ギルドスタッフ 初出勤
シェオールは、レムリア地方の西側に位置し、南の大国アルカナ領土内にある小さな町だ。
東には大国ミズガルド。西にはカラナの漁師町。北東の森にはリトビアがあるが、特に栄えてはいない。人口は三百人ほどで、ほとんどが酪農業で生計を立てている。
周りには深い森や危険度の高いモンスターの住む山々があり、魔物の類はいないが、そのほとんどが未踏の地となっていた。どこにでもある田舎である。
前日の説明では特にギルドからの指定は無く、ただ立心(午前八時)には来てくれとの話だったが、せめて昼飯代くらいはと思い、いくらか持参してギルドへと向かった。
家からギルドまでは三百メートル程の距離で、そこまでの通勤路は一本の農道である。
道中雪解け水で地面は泥濘。初日から泥まみれの靴での出勤にならないよう気を付け、初出勤を楽しんだ。
元ハンターという経験が、ギルドの仕事に興味をそそられた。以前まで自分が見て来たギルドの受付は、とても楽な仕事に見えたからだ。
雨風の当たらない屋内で、ただ受付に座ってハンターへの仕事の対応。あとはギルドの掃除くらいだろう。そんなものだろうと思っていた。そのうえギルトのメンバーも顔見知り。日当は四十ゴールド。気持ちもかなり楽で、とても楽しみな職場に思えた。そんな事を思いながら歩くと、あっという間にギルドに着いた。
ギルドは石と木材を組み上げた造りで、屋根はレッドドラゴンの鱗をモチーフとした赤い石材で出来ている。正面扉は広めの両開きで、硝子を埋め込み、外からでも中の様子が窺えるようになっている。
入口扉の上には大きな看板が掲げられていて、”モンスターハンター協会 アルカナ支部 シェオールハンターギルド“という文字と、ハンターギルドのシンボルマークの鷲の絵が描かれている。そしてそれとは別に、”食事処 ジャンナ“という看板が、通りからでも見える様に掲げられていた。
スタッフの俺は、入社説明の時言われたとおり正面の入り口からではなく、建物横の従業員専用扉に向かい中に入った。
扉を開けるとカランカランという鈴の音が響き渡り、初出勤の俺を迎え入れてくれた。
中は食卓にキッチンと、民家のリビングのような部屋になっており、住み込みスタッフの居住スペースとなっている。
部屋の中には人の気配は無く、とりあえず声を掛けた。
「すみませ~ん」
結構大きな声で叫んだが返事はない。まだ誰も来ていないのかと思ったが、扉の鍵は開いたままで、そんなはずは無いと思い、今度は左奥、ギルドロビーへと続く扉をノックしながら叫んだ。
「あの~すみません。誰かいませんか~?」
声を出してしばらく待つと、奥から女性の声で返答があり、扉が開いた。
「はい? どちら様ですか?」
扉を開けて出てきたのは、俺の四つ下の幼馴染のリリアだった。リリアは一応、ここのギルドのサブマスターらしい。
「あっ、リーパー。今日からですか?」
「今日からだよ。何で忘れるかな?」
リリアは百四十程の小柄な身長に、薄い銀髪のショートヘアーに髪留めをして耳を出している。顔は分かり易く言えば普通の可愛い系である。特徴があるとすれば、瞳の色が太陽などの光に当たると赤く見えるくらいだ。これは高魔族の血縁だかららしい。
性格は礼儀正しく清楚に見えるが、思った事を口に出し、面倒くさがり屋で意外と適当。そして何故か俺には厳しい。
「まぁ良いでしょう。あちらの部屋で制服に着替えて下さい。中にヒーがいるので、後はヒーに聞いて下さい」
「あ、うん」
何が良いのか分からないが、俺はリリアに言われた通り、カウンター奥の休憩所に向かった。リリアはロビーの掃除をしていたらしく、そのまま掃除に戻って行く。
休憩所に入ると、中ではヒーが販売品の在庫を数えていた。
「おはようヒー」
「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
「あぁ、よろしく頼むよ」
ヒーはリリアの双子の妹で、体型も顔もほとんどリリアと変わらない。俺は昔から知っているから区別が付くが、違いを説明すれば、ヒーはリリアより髪が長く、ポニーテールにしている事と、良く見ればリリアより若干髪の色が銀に近いくらいだろう。
しかし性格は大分違う。礼儀正しく真面目で、俺を兄のように慕ってくれる。ただ内気で、表情の変化が小さい。そのため感情を読み取り辛く、何を考えているのか分からない時がある。物事を効率よく進めようとし、その点だけは無駄で活発なリリアとは決定的に違っていた。
「リリアに制服に着替えろって言われたんだけど?」
「そこにある、名札の付いている制服がリーパーのです。着替えはそこの部屋でお願いします」
そう言うとヒーは、休憩所にある更衣室を指さし、再び在庫の確認作業に戻った。
「サンキュー」
俺は言われるまま自分の名札の付いた制服を持ち、更衣室へ入った。
ギルドの制服は、下は黒い紐の革靴に黒のスーツパンツ。上は白いワイシャツの上に、銀色の鷲のギルドシンボルが胸に入った黒いベスト。そしてネクタイ。ネクタイは赤、青、黄色の三色があり、好きな色を選んで良いらしい。今日は特に気にする事無く赤を選んだ。
ちなみに女性はスカートで、ネクタイの代わりにリボンか蝶ネクタイのどちらかで、色は同じ三色だ。
ほとんど着たことのないスーツというものに多少の時間を食ったが、何とか着替えを終えた俺は、ヒーに声を掛けた。
「先ずは何をすればいい?」
制服に着替えた俺の姿を見たヒーは、俺の問いに答える前に一言。
「ネクタイが曲がっています。この仕事は身だしなみにも注意が必要です」
早速注意されてしまった。
ネクタイの締め方は練習してきたものの、今まで、制服やネクタイをするような職業に就いた事の無い俺は、基本的な事で怒られた事に気付き反省した。ただ、若い女性にネクタイを直してもらう事に、少しだけ幸福感を覚えたのも事実だ。
「リーパーへの指示はリリアがします。ですので、後はリリアに聞いて下さい」
そう言うとヒーは、黙々と在庫確認作業の続きを始めた。
相変わらず無駄の少ない性格のヒーを他所に、俺はロビーへ戻り、掃除をするリリアに指示を仰ぐ。
「着替え終わったぞ。何すればいいんだ?」
「なかなか似合っていますね」
まさかの誉め言葉に、正直嬉しかった。
「そ、そうか? かなり慣れないけどな」
この体にフィットするパンツと、首周りの締め付けが慣れない。こういう職業の意外なところで辛いものを感じた。
「そうですか? まぁ最初はそんなもんでしょう。とりあえず、先ずは掃除からお願いします。朝はギルド内と表通りの掃除から始めます。外の方はもう終わりましたから、リーパーはトイレ掃除からは始めて下さい」
「了解。掃除用具は?」
「なかなか良い返事ですね」
「はぁ? 何言ってんだ?」
普通に返事をしただけなのに、リリアの意外な誉め言葉に、訳が分からなかった。
「普通なら、いきなりトイレ掃除をしろと言われたら、嫌な素振りを見せるのが今の新人です」
「いや、何でそんなに上から目線? っていうか仕事だろ?」
「さすがは三十路。潜って来た修羅場が違うようですね」
「俺は二十七だ!」
「細かい事は気にしないで下さい」
リリアは本当に適当過ぎだ! 本当にサブマスターなのか疑問になる。
「お前適当過ぎだ! いいから、掃除用具はどこにあんだよ?」
「トイレの用具入れの中です」
リリアも俺に対して気兼ねなく話せるようで、職場の雰囲気としては悪くなさそうで何よりだ。
男子トイレに入り、掃除用具を見つけた俺は、早速掃除を始めようとした。その矢先、突然リリアがトイレに入って来て一言。
「そう言えば、今日は来るのが少し遅いです」
そんなはずは無いのだが、何故か怒られてしまった。
「明日からは、もう少し早く来るようお願いします」
「あ、了解しました……」
先輩の威厳でも見せたかったのだろう。トイレから出て行くリリアの後姿を見て、そう思った。
その後男子女子、両方のトイレ掃除を終えると、リリアの声で朝のミーティングが始まった。