我々は死んだ貝に一方的に話しかけている
我々は死んだ貝に一方的に話しかけている。
貝は死んでいるので、その行為は当然、無意味になる・・
だが、では、
[生きている人間に我々はなぜ話しかけるのか?]
自分以外の者の魂の在処を我々は証明する事が出来ない。
それは虚しい空洞に話しかける行為と何が違うのだろうか?
それでも我々は人間の心というものが、
何処から、何の為に来るのかわからない以上、
一方的に死んだ貝に話しかけるしかないのだ。
神とは絶対的な宇宙であり、定理であり、無慈悲な全てだが、
無慈悲に慈悲を求める我々の魂もまた、
その宇宙からやって来たのだから、
やはり我々は淡々とした数字の中に
愛を求めざるを得ないのだ。