第17話 シアと千結
◇◇シアside◇◇
「酷い目に逢いました‥‥‥」
時刻はもうすぐ日付の変わり時。眠ってしまった天斗を背負ってお店を出ます。
明日は講義も無いからと飲み続けた結果、こんな時間にまでなってしまいました。
私は今日、改めて思い知りました。人間は恐ろしいと‥‥‥。
やれあのSFアニメのロボットが芸術的だの、あのアニメの戦闘シーンが興奮するだの、推しキャラが尊すぎて辛いだの。
普段から天斗が見ているので一緒に見ていましたが、アニメについてよくわからない私からしたらお二人のお話は意味の分からないことばかりでした。
それにアニメのことについて語っているお二人の目はとても据わっていて、こうなにか背筋に来るものが‥‥‥。
まぁでも、流石は作家さんというべきか、天斗がお話してくれることは理解しやすくて興味を惹かれることもありましたし、千結も絵描きとしての視点からから語ることは感心することが多かったです。
なにより、好きなものを語る天斗はキラキラと楽しそうで可愛いくて、天斗の新たな一面を知れてうれしくもありました。
だからこそ、お二人のお話に入って行けなくて寂しくもあり、天斗とあんなに盛り上がれる千結が羨ましくもありましたが。
せっかく色々と教えてもらったんですし、今日は帰ったらさっそく気になったものから見てみましょう。
「ごめんねぇ、シアちゃん。今日は散々付き合わせちゃって」
「‥‥‥いえ」
そんなことを考えてると、手のひらを合わせて千結が私に謝ってきます。
最初は夢原さんと呼んでましたが、名前で呼んで欲しいということで千結と呼ぶことになりました。
もともとは彼女に対抗意識を燃やしてやって来たのですが、会ってみればまさかの天斗の作品に絵を描いていた人間ということで、ちょっと複雑な気分です。
それに天斗以外の人間と二人で会話をすることはこれまでなかったから何を話せばいいのかも分かりませんし。
「それにしても天斗くんはぐっすりだねぇ。どうせまた夜遅くまで書いてるんでしょう」
「‥‥‥えぇ、最近は朝方近くまで起きているみたいです」
「やっぱりね、相変わらずだなぁ、天斗くんは‥‥‥ほれほれ」
「私の天斗に触らないでください」
千結が天斗のほっぺたをつつこうとしたので、サッと避けます。
いくら千結にとって天斗が恋愛対象ではないとしても、それはそれこれはこれです。あんまり私以外の異性に触れてほしくありません。
それに一応納得したことにしてますが、天斗が千結の恋愛対象に入らないというのには未だに半信半疑ですから。
私がキッと睨んでると、あっけにとられた表情を浮かべていた千結が苦笑気味に微笑みました。
「ふふっ、シアちゃんは天斗くんのことを本気で好きなんだねぇ」
「もちろんです! いつまでも一緒にいたいと思っています!」
「そっかぁ‥‥‥そういえば、シアちゃんは天斗くんの家で暮らしてるんだよね? いきなり同棲ってハードル高いと思うんだけど、二人ってどうやって出会ったの?」
「そう、ですね‥‥‥」
私は少しだけ記憶を遡って、天斗と出会ったときのことを思い出します。
あの時はとにかく敵から逃げていて、だけれど逃げられずに聖剣を突き立てられ、それでも最後の力を振り絞って転移魔法で逃れようとしたら、流れ着いたのがこの世界でした。
天斗からは公園で落ちて来たと伝えられましたけど、その時の記憶は覚えていなくて気が付いたときには天斗の部屋のベッドに寝かされていました。
まさか自分の最後を看取られるのが人間だと思ったらすごく屈辱的でしたけど、その人間——天斗は、何故か吸血鬼である私を必死に救おうとしてくれていて、それがあまりに必死だったので思わず血を求めてしまって。
天斗はなんの躊躇いもなく私に血を分け与え、居場所をくれて、私を助けてくれました。助けてもらったのは身体だけではありません、心までもです。
そして私は天斗に一生を捧げることを心に誓いました。
私から見たざっくりとした天斗との出会いはこんな感じです。
「天斗は死ぬだけだった私を助けてくれたんです。そして行く場所も帰る場所も無くなった私にここに居ていいって言ってくれました。天斗は何気なく言っただけなのかもしれませんが、私はその言葉にとても救われたんです。だから、私の全部を使って恩返しをします」
その思いを改めて決心しながら、私は千結に向かって真っすぐに言いました。
私の話を聞いた千結は一瞬あっけにとられた様子で、しかし淡く微笑んで天斗を見つめます。
「なるほどねぇ、天斗くんは相変わらずだ」
「‥‥‥どういうことですか?」
千結の視線は暖かな親愛が込められているようで、私の脳裏が小さく警鐘が鳴った気がして。
思わず聞き返せば、千結はまるで宝物を自慢するように語り始めました。
「私もね、天斗くんに助けてもらったことがあるの」
「ほう」
「さっきも言った通り、オタクって偏見で見られがちでしょ? だから私は高校生時代はなるべく隠すようにしてたんだ。けど、たまたま私がアニメオタクであることがバレそうな出来事が合ってね」
私はジッと千結を見つめる。
「大学生になったから分かるけど、高校なんて狭い世界ではこういうネタはすぐに広まる。ましてや、私の当時いたグループはオタクに対する偏見が強かったから、きっと私の居場所は無くなってたと思う」
「‥‥‥」
「でも、その時に天斗くんが身代わりになって助けてくれたの。天斗くんは大袈裟なんて言うけど、私にとってはヒーローみたいだったんだよ」
そして、確信します。
「‥‥‥やっぱり、ライバルじゃないですか」
「シアちゃん?」
何が天斗は恋愛対象ではないですか。あなたが話してる時、天斗に向ける表情はまるっきり恋する乙女であるのに。
そう認識したとたん、キョトンとこちらを見てくる顔はお酒を飲んだせいか赤らんでいて足取りだってふらついていつるのに、千結の存在が私にはとても脅威に感じました。
千結は吸血鬼である私から見ても美しく思います。黒く長い髪は丁寧にお手入れがされているのが分かるし、身体つきだって私以上です。きっと男性吸血鬼ならば攫ってでも血を吸おうとするでしょう。
人柄は会ったばかりでよくわかりませんが悪いとは思えません。行き過ぎたきらいがありますがオタクであることも天斗であればむしろ意気投合することは今日の様子を見ればわかります。加えて、天斗の絵師まで務めることができる。
やっぱり、とてつもない脅威です。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥脅威は、排除しなければなりません。
私はそっと背負っていた天斗をその場のベンチに降ろしました。
「シアちゃん? どうしたの?」
私の行動に不思議そうに首を傾げる千結。
呑気なものですね、私は既に意識を切り替えているのに。天斗もそうですが、この世界の人間は危機意識が足りないと思います。
しかし、排除をするとしてもどうしましょうか。物理的に排除することは簡単ですがこの世界の法は厳しいですし、なによりそんなことをしたら天斗に怒られてしまいます。だからそれは無しです。
要はこれ以上天斗に関わらせなければいいのですから、関わりたくないようにすればいいですね。
「‥‥‥千結、悪く思わないでください」
「シアちゃん‥‥‥? なんか怖いよ?」
いまさら気が付いても、もう遅いです。
私は暗闇を縫って一瞬で千結の真正面に移動し、千結の首筋へ強めに噛みつきました。
「——うぐっ‥‥‥シア、ちゃん‥‥‥?」
千結の白い肌に牙を突き刺し、恐怖を刻み付けるように血液を奪い吸う。
「った‥‥‥くぁっ‥‥‥」
「‥‥‥——ぷはっ」
「な、なにが‥‥‥」
吸った量は少なめにしておきました。
首筋から離れて千結を見れば、何が何だかわからないという表情をしています。それでもしっかりと痛みは与えたので、その瞳の奥底には小さな恐怖の感情が現れたはずです。
「これは警告です。あなたは今日から天斗に近づかないでください。‥‥‥近づけばどうなるかわかりますね?」
千結に私の牙を見せつけて更なる恐怖を煽ります。私を恐れれば、私と一緒に住んでいる天斗とは関わりたくないと思うでしょう。
「えっと、今のは‥‥‥? シアちゃんは、いったい‥‥‥」
そうですね、もうこの際ですし私の正体をばらしてもいいでしょう。私が人ならざる者であると知れば、人間は逃げていきますし。
「私は異なる世界に住む吸血鬼‥‥‥」
千結を威嚇するように翼を大きく広げ、睨んで威圧する。
「あなたがた人間の天敵です」
「——ひっ」
小さく悲鳴が聞こえて、一瞬だけ胸の奥がキュッと締め付けられたような気がしました。
ですがこれでいいはずです。人間と吸血鬼はどうしても相いれない。
「——ひゃああああああっ‼」
夜の街に千結の悲鳴がこだまして——。
「——ちょっ、千結っ!?」
しかし、逃げるかと思ったけれど千結は逆に私のほうへ飛びついてきて両手をギュッと握ってきました。
「シアって吸血鬼なの!? すごいすごいっ!」
「え、えっと‥‥‥そうですけど」
「どこか人間離れしてて神秘的だなって思ってたけどそういことだったんだねぇ! 瞳も紅いし翼も本物だぁ!」
直前まで確かに恐怖が覚えていたはずなのに、千結は瞳をキラキラさせて「すごいすごい!」と何度も言いながら私のことを触ってきます。
予想とは違った反応に私は困惑するばかりです。
「あ、あの! 千結は私のことが怖くないのですか‥‥‥?」
「怖い? どうして?」
「私は吸血鬼なんですよ?」
「うん! まさか本当にいるなんてねぇ、しかも異世界のなんでしょ? なんかワクワクするね!」
「ワクワクって‥‥‥私は今さっきあなたを襲ったんですよ?」
「襲った‥‥‥? あ、そういえば酔いが覚めてるような? もしかしてシアちゃんのおかげ? ありがとう!」
「‥‥‥」
襲ったと言ったのに、何故かお礼を伝えてくる千結。
もう、なにがなんだか、わかりません。
「‥‥‥帰ります」
「もうこんな時間だもんね。今日はありがとう」
「‥‥‥はい」
私は天斗を背負い直して、家に向かって飛びます。
後ろから千結の「おおっ! 飛んだ! シアちゃんバイバイ~!」という声が聞こえてきて。
「‥‥‥天斗も、千結もどうして私を簡単に受け入れられるんだろう? 私は吸血鬼なのに」
ポツリとこぼした言葉は誰にも聞かれることは無く、私は複雑な心境のまま家路につきました。
今日は天斗をベッドに寝かせたら私もすぐに眠りましょう。