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保身

 雨は先ほどと変わらず強いままで、手製の屋根にボツボツという重たい音を立て、道路には大きな水溜りを作っている。そこに車輪が波紋を立て、新たな雨は元気よく飛び込んでいる。

 通り過ぎる民家の扉には、“もう避難した”の意味の黄色い紙が張られ、灯りの消えた家屋には哀愁が漂っていた。

 山の方を見ると、湯気のように上がる雲と、クレアたちが上げたのだろうか、薄暗い山の奥にピンク色の狼煙花火の煙が見えた。しかし戦闘を繰り広げているような音はひとつも無く、雨の打ちつける音と、馬車の動く音だけが響いていた。

 荷台の避難者たちは、外の寒さを凌ぐため毛布に包まり、町の外への避難に不安を抱えているようで、ひっそりと静まり返っていた。

「なぁ、ヒー?」

「はい」

 俯き静まる避難者を見守るヒーは、暗い表情をしている。

「このあと、アルカナに着いたらどうすんだ?」

「アルカナが用意する施設で、安全が確認されるまでお世話になります」

 周りに気を使い、小さな声でヒーは話す。

「施設って?」

「ギルドや協会などの公共施設です」

 それを聞いて、俺まで気持ちが落ち込んだ。

「……しばらくって……どのくらい?」

 ほかの人に聞かれないよう、ヒーの耳元で囁くように訊く。

「分かりません。被害の状況によります」

 ヒーも誰にも聞かれないよう、手で口元を隠し、俺の耳に近づけ小さな声で言った。

 それを聞くと、とても不安になった。被害の状況、それはほぼ壊滅だと分かるからだ。折角見つけたギルドの仕事も、居心地の良い実家も無くなってしまう。

 これからしばらくは広い空間に大勢で寝泊りし、プライベートのない時間を過ごさなくてはならない。ほかにも、配給される食事に文句も言えず、アルカナの人々に気を使って過ごさなくてはならない。そして復興が始まり、町が再建されても、何人かの知り合いは町を出て行くだろう。

 人は死んだら元には戻らないというけれど、俺は町も同じだと思う。

 俺にとっては、全部含めてシェオールなのだから……

「あっ!」

 最後になるであろうシェオールの町を眺めていると、ヒーから初めてでは? と思う声が聞こえた。

「どっ、どうした?」

 ヒーは荷台の外を見つめたまま、固まったように目線を動かさない。

 俺は気になり、ヒーの目線の先を追った。すると、マリアが俺の家の方へ走っていく姿が見えた。

「えっ!」

 それを見て、俺もヒーと同じく固まってしまった。

「えええ‼」

 あまりの驚きに、マリアの後姿を見つめながら、荷台のあおりに捕まり大声を上げてしまった。それでヒーは我に返ったのか、すぐに俺を注意した。

「リーパー! 大声を出さないで下さい!」

 ほかの避難者も、驚いた表情で俺を見ている。

「だっ、だって……あれマリアだろ? ……どうすんだよ?」

 このことを誰にも知らせないため、ヒーに耳打ちした。

「…………」

「ヒー?」

 さすがのヒーも動揺したのか、俺の目を見て何も言わない。

 そんな俺達の姿を見て、同じ荷台に乗っていた避難者もマリアに気付き、ざわつき始めた。

「どうするヒー? 俺が連れ戻しに行こうか?」

「…………駄目です……」

「駄目って、じゃあマリアはどうすんだよ?」

「私達は避難者の誘導が優先されます。ですから……」

 ヒー自身も、マリアを連れ戻すべきだという事は分かっている。だが、ギルドスタッフの使命がそれを邪魔しているようで、ヒーらしいはっきりした答えが返ってこない。

「ヒーは本当にそれで良いと思うのか?」

 マリアはすぐに行ってすぐに連れ戻せる距離にはいないうえ、自警団も人手不足の為、前方の誘導で後ろにはいない。マリアを連れ戻そうとすれば、避難に遅れが出て、最悪山亀の襲来に巻き込まれる可能性がある。それならヒーは迷うことなく、俺一人にマリアを連れ戻せ! と指示すれば済む話だ。

「…………」

 ヒーはどうすればよいのか分からないようで、言葉さえ選べないようだ。ただじっと俺の目を見て、黙っている。

「…………」

 ヒーの返事を待つが、やはり答えは返ってこない。そうこうしてる間も牛車の列はマリアから遠ざかり、荷台の避難者も騒ぎ始める。

「おい! あれマリアだろ!? 連れ戻さなくてもいいのか?」

「あんたAランクのハンターなんだろ? マリアちゃん助けなくていいのかい?」

 そんなことは分かってる! そう思うなら自分で行け! と無責任に言う避難者に腹が立った。

「ヒー! 俺が行くぞ! いいな!」

「……………………」

 返事を待つがやはり答えが返ってこない。

 このままでは埒が明かないと思い、ヒーを無視して荷台から飛び降りようとした。するとヒーは俺の袖を掴み、止めた。

「駄目です! 避難指示に従わない者の為に、私達が業務から離れるわけには行きません!」  

 口調はいつもの落ち着いたものに戻っているが、それはヒーの本心ではないとすぐ分かった。ヒーとリリアは高魔族の血のせいで、感情が昂ぶると瞳の色がより赤くなるからだ。

 それでも俺を制止するのはギルドスタッフとしての意地か、それともただの執着なのかは分からない。

「ヒー! お前はなんの為にギルドスタッフやってんだ!」

 ヒーの腕を振りほどいて飛び出しても良かったが、それはしたくなかった。

「自分のためです!」

 ヒーははっきり言った。

 その言葉を聞いて、俺はがっかりした。結局金や今の地位を守りたい、そう言ったように聞こえたからだ。

 俺は手を振りほどこうと払った。しかしそれでもヒーは離さない。

「ヒー! 俺はお前の保身に付き合う気は無い! 手を離せ!」

「駄目です! 保身と言われようが、この手は離しません!」

 こういう頑固なところはリリアと同じだ。こうなると梃でも動かない。しかし俺にも意地がある。何度も手を払うがそれでもヒーは離さない。

 これ以上時間を無駄にできないと判断し、俺は袖を掴まれたままギルドのベストを脱いだ。

「ヒー! 俺は今ギルドを辞める! これで俺はお前の命令に従う義理はなくなった! 分かったら手を離せ!」

「駄目です!」

 ここまでしてもヒーは手を離さない。ヒーはよほど興奮しているのか、瞳の色が嘗て無いほど紅くなっている。

「おい! マリアが死んでもいいのか!」

 もうこうなれば力ずくで腕を払うしかない。俺はヒーの腕を掴み、離させようとする。が、ヒーの握力はどうなっているのか、全く離れない。

「それも駄目です!」

 ヒーはもう支離滅裂な事を言っている。

「だったらこの手を離せ!」

「ダメです!」

 ヒーは間髪入れず答える。そして、

「リーパーも死んでは駄目です!」

 と続けた。

「はぁ!? 俺は死なねぇーよ!」

「貴方のことです、自由になればマリアを連れ、クレアのところに向かうに決まっています!」

「……知ってたのか?」

 マリアは手あたり次第声を掛けたようだ。マリアにとっても、シェオールは大切な故郷なのだろう。

「はい。マリアは私のところにも来ました。そしてクレアの下へ行くと駄々を捏ねていました」

 しかし、それとこれとは別問題。

「俺はクレアのところに行くつもりはねぇよ!」

 もちろんそんな危険なとこに行くつもりは毛の先ほどない。ヒーは俺がそんな勇者みたいな人間だと思っているようだ。あり得なくない? やっぱり命の方が大事だよね?

「信じられません!」

 どんだけヒーは俺を評価しているのか知らないが、それは絶対あり得ないよ!

「行かねぇーよ! お前は俺を何だと思ってるんだよ!」

「英雄です!」

 それを聞いた荷台の人々は、歓喜した。

「そうだ! あんたはシェオールの英雄だ!」

「リーパーなら何とかしてくれるんだろ!」

 ヒーは本当に余計な事を言った。ヒーとしてもこの空気は違うだろう。これじゃ俺が山亀を何とかしないといけないみたいじゃないか!

「ヒー! とにかく離して!」

 もうマリアを助けに行くのではなく、ただこの空気が嫌で、一刻も早くここから逃げ出したい!   

「駄目です!」

 空気を読めよ‼ 

 俺の必死の姿に、俺が危険を冒してか弱い少女と町を守りに行く! と勘違いした避難者は、リーパーコールで沸き始めた。

 それに気付いた御者は、前の馬車に声を掛け、それが瞬く間に広まりもの凄い事になった。

「ヒ~。もう勘弁してくれ。お前はそんなに俺が嫌いなのか?」

 その声に、ヒーの瞳の色が一気に黒に戻った。

「いえ。わ、私はリーパーの事を……嫌いではありません……」

「なら、腕を離してくれよ?」

「駄目です!」

 同道巡りの繰り返しで、話が一向に進まない。

「な・ん・で、駄目なの?」

 小さな子供に語りかけるように訊いた。

「リーパーが、マリアと共にクレアの元に向かうからです」  

「違う違う! そういう意味じゃなくて。どうしてそんなに必死になってギルドの仕事にしがみ付くの? って、聞いてるの?」

「私はギルドの仕事に、必死にしがみ付いてはいません」

「じゃあ、手を離して!」

「駄目です!」

 出た~クソ真面目。俺の質問には的確な返答をするが、含みを入れた言葉では伝わらない。きちんとした理由を聞かないとその答えを言わない。ヒーの面倒くさい短所だ。

「俺はクレアのとこには行かないよ。マリアを捕まえたら必ずアルカナに届ける。約束する!」

「約束! …………本当……ですか?」

「本当。だから手を離して?」

「……分かりました」

 ヒーはそんな口約束を信じ、袖から手を離した。何故あそこまで頑なに俺を行かせることを拒んだのを止めたのかは、そのときの興奮していた俺にはよく分からなかったが、約束した事が嘘では無いと信じてもらうため、俺は自分のライセンスをヒーに手渡した。

「これは俺がマリアを連れて戻ったら返してくれ。ライセンスはハンターにとって、命の次に大切なものだからな。これは約束の証だ!」

 ヒーはライセンスを受け取ると、大事そうに両手に抱えた。

「本当に……本当に私でいいのですか!」

 再びヒーの瞳の色が紅くなるのが分かった。

「ヒー意外に誰に言うんだよ? とにかく話は後だ!」

「私は……私は破られる約束では嫌です! 必ず帰って来て下さい!」

「分かった」

 そのやり取りに、荷台の中はさらに盛り上がった。

「それと、ベストは身に着けて行って下さい。貴方は……リーパーはシェオールギルドのスタッフなのですから」

 ヒーにベストを手渡され、俺はそれを着た。すると、激励の意味だろうか「頼むぞ英雄!」と背中を皆に叩かれた。とても居心地が悪い。だから引き篭ったんだ!

「じゃあ行ってくる!」

 ヒーに声を掛け、馬車から飛び降りた。

 それを見て歓声が上がる。

 後ろを振り返ることなく俺は走った。いや、正しくは振り返ることはできなかった。この胸を締め付けられる感情に引きつった顔では、とても無理だ! 

 もう冷たい雨など気にする余裕も無く、俺はマリアを追いかけた。


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