作戦開始
「じゃあ私達は先に行くね! もし駄目だったら青い狼煙を上げるから、それが見えたら逃げてね!」
作戦が決まり、マリアは早々に展望台へ向かう。
「任せて、下さい! 必ず……必ずあの亀に、食らわせて、やりますから!」
細かいとこまで考えているマリアと、英雄のような心意気を見せるミサキは、とても頼もしく見えた。
「マリア! これ持ってけ!」
俺はそんな二人に敬意を払い、マリアに狼煙銃を渡した。
「ミサキが魔法を撃つとき、それで合図してくれ!」
「えっ! いいの?」
マリアは貰えると思い、嬉しそうに言った。
「貸すだけだよ! 終わったら返せ!」
「あっ、そうだよね……分かった! じゃあ赤い花火を上げたら攻撃だから、それが見えたら逃げてね!」
もし、もし本当にこの作戦が成功したら、あの銃はマリアに上げようかと、残念そうにした表情に思った。
「よし! じゃあ作戦開始だ!」
俺の掛け声でそれぞれが持ち場へと向かい、動き始めた。
ミサキの火炎魔法のせいか、雨は弱まるどころか次第にその強さを増していた。
川幅も広がり、先ほどまで踝ほどの深さだった川は茶色く濁り、膝下ほどまでになっていた。
そんな中、俺とクレアはできるだけ大きな焚き火を上げるため、手当たり次第流木を集め、その周りを石で囲った。
「おい。火はどうするんだ? 私の道具はキャンプに置いてきたぞ?」
「あぁ、それなら大丈夫だ。これを使う」
家から持ってきた鉱石油を見せた。
「成金め。そんな大層なものを惜しみも無く使うとは」
「バッキャロー! これを使う覚悟は並みじゃないぞ!」
鉱石油は水炎とも言われ、二種類の液体を混ぜ使う。この油が付着したものは水に濡れていても着火できる。ただし火を消すには油分が燃え尽きるか、大量の土を被せての消火が必要になる。
片手に収まる大きさの瓶で、一本千五百ゴールドもする高級品で、金持ちハンターの必需品である。
「まぁいい。さっさと火を着けろ」
クレアは俺の断腸の思いを知らない。この油は見栄を張りたくて買ったが勿体なくて使えず、部屋の置物として大切に保管していたのを、マリアという悪党に持ち出され、全然羨ましがることのない女の前で使う羽目になったこの気持ちを、クレアは知らないんだ!
鉱石油を混ぜ合わせ、名残惜しさを感じながらチョロチョロと掛けていると、「おい! 貴様は本当に何しに来たんだ!」と怒鳴られてしまった。
クエストで使用したアイテムは自己負担になる。アイツはこの油の値段とそれを知っていて言っている。鬼だ!
俺は可愛がっていたペットを手放すように思い切って全部掛けた。そしてその悔しさを撥ね退けるように、ビンを焚き木の中へ投げ込んだ。
「よし。次は火だ! 早くしろ!」
一緒に焚き火の準備をしろってマリアが言ってたのに、こいつは俺に命令して見てるだけだ。なんて根性の曲がった女だ!
俺は言われたとおり火打ち指輪を右手人差し指の第二関節に嵌めた。すると、
「貴様。よほど稼ぎが良かったようだな? 私もおこぼれに預かりたいものだ」
と嫌味を言ってきた。もう帰りたい。
指輪を付属の親指の爪に付けた火打ちで弾くように擦ると、火花が散り、削れる火打ち石が勿体ない! くそっ!
そんな高級指輪を、気力を削りながら確かめていると、山亀が動き出す生木の折れる音と、地滑りのような音が聞こえてきた。
「早くしろ! やつが動き出したぞ!」
クレアに言われるも無く、慌てて火花を焚き木に向け飛ばした。すると、爆発したように大きな炎が上がり、強烈な熱風に襲われ、本日何度目か分からない転倒をした。
「貴様本当にAクラスのハンターか!」
クレアが怒鳴る。
いつもはこうじゃない、いやこうじゃなかった! ブランクというのは恐ろしいものだ……
熱に当てられた顔を擦り、自分の背丈を越える炎に危険を感じ、慌てて焚き火から離れた。
しかしクレアはその炎を恐れるどころか、顔を熱がりながらも、手当たり次第俺の袋から燃えそうな物を取り出し、投げ込んでいる。help me!
そのたびに小さな爆発があり、炎は徐々に灰色の煙を上げ始め、もの凄い悪臭を放ち始めた。
「おい! ドラゴンスキンはどこだ!」
一通り投げ込み終わったのか、クレアは口を腕で覆い隠して、叫んだ。
「え! あ、ここにあ、うぇっ!」
むせ返るような臭いと目に来る煙で、もう十分じゃないかと思ったが、クレアはまだおかわりを求める。
しかしもうやめて! とは言えず、クレアにドラゴンスキンを投げ渡した。
クレアはそれを受け取ると、迷うことも遠慮も無く蓋を外し、炎に撒いた。
この時、分かっていても開いた口が塞がらなかった。そしてそれがいけなかった。
撒いた瞬間、目を開けていられないほどの痛みと、喉の奥が肥溜めにでもなったのかというほどの臭いと刺激に襲われ、死にそうになった。
すぐに安全な距離まで下がると、クレアはすでに走り出していて、「あとは任せた!」と自分の持ち場に向け走って行く後姿が見えた。
その姿は緊迫した作戦を遂行する戦士のようには見えず、火事を起こし、人が来る前に逃げる放火魔のようだった。
後は任せる? 完全に仲間を見捨てて逃げる犯人だ!
だがこれだけの煙と臭いなら、さすがの山亀でも顔を反らすだろう。ただ気になるのが、風が山側から吹いている事だ。
風は気になるほど強くはないが、焚き火の後ろで陣取る俺には相当キツイ。
これには堪らず、少し川原の中腹に向かい場所を移し、山亀を待った。
第一展望台にはマリア達の姿が見え、狼煙も見えないことから、準備は万端であると分かり、放火魔の方も無事川を渡りきり、山亀が来る方を睨み、立っている。
よし! これで準備完了と思った矢先、山亀がゆっくりと姿を現した。
山亀は進行方向の山に顔が近づくと、左前足を軸にして、甲羅の縁を山肌に擦りながら左折した。
このとき初めて、俺は山亀の大きさに気付いた。
本当に山だ! 周りの山とほとんど大きさが変わらない!
歩くたびに背中の森が崩れ落ち、大きな岩が三秒ほどかけて地面に落下し、粉砕する。そしてここからでもその衝撃が足に伝わる。
よほど体が重いのか、擦られた山肌からは太い木々の折れる音と大きな岩が崩れる音がし、一踏でギルドを覆い隠すであろう巨大な足を下ろすたび、踏みつけられる石が飛び散り、内臓を振動させる。
その足元は生き物が生息できる世界じゃない! クレアたちはこんなのを相手に今まで戦っていたのか! そんな相手が俺の方へ向かってくる!
今まで何度か命を落とすような危機には合ってきたが、この経験は初めてだ。
絶対立っていては駄目な場所だ! と思い、なんとか山亀の進路を変えようと煙を顔に向かわせようとしたが、今になってとんでもない事に気付いた。
煙を向ける手段が無い!
せめて俺の方へ来ないように、なんとか焚き火を動かそうと考えたが、ほぼ火事の焚き火を見て、絶望した。
軍師マリアよ、俺の犠牲も作戦の内か?
こうなったら逃げるしかない! そう思い周りを見渡し逃げ道を探した。しかしその中で、クレアの姿が目に入った。
クレアはピンク色の煙を上げる芳香狼煙を掲げ、山亀の視線を集めようと必死に大声を上げ腕を振る。
それを見て、自分が無性に情けなくなり、もう逃げる事を考えることを止めた。
焚き火の中から足で火の着いた流木を取り出し、それを片手に持って山亀に向かって走った。
しかし走れど走れど山亀の顔はまだ遠い。しばらく走ってようやく気付いた。でか過ぎて遠近感が狂っていた事に。
それに気付くと今度は、山亀はまだ頭の先も折り返し地点に達していないと気付き、慌てて引き返した。
山亀に追われる形で焚き火まで戻り振り返ると、山亀は足を止め、首を空高く持ち上げ、グォー、グォーと鼻息を言わせ、臭いを嗅ぐような仕草をしていた。
そして何事も無いように頭を戻すと、再び歩き出した。
しかし煙の効果が出たのか、ゆっくりではあるが、焚き火を避けるような進路を取った。
それを見て、成功した! と思い、手に持った焚き木をクレア側に振り、少しでも進路を大きく変えさせようとした。
山亀は俺の期待に答え、どんどんクレアの方へ向かっていく。しかし、ある程度まで進むと再び顔を町側に向け、歩き出した。
クレアも必死に声を出し誘導するが、これ以上進路は変わらない。
駄目か! と思ったそのとき、山亀の上を赤い狼煙花火が音を立て飛んでいった。合図だ!
俺は慌てて走り、山辺の大きな岩に身を隠した。
岩の陰に入り、空が青い光を放っても、しばらくしてもミサキの魔法が放たれる事は無く、何かトラブルでも起きたのかと思い、岩陰から顔を出した次の瞬間、目を塞いでしまう大きな爆音が響いた。
堪らず岩に隠れ、爆風と音が過ぎるのを待つが、地鳴りのような音はどんどん大きくなり、こっちに近づいてきている気がした。それでハッとした。
山亀の右後ろ足付近に力を加え、右手を軸に左に回す。すると力を加えられたお尻は円を描くように俺側に来る。作戦ミスだ!
このままでは俺の隠れている岩場に激突する! そうなったら俺は終わりだ!
だが慌ててここから逃げようとするが、どこに!? いまさら岩陰から飛び出そうにも、すでに岩の向こうでは弾丸のようなスピードで石が飛び、盾にしている岩にぶつかっている! そうこうしているうちに、焚き火の木片まで飛んできた! もうすぐそこまで来ている! もう駄目だ! と思ったが、山亀のドリフトはここまで届かず、地鳴りのような音は止まった。
恐る恐る顔を出し、山亀の方を見ると、大量の土砂が流れ込んでいたが、思っていたより遠くに丸まった山亀の姿が見え、胸を撫で下ろした。
しかし予想よりも回転力が足りず、六十度ほどしか体を横に出来ず、再び動き出したときにどちらに向かうか分からない状態だった。
「おいっ! おいっ! リーパー! こっちに来い!」
この状況に戸惑っていると、クレアが川向こうから俺を呼び、自分の下へ来るよう大きなジェスチャーで合図を送ってきた。
考えている時間も無いため、すぐに山亀のお陰で水かさの減った川を渡り、クレアの下へ向かった。
「どうした! 何か手があるのか?」
期待を込め、クレアに訊いた。
「あぁ。残りの花火を奴の顔に当てて、無理やりこちら側へ行かせる」
クレアは三本の狼煙花火を見せ、言った。
「それだけしかないのか?」
「これが最後の希望だ。奴が動き出したら、目を狙って撃つ! ついて来い!」
傷だらけのクレアの手の中にある狼煙花火を見て、もうシェオールは終わりかもしれないと思ってしまった。それでも……もう行くとこまで行くしかない!
一本の狼煙花火を俺に渡すとクレアは走り出し、それについて行くとかなり近い距離で山亀の顔の左側が狙える位置で足を止めた。
「タイミングは私が指示する。死んでも必ず目に当てろ!」
「おう!」
ここまで来たらやるしかない! 俺とクレアは最後のチャンスに全てを賭けた。




