廃駅0時発列車
友人の話しを聞いて山登りを始めた川島昇。道に迷ったあげく誤って沢に落ちて気を失った。昇は無意識の中生死の境をさまよっていた。身体を失った魂は当てのない旅を続けた。自分の身体に戻る為に。
岩手県内の鉄鋼会社を去年まで勤め上げ、定年退職した主人公『川島昇』は、中は退職したら、あれもしたいと思ったが、いざ退職して見れば、これと言った趣味も無く、毎日暇を持て余していた。妻から見れば退職して毎日家でゴロゴロしてしている自分は粗大ごみにしか見えないだろう? 新婚当時が嘘のようだ。俺のような男世の中にはいっぱいいると思うが、妻から見れば無趣味な俺は、まったくつまらない男に見えるに違いない。
自分自身。家に居るのが落ち着かなかった。たまたま一人で居酒屋に行った時、高校時代の古い友人と何十年かぶりで偶然に会った。最初は互いに歳を重ね瞬時に分からなかったが、聞けば割と近くに住んでいる事が分かった。そんなに親しい友人ではなかったが、久々に会い懐かしく、思い出話しに花が咲いた。案外そんなものかも知れない。聞けば彼も退職したらしい。考えれば同級生であり不思議ではなかった。幾杯か重ねた時彼が話し始めた。聞くところによれば退職してから山登りを始めたらしく、初心者にありがちな自慢げに山の話しを始めた。私はあまり山には興味も無く、適当に相槌を打っていたが、そのうちに、興味深い話しを聞くことなる。それは宝くじに当たるよりも確率が低いような話しであった。何でも彼が下山途中に中年の女性が足を挫き、歩けないような状況だったらしい。それで友人は、その女性を抱きかかえるようにして無事に下山したと言う話しだった。互いに既婚者だったが、それが切っ掛けで今でも良い関係が続いていると言った。まったく出逢いとは何処にあるか分からないものだ! 感心と同時に俺にとって羨ましい限りの話しだった。
自分では、山の中での出会いと言えば、せいぜい鹿か、狸ぐらいだと思っていたが、友人のドラマチックな話しを聞いてから、自分にも希望が持てたような気がしたが、何も友人のような出会いを期待している訳ではなかったが、切っ掛けの一つになった事は間違いなかった。これなら自分にも出来そうだと思い、友人の話しに耳を傾けた。それが良かったのか悪かったのか友人に誘われるまま俺も低山に登った。
今まで一日中、絶え間なく聞こえた耳障りな工場からの金属音も今は無く、山は俺にとって今まで追い求めてきた安住世界だった。山の色は緑と決めつけていた自分。しかし、同じ緑でもどれ一つ同じ色がない事を改めて知った。辺りからは、名も知らない小鳥達が囁やき合い、時折かん高い鳴き声が空に響き渡ったが、その姿は見えなかった。どんな鳥なのか想像すら出来なかった。山登りの楽しみの一つとして、まずは鳥の名前でも覚えようかとも思った。俺はそんな山に魅了されつつあった。
俺もご多分に漏れず、一人でアウトドアショップに出向いた。今まで無縁だった登山用品に目を奪われ、店員に勧められるまま不要な物まで購入し、まずは初心者にありがちな形から入った。ついでに知識を得る為、書店で自分にはハードが高い専門雑誌も買い、家に帰りページを開いては見たが、美しい雪を冠った魅力的な山の風景写真や、新製品の広告等に目を奪われ、基本的な記事はほとんど読んでいなかった。購入したグッズを身に着けて見ると、格好だけは一人前の登山家に見えたが、中身はずぶの素人である。在職中はデスクワークであった為、普段は運動する習慣はなく、山登りと言っても、ハイキング程度だったが、還暦を過ぎた自分には、高山を目指す気持ちなどみじんもなく、せいぜい日帰り出来る低山に登る程度である。未経験の自分でもこれくらいの常識は心得ている。これくらいなら水筒と、スポーツシューズがあれば十分間に合いそうだった。
本来ならこの程度で辞めておけば良いものを、少し慣れてくるとせっかく揃えたグッズを使いたくなり基本的な知識も無いのに欲が出て、少し高い山に登りたくなるのが人の|常すである。それはいつか友人が話してくれた、アバンチュールが頭の隅にあったのかも知れない。それで今回は友人とではなく、少しオーバだが単独登山を計画したのだった。やはり人間は本能的に高い所に登りたくなるようで、俺も例外ではなかった。この日も朝から雲ひとつ無く晴れ渡り、妻が作ってくれた弁当もリュックに入れ、準備万全で心が浮き立ち、まるで遠足に行く子供のようだった。こんな気持ちになったのは本当に何十年ぶりだろう? 妻も俺が出掛ける事で、さぞ清々しているかも知れない? ふと、そんな事を思うとちょっぴり寂しかったが、それでも初めての登山にウキウキしながら駅に向かった。夏も終わりに近づいた盆休み中で、電車の中でも家族連れが目についた。故郷で両親と過ごすのだろう? 大人の顔も緩み嬉しさを隠せない様子が伺えた。
電車を降りバスに乗り換え登山口近くで降りた。他にも五人の|登山客がいたが、登り始めると皆、慣れていると見え、どんどん先に歩いて行った。長年なまった体はすぐに息切れをし、気持ちとは裏腹に、そう簡単に言う事をきいてくれなかった。自分より年の行った老人にも追い越された。それからは自分のペースも考えず、闇雲に登ったがすぐに息が上がった。途中休憩を兼ね妻が作ってくれた弁当を開いた。会社務めの時に作ってくれた弁当と何ら変わりはなかったが、山で食べるととても美味しく感じられ、何故かふといつか居酒屋で聞いた事を思い出した。
朝晩はだいぶ涼しくなった。平地ではまだまだ夏の日差しが残っているが、山は秋の訪れも早く行楽には絶好の季節である。間もなく木々は競い合って美しく着飾った紅葉の大バノラマを見せてくれるだろう? そんな光景が目に浮かぶような気がした。幾分、自分の影も長くなり身長が伸びたような気がした。すでに高山では模様替えの準備をしているかも知れない。今度は妻を連れて紅葉でも見に来よう。そして、何か一つでも山の知識を得て説明が出来たなら、妻も少しは見直してくれるのではないかと、独りで思いを巡らせた。
登り始めて、三時間程経ち、そろそろ下山しようと思っていた時の事だった。天候が急変し、たちまち辺りは濃霧に包まれ視界が悪く見動きが出来なくなった。それでも待ち切れずに少しずつ移動を始めてしまった。自分の感覚では僅かに動いたつもりだった。場所は三合目か、四合目付近での事だった。日帰りのつもり慌てて下山を始めたのが悪かった。すっかり登山道を見失い、山の中を動き回りすっかり迷ってしまった。それが不幸の始まりだった。山の天気は変わりやすい事は人から聞いて分かっていたが(それ見ろ!)と言われんばかりに、今度は雨に見まわれ、見つけた岩の窪みに入り雨をしのいだ。山の中で防寒の用意もしてない。心細く孤独だった。何処からともなく、虫の声に混じり、不気味な夜ダカの啼く声がし、濡れた緑の臭いが強く感じられた。始めて登った山でたった独になり、寂しさと言うよりも恐怖の中でまんじりともせずに夜を明かした。夏とは言え、山はすでに秋の気配が漂い始め、赤トンボも里に降りていくらしく群れで飛んでいた。やはり気温が低く、思わず身を縮め、まんじりともせず一夜を明かした。悪い事に携帯電話もすでに充電が切れ、役に立たない。しまった?!。そんな中でも歩き疲れ恐怖の中、疲労には勝てずいつしか眠ったようだ。葉の雫で、目を覚ました。山道を下り始めた時、下の方から水が流れる音がした。しばらく水の音を頼りに下っていた時、夜露に濡れた草で足を滑らせ、藪の斜面を沢に転げ落ち気を失なった。
川伝いに歩いたが、沢が深く、どこまで行っても、登れそうな場所は見つからなかった。更に進むと、水の音が、一段と高くなった。滝だった! 四方から集まり滝壺に流れ落ち、水煙が上がっていた。これ以上は進む事が出来ない。こんな時はどうすれば良いか……? やはり専門誌を熟読すべきだった。しかしこれは専門書以前の初歩的なミスだった。後悔先に立たずとは、まさにこの事だ。どこか足場の良い所を探さなければ! と浅瀬の川を転びそうになりながら登れそうな場所を探し上流に向かい歩いた。しかし、どこまで行っても両側から高い崖に挟まれ、どこからも登れそうな場所は見当たらなかった。昼とは言え、雑木に覆われ薄暗く、足元には苔に覆われた石で滑りやすく、中々前に進む事も出来なくなっていた。早くここから出なければ……! 気ばかり焦った。
その時だった! シダで入口を隠すような洞穴を見つけた。平常時なら絶対にしなかったかも知れないが、恐る恐る藪を掻き分け、懐中電灯で中を照らして見た。光に驚いたコウモリがいきなり飛び出し、ビックリして身を引いた。何とか人が通れそうな洞穴だった。自然に出来た物のようだが、入口付近には人が手を加えたような、自然石が積まれてあったが岩と同化し、かなり古い物だった。昔。人が通るために利用した洞穴かも知れないが、それにしても不気味な洞穴だった! 第一、この洞穴がどこまて通じているのか? 何よりも出口まで辿り着けるのか……? 考えれば考えるほど身体が動かなかった。薄気味悪い場所だが、今はそんな事を思う余裕さえなかった。もしかして、抜けられれば多少遠回りでも良いと思い、恐る恐る足を一歩づつ、暗い洞穴に踏み入れたら異様なまでに湿った臭いが漂い、思わず全身が震えた。
見えない恐怖怯えながら電灯の明かりを頼りに進んだ。かなり奥に入った。ここまで来て戻るに戻れなくなっていた。その時だった! 前方で石が「バラバラ」音を立て崩れた。パニック状態になり夢中で石を手で掻き分け、這ってやっとの思いで通り抜け、急いで進んだ。もうこのままここから出れなくなるような恐怖で、もう何も考えられなくなっていた。その時。前方に、一点の光が見えた。外だ!! 思わず叫んだ。声が響いて、倍にも3倍にも聞こえた。夢中で這いながら出口に向かい明るい外に出た。此処はどこ何なのか分からなかったが、まずは外に出る事が出来た喜びでいっぱいだった。いったいどの位の長さがあったのだろう? 多分、自分が感じた距離より短かかったのかも知れない! まぁ良い、取り合えず外に出れた。俺はその場にへたり込んだ。長年生きて来たが、こんな恐怖を体験した事は一度もなかった。洞穴の恐怖に比べたら、道に迷ったくらいは何でもない気がして、不安が幾分解消されたのもつかの間、すぐに不安が襲いかかってきた。とにかく、下へと行けそうな所を選び進んだ。途中湧き水を見つけ、水を飲みペットボトルにも入れ、また下り始めた。食料なら飴とチョコレートがある。これだけは持って行くようにと、本に書かれてあった。正解だ。これだけは自分を自分で褒めてやりたかった。すると眼下に線路が見えた。俺は思わず叫んだ「やった!」思わず笑みが溢れた。線路伝いに行けば必ず駅があるはずだ! そのうち列車か通りかかったら、大きく手を振って止めようと思い、遠くの線路に目を配りながら疲れも忘れ、道もない土手を両手で草をかき分けながら夢中で掛け降り線路伝いを歩いた。しばらくして気づいたが、山に囲まれているにも関わらず、鳥の声一つ聞こえて来ない。不気味なくらいの静けさだった。しかし喜びも束の間、ふと、足元の線路を見ると赤錆に覆われ枕木も朽ち果てていた……? まるで、山林の中に放置されたトロッコの軌道のように、列車が走った形跡はなかった。もう? とうの昔に廃線になっている。もう二度と列車が通る事はないのだ!。
落胆したが仕方がない。今出来る事は何も考えず、このまま歩くしかなかった。しかし、さっきの洞穴を抜けた時の恐怖に比べれたらこんな事ぐらい何でもない気がした。今は山の中で迷っているわけではない、汽車が来る望みは消たが、線路伝いに行けば、必ず何処かには行ける。心の中ではそん安心感があった。そのせいか急に空腹感をを感じ飴玉をひとつ口に放り込み、ペットボトルの水を飲んだ。前方には狭いトンネルがあった。さっきの洞窟恐怖が思い出され、出来るものなら通りたくはなかったが迂回する所は何処にも見当たらなかった。仕方がない。覚悟を決め、古く暗いトンネルに足を踏み入れた。もちろん灯りも無く中は真っ暗で、古く苔むした壁からは据えた臭いがした。俺はひたすら光を求め出口へと急いだが、どこまで歩いても闇の中だった。目を凝らし辺りを見ると、いつの間にかもうすでにトンネルを抜けているではないか? そんな馬鹿な……?! まさか? さっきまでは外は昼だったのに、トンネルを抜けたらもう辺りは暗くなっていた。こ、此処はいったいどこなんだ?……。もう気力も体力も使い切り、もうそれ以上何も考える気力さえ無かった。適当な場所で夜を明かす事にした。今焦ったところで今はどうにもならない。疲れて目を閉じたが闇の静けさに覆われ、他の生き物の気配は微塵も感じられず、この世で生きているねは自分だけではないか? 不安と孤独感で頭の中が混乱したが、気力も体力も使い切り、いつしか眠りに落ちていた。
ようやく辺りが白み始めた。すぐに現実に戻り再び線路伝いを力なく歩き始めた。まるでこの世に自分一人だけ取り残さた気持ちだった。何時間くらい歩いたのだろう? 考えて見ればあの洞窟を抜けてから時間の感覚がまるで無くなっていた。今は力なくまるで夢遊病者のような|足取りで歩いた。ふと顔を上げたら遠くに小さな駅舎らしい建て物が見えた。取り合えずほっとした。こうなったら太陽の光だけが頼りだったが、明るくなったと思えばすでに暗くなったりするが、日が暮れる時間が早いのか遅いのか、もう自分には感覚がなかった。疲れた足で|朽ち果てた石段を上りホームに上がった。駅舎の周りは背の高い名も知らない草が生え、赤錆の線路と共に、とうの昔に朽ち果てた木造小さな無人駅だった。変色した文字版に消えかけた文字で『・・・駅』とかろうじて読めたが、今まで聞いた事もない駅名だ。それにしてもかなり古い。いつの時代の物かさえも伺がい知る事が出来ない。何故か時間が止まっているような感覚であった。案内板を見ても、次の停車駅は『・・世行き』と印されていたが、肝心の最初の文字は読めなかった。それにしても、風に擦れる樹木の音しか聞こえなかった。もちろん中には誰も居ない。引き戸は変形し鈍い鈍い音を立て、かろうじて開いた。長く使われていない小さな待合室には、誰も座る事のない粗末な木製のベンチが置いてあるだけで、変色した板壁には、いつのものなのか、時刻表が貼ってあったが、黄色と言うか? 黄土色に変色し数字も読めなかった。板壁には大きな時計が掛けてあった。文字版には黃ばみ時計の針は12時で止まっていた。まるで来るはずのない列車到着時刻を示しているようにも見えた。駅から出て民家を探したが、それらしい建物は見当たらなかった。あるのは農作業の道具を入れたのか、朽ち果て粗末な小屋らしき物が点在しているだけである。それにしても洞穴を出てから虫の声ひとつ聞こえないのが不思議でならなかった。以前は小さな集落かあったに違いなかった。いずれにせよ、此処がどこなのか? まったく分見当もつかない。もう辺りは薄暗くなり、街灯何てもちろん無く、寂しい場所にすでに夜のとばりが下りようとしていた。仕方なく俺はさっきの駅に戻った。取りあえず雨風はしのげそうだ。明日になれば近くの民家を尋ねる事にし、今夜は駅舎で夜を明かそうと思い、リュックを枕にベンチに横になった。いくら何でも汽車は通らなくても民家はあるはずだ! そうとでも思わなければ、耐えられる状態ではなかったが一日中山を歩き回り、精神的にも肉体的にも衰弱しきって、すぐに眠りに落ちた。どれくらい眠ったのだろ? 大勢の人達がこちらに来るような足音が聞こえたようだったが、それは夢の中で夢を見ていたのかも知れなかった。身体は金縛りになったように動けなかった。
またいくらか眠ってしまったようだ。静寂の闇の中、汽車の動輪の音が近づく『ガタンガタン』という音が夢に混じり聞こえた気がして目を覚ました。すると『シュー』という蒸気が吹き出す音がして飛び起きた。動かない壁掛けの時計の午前0時丁度だった。何と! そこには今時珍しい木製の5両の客車を引いた蒸気機関車が止まっているではないか!? 大きな動輪の下からは白い蒸気が雲のように吹き出し、機関車の前半分が見えず機関士の姿さえも見えなかった。ただ今の俺にはそんな事はどうでも良かった。取り合えずホームに飛び出し、木製の乗車口を力いっぱいこじ開け、転げるように乗り込んだ。車内には裸電球が数か所にあるだけの薄暗らく、乗客の顔もよく見えなかったが、車内には三人の客が乗っていた。いずれにしても人を見たのは嬉しかった。取りあえず汽車に乗れた事で、垂直の硬い椅子に座って大きく息を吐いた。汽車は汽笛も鳴さず『ガシャん』と言う連結音だけが身体に響いて『ガッシュ、ガッシュ』と今時聞き慣れない音を出し、静かに動き始めた。何より列車に乗れた安堵感が優先した。時計を見ると午前一時を少し回った所だ。冷静に考えて見ればこんな山の駅に今時分動いている汽車があるのだろうか? まして線路は錆つき、汽車が走った形跡も無かったはず? 何かおかしいと思いながらも、他の乗客は三人共眠っていたので聞く訳にもいかず、しばらくの間黙って乗っていたが、車掌の姿も見えなかった。さすがに不安になり、先頭車両の小さな窓から運転席を見て驚いた。それは、今まで見た事もない異様な光景だった。
機関車のボイラーは石炭が赤あかと燃えていたが、石炭を入れる作業員は居らず、運転室には灯りは無く、両脇に提灯が吊るされ、無表情の機関士の顔をぼんやりと照らしていたが、その顔には生気がまったくながった。その光景に背中が凍りついた。三人の客が知らないはずはないが、さも、それが当たり前のような顔をして眠っていた。そ、そんな馬鹿な……?! 一体どうなっているんだ! 俺は我慢出来ずに立ち上がり、乗客の女性に声を掛けた。
「あの……? お休みのところ、すみません」四十がらみの女性客がゆっくり目を開け、俺を哀れむような顔で見た。その顔は背筋が凍りつきそうに白かった。
「こ、この汽車は何か変ですよ! 機関室には提灯がぶら下がっているし、いったい何処に行くんですか?」と荒い呼吸を抑えて聞いた。
「提灯がぶら下がっているのは当り前の事です。お盆ですから」と平然と言った。
「お盆っていったいどう言う事ですか?!」この時、改めて今日は盆の16日だった事を思い出した。登山をしてからの事は、今日が何月の何日かも考える事も出来なかった。
「あなたは知らないんですか? 今日はお盆の最終日です。皆、帰るんですよ」盆三日だけしか家に居られませんから」
「帰る…………?? いったいどこへ帰るんですか……?!」声が震えた。
「あなたは本当に知らなかったんですね? 私達は毎年この時期に一度だけこの汽車で家に帰って来る事が出来るんですが、帰って来ても私達はすでにあの世の人間であり、家族と会っても会話も出来ません。さっきあなたが乗った駅は始発から二つ目の無人駅なんです。始発駅から乗り遅れた人達の為に、貴方が乗った『・・駅』に年に一度だけ止まるんです。貴方が乗った駅からも、乗り遅れた大勢の方が一緒にお乗りになったでしょう?」と平然と言った。
「そ、そんな馬鹿な……? 駅からは私一人だけ乗ったんです。そんなはずありません」と私は 血の気の無い女に向かって声を震わせ言った。
「そうですか? お気の毒に貴方はまだ生死の堺をさまよっている方だったんですね。人間は誰しもしばらくの間は自分の死を受け止められません。それは私もそうでした、それでは話しますが、この列車に乗り遅れたら来年のお盆までは無縁仏となり、成仏出来ません。後、この汽車は終点まで止まりません」と言ったが、それ以上具体的な事は言わなかった。
「そ、そんな馬鹿な? さっき駅にから乗ったのは、お、俺一人ですよ!?」
「それは、多分――――? まだ貴方は生きているんだと思います。この列車に乗れるのは死人か、もしくは死が確定した方のみと決まっているんです。お気の毒ですが、嘘だと思うなら後ろの車両に行って見て下さい。盆帰りの客で、列車車は満員ですよ。貴方がもし半死状態なら、乗客が見えるはずです」
「……で、では、どうしてこの車両だけ空いているんですか?」
「それは、ここは、初盆を迎えたの人達だけの専用車両なんです」と言ったきり、女は黙ってしまった。
「それでは貴方は去年な、亡くなったんですで、す、か、?」客は黙って頷いた。
気の毒でしばらくの間、話す事は出来なかった。
「終点はどこですか?」と恐る恐る聞いたが、聞く前から悪寒が走り、身体がガタガタ震えた。
「本当は答える事は禁止されているのですが、こっそり教えます。この汽車はもうすぐ、ポイントが切り替わり、そこからあの世に向かいます。もし貴方がこの世に居たいのなら、その前にこの汽車から降りなければなりませんが、残念ながら汽車は終点まで停車しません」と女が俺を見て、気の毒そうに言った。
「あの世?!」とオウ厶返しに言ったが、あまりの驚きで血の気も引き、意識を失いかけてそれ以上の言葉が出なかった。
「嘘じゃありません。私達は、年に一度だけ故郷に帰える事が許されるんです。だから、今度来れるのは一年後の盆三日間です。ただし帰れるのは死んだ人間だけです」と言いまた目を閉じた。
まさか! SF映画でもあるまいし……そんな事があるはずが?――――そうは思いたかったが、しかし現実に俺は、あの世行きの臨時列車に乗ってしまったのだ!! 一刻も早くこの汽車を降りなければ!! しかし、思いも虚しく鉄の棺桶にも似た蒸気機関車は無情にも重圧な唸りを上げ走続けている。思い起こせば俺は、山登りをして道に迷い障沢に転落した事を思い出した。もしかしてあの時に俺は死んだのかも知れない。そう思えば、この列車に乗ったのも納得出来た。
客の話しに寄れば、間もなくレールのポイントが切り替わるらしい! そうか? もう時間がない! 俺は最後部に向かって走った! ニ両目のドアを開け、目を疑った。列車に乗る時は空だった車両が満席だった! 俺は腰が抜けそうになった。
「そんな馬鹿な?!」慌て、ドアを閉めた。そ、そうすると、やっぱりこの列車の乗客は俺と一緒にが乗った事になる。とても信じられないが乗っている客は皆、この世の人間じゃない! どうりで俺の目にはその姿が見えなかったはずだ。それでは駅で聞こえた足音がそうだったのかも知れない。事実、俺は乗ってはならない列車に死人と一緒に乗ってしまったと言う事だった。ただ一つ俺に残された選択は、一刻も早くこの列車から降りなければならない。でなければ俺はあの世に連れて行かれる。走る列車のドアを開けようとしたがガタガタ音がするだけでどこも開かない。秘密を知った人間を降ろす事は許されない決まりになっているのだろう?
さっきの客はまだ生きている人間の心が残されていて、禁止されている事を話してくれたのかも知れない。女性客の話しでは間もなくポイント地点は近そうだ。そう言えば列車は、一段と黒煙を吐きながら加速し始めた。先のレールは見えなかったが、何か? 天に向かって走っているような感じで、かなりの急|配のようだ。前方を見ればさっきまで1基の蒸気機関車が5両の客車を引いていたはずが、現在は2両の蒸気機関車で引いていた五両の客車を今はニ機の蒸気機関車が連結して引いていた。いつの間に連結したのだろう? パワーを上げあの世へ向かうつもりだ! 遥か遠くに赤い信号機が点滅しているのが見えた。もう時間がない! 乗客は怨めしそうな目を俺に向けたが構わず五両編成の最後尾まで走り、決死の覚悟で後部ガラスを突き破り闇の中へ飛び降りた。何処か知らないが、俺は闇の中をゴロゴロ転がり沢に転げ落ちた事までは覚えていた。
俺は目を開けたが、意識は戻らない。辺り一面は真っ白だった。蒸気機関車は長旅を終え『あの世』駅のホームに到着し、エアーブレーキと共に白い蒸気が立ち込めた。でも来年にはまたこの列車に乗って家に帰れるはずだと思い、目を閉じた「あなた!」と呼ばれた気がしたが、見知らぬ空間だった。しばらくの間。ここがどこか? 分からなかった、がようやく妻に呼び掛けれ、意識が戻りここは病院のベッドの上である事がようやくん分かった。視線を移すと妻の顔があった。
「あなた! 気が付いた? 良かった! 気がついて……。あなた! 三日間も意識が無かったのよ。私……」
「あぁ、そうか? 迷惑を掛けて、済まなかった……俺はここにどうやって?」
「登山していた人が、たまたま沢に水を汲みに行って、あなたが倒れていた所を発見して、警察に通報してくれたのよ。もう少し遅れたら|低体温症で危なかったって! 話しを聞いて私、本当にビックリしたわ。もう少し発見が遅れたら思うと私!」と言い目頭を抑えた。
あの時、俺は立ち込める濃霧の中で、沢に滑り落ちた事までは思い出した。すると……今までの事はすべて夢の中での出来事……? 良かった!そうか? しかし本当のようなとても怖いな夢だった。あの時列車《れから飛び降りなかったら、今頃はあの世に行って――――!! 来年の初盆にあの盆列車に乗って帰って来る事になっていたかも知れなかった。夢であってもあんなにリアルな夢を見る何て? きっと一生忘れる事はないだろう? あの事故以来、二度と山に登る事は無かった。
あの事故から一年経つが、あの恐ろしい夢は現在もはっきりと覚えている。そうだ! 例え夢の中の出来事であっても、誰かに伝えたくなり、ノートを取り出し、あの日の夢を題材に小説を書こうと思いペンを持った。
仕事をリタイアした無趣味の主人公と、それを持て余す妻。現社会に置いて何処にでもありそうな書出しです。何か趣味を見つけようと模索し、辿り着いたのが山登り。知識も無く形から入ったものの、あげくの果に遭難。何がそんなに彼を急がせたのだろう? きっと家に居場所が無かったからに他なりません。