ってると、紗季さんはすれ違いざまに。


「言っておきますが、私はまだ納得した訳ではありませんよ。吸血鬼は危険な存在ですし、シアさんもすぐに帰るべきだと思っています」


 そう言いながら、釘を刺すように俺とシアをその鋭い視線で射抜いてくる。


「もしもこの街に被害が出るようなことがあれば、今度こそ問答無用で引き剥がします。天斗さんがしっかりとめんどうを見てください」


「は、はいっ!」


 ここは逆らっちゃいけないと、名指しされた俺はしっかりと返事をする。


 任せてください! シアが暴走しないようにしっかりと見張っていますから!


 そう、気持ちを込めたんだけど……釘刺しはまだ終わってなかった。


「それから、締切を遅れることは今後一切許しません。肝に銘じておきなさい」


「は、はひぃ……」


 背筋をビクビクさせながら、何とかそれだけ返事を返す俺。


 紗季さんは俺からの返事を聞いて最後にシアを一瞥すると、ここまでおんぶされて来たのが嘘のようにピンと綺麗な姿勢で歩いていった。


「最初はなんだか礼儀知らずないけ好かない人間だと思いましたが、とんだツンデレさんでしたね!」


「……お前、本人の前でそんなこと絶対言うなよ」


 今日は紗季さんの今まで知らなかった一面を色々知ったけど、やっぱり俺の担当編集は悪魔だ……。



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