名言
「今の……クレアがやったの?」
爆音が雷では無いと気付いたマリアは、そう訊いた。
本当に賢い子だ。泥棒はしたけど。
「多分な。でももう時間が無い。すぐに避難するぞ!」
この危機的状況に、マリアの腕を引っ張り、直ちに外へ向かおうとするが、マリアが踏ん張り動こうとはしない。
「おい! 今の見て分かるだろ! 俺たちじゃ何もできねぇよ!」
一瞬の隙を付き、マリアは俺の腕を振り払った。
「私ならできる!」
「はぁ?」
いつも自信なさ気にしているマリアがはっきり言った。
社会を知らない子供は、なんでもできると勘違いする。マリアも所詮は子供だ。
「マリア、お前にできるのは泥棒くらいだ。世の中はそんなに簡単じゃない」
「違う! あれはちょっと借りただけ……」
絶対にちょっとでは済まないだろう。そう言う人間は、大抵が借りパクする。
「借りる? お前が弁償できる額のものじゃないぞ! これいくらするのか知ってんのか?」
俺は狼煙銃を見せて言った。
「五百ゴールド……くらい?」
「八千だ!」
「八千! それ八千ゴールドもするの!」
マリアは目を丸くして驚きの声を上げ、目ん玉が飛び出るとは正にこのことだろう、というくらいの表情を見せた。
「分かっただろ? そういうわけだから、大人しくついて来い!」
「嫌だ! だったら尚更使えるじゃない!」
「何に使う気なんだよ!」
本当に何に使う気なんだ! 俺でさえ出し惜しみするようなものなのに。
「モンスターを追っ払うの!」
「それは今クレアがやってんだよ! それができないから避難してんだろ!」
「リーパーは、好超嫌物って言葉知ってる!」
テンションはそのままだが、突然のマリアの質問に思考が停止した。え? 何?
「……それがどうした!」
マリアは本が好きで、よく分からない昔の言葉を知っている。というか、え? どういう事?
「好きなものを上回るのは、嫌いなものだけって意味!」
何? え? えっ?
「…………だから!」
「モンスターには好きな匂いより、嫌いな臭いの方がよく効くの!」
「だから、それがなんだって言うんだ!」
なになになに? それ今関係あるの?
「知らないの? モンスターをコントロールするには、好きな匂いで惹きつけるより、嫌いな臭いで誘導する方が効果的なこと?」
そんなことは無い。現に今でもハンターの多くは芳香狼煙を使い、モンスターをコントロールする。
「それは素人の考え方だろ! 俺はプロだぞ! そんなこと信じるわけ無いだろ! それがどうしたって言うんだよ!」
「最近ミカエルが出した本に書いてあったんだよ? 嘘のわけ無いじゃん!」
「えっ……マジで?」
ミカエルは生きる伝説、狩猟神などの異名を持つ現代の英雄ハンターだ。この世界のほとんどのモンスターを狩猟し、その全てにおいて豊富な知識と経験を持つと言われ、ハンターでなくとも知らぬ者がいないほどの人物だ。当然俺も尊敬し、色々な真似をした。
「ほんと。だからリーパーのドラゴンスキンと、私の持ってるへクソ葛を使えば何とかなるかもしれないよ!」
そう言われると……言い返せない。だってあの英雄がそう言っているんだから、信じないわけにはいかないだろう。
突然訳の分からない事を言い始めたマリアに、一時はパニックを起こしたが、結局「私を連れて行け!」という事らしい。
でも駄目だ! ヒーとの約束もあるし、絶対にマリアはアルカナへ連れて行く!
「例えそうだとしても、それはハンターの仕事だ! 俺たちには俺たちにしかやれない事がある! 今はクレアたちの邪魔をしないことが大切だ!」
マリアは唇を噛み、顔を顰めた。
そんな顔をしても駄目なものは駄目だ! ライセンスを持たぬ者がクエストに参加するなど、それはハンターに対しての侮辱でもある。
「リーパーなら邪魔にならないでしょ! Aランクハンターなんだから! 私が道を教えるから、クレアにアイテムを渡してそれを伝えて! それくらいはいいでしょ!」
「駄目だ! それに俺は元だ!」
マリアは俺を睨み付けるが、俺はもうハンターを名乗る気はない。引退するという事は、そういう事だと思っていたからだ。
「ねぇ、知ってる?」
ヤバイ! またマリアが俺を混乱させようとしている! もう引っ掛からないぞ!
「ハンターは意味を求めるな。意味とは自分に価値を付けたいだけの哀れな行為だ。求めるのなら理由を求めろ。我がここにいる理由を。って言葉」
伝説のハンター、アイアースが、何故ハンターは戦うのかを聞かれ、その弟子ケイビンバーンズに言った有名な名言だ。
意味を求めて狩猟をしても、そこにあるのは生か死しかない。だけど自分が何故戦うのかと考えれば、その理由は自ずと見えてくるという意味だ。
「リーパーがハンターになった理由は?」
最初は確かに稼ぎがいい事と、町の人からちやほやされたいからだったが、経験を重ねていくうち、その理由は変わり、なんとなくだが、アイアースの言っていたことが分かっていった。
言葉で説明する事はできないが、心の奥底にある信念とでも言うのか、やるべき事とでも言うのか、そんな想いが困難なクエストでもやり遂げる支えとなっていた。そして、それはどの仕事をしても変わらなかった。
「分からん。と言うより、説明できん……」
何故今それをマリアが言ったのかは分からないが、そんな偉人の名言に心を打たれた。
「じゃあ、なんでシェオールのギルドで働こうと思ったの?」
「それは……」
それは、なんでだかは忘れた。だけど、今ギルドで働く理由は分かる。俺がギルドスタッフだからだ!
「このままじゃ、町もギルドも全部なくなっちゃうかもしれないんでしょ? それでいいの?」
それは困る。しかし……
「さっきリーパーは、自分にできる事をするって言ったけど、それは目一杯の事をするって意味でしょ! それが今じゃないの!」
マリアの言葉が痛い。目を力いっぱい瞑ってしまった。すると何故だか、ハンター時代の記憶ばかり思い出した。それも嫌な記憶ばかり。
無理だと判断して、命からがら逃げようとしてモンスターに追い詰められた事や、目の前で仲間が食われた事。それだけならまだしも、嫌な先輩の記憶に、喧嘩して二度と会っていない仲間の事など、何故か嫌な思い出ばかりだ。しかし、それがとても懐かしく、そのお陰で俺は成長できたのだと、感謝の念すら感じた。
俺は……なんのためにあの辛い時間を過ごしたのだろう……
「シェオール初のAクラスハンター、リーパー・アルバイン! リーパーがやらなくて誰がやるのよ!」
そうだ! 俺がこの町を守らなくてどうする! っとは全くはならない。でも、何かできるはず! と思う気持ちが沸いたのは確かだ。
「う~ん……う~……どうだかな~……」
やれなさそうな事はないが、全然踏ん切りがつかない。ストレスで顔ばかり擦ってしまう。
マリアはそんな俺を見て、俺の部屋へ行き、勝手に腰袋に必要そうなアイテムを入れ、出発の準備を始めた。
あぁ嫌だ、死んでしまいたい。ヒーとの約束を破り、クレアの元に行って山亀を撃退するのも、マリアを連れて、俺を英雄視する皆のところへ戻るのも、どっちを選んでも面倒くさい事になりそうだ。
「早く準備して! 時間がないんでしょ!」
マリアに急かされ、目玉が垂れ下がると思うほど頬を両手でずり下げた。そんな俺を見かねて、マリアは俺の顔にドラゴンスキンを吹きかけた。
ドラゴンスキンは香水だが、モンスター避けのもの凄い激臭香水だ。
臭いは人間にはすぐに分からなくなるが、顔に掛けるのは危険だ。原料は最強最悪の呼び声高いハデスドラゴンの血や……その他もろもろだ。
「おうぇ。臭っ! ……ゴホッ、ゴホッ」
「行くんでしょ! 早く!」
目と喉をやられ咽かえったが、臭いはすぐに消えた。
しかし俺に香水を掛け、活を入れた自分より幼いマリアが腹を括っていると感じ、自分が情けなくなり、腹が立ってきた。
もうどうにでもなれ! と思い、思い切り自分の頬を両手で叩き、活を入れた。
「よし! じゃあ作戦はどうすんだ?」
もうマリアがノンライセンスだとは思わない。やるからには仲間として接する。
「とにかく撃退用の芳香素材を集めて!」
「調合はどうすんだ?」
「時間が無いから、全部焚き火で燃やす!」
子供の発想は凄い! ベテランになるほど形に捉われるが、柔軟な発想がある者でも、そのまま燃やそうとは思わないだろう。
「分かった」
俺たちは使えそうな素材とアイテムを集めるが、所詮引退ハンターの部屋、値段ばかりでさほど使えるものはない。
それでもマリアは人の物だと思い、お構い無しに袋に詰め込む。それを見つめる俺は、Aランクハンターのプライドが邪魔をして、止める事は出来ず悲しくなった。
結局耐え切れなくなり、アイテムの選定をマリアに任せ、寒さ対策の防寒装備を整える事にし、箪笥から懐かしいインナーベストを取り出した。
「マリア、これ着ろ!」
このベストは水分に反応して発熱し、体の周りに暖かい空気の層を作る魔法陣が背中に施されており、一着四千ゴールドもする有名ブランドの、耐寒冷地仕様のインナーベストだ。
生地は薄く、着膨れするような事は無く、直接地肌の上に着る。
俺は鎧などにはそれほど金を掛けないが、あまり目に付かないところに金を掛けるお洒落さんだった。
「何これ? ダサッ!」
子供には分からないだろう。本当のお洒落とは、見た目より機能性だ!
「それやるから着ろ! それ、四千ゴールドもする良いやつだぞ!」
「ほんとに! 分かった、ありがとう!」
速攻で金額に目が眩むとは、マリアも所詮子供。
「でも……なんか親父臭い……ほんとに高いの?」
「俺が着てたやつでも新しい方だ! 文句言うな!」
「……はい」
マリアはベストを着用するため、隣の部屋へ移動した。
俺もその間にベストを着用するため上着を脱いだが、濡れたシャツはなかなか脱げない! 冷たいし引っ付くし、イライラする!
特に手首のボタンだ! なんなんだこれは!
地団太を踏みながらもがいていると、もう着替えを終えたマリアが戻ってきて、面倒くさそうに手伝ってくれた。なんか……悪いね。
ようやくベストを着用し、折角だから乾いた衣服に着替えようとも思ったが、リリアとヒーの顔が脳裏をかすめ、着替える事を止めた。
結局、再び感触の悪いシャツに腕を通し、ダブルベストという重装備になってしまい、マリアがこれがハンターのお洒落なの? と言いたげな顔で俺を見ていた。
そのあと急いで装備を確認し、時間がなかったため、靴だけはハンター用の物に履き替え、マリアの先導の下、クレアたちのところへ向かった。




