オシュコシュへのフライト
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
ロッキー山脈の上を、青地にピンクの桜の花弁が舞うラッピングをした、小さな飛行機が飛んでいた。
『サクラ。 いつ着くの?……』
インカムで、イロナが文句を言っている。
『……狭いし 煩いし 揺れるし お尻が痛くなったし』
『前も同じ様なこと言ってたよね。 イロナ、おばん臭い。 まだ1/3位しか飛んでないよ』
二人は、何処に向かっているのか……
『そもそもミシガン湖まで、こんな小さな飛行機で行くのが、間違いなのよ。 サクラのサイテーションで行けばいいのに』
『ミシガン湖までは行かないよ。 ウィネベーゴ湖だから……すこし手前だね。 っと言っても50キロ位だけど』
『2400キロ以上あるのに……50キロ位誤差だわ。 あーお尻が痛い。 喉が渇いた』
前科の所為で、イロナは酒類を持ち込めなかったのだ。
『ハイハイ。 もう直ぐ「マイルズシティ」に降りるから……チョッと我慢してね』
苦笑しながら、サクラはスロットルレバーを手前に引いた。
二人は昼食にしようと、空港近くのセルフサービスのレストランに来た。
『ハァ~ 体が痛くなったわ……』
イロナは、安っぽい椅子に腰を下ろした。
『……何で、私を「オシュコシュ」に連れて行くのかなぁ……メイナードとでも一緒に行けばいいのに』
そう……「ルクシ」がエクスペリメンタル・カテゴリーになったことで、丁度開催される「オシュコシュ エアショー」に出ようと言う事になって、今飛んでいる訳だった。
『どうしてメイが出てくるのかな?……』
サクラは、向かいの椅子に座った。
『……彼は、仕事だよ。 社会人が、一週間も遊んでられないよ』
『どうしてって……彼氏でしょ。 最近、よく一緒に遊びに行ってるじゃない』
イロナは、ピザを一切れ摘んだ。
『そんなんじゃないよ。 友達……』
サクラは、フライドポテトをケチャップのカップに突っ込んだ。
『……メイが言ったもの。 友達枠だって』
『あら、そう? この間は、二人でリゾートホテルに行ったでしょ……』
イロナは、ピザを口に入れた。
『……あら? 意外と美味しい……サクラは、水着を持って行ったわよね?』
『う、うん……』
サクラは、フライドポテトを咥えた。
『……プールがあるって聞いたし、ウェイクボードなんかも出来るからって……別にメイに見せたかった訳じゃないよ』
『またまたー 照れちゃって。 彼の体は、どうだった?』
『どう、って?』
『セクシーだとか……』
イロナは、二切れ目のピザを取った。
『……そうでもないとか』
『何で、そう言うことを聞くのかなぁ? イロナ、欲求不満?』
『別にー 私にはユウイチが居るもの。 っで? メイロードは? サクラにはどう映るの?』
イロナは、ニマニマとした笑みを浮かべている。
『んー 意外と鍛えてるなー って感じ。 特に体幹はしっかりしてるね』
『それだけ? こう……グッとくるとか…… そんなのは無いの?』
『無いよ』
フライドポテトを咥えて、サクラはソッポを向いた。
{『ミネアポリスアプローチ JA111G エクストラ300LX フォレストレイクの南西20マイル フォレストレイクに着陸の予定』}
マイルズシティを離陸して4時間……サクラ達は2番目の中継地点に近づいた。
{『エクストラ111G ミネアポリスアプローチ 了解』}
例によってノンタワーの空港なので、アプローチは近くのミネアポリスからコントロールを受ける。
『ねえサクラ。 どうせならミネアポリスに着陸しない? ホテルはミネアポリスに在るのよ』
イロナが疑問に思うのも、当然かもしれない。
『ちょっとねー ミネアポリスって国際空港なんだよね。 大型の旅客機が「バンバン」飛んでるんだ。 そんなところに「ルクシ」なんかで行ったら、大迷惑だよ……』
そう……旅客機は、アプローチ速度が120~140ノットもある。
そんな所に急いでも精々100ノットの小型機で近づいたなら、後ろに大渋滞を引き起こすだろう。
『……もうちょっと近い飛行場もあるんだけど……何となく、名前が綺麗じゃない? 森の湖、だなんて』
『そうねー ふふ……貴女、意外とロマンチストだったのね』
イロナは、顔を綻ばせた。
正面に見える滑走路の左側に、赤いライトが二つ、白いライトが二つ見えていた。
「(……うん。 ピッタリ……)」
こんな田舎の飛行場なのに「PAPI」が設置されていたのだ。
{『フォレストレイク トラフィック エクストラ111G RW31のファイナル 着陸します』}
{…………}
無線機は、沈黙している。
もう夕方だからなのか、飛んでいる飛行機は居ない様だ。
820メートルの短い滑走路の右側に格納庫が見え、その辺りに数機が駐機している。
「(……エンド通過……アイドル……フレア……)」
「ルクシ」は、滑らかに着陸した。
サクラは、自動給油所の前に「ルクシ」を停めた。
「(……4.53ドルか……まあ、普通かな?……)」
ここはセルフサービスになっていて、パイロットが自ら給油しなければならない。
サクラは、クレジットカードを読み取り機に刺し込み、ホースを伸ばした。
『イロナ、用意できた?』
『チョッと待って……』
ガスマスクを付けた……航空ガソリンは有鉛なので、蒸気を吸うと健康を害する……イロナが、主翼の給油口を開けている。
『……はい出来た』
『OK。 んじゃ、入れるね』
サクラは、ノズルを突っ込みレバーを引いた。
給油所から駐機場に「ルクシ」を移動させ、サクラは小さな事務所のドアを開けた。
『ハイ……』
小さなカウンターがある。
『……連絡を入れていたサクラです。 あそこに置いて良いかしら?』
『サクラ? ああ、連絡は入ってる……』
デスクに座っていた男……つるつるに禿げていて、眼鏡を掛けている……が歩いてきて、右手を出した。
『……サクラ トヤ でいいのかな? ようこそフォレストレイクへ』
『どうも……』
サクラは、男の手を握った。
『……良い空港ですね。 名前も素敵』
『ありがとう。 田舎だけどね、自慢なんだ……』
男は、カードを取り出した。
『……ここに名前と住所、連絡できる電話番号を書いてくれるか? ペンはここだ』
『ええ、いいわ。 ここね』
サクラは、差し出されたボールペンを持った。
サクラが「ルクシ」の所に戻ると、イロナが……その辺をぶらついていた……男に手伝ってもらって、機体をタイダウンで固定していた。
『イロナ。 手続きは終わったよ。 タクシーも頼んでおいた』
『あら、そう? そんなのは、私の仕事なのに』
『ま、たまにはね。 私もしなくちゃ……何にも出来なくなっちゃうから』
『ヒュー 可愛いね……』
タイダウンのベルトを縛っていた男が、サクラに気がついた。
『……ホテルはどこかな? 俺が乗せて行こうか?』
『ミネアポリスよ。 でも遠慮するわ』
サクラは、首を振った。
『そりゃ残念。 ミネアポリスは遠いしな……』
男は、ベルトを締め終わって立ち上がった。
『……帰りが遅くなったら、カミさんが怒っちまう』
『奥さんがいるのに、ナンパ? 信じられない』
サクラが、ジト目で見た。
『冗談だよ。 アンタみたいな可愛子ちゃんは、俺には合わないさ……』
男は、ウインクをした。
『……さ、終わりだ。 これで、明日まで置いといても大丈夫だろう』
『ありがとう、助かったわ』
イロナは、男に向かって数枚のドル札を差し出した。
『ん? いらないよ。 じゃな』
男はそれを取らずに、手を振って歩いて行った。
ミネアポリスのホテルに泊まったサクラ達は、翌朝フォレストレイクに戻ってきた。
『おはよう……』
サクラは、事務所に入った。
『……準備が出来たら出発するわ』
『やあ、おはよう。 夕べはよく眠れたかい?』
昨日手続きをした男が居た。
『ええ、お陰さまで。 ただ……ミネアポリスは都会過ぎたわ』
サクラは、肩を竦めて見せた。
『はは……そりゃ、仕方が無いな。 このミネソタで一番の都市だ……』
男は、苦笑した。
『……俺も苦手だ』
『貴方も、なのね。 やっぱり、こんな所で自由気ままに、飛行機で遊んでたほうが良いわ』
『全面的に賛成だ。 さて……』
男は、昨日サクラの書いたカードを出してきた。
『……ここにサインをくれ。 出て行った事の記録だ』
『OK』
サクラは、ペンを持った。
{『ミルウォーキーアプローチ エクストラ111G オシュコシュの西20マイル オシュコシュに着陸の予定』}
フォレストレイクを離陸して2時間、目的地のオシュコシュに「ルクシ」は近づいていた。
{『エクストラ111G ミルウォーキーアプローチ RW36のライトパターンダウンウインドレグに進入 10マイル手前でオシュコシュタワーに連絡』}
オシュコシュは、久しぶりにタワーのある空港だ。
{『ミルウォーキーアプローチ エクストラ111G RW36のライトパターンダウンウインドレグに進入 10マイル手前でオシュコシュタワーに連絡します』}
『RW36のライトパターンだって、イロナ。 ちょっと遠回りしなくちゃいけないね』
レフトパターンならこのままストレートインできるのかと思ったら、態々反対側に回らなければならない。
『私には分からないけど? ま、仕方が無いでしょ』
そう……ライセンスを持っていないイロナにとって、ちんぷんかんぷんの事である。
『そうだね。 仕方が無いや』
サクラは、コースを少し左に変えた。
奥に大きな水面が見え、その手前に湖がある。
その湖に平行に長い滑走路、直角にやや短い滑走路を持つ空港が、右前に見えてきた。
{『ビーチ544M オシュコシュタワー あなたの着陸順は2番 セスナに続いて』}
{『オシュコシュタワー ビーチ544M セスナに続く』}
{『セスナ6056N オシュコシュタワー クリヤード ツー ランド』}
{『オシュコシュタワー セスナ6056N クリヤード ツー ランド』}
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さっきから航空管制の無線は、ひっきりなしに通信が聞こえる。
「(……凄い……どんだけ込み合ってるんだよ。 呼びかける暇が無い……)」
使える周波数は一つなので、他に使っているとサクラは使えない……発信できないのだ。
「(……弱ったな……どんどん近づいてくる……)」
「ルクシ」は止まれないので……飛行機は止まれない……通報地点が近づいてしまう。
しかし……
{『……待ってる奴は居ないか?……』}
流石に混雑は慣れているのか……管制官が、尋ねてくれた。
{『オシュコシュタワー エクストラ111G オシュコシュの北西10マイル 着陸します』}
ほっとして、サクラはタワーを呼んだ。
{『エクストラ111G オシュコシュタワー OK お嬢ちゃんは、そのままALT2300で90度に飛び、湖の上で待機してくれ』}
何だか、親切なATCである。
{『オシュコシュタワー エクストラ111G ALT2300 ヘディング90 湖の上で待機します』}
{『OK 分かってると思うが、今混雑している。 他機の動きに注意していてくれ』}
{『オシュコシュタワー エクストラ111G 了解』}
「ホッ」としてサクラは湖を見た。
{『エクストラ111G オシュコシュタワー お嬢ちゃん、居るか?』}
ウィネベーゴ湖の上空を適当にオーバル形に飛んでいたサクラをタワーが呼んだ。
{『オシュコシュタワー エクストラ111G 居ます』}
変な呼びかけに釣られて、サクラの答えも変になった。
{『エクストラ111G オシュコシュタワー ALT1600でRW36のダウンウインドレグに進入 お嬢ちゃんの着陸順は4番だ 先行するボナンザに続いて』}
{『オシュコシュタワー エクストラ111G ALT1600でRW36のダウンウインドレグに進入 ボナンザに続きます』}
ボナンザは、V字形の尾翼を持つ珍しい軽飛行機だ。
サクラは、スロットルレバーを手前に引き「ルクシ」の高度を下げ始めた。
「(……居た!……)」
件のボナンザが、右下を飛んでいた。
「(……よーっし!……)」
サクラは、スティックを右に倒した。
「ルクシ」は右にロールを始める。
「(……そーれっ!……)」
バンクが深くなったところで、サクラはスティックを引いた。
「ルクシ」は大きく「バレルロール」をする。
湖が「ルクシ」の周りを回る。
「(……よし!……)」
機体が水平になった時、サクラはスティックを戻した。
目の前には、ボナンザが飛んでいた。