耐空証明
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昼食を済ませ、サクラ達は午後の練習の準備に「ルクシ」の所に居た。
『ミス、サクラは何方かな?』
そこに三人の小父さん……皆一様に髭を蓄えている……が、バインダーを持ってやって来た。
『はい。 私です』
サクラは手を上げて、三人に向き合った。
『貴女がサクラ? ようこそ「パインカップ」へ……』
一人が右手を出した。
『私達は、この大会の役員をしています。 私は、ジミー』
『始めまして。 サクラです』
サクラは、右手でジミーの手を握った。
『私は、ジェイムス』
『俺は、ジムだ。 よろしく』
残りの二人も次々と握手をする。
『それで? 皆さん、どういう御用事で?』
改めて、サクラはジミーに尋ねた。
『なに、単なる事務手続きです……』
ジミーは、バインダーを捲った。
『……貴女の資格情報は、完璧……十分でした』
『それは、ありがとうございます』
サクラは、軽く頭を下げた。
『後は、貴女の機体……』
ジミーは「ルクシ」を見た。
『……「エクストラ300L」の技術検査をすれば、出場手続きは終わりです』
『はい』
サクラは、頷いた。
『今から始めたいのだが……良いかな?』
『はい、大丈夫です』
サクラは、クルーの皆と一緒に「ルクシ」から離れた。
『マールク』
ジミー達が「ルクシ」の検査をするのを見ていたサクラが、小さな声で呼んだ。
『はい、サクラ様』
後ろに居たマールクが答えた。
『「ルクシ」の整備は、ちゃんとしてるよね?』
『はい、完璧のはずです』
『そうだよね……それにしては、時間が掛かってる』
そう……「ルクシ」は「エクストラ300L」としてFAAの耐空証明を持っているのだから、通り一遍の目視検査で合格がもらえるはずだ。
『はい、そうでございますね……確かに、随分時間をかけて調べているようです』
ジミーがコックピットに入り、ジェイムスは機体各部……動翼の取り付け部やランディングギヤ……を調べている。
そしてジムは、カウリングを外してエンジンを見ていた。
『あった。 これこれ、この「エクストラ300L」だわ』
『そうだね、このピンク色の花びら模様は、あの機体に間違いない』
ややハスキーな女性の声と、若い男の声が近づいて来た。
「(……ん! 誰だろう?……)」
サクラは、声のする方を見た。
「(……姉弟かな?……雰囲気が似てる……)」
そこには、金髪を顎のラインで切りそろえた女性……イロナよりは若く見える……と、やはり金髪の男……女性よりは若いだろう……が、揃いのフライトスーツを着て立っていた。
『あー 姉さん、技術検査中みたいだよ。 ジムがエンジンを見てる』
『あら、ホント。 メカニックかと思ったら、ジムだったわ。 んじゃ……』
女性は、周りを見渡した。
サクラと目が合う。
『……貴女がパイロット? サクラかしら?』
女性はニッコリすると、近寄って来た。
『はい、サクラです。 なぜ名前を?』
サクラは、差し出された手を握った。
『私は、メアリ。 さっき、私の後にエアロバティックボックスに入ったわよね。 その時、コールサインが聞こえたの』
『それじゃ……あの「スホイ」のパイロット?』
サクラは、首を傾げた。
『ええ、私が乗ってたわ。 最も、あれは弟のメイナードと共同所有だけどね……』
メアリは、後ろにいた男をサクラの方に押し出した。
『……こいつがメイナードよ。 ちょっと女性に対してシャイなの』
『ちょっと……姉さん、止めてくれよ……』
サクラを目の前にして、メイナードは右手を差し出した。
少し頬が赤くなっている。
『……メイナードです。 僕もアレに乗ります』
『初めまして、サクラです。 そう……メイナードもアドバンスド?』
サクラは、手を握った。
『い、いや……僕は、スポーツマンなんだ。 まだ初めてすぐだから……』
メイナードの頬は、まるでリンゴのように赤くなった。
『……サ、サクラは……姉さんと同じアドバンスド? 凄いね……そんなに可愛いのに。 っあ! ご、ごめん!』
『ええ、私はアドバンスドに出るけど……容姿は関係ないんじゃない? 褒めてくれたのは嬉しいけど』
サクラは、ちょっと首を傾げた。
『そ、そうだよね。 ほんと、ごめん。 でもさ……』
メイナードは、メアリを横目で見た。
『……やっぱり、エアロバティックってパワーがいるだろ?』
『なーに? メイナード。 思わせぶりに私を見て……』
メアリが、メイナードの頭を掴んだ。
『……確かにパワーは要るわよねー こんな風に』
『いだだだだだ……』
メイナードが悲鳴を上げた。
『……止めろー! 姉さん、それ洒落にならないから』
『ちょっと! 大丈夫? 顔色が悪くなったよ』
サクラの目の前で、メイナードの顔が土色に変わった。
『あーら……これぐらいじゃ、死なないわよ……』
どうやら、こんな事はよくやっているらしい。
『……ま、今日はこれ位にしておきましょ』
『そ、そう……大丈夫? メイナード』
サクラは……メアリから開放された頭を抑えて……その場にしゃがみこんだメイナードの顔を、同じようにしゃがんで見た。
『ちょっと良いかな?』
ジミーたち三人が、サクラの所に来た。
『はい……』
サクラは立ち上がって、迎えた。
『……終わりました?』
『ああ、終わった……のだが、少し気になることがあってね……』
ジミーは、ジムに目配せをした。
『……エンジンの事なんだが。 ジムから説明してもらう』
『俺から説明しよう……』
ジムは、バインダーを広げた。
『……この機体は「AEIO-540」を使う事で耐空証明を取っているはずなんだ……』
ジムは、バインダーから顔を上げてサクラを見た。
『……ところが、こいつに付いているのは、どうやら「AEIO-580」のようだ』
『え、ええ。 その通りです』
サクラは、頷いた。
『つまりだ、このままじゃ……俺たちの大会には出られない。 法律に違反しているのは、不味いからな』
ジムは、ゆっくりと首を振った。
空港ビルにあるバー。
その片隅にテーブルと椅子を集めて、サクラ達……メアリとメイナードも居る……が集まっていた。
『つまり「ルクシ」は、アメリカでは「AEIO-540」を使った状態でしか、耐空証明を取ってない、って事なんだな……』
森山は、聞いたことを改めて確認した。
『……「AEIO-580」をつけた状態では、飛ぶことは出来ない』
『うん、そうだったんだ。 うっかりしてた』
サクラは、頷いた。
『でもよ……「ルクシ」は、日本では耐空証明を取ってたんだよな? 普通に飛んでたんだから。 それなのに、駄目なんか?』
森山の疑問は、当然だ。
『日本では、耐空証明を取ってた。 随分苦労したけど……』
サクラは、遠くを見た。
『……正直、あの苦労はもうしたくない』
『森山君。 日本とアメリカでは、耐空証明は別物なんだよ。 どちらかと言うと、アメリカの方が上位にある。 アメリカで耐空証明を取ったら、日本では簡単に取れるんだ……』
室伏は「ふっ」と息を吐いた。
『……だからこの場合、日本で取ってる、って言っても……アメリカは「ふーん」ってなもんだ』
『とりあえず、あと半日で何とかしなくちゃ……サクラは、大会に出られないわ』
珍しく、イロナの声に焦りが含まれていた。
『とにかく、出来そうな事を上げていこう……』
ベンは、どこからか手に入れたホワイトボードをテーブルに置いた。
『……先ずは……耐空証明を取る……は、無理だな』
『ああ、無理だ……』
高槻は、ベンの書いた上から打ち消し線を入れた。
『……何ヶ月掛かるか、分かったものじゃない。 エクスペリメンタルの耐空証明を取る、ってのは?』
『そうだ……確か高槻さんの「ピッツ」は、エクスペリメンタルでしたね……』
サクラは、高槻を見た。
エクスペリメンタル・カテゴリー……自作飛行機の為の耐空証明……であれば、比較的改造は自由に出来る。
『……結構、ご自分で改造してますよね。 で……どれ位で取得できます?』
『自分で言っておいて、何だが……これも無理だ……』
高槻は、再び打ち消し線を入れた。
『……確かに簡単だが、半日で終わるものじゃない』
『エンジンを「AEIO-540」に戻すのは?……』
森山が、手を上げた。
『……キングシティで使ってたエンジンは、まだそのままの筈だ。 俺なら半日で積み替えできる』
『問題は、キングシティからどうやってエンジンを此処まで運ぶか、だな……』
ベンが、腕を組んだ。
『……貨物機を使う事になる。 いったい何万ドル掛かることやら』
『お金なら、何とでもなるから……』
イロナが、スマホを取り出した。
『……取り合えず、運ぶ事を進めるわ』
『……あの……』
メイナードが、恐る恐る手を上げた。
『……機体を借りては? シェアするのは、普通だし……「エクストラ300L」ならメジャーだから、何機かあったし……良ければ、僕たちの「スホイ」を使っても良いから』
『メイナード、よく言った……』
メアリが、メイナードの頭を撫でた。
『……でも、流石に「スホイ」で出るのは無理よ。 あまりに空力が違いすぎるから……マニューバは出来ないと思う』
『でも、機体を借りるってのは、良いアイデアだ……』
ベンは、頷いた。
『……確かに「エクストラ」は何機か見た。 声をかけてみよう。 貸してくれる奴がいるかもしれない』
『あのー……』
サクラが、手を上げた。
『……室伏さんのも「エクストラ」なんですけど。 「エクストラ330SC」』
『そうだけど……サクラちゃんは「エクストラ300L」でなくても良いのか……』
室伏は、サクラを真っ直ぐに見つめた。
『……シングルシートだぜ。 セイフティパイロットは乗れない……何があっても、自分ひとりで対処しなくちゃならないんだ』
そう……なぜベンが前席に乗っているのか……
つまり、慣れないパイロットがパニックになっても大丈夫なように、安全装置として乗っているのだ。
『大丈夫です。 日本では、一人で乗ってたんですから。 室伏さんは、知ってる筈ですよね』
サクラは、室伏の視線を真っ直ぐに受けた。
『OK それで行こう……』
ベンは、ホワイトボードに大きく「エクストラ330SC」と書いた。
『……そうと決まれば、さっそくトレーニングだ』
「おう」と声をあげ、全員が立ち上がった。
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『イロナ、エンジンを運んでくるのは、そのまま手続きを進めて』
バーを出るときに、サクラは隣を歩いているイロナに囁いた。
『なんで? 取り替えるのは、無しになったんでしょ』
そう……飛行機を借りるのであれば、態々エンジンを取り替える必要は無い。
『帰りがあるから。 今のままだと、法律違反になっちゃう……』
サクラは、首をすくめた。
『……知らなかったから、此処まで飛んできたけど、やっぱり知っちゃったらね』
『そうね……分かったわ。 それじゃ、このまま進めるわ』
イロナは、一度仕舞ったスマホを取り出した。
『室伏、ちょっといいか?』
『ああ、何だ? ベン』
『サクラだが……さっき「耐空証明を取るのは大変だった」って言ってたよな』
『そうか?』
『覚えてないか? 確かに、そう言った』
『悪い、覚えてない。 で、それが如何したんだ? 大変なのは、その通りだろ』
『いや、その事じゃない。 俺が気になったのは、サクラが耐空証明を「自分で」取った、って事だ』
『それで? サクラの事だ、それ位するだろ?』
『分からないか? あの「エクストラ300L」はヨシアキの物だっただろ。 サクラの兄、って事だよな』
『ああ、そうだったな。 しかし、彼女が吉秋を手伝った、って事かもしれないぜ』
『そうかもしれない。 しかし……サクラはマジャールだ、日本人じゃない。 つまり、サクラとヨシアキは、本当の兄妹じゃないわけだ』
『そうだな。 しかし、他人の家族の事を彼是詮索するのは、感心しないな』
『それは分かってる。 今だけ、俺の話を聞いてくれ』
『OK。 何を言いたい?』
『サクラは、何時ヨシアキの妹になったんだろう。 もしかして……ヨシアキが死んだ後だったのかもしれない。 そうしたら、耐空証明を自分で取った、って言うのは矛盾してる』
『そうなるな。 だったら、吉秋の死ぬ前……「エクストラ」を手に入れたときには、既に妹だったんだろう』
『それがおかしいんだ。 ヨシアキがあれを手に入れたときのことを。俺は知ってるんだ。 態々自慢してきたからな』
『そうか』
『ああ、嬉しそうだった。 そして、その時……ヨシアキには姉しか居なかった筈なんだ』
『何で知ってる?』
『妹が居たら紹介してくれ、って言った事がある』
『ベン……おまえは……』
『若気の至りだ。 んで、妹は居なかった。 それで……俺は、思うんだ。 オカルトかも知れないが……サクラはヨシアキの生まれ変わりなんじゃないか、って』
『確かにオカルトだな。 しかも、それだとサクラは生まれて2年しか経ってない』
『そうだ、そうなんだ。 そこが、どうしても理解できない。 だが……時々出てくる……サクラにヨシアキの記憶がある様子を見ると……二人には、何か繋がりがあるんじゃないだろうか』
『考えすぎだろう。 ベンは、ヨシアキが死んだことが、まだ腹に入ってないだけだ。 心のどこかで吉秋が生きている事を願ってるだけだろう。 やがて時が癒してくれるさ』
『そうだろうか……』