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君に石ころの花束を  作者: 海月海
2/2

重ねた面影 2

「あ、あの~……」


胸の位置に地図を持ち、弱々しい声で声をかけると、男たちは一斉にアンバーを睨みつける。それに驚き、怯えているような表情を演じながら、アンバーは続けた。


「ええと、すみません……その……道に迷ってしまったんですけど……もしかして、お取り込み中でした?」


言いつつ、アンバーが後ずさると、姫川を取り囲んでいた男たちのうちの一人が、ゆったりとした足取りでアンバーの方へと近づいてきた。


「ああ、いや全然大丈夫。ちょっとトラブっててさぁ。気にしないでいいから」


へらへらとした笑みを浮かべてアンバーに近付く男。次の瞬間、男の拳がアンバーの腹めがけて放たれた。まず腹を殴り、蹲ったところで後頭部を殴って気絶させるつもりである。だが、男の拳が届くよりも先に、その動きを読んでいたアンバーの手が男の拳を外側に払う。


「は?」


困惑の表情を浮かべながら前へと倒れこむ男の顔を、アンバーの膝が捉えた。突如として視界に割り込んできた膝を受け止めきれず、男は仰向けに倒れ込む。


「おいおいおい……何お前。こいつの友達?」


リーダー格の男が、足元に横たわる姫川を指差して尋ねた。姫川はほとんど意識を手放しかけていたようだが、アンバーの存在に気付くと驚いたように目を見開く。


「友達ってわけじゃないですけど、袖振り合うも他生の縁って言いますし、縁ついでに助けに来ました」

「袖振り……何?」

「やぁ〜、営業妨害は困るよ。こっちも商売なんだわ」


薄い笑みを浮かべながら、リーダー格の男は銃を取り出し、告げた。


「消えてくんない?」


男の手の中に握られた黒い物体が口を開けてアンバーを見つめるが、それに動じることなく、アンバーは答えた。


「この場からってことですか?それともこの世から?別にどっちでもいいですけど……」


何でもないように肩をすくめるアンバーに苛立ちを募らせた男は、アンバーの問いには答えることなく引き金に指をかけて発砲した。――しかし、次の瞬間には目の前で起きていることに理解が追いつかず、目を見開き硬直する。


「な──」


弾丸はアンバーの頭どころか長い髪すら捉えることなく通過し、壁に当たって金属音を響かせた。男が呆気にとられている間にも、アンバーは着実に男との距離を詰め、男の側頭部めがけて回し蹴りを放つ。数メートル先の壁に叩きつけられた男を見た残りの男たちが武器を取り出す隙すら与えず、片方の男の腹に蹴りを入れ、前のめりに倒れた男の後頭部を踏み台にしてもう一人の男の頭上を軽々と飛び越える。残った男が背後に立つアンバーを振り返ろうとした瞬間、放たれたアンバーの拳が頰を捉え、殴られた男は紙人形のように回って地面に倒れた。男たちは全員呻き声をあげるのみで、意識のある者はいない。


「……大丈夫ですか?」


そのことを確認すると、アンバーはようやく姫川を振り返った。


「あ、ああ……」


痛みに顔を歪めながら起き上がろうとした姫川を制止し、アンバーは尋ねる。


「何があったのか、聞いてもいいですか?」


姫川は言いにくそうに目を逸らしつつも、ややあってため息をつくように答えた。


「……あんたたちにした話は、ほとんど本当だ。宝石植物の群生する場所を探してたのも嘘じゃない。けど、それは妹のためじゃなくて──」

「先生!」


姫川の言葉を遮るダイの声にアンバーは後ろを振り返るが、それよりも先に放たれた弾丸がアンバーの側頭部に命中する。やや遅れてダイの放った弾丸がアンバーを撃った男の手にある銃を弾き飛ばしたが、既にアンバーは長い髪を乱して床に倒れている。


「先生を外へ!」


どうやら狩りから戻ってきたらしい数人の男たちに銃で反撃しながら、ダイは姫川へ指示を飛ばす。姫川は動揺しつつアンバーの肩を揺するが、アンバーが目を覚ます気配はない。


「何してるんですか!早く!」


苛立ったようなダイの声で、姫川はダイとエレンの方を見やった。二人はアンバーや姫川よりもよほど小柄で、歳も恐らく十代始めという頃だろう。そんな子どもが銃を持って、宝石狩りの男たちと戦っている。一方の姫川は、ダイたちと共に戦うこともできず、ただその状況を見ているだけだ。


ダイが銃を剣に持ち替え、男たちの放つ銃弾をかわしながら男たちとの距離を詰める。男たちを倒そうとしているわけではない。姫川がアンバーを逃がすための時間稼ぎなのだ。そのことを悟った姫川は、アンバーの体を持ち上げようとアンバーの肩に手をかけて立ち上がろうとするが、左足を貫く激痛で断念する。右足はかろうじて無事なようだが、片足で人間一人を運ぶのは無理がある。しかし、ここで諦めてはダイが稼いだ時間が無駄になる。何とか一人で運ばなければと片足で立ち上がろうとした姫川の耳に届く、軽い足音。


「大丈夫ですか?」


ぐったりと力の抜けた師と、満身創痍の姫川を心配げに見つめながら、エレンは姫川に手を伸ばした。


「立てますか?」


伸ばされた小さな手。その上に重ねるのは、それよりもよほど大きな自分の手。こんな子どもに何度も助けられるとは、何と情けない話だろう。だが、今はこの手を取らなければ、助かる道はないのだ。そう悟った姫川がエレンの手を取ろうとしたとき、エレンの背後に揺れる数人の男の影に気付く。


咄嗟に伸ばされた手を引き、エレンに覆いかぶさる形で床に倒れこんだ。先ほどまでエレンがいた場所は、新たにやってきた男の手刀が鎮座しており、恐らくあのまま立っていたなら気絶させられていたことだろう。


「……姫川ぁ。お前ようやっと宝石食い連れてきたんじゃねぇか」

「今までず〜っと宝石だけだったもんな!」

「ほら、そこどけ」


頭上から降る低い声に震えながら、姫川はエレンをより強く抱きしめる。

姫川にどく意思がないと分かった男たちは残念そう舌打ちし、姫川の脇腹につま先を突き刺した。姫川は呻き声もあげず、ひたすら耐え忍ぶ。


「ほら!どけっつってんだよ!」

「妹と同じ宝石食いは狩れねぇってか?その妹が原因で作った借金返すためにこの仕事やってんだろうが!」

「甘ったれたこと言いやがってよ!」


脇腹を刺すつま先にも、背中を蹴る足裏にも、振り下ろされたかかとにも、姫川は呻き声も泣き声も上げることなく、ただ耐えた。その代わり、まるで愛しい家族にするように、エレンに小声で語りかける。


「……大丈夫だからな。大丈夫。大丈夫だから」


姫川がそうしてエレンに声をかけ続けながら男たちからの攻撃に耐えていると、不意に男たちが姫川を蹴るのをやめた。そして、姫川がエレンにしたように、優しい声で語りかける。


「なぁ、姫川よぉ。お前さ、借金返すためならどんなことしてでも返すって言ったよな。でもよ、元はと言えばこの借金、妹を食わせてくためだけに借りたもんだろ?働き始めたばっかで薄給のお前に金を貸してくれる金融会社なんてないところをさ、俺たちが貸してやったわけだ。分かる?そしたら借金を返すために働くべきなのはお前じゃなくてさぁ」


恐らくにこやかに笑いながら、男は続けた。


「妹の方なんじゃねぇの?」


その瞬間、呪文のように途切れることなく紡がれ続けた姫川の「大丈夫」がぴたりと止んだ。


「だってそうだろ?誰も皆、自分が食っていくために働く。俺たちだってそうだ。何でお前の妹が働かないでお前が働くんだ?おかしいよなぁ。知ってるか?俺たちの世界じゃさ、むしろ子どもの方が稼げるんだって。何も知らない子どものプレミア感つってな、金持ちがたんまり金出すんだぜ」


エレンを抱きしめる姫川の手が、僅かに緩んだ。「大丈夫」も止まった。エレンを守った鉄の鎧が、静かに、崩壊を始めている。


「……妹を出すのがどうしても嫌なんだったらさ、お前が抱えてるそいつを代わりに出してもいいぜ」


男の言葉で、姫川の腕の中にいるエレンの肩が跳ねた。


「長いことこの仕事やってるけどよぉ、そんな上玉お目にかかったことはねぇぜ。顔も悪くねぇし、ただでさえ高く売れる銀髪に加えて、角度によって色が変わる目までついてる。そいつを売れば、お前の借金くらい一瞬で返せるぜ。むしろお釣りが来るくらいだ。妹を出さずに借金が返せる。美味い話だろ?」


男は優しい声で姫川に語りかけるが、これは美味い話に見せかけた脅迫である。エレンを差し出せば、姫川も姫川の妹も助かる。しかし、差し出さなければ妹が売られる。仮にエレンを差し出したとして、男たちが姫川を無事に家へ帰すかどうかは分からないままだ。だが、姫川にとっては絶望の中に差し込んだ一縷の光。伸ばされた救いの手に向かって、姫川は答えを出した。


「……嫌だ」


男の笑顔が引きつる。


「……何つった?」

「嫌だ」


次の瞬間、再び姫川の脇腹に男のつま先が噛み付いた。歯を食いしばって耐えながら、姫川は続けた。


「……確かに、この子は、あんたにとってはただの商品で、俺にとっても今日会ったばかりの他人だ。……でも、恩を仇で返した俺を助けに来てくれた恩人にとって、この子は大事な弟子なんだ。これ以上、恩を仇で返すことはしたくない」

「お前はまさに今、俺たちへの恩を仇で返してるんだろうが!」


さらに脇腹を蹴られ、痛みに顔を歪めながらも、姫川はエレンを抱きしめる力を緩めることはない。


「……だめなんだよ。妹と同じくらいの歳の子を見ると、どうしても妹と重なって見える。この子を見捨てるのは、妹を見捨てるのと同じことなんだ」


みっともなく震える言葉を、男たちは笑い飛ばした。姫川の腕の中で、エレンは静かに拳を握りしめる。


「あ〜あ。せっかく取引してやろうと思ったのになぁ。お前にその気がないなら仕方ないわ」


残念そうに肩をすくめた男は、腰にぶら下げた拳銃を取り出し、安全装置を外す。


「妹には俺から伝えてやるよ。お前の兄貴は、赤の他人にお前を重ねて死んだってな」

「……妹と、約束したんだ。何があっても絶対、そばにいるって。妹との約束は、必ず守る。たとえ俺が死んでも」


姫川はそう言うと、腕の中にいるエレンに優しく微笑みかけた。ほんの少しだけ、申し訳なさそうに。


「……ごめんな」


ここにはいない妹を見て、姫川は一言、そう告げる。それはただの謝罪の言葉のようでいて、まるで遺言のような重みを持っていた。

男の指が引き金にかかり、銃弾が吐き出される──かと思われた次の瞬間、発砲音の代わりに聞こえた金属音。


男の瞳が、目の前で起きた光景を理解しようと大きく見開かれる。拳銃に対し垂直に突き刺さったナイフ。鉛玉を吐き出す鉄の塊を刃で貫くというあまりにも現実離れしたその光景を作り出した張本人は、男が状況を理解するよりも先に男の頰を拳で抉り、その頭を床に叩きつけた。

何が起こっているのか確かめようと頭を上げた姫川の視界を、砂色のコートが覆った。そして頭上から降り注ぐ聞き慣れた声。


「持っててください」


少し前、銃弾に頭を射抜かれ死んだと思っていた青年の声を聞き、姫川はコートを剥ぎ取って声のした方を見た。すると、目に飛び込んできたのは、艶やかな長い黒髪。姫川に優しく笑いかけた青年の青は、その色を漆黒に変えて、同じく漆黒の鉄の塊から吐き出される鉛玉を素手で弾き返した。灰色のシャツの脇のホルスターに収まった二丁の銃も、黒いズボンの左腿と右腰にぶら下がったナイフも使うことなく、青年は素手だけで銃やナイフを持って武装した男たちへ立ち向かっていった。

夢でも見ているのかと思い始めた姫川の思考を、控えめなエレンの声が現実に引き戻す。


「あの……」

「あ、ごめん」


ようやくエレンの上からどくと、姫川は再びアンバーを見やった。

突然変化した髪色、鉛玉を弾く手、撃たれても死なない体。何もかも常人とはかけ離れていて、まるで体が鉄でできているようである。ひょっとしてアンバーはロボットなのではないかという考えが姫川の頭をよぎったが、その考えはすぐに打ち消された。代わりに、姫川はエレンに尋ねる。


「……あいつは一体、何なんだ?」


するとエレンは不思議そうに姫川を見つめ、たった一言、答えた。


「私とダイの先生ですよ?」

「……いや、そうじゃなくて……」


その先の言葉は続かなかった。姫川はしばし黙考したのち、アンバーを見ながら静かに告げる。


「……いや、いい先生だな」


姫川の言葉に、エレンは嬉しそうに頷いてみせたが、アンバーが苦しそうな呼吸を繰り返しながら膝をついたのに気付くと、すぐさまアンバーの元へ駆けていく。宝石狩りの男たちは皆地面に倒れ呻き声を上げており、再びアンバーや姫川に襲いかかってくる様子はなかった。


「大丈夫ですか?」

「……大丈夫。ちょっと……疲れただけだから」


上がった息を落ち着けつつ、アンバーは答える。その髪は再び青に染まり、日常を取り戻したようだった。ダイから差し出された受け取った石を口に放り込み、砕いて水で流し込んである程度落ち着きを取り戻すと、アンバーは床に座り込んでいる姫川の方へと歩み寄る。


「……大丈夫か?」


アンバーがまさに姫川にかけようとした言葉を先に言われ、アンバーはやや驚いたように目を丸くした。


「あ、いや……助けてもらって大丈夫も何もないけど……苦しそうだったから、大丈夫かなって」

「僕よりも姫川さんの方が重傷ですけど……救急車とか呼んだ方がいいですか?」

「平気だ。呼ばなくていい」

「でも、左足……痛いんですよね」


立ち上がろうとして左足を押さえていたことを思い出し、エレンが心配げに尋ねるが、またも姫川は首を横に振る。


「……折れてはいないと思うから」

「それでも、ちゃんと調べてもらった方がいいですよ」


アンバーが重ねて言うと、姫川は言いにくそうに頭をかいた。


「……ちゃんと病院に行った方がいいのは分かるけど、正直……治療費とか入院代とか、払えないんだ。そんな余裕はない」

「借金があるからですか?」


エレンに尋ねられると、姫川は静かに目を伏せた。


「……両親の葬儀代、妹の食費、引っ越し費用……親父の保険金で、葬儀代と引っ越し費用はどうにかなった。でも、やっぱり妹の食費だけはどうにもならなくて、まとまった金が必要になった。けど、そもそも金融会社っていうのは、金を借りる側に安定した収入がないと取り合ってくれないんだ。俺がいたのは石食いの国だから、宝石食いが生きていくための保障もほとんどなくて、やっと金を借りられたと思ったら、そこは闇金で、元々の借金に高い利子がついていって、とても払える額じゃなくなったんだ」


「それで宝石狩りの仕事を?」

「……妹を売るか、俺が働くかを選べって言われて、仕方なく」

「今までに宝石食いを狩ったことは?」

「ない」


ダイの質問に、姫川はきっぱりと答えた。


「宝石食いを狩ったら、妹に顔向けできなくなると思ったから、何とか宝石だけをかき集めて凌いでたんだ。だから、宝石植物の群生地を見つけて、そこから毎回少しずつ持って来れば、宝石食いを狩らずに済むと思って」

「じゃああのときエレンを人質に取ったのも、宝石を盗もうとしたことがダイにバレたから、咄嗟に取った行動だったんですね?」

「……悪かったな」


肯定の代わりに、姫川はエレンへの謝罪を口にした。エレンは笑顔で首を横に振る。それを見て僅かに安堵したような表情を浮かべると、姫川は思い出したように背中のコートに触れた。


「あ、コートありがとうございました」


姫川からコートを受け取ると、アンバーはその場で袖を通した。ホルスターもナイフも、アンバーの足首まである長い丈のコートに全て覆われ隠される。まるで砂嵐のようだと思いつつ、姫川は尋ねた。


「大事なものなのか?」

「父の形見ですから」


何でもないことのように答えると、アンバーは何かを思い出したように「そうだ」と声をあげる。


「諸々のお礼って言ったら何ですけど……ここから少し東側に行ったところに何があるか知ってますか?」

「いや……何でだ?」


怪訝そうな表情を浮かべる姫川に、アンバーは笑顔で答えた。


「ここから少し東に行ったところに、宝石植物の群生しているオアシスを見つけたんです。宝石狩りを突き出して出る報奨金で足りなければ、そこから少しだけ取ってくるっていうのも手だと思いますよ」

「……いいのか?」

「何がです?」

「俺にそんなこと教えて、本当にいいのか?砂漠のオアシスには所有者がいない。俺が宝石を独占することだってありえるだろ」


姫川に言われると、アンバーは「それもそうですね」と手を打った。どうやらその可能性には思い至っていなかったらしい。


しかし、少し考えた後、またすぐに笑顔に戻る。


「……でも、やっぱりありえないですよ」

「どうしてそう言える?」

「赤の他人と妹さんを重ねて命を投げ出すようなお人好しの姫川さんに、そんなことができるとは思いませんから」


その赤の他人を信頼しきって宝石植物の群生地を教えるお人好しがよく言ったものである、と姫川は思ったが、口にすることはしなかった。


「それに、妹さんとの約束、守るんでしょう。何があっても」


アンバーの言葉に、姫川ははっとしたように目を見開いた。その様子を優しげな表情で見つめながら、アンバーは続ける。


「そばにいてあげてください。姫川さんにとって妹さんがそうであるように、妹さんにとっても、姫川さんは唯一の家族なんですから」


その言葉を聞き、姫川は自分の体を抱きしめた。そして、呻くように何度も「ああ」と答える。


「約束だからな。……守るよ、今度こそ」


涙で声を滲ませながらそう口にすると、姫川はアンバーを見やり、へにゃりと笑った。ぎこちないその笑みは、アンバーたちが初めて見た姫川の笑顔である。

砂漠の空高くに太陽が昇り、再びじりじりとした日照りが戻ってきた。


「それじゃあ僕たちはこれで。ちゃんと警察とお医者さん呼んでくださいね」

「そうするよ。ありがとう」


姫川がしっかり答えたことを確認し、アンバーたちは姫川に背を向けて廃墟の外へと歩き出した。


「あ、ちょっと待ってくれ」


数時間ぶりに砂漠の砂を踏もうとしたときに姫川に呼び止められ、アンバーたちは振り返る。


「あんたの名前、もう一回聞いてもいいか」

「ええ……恩人って言ってたのに、普通名前忘れます?」

「……悪かったって。今度はちゃんと覚えるから」


申し訳なさそうな姫川の言葉を聞き、アンバーは仕方なさそうに笑った。そして姫川に向き直り、再び名を名乗る。


「アンバー・アレクサンドル。用心棒みたいなことをしながら、各地で旅をしています」


飛び出した物騒な単語に似つかわしくない子どもっぽい笑みを浮かべて、アンバーは続けた。


「今回はサービスしておきますね。何かあったらいつでもどうぞ」


それだけ言うと、アンバーたちは再び背を向けて砂漠へと消えていく。姫川はその背中をただぼんやりと見つめながら、恩人の名前を繰り返した。


「……アンバー・アレクサンドル」


答える声はなく、廃墟のそばを駆け抜ける風の唸り声だけが姫川の耳に届いた。

じりじりと日差しの照りつける砂漠を歩きながら、思い出したようにエレンが口を開く。


「そういえば……ずっと聞きたかったんですけど」

「何?」

「ええと……今日もやってましたけど、服をぎゅって握るのって、何かのおまじないなんですか?」

「おまじないっていうか、お守りの確認みたいな感じかな」

「お守りって?」

「これ」


ダイに尋ねられ、アンバーは服の下から親指の第一関節ほどのペンダントを取り出した。青みがかった緑色の宝石が埋め込まれている丸いペンダントだが、宝石の部分にはところどころ傷やひび割れが目立つ。


「アレキサンドライトですか?」

「トルマリンだよ」

「トルマリン?旅のお守りにしては変わってますね。石言葉で言えばターコイズの方が合ってる気がしますけど」

「確かにそうだけど、僕にとってはトルマリンほど効果のある石はないんだよ」


アンバーはペンダントを手のひらに乗せ、そっと指でひび割れをなぞった。


「……トルマリンの石言葉は『希望』だからね」

その仕草は、まるで記憶の中の誰かに語りかけるようである。アンバーがトルマリンに誰の面影を重ねているのかは分からない。だが、ダイたちがそれを尋ねることはない。それを知る日が来るとすれば、それはアンバーが自ら口にしたときであり、恐らくそれは旅の終わりが近いことを示すと感じているから、ダイたちは何も聞かず、今日も自由奔放でお人好しな師匠と共に歩むのだ。いつの日か、アンバーが旅を終えるそのときまで。





「……あれ」


その張り紙を見て、姫川は思わず声をあげた。

宝石狩りを引き渡した数日後、事情聴取のためにやってきた警察署で、見覚えのある名前と似顔絵を目にしたからである。


「何かご存知ですか?」


警官の質問には答えることなく、姫川は杖をついている方とは逆の手で、その名前を指差した。


「……この人、何かしたんですか?」


青髪に黄金色の瞳が特徴と書かれたその手配書には、他の指名手配犯とは異なり、具体的な罪状は書かれておらず、ただ『変彩の呪い持ち』とだけ書かれている。


「さぁ……我々もよく分からんのですよ。この……へんさい?っていうのもよく分かりませんし。でもまぁ、祓魔師とかいう人たちが、こいつを見つけたら教えてくれって言うもんでしてね」

「祓魔師って?」

「よく分からないんですけどね『呪い持ち』ってのを捕まえる人たちとか何とかって聞いてますよ。特にこの変彩の呪い持ちっていうのは、誰彼構わず襲いかかって人を食らう恐ろしい化け物だとか。銃弾も刃物も効かない厄介なやつだっては聞いてますけど、そんなのが本当にいるんですかねぇ……」


数日前に自分を助けた青年によく似た特徴を聞きながら、姫川は彼の姿を思い出した。確かに銃弾や刃物を跳ね返し、男たちを次々に倒していった。だが、彼が力を振るうのは、いつだって守るべき誰かの身が危険に晒されたときのみ。姫川には、彼が人を襲って食らう化け物にはとても思えなかった。むしろ彼は、誰よりも人を想い、誰よりも人であろうとしていたのではないかと、姫川は思う。


「あ、ひょっとして何か見ました?懸賞金出てますから、情報提供だけでもかなりの額になると思いますよ!」


警官にそう尋ねられ、姫川は少し考え込んだが「すみません」と笑った。それを見た警官は残念そうに肩を落とし「そうですか」と答える。


「そういえば、宝石狩りたちが言ってた『長い黒髪の男』って何だったんですかねぇ……まぁ、混乱して見間違えたんでしょうけど。何はともあれ、宝石狩りの大量検挙、ありがとうございました!」

「いえ、俺は何もしてませんから」

「またまたご謙遜を。それじゃあ、懸賞金とかの手続きは後日お願いしますね」

「分かりました。ありがとうございます」


警官に見送られ、姫川は杖をつきながら街を歩く。その傍らで姫川に付き添う少女は、姫川を見ながら誇らしげに微笑んだ。


「宝石狩りの大量検挙、ありがとうございました!だって!兄ちゃんなかなかやるじゃん!」


警官の真似をして兄に敬礼する妹を見ながら、姫川は苦笑いを浮かべる。


「俺は本当に何もしてないんだって」

「またまたゴケンコンを〜」

「ご謙遜な」


呆れたように妹の言葉を訂正した姫川は、しげしげと小さな妹を見つめる。


「何?」

「いや……お前、少し大きくなったか?」

「本当!?うち帰ったら計って!兄ちゃんも計るんだよ!」

「ええ……兄ちゃん足とか怪我してるんだけどなぁ」

「いいから計る!絶対命令!」


困ったように言葉を返すと、返ってくるのは生意気で可愛い妹の声。もう、他人に妹の面影を重ねることはない。見慣れて、見飽きて、鬱陶しくなるほど顔を合わせた家族にもう一度会いたくて、姫川はこの街に帰ってきた。再び手の中に戻った小さな手を握りしめ、姫川は自分を救った彼らへ想いを馳せる。


今もこの砂漠を旅しているであろう若き旅人たち。平凡な日々の軌跡が、再び彼らの壮絶な人生と交わる機会はあるだろうか。もし、そんな機会がまた訪れた日には──。


「兄ちゃん、聞いてる?」

「ああ、聞いてる聞いてる」

「絶対聞いてないー!」


適当な返事を聞き憤慨する妹を微笑ましく思いながら、姫川はあの青年の髪の色とは違う青を見上げた。どこまでも澄み切って果てしない空。彼らの隣でもう一度、こんな空を見上げるときが来たならば、そのときはきっと、あのときのお礼をしよう。空に誓ったのは、いつ果たせるとも分からない自分との約束。


「……袖振り合うも他生の縁、だもんな」

「何か言った?」

「何でもない」


姫川は笑顔ではぐらかし、妹の手を握る力を少しだけ強めた。今度こそ、妹との約束を守るという決意を込めて。


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