パインカップ始まり
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
朝6時……
『……ふぁ……』
ホテルから空港に向かう車の後部座席で、サクラは小さく欠伸をした。
『眠そうね』
助手席のイロナには、そんな小さな音も聞こえたようだ。
『うん、眠い……ファー……』
気付かれたことで遠慮がなくなったサクラの欠伸は、大きくなった。
『……こんなに早くブリーフィングがあるんだもん……昨夜は、遅くなったのに』
『あのメアリとメイナード姉弟は、サクラと気が合うみたいね』
昨夜は「ウエルカム・パーティー」と称して「ピザパーティー」が、大会主催団体によって催されたのだ。
それを知ったサクラは、メアリとメイナードを誘って、それに参加したのだった。
『そうだね、二人とも良い人だと思うよ。 機体をシェアして大会に出る、ってのも二人のアイデアだったし』
『そうね。 ムロフシの「エクストラ330SC」を使うことで、無事大会に出られて良かったわ』
そう……大急ぎで手続きをして、サクラは室伏の機体でコンテストに登録出来たのだ。
『ただ、やっぱり「ルクシ」とは勝手が違うから……もっと練習したかったな』
『そうなの? 下から見てたら、結構上手に飛んでたわよ』
午後の練習時間を使って、サクラは「エクストラ330SC」でエアロバティックの練習をした。
『そんな事無いよ。 舵が効くから、ロールは回り過ぎるしループではGが大きくなり過ぎるんだ』
『そうなのね。 ま、今回は仕方がないわ。 次回は、しっかり準備しましょ』
『そうだね。 「ルクシ」のカテゴリーをエクスペリメンタルに変えなくちゃ……ふぁ……』
ちょっと寝させて、とサクラは眼を閉じた。
そこかしこでエンジンの試運転が行われていて騒々しい中……
「室伏さん、頑張って下さい」
サクラは「エクストラ330SC」のコックピットを……踏み台に上って……覗いていた。
「ああ、ありがとう。 嬉しいね、美人の激励が、しかも日本語で受けられるって」
室伏は、サクラを見て「にっこり」した。
「変なこと言わないでください。 奥さんに言いますよ」
「いやー、別にやましい事を考えてるわけじゃない。 純粋に美人だって言ってるんだから」
「はいはい、分かりました。 無事に降りてきてくださいね。 次は私が乗るんだから」
べっ、と舌を出して、サクラは踏み台から下りた。
「何だよ、俺を心配してるんじゃなかったのか? やれやれ」
苦笑を浮かべて、室伏はキャノピーを閉めた。
シルバーの「エクストラ330SC」が、サクラ達の居るエプロンの正面上空に近づいてきた。
『日本からやって来たサムライ、ムロフシ!』
スピーカーから会場を沸かせる放送が聞こえる。
それが聞こえたのか、「エクストラ330SC」は大きく……殆ど主翼が垂直になるほどの……バンクを2回した。
『演技開始のサインだ。 さあ……パインカップの始まりだ』
そう……バンク2回は、これから演技をするという合図なのだ。
「エクストラ330SC」は、機首を上げて45度で上昇する。
ポーズを見せると、1・1/2回転ロールして背面姿勢、そのまま45度を保って上昇する。
最初と同じだけのポーズを見せ、180度ポジティブループ。
上ったコースと平行に45度で降下を始めた。
ポーズを見せると、今度は1・1/2ネガティブスナップロール……「エクストラ330SC」は「くるり」と回転した。
ポーズを見せてスティックをプッシュ……背面水平飛行になった。
「(……はぁー 凄い。 室伏さんって、やっぱり上手なんだ……)」
アレスティコードの印刷された紙を持ったサクラは、「ぽかん」と口を開けていた。
アンリミテッドの演技としては、簡単な部類に入るノウンプログラムの最初の演技。
そんな……ともすれば誰でも出来そうな演技を、室伏は減点を考えられない程の正確さで飛んでみせた。
「(……この垂直軸も、完璧だ……)」
「エクストラ330SC」は次の演技に入り、垂直に上昇していた。
演技を終え、室伏の「エクストラ330SC」がエプロンに帰って来た。
マーシャラーを買って出たマールクのサインに合わせ「くるっ」と片側のメインギヤを中心に回ると機首を出口方向に向ける。
「お疲れ様……」
エンジンが止まった機体に、サクラは取り付いた。
「……良い飛びでした」
「ああ、ありがとう……」
室伏は、キャノピーのラッチを外して持ち上げた。
「……さて、それじゃサクラちゃん用に、シート位置を調整しなけりゃな……」
そう……サクラと室伏は、身長は殆ど変わらないのだが……
「……しかしなー なんでシートの位置を後ろに下げなきゃなんないのかねー……」
ラダーペダルを基準にすると、サクラは後ろに座ることになるのだ。
「……ホント、若い子は足が長いや」
「えっとー……こちらでしますから……室伏さんは、休んでてください」
サクラは、苦笑を浮かべるだけだった。
{『メアリ エフラタコントロール ランウェイ イズ クリヤー』}
「ルクシ」より一回り小さな「エクストラ330SC」……そのコックピットに座ってエンジンを暖機運転するサクラのヘッドセットに無線が聞こえた。
「(……メアリが離陸するんだ……そう言えば、今日はまだ会ってなかったな……)」
{『エフラタコントロール メアリ ランウェイ イズ クリヤー』}
サクラが考えているうちに、メアリは復唱をした。
{『サクラ エフラタコントロール RW22にタキシー』}
次はサクラの番だ。
{『エフラタコントロール サクラ タキシー RW22』}
風は昨日と同じ方向から吹いているようで、同じ滑走路が使われていた。
{『サクラ エフラタコントロール RW22の手前で待機』}
もうすぐ滑走路だ、という所で無線が入った。
「(……だよね……高槻さんが降りてくるから……)」
アンリミテッドクラスの最後の演技者である高槻は……昨日の経験から言って……このタイミングで着陸してくるはずだった。
{『エフラタコントロール サクラ RW22の手前で待機』}
さっき言い忘れたんだよね、とサクラはスロットルレバーを手前に引いた。
{『サクラ エフラタコントロール ランウェイ イズ クリヤー』}
高槻の「ピッツ」が滑走路から出たところで、離陸許可が出た。
{『エフラタコントロール サクラ ランウェイ イズ クリヤー』}
復唱して、サクラはスロットルレバーを進めた。
「エクストラ330SC」は「するする」と進み、滑走路に入る。
「(……この辺りで良いかな……)」
センターライン上でサクラは、右のブレーキを踏んだ。
右のメインギヤを中心にして、機体は右に回る。
「(……よし!……)」
機体が滑走路に真っ直ぐ向くとセンターラインは見えなくなる。
サクラは、離陸の目標として決めていた雲を見てブレーキを放した。
小ぶりな機体に大パワーのエンジン……「ルクシ」と同じ315馬力……を搭載した「エクストラ330SC」は、スロットルを開くと鋭い加速を見せて「あっ」と言う間にVrに達した。
{『サクラ エフラタコントロール レフトターン エアロバティックボックスに注意して待機位置まで飛行』}
滑走路上を真っ直ぐに上昇するサクラに、無線が入った。
{『エフラタコントロール サクラ 待機位置まで行きます』}
次の演技者は、風下側に設定されている空域でエアロバティックボックスが空くのを、待つことになっていた。
{『サクラ エフラタコントロール ボックスに進入して宜しい』}
{『コントロール サクラ ボックスに向かいます』}
待機位置でゆったりと旋回していたサクラは、飛びながら見つけておいた目標となる雲……本当なら山などの動かない安定したものがいいのだが、この空港の周りには良い目標物が無かった……に「エクストラ330SC」を向けた。
「(……150ノット……コースOK……位置OK……)」
演技は、エアロバティックボックスのX軸……風の方向により決められている……に沿って行わなければならない。
サクラは、スティックを左・右・左・右と素早く動かした。
「エクストラ330SC」は左に二回バンクを振った。
演技開始を宣言した以上、これからは水平飛行から点数が付けられる……実際はミスをする度に減点される。
サクラは、スティックとペダルに神経を集中させた。
「エクストラ330SC」は、真っ直ぐにボックス中央まで来た。
「(……よし!……)」
最初の演技は「ハンプティ・バンプ」だ。
練習で調べておいた位置に、ボックスのマーカーが見える。
サクラは、スロットルレバーから左手を離し、スティックに添え……
「(……くっ!……)」
スティックを引いた。
「ぐん!」とシートに体が押し付けられる。
「(……くぅぅぅぅ……傾い・てない・な……)」
Gに耐えながら、地平線を参考に機体の傾きが無い事を確かめ……
「(……くぅぅぅ……まだ……もうすぐ……)」
機種が上がることにより前方の水平線が見えなくなったら、横を向いてサイティングデバイスを参考にスティックを引き続ける。
水平線とサイティングデバイスの垂直バーが揃った……
「(……よし!……)」
サクラは、スティックを中立位置より少し前に押して機体の慣性を殺して……
「(……くっ!……こんなもん……)」
空かさず中立位置にスティックを保持した。
「(……くっ!……くっ!……)」
一呼吸ほど垂直のポーズを見せて、サクラはスティックを左に2回倒した。
「エクストラ330SC」は左90度ロールを続けて2回……都合1/2ロールをした。
「(……ラダー右……そろそろ……)」
速度が落ちるに従い、機体は左に倒れそうになる。
右ペダルを踏んで堪えること一呼吸半……
「(……よし……)」
サクラは、スティックを押した。
「エクストラ330SC」は、垂直から前に倒れ始めた。
「(……ふぅぅぅぅ……)」
マイナスGの所為で肩ベルトに体重が掛かり、頭の後で纏めている髪……所謂ポニーテール……が浮き上がる。
「(……水平……OK……)」
下からせり上がってくる地平線は、傾いていない。
「(……速度OK……スロー……)」
左手をスロットルレバーに移し、手前に引く。
「(……まだ……まだ……もう少し……よし!……)」
例によってサイティングデバイスを頼りに垂直を確かめ、スティックを「ゼロリフト」の位置に戻す。
正面の地面は、所々に草の生えた荒地が広がっていて、端の方に使われなくなった滑走路が見える。
「(……くっ!……)」
サクラは、スティックを左に倒した。
正面に見える地面が、右に「くるり」と回る。
「(……よし!……)」
タイミングを見てサクラはスティックを中立に戻した。
左下に見えていたさっきの滑走路が右下に見える。
「エクストラ330SC」は左に3/4ロールをした。
「(……スロットル、ハイ……プル!……)」
垂直降下しているのだ……どんどん高度が下がる。
サクラは、スロットルレバーを限界まで進めると左手をスティックに戻し、両手でそれを引いた。
「(……ぐぅぅぅぅぅぅ・ぅ・ぅ・ぅ……)」
垂直降下から垂直上昇まで引き起こすのだ……Gの大きさは並みのものではない。
「(……ぃてててて……か、肩が痛い……)」
此処最近、更に重くなってきた胸が、肩紐を引っ張る。
「(……よし、水平……)」
地面が下に流れ、やがて地平線が現れた。
「(……まだ……まだ……もうすぐ……)」
その地平線が機首の下に隠れて見えなくなると、サクラはやはり左翼端のサイティングデバイスを頼りに機体の姿勢を確かめる。
「(……よし、垂直……くっ!……)」
垂直になったのを確認すると、サクラはスティックを右に倒した。
「エクストラ330SC」は之までの左と違って、右に90度ロールをする。
「(……引いて……)」
サクラは、スティックを引いた。
地平線が上から降ってくる。
「(……此処!……)」
それが正面に来る前に、サクラはスティックを中立から少し押した位置にした。
「エクストラ330SC」は、進入した方向と90度違うY軸方向に、背面飛行を始めた。
「(……ふぅ、一つ終わった……次はスピン……)」
まだ最初の演技が終わっただけだ。
逆さになった世界で、サクラは計器盤に張ってある「アレスティコード」を確かめていた。
『おつかれ、メアリ。 上手く飛んでたね』
『ありがと、メイナード。 ふぅ……ほんと、エアロバティックは疲れるわ。 今はサクラが飛んでるわよね?』
『うん、そうだね』
『どう? 飛びは』
『ん~~ やっぱり借りた機体だからかな? 角度が決まらないね』
『そう……仕方が無いわね』
『でも、頑張ってるよ。 あんな美人がエアロバティックやってるなんて……知られたら、マスコミがほっとかないだろうね』
『アンタ、昨日からサクラの容姿の事ばかりね。 そんなに気になる?』
『え……そ、そうかな? でも、仕方ないじゃないか。 美人なんだから』
『ハイハイ……そうね。 でも、あんた……視線が顔から少し下に動くことが多かったわよ。 彼女、胸が大きいわよねー。 昨夜は胸の谷間が見えるTシャツだったしね』
『ち、違う。 胸を見てたんじゃないよ。 あんまり顔を見てると、何だか申し訳なくなってくるんだ』
『そうね……アンタ、女性に対してシャイだもんね。 それでもサクラに対しては、なんとか話が出来るわね』
『うん、サクラは話しやすいんだ。 なんだろうね……少し男性的なところを感じるんだ』
『あ、それは私も感じるわ。 不思議ね』
『姉さんも、そう思うんだ。 っと、サクラ……演技が終わったみたいだよ。 それじゃ、僕も準備をするから……姉さん、替わって』
『OK。 じゃ、頑張ってね』




