主人 公は学園ラブコメを過ごしたい
この世界は学園ラブコメである。
そう自覚したのは、今朝高校に向かうために玄関の扉を開けた時だった。
なにか証拠があるわけでもない。根拠があるわけでもない。でもそうであると、なぜか疑うこともなく俺はその時確信した。
そしてその主人公が、学力体力容姿あらゆる分野において平凡である、主人 公こと――俺である、らしい。
「いやなんだこのふざけた名前は……」
高校までの通学路、住宅街のど真ん中で俺はため息を吐き出した。
もちろん俺を生んでくれた両親には感謝をしているし、頭を悩ませてつけてくれた名前は大切だ。でも主人公て。小説を書く初心者でもマシな名前つけるだろ。というかなんで今日以前の俺はこの名前に何も思わなかったのか。
いや、いいんだそれは。俺の名前なんてどうでもいい。
それよりも、だ。そんなことよりも。
「学園ラブコメなら学園にたどり着かせろやぁあ!!!」
声を上げ思い切り鞄を地面にたたきつければ、登校中だった小学生の集団が驚いた顔をしてこちらを向いた。はたから見ればただの急に叫びだした変人だけど、全く気にならない。あの子たちの顔を見るのはなんだかんだ今日だけで二〇回目だ。
それどころか、家を出てからもう三時間は経っている。なのにここは家から出て徒歩五分圏内。つまるところ、俺は同じところをグルグル回っていた。
さらに厄介なのが、時間は全く進んでいないことだ。腕時計を見てみれば、家を出てからやはり五分もたっていない。
「同じところをぐるぐるぐるぐる!! そういうのはもっとファンタジーみたいなやつでやってくれ!」
これは普通の現実世界が舞台の学園ラブコメなんだろ!? いや知らんけど! しかもその戻されるスパンも短いものだから余計にストレスたまるわ!
いや、わかってる。多分これが原因なんだろうなってのも、これを何とかすれば解決するんだろうなっていうのも。
歩を進め見えてきたのは、今までに何度も、というか今日数十回も見た十字路だ。車二台並んでギリギリ通れるくらいの細さに、錆が目立つミラー。何の変哲もない、普通の住宅街の中にある普通の十字路だった。
それに近づくにつれて加速する鼓動。一つ心臓を落ち着かせるために息を吐きだした。
その十字路に差し掛かる直前足を止めた――その時だった。
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
そう声を上げながら、食パンを咥えた美少女が現れた。
俺の目と鼻の先、あと一歩前に出ていたら激突するであろう至近距離を、かすかな香水の香りを残して走り去っていく。
俺は長い黒髪を振りながら走るその背をただ見送りながら、一つ零す。
「……あれだよなぁ」
今日彼女を見たのはもう二〇回を軽く超えている。つまり、巻き戻りのたびどころか一度の巻き戻りに何回も彼女を目撃しているのだ。
遅刻遅刻ー! と食パンを咥えながら走って登校する少女。もはやネタにされるくらいに鉄板であり(実際たくさん使われてたのかは知らないが)、ラブコメの王道中の王道。いや、少女漫画の王道かもしれないけど、それはおいといて。
それに彼女は俺の高校の制服を着ていた。リボンの色から同学年と分かるし、そもそも俺は彼女の名前を知っている。たしか――
「――緋色 凛」
……うん、ヒロインだな、俺の名前とはまた違う表現の仕方だけど完全にヒロインだな。
なら俺は彼女とぶつかるべきなのか? もしかして、なんか世界に筋書きみたいなものがあって、それに従わないから繰り返ししてるとか?
「……いや、むりだろ」
だって人だぞ? 全速力で走ってる人だぞ? 時計を見る限り歩いて行っても余裕で始業に間に合う時間だけど、彼女の言葉を信じるなら彼女は今遅刻しそうになっている。そんな人が間に合うように全力で走ってるんだぞ?
そんな人と正面からぶつかる? 絶対痛いわ!
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
再び現れたのは緋色さんだ。
頭を抱えていると、さっき学校方向へ消えていったはずの緋色さんが逆方向からまた走ってくる。彼女は例えば登校中の小学生とかと違って、一度の繰り返しの中で複数回繰り返している。なんならその頻度もどんどん少なくなってるし。
「やっぱりぶつかりにいくか……? いやでも痛いだろうなぁ、でもずっとこれも嫌だし……」
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
「緋色さんも大丈夫なのか……? ずっと走り続けてるし。いや、巻き戻しだからずっととは違うんだろうけど」
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
「っていうか聞いた話だと緋色さんって――」
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
「しつこい!!!」
いきなり頻度上がりすぎだ! もう消えた瞬間出現してるってくらいのペースになっている。なんかこの世界がいい加減先に進めやって言っているような気すらしてくる。
「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」
「……なんかもうそういう現象に見えてきたな」
とりあえず腰を下ろし、ひたすら「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」と繰り返しながら通り過ぎていく緋色さんを眺める。
……本当に緋色さんだよな?
緋色さんは学校で結構有名な人だ。文武両道、容姿端麗。絵にかいたような高嶺の花。性格も、少なくとも「いっけな~~い☆ 遅刻遅刻!」なんていうような人じゃないし、そもそも遅刻をしない人と聞いている。
一度、しっかりと彼女に視線を向ける。ずっと全力で走っているせいで、なんだかんだちゃんと見ていなかったのだ。それに運動もできる緋色さんなだけあってやたらスピードもあるし。
「……っ……いっけな~~い☆ 遅刻遅刻……!」
「――っ!」
そこで初めて気づく。
歪んでいた、彼女の表情が。
俺はずっと、緋色さんはあの通学中の小学生と同じでこの世界の装置のようなものだと思っていた。でも、もしかしたら。
もしかしたら――違うのかもしれない。
もしかしたら、彼女も俺と同じなのかもしれない。
「――ああ、もう……!」
重い腰を上げ、えいとその十字路に飛び込んだ。その瞬間――衝撃。
「いっけな~~い☆ 遅刻ちこ――きゃあっ☆!」
「ぐほぁッ!」
思いっきり数メートル飛び、全身に響く痛みに耐えながら地面に手をついた。
「いった……! はぁ、やるんじゃなかった……!」
「……あれ?」
俺のものではない、きれいな声。そこにいたのは、きょとんと目を丸くして俺を見る緋色さんだった。
これできっとループから抜け出せたはずだ。一応、話は進めたのだから。
「えっと、大丈夫か……?」
「え、え……ありがとう……」
頭を押さえながら、すこしつらそうに緋色さんは返した。肩で息をしているし辛そうだけど、どうしても聞きたいことがあった。
「その……緋色さんがヒロインなのか?」
「……それは――」
その瞬間だった。
「え…………?」
目の前から緋色さんが消えていた。
十字路が消えていた。
いつのまにか、自分の家の前に移動していた。
そこは他でもない――ループの開始地点。
「またループ……?」
何がダメだった……? 俺はちゃんと筋書き通りに緋色さんとぶつかっただろ……?
「ま、さ……か……」
俺がヒロインのことを聞いたから……? たしかに学園ラブコメではお前がヒロインかなんて聞かないけど。
「すこしくらい登場人物の好きに動かせろやぁぁぁあああ!!!」
俺の学園ラブコメは先がまだまだ長そうだった。