表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い桜  作者: 道豚
9/145

恐妻家

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 ドアを開けたニコレットが一歩下がり、うやうやしくお辞儀をするのを吉秋サクラはソファに座ったまま見ていた。

『フランツィシュカ様、お久しぶりでございます』

『久しぶりねニコレット。 元気そうで良かったわ』

 部屋に入ってきたのは、ニコレットより少し年上に見える、真っ赤な髪の毛をアップに纏めたスーツ姿の女性だった。

『……サクラ……起き上がれるようになったのね……』

 その女性、フランツィシュカは、吉秋サクラを認めると駆け寄ってきた。

『……こんなに短く切っちゃって……』

 そして吉秋サクラの横に座り、手術のために剃った後、やっと伸び始めた髪の毛を触った。

『……あ、あの すみませんが 何方どなたでしょうか?』

 突然の事で固まった吉秋が、慣れないハンガリー語で聞いた。

『……え!……』

 それを聞いたフランツィシュカが、ニコレットに振り返った。

『ニコレット どういうこと? サクラは私を覚えてないの?』

『はい。 サクラ様は 低酸素脳症により記憶障害になっておられます。 おそらく殆どの記憶を失っていらっしゃるかと……』

 ソファーの横に立ったニコレットが、目を伏せながら小さな声で答えた。

『……言葉も忘れて見えて……ハンガリー語は覚えている途中です。 不思議な事に第1外国語の英語と第2外国語の日本語は忘れてないようで、日本語などは流暢です』

『……そ、そんな……可哀想なサクラ……』

 フランツィシュカは、撫でていた手を頭から離すと吉秋サクラの手を握った。

『……私は フランツィシュカ 貴女あなたの姉よ』

『……お姉さん?』

 英語で言われたお陰で、吉秋は理解が出来た。

『……ん~~ 相変わらず可愛いわ~ ……』

 首を傾げる吉秋サクラの頭を、またまたフランツィシュカが撫でる。

『……ねえサクラ お姉ちゃんのこと、本当に忘れちゃったの? 私がオムツを替えてあげたこともあったのよ。 お母さんが死んでからは、私がお母さん代わりだったのよ……』

「(……し、知らねえよ。 オムツを替えただって?……)」

 昔話をされたところで、吉秋は反応に困ってしまう。

『……もしかして……あなた、お母さんの事も忘れてる?』

困ったような顔をして話を聞く様子に、フランツィシュカは戸惑いを見せる。

『……はい……』

『……ああ! 何て事なの……』

 頭を撫でるのをやめ、フランツィシュカは吉秋サクラの肩を抱いた。

『……あなたのお母さんは ツェツィーリア。 15年前にガンで死んだわ……』

「(……ん さっきニコレットから聞いた。 そうか、ガンだったんだ……)」

 衝撃的な話だが、所詮は吉秋にとっては他人事。

 なんと答えるべきか……なんと答えても、この場にそぐわない様で、吉秋は黙り込んだ。

『(……ひょっとして 思い出すかしら……)』

 そんな吉秋サクラの様子に、フランツィシュカは話を続けた。




『……あなたが3歳のときよ。 お母さんはもうガンが進行していて、長くは持たないって言われてたの。 それでも、最後にどうしても日本を見たいって……サクラと一緒に日本を見たいって、日本に3週間の旅行に行ったのよ……』

 フランツィシュカの話は、サクラが生まれたときからの思い出だった。

『……ちょうど桜の咲く季節だったわ。 これがあなたの名前の花よ、って言ったら……あなたは桜吹雪って言うのかしら、ピンクの花びらの中でくるくる回ってたのよ。 可愛かったわ……』

 肩を抱いたまま、フランツィシュカが吉秋サクラの頬に自分の頬を当てた。

『……お母さんが入院したのは、日本から戻ってすぐだったわ。 だからあなたは、私が学校から帰るまで、ニコレットやイロナと遊んでもらってたのよ。 それでも寂しかったのでしょうね、私を見たら飛び込んできてくれたの……』

 「(……ニコレットやイロナ? そんなに前から居たのか? って言うか、二人は看護師じゃないのか?……)」

『……何か思い出さない?』

 少し体を離すと、フランツィシュカは吉秋サクラの顔を見つめた。

『……ごめんなさい……』

 吉秋さくらが目を伏せる。

『……そう……残念だわ……』

 フランツィシュカは、吉秋サクラの肩から手を離し立ち上がった。

『……今日はもう時間がないの。 また来るわね。 その時にもお話をしましょう』

『……はい、お姉さん。 待ってます……』

『……ん! いい返事ね。 それじゃね……』

 フランツィシュカは手を振ると、秘書と思われる若者の待つドアに向かった。




『……ねえニコレット……』

 フランツィシュカが出て行き、ホッとしたところで吉秋が尋ねた。

『……なあに?』

 さっき慌てて片付けた資料を、テーブルに出していたニコレットが、顔を上げた。

『……ニコレットってさ、何者? 看護師じゃなかったの?』

 両手を膝に乗せて吉秋サクラが、真っ直ぐにニコレットを見た。

『……そうよ、私は看護師。 でも、ヴェレシュ家の使用人でもあるの……』

 吉秋サクラの向かい側に、ニコレットは座った。

『……この病院はヴェレシュ家の物なの。 だから働いているのは、全てヴェレシュ家の者なのよ』

『……そうなんだ……』

『そういうこと。 そして、私とイロナはサクラ様、つまりあなたの専属なのよ』

『……それは看護師として?』

『それもあるけど……どちらかというと、身の回りのお世話ね』

『……えっとー メイド、みたいなもの?』

『そうね、そういうのが最も近いかしら……』

 ニコレットが、にっこりする。

『……さあ、これからは英語は禁止。 ハンガリー語で話しましょ』

『……はぁ……う、うん 分かった……』

「(……ハンガリー語って難しいんだよなぁ……)」

 溜息を付いて、吉秋は嫌々頷いた。




 ホットサンドとスープという、すごく簡単な昼食を食べて……流石に流動食からは開放された……吉秋がのんびりしていたとき、ノックの音が聞こえてきた。

『やあ、調子はどうだい?』

 ニコレットが開いたドアから入ってきたのは、白衣を着込んだツェツィルだった。

『……ん? 問題ないよ。 今日は何?』

『……何?って……これでも僕は きみの 主治医だよ。 患者のことは いつも 気にしてるよ……』

『ツェツィルが気にしてるのは、サクラのバストサイズでしょ』

 ニコレットは、相変わらず「にこにこ」と吉秋サクラに近寄るツェツィルを、ブロックするように立った。

『……まさかー……ちょっと、通してよ。 ニコレット……』

 ツェツィルはニコレットの肩を押して吉秋サクラの前に立った。

『……さあ、胸とお腹を出して……』

「(……ほ、本当に診察するんか?……)」

 ソファに座りながら、聴診器を耳に刺すツェツィルを見て、吉秋は何となく胸を隠す。

『……ニコレット 大丈夫かな?』

『……ま、ね。 これでも 医者だから 信用できるかな?』

 ニコレットは見上げてくる吉秋サクラに、戸惑いながらも頷いて見せた。

「(……ま、ニコレットも居るし……変なこともしないよな……)」

 しぶしぶと、吉秋はワンピースとキャミソールのボタンを外し、ツェツィルに向けて前を開いた。

 綺麗なカーブを描く、真っ白なウエストと薄い水色のブラが表れる。

『……あ、ブラをしたんだね。 んじゃ、サイズは分かったよね? 何カップだった?』

『……やっぱり バストサイズが知りたかったんじゃないの!』

 ニコレットの怒鳴り声と共に、ツェツィルはドアに向かって飛んでいった。




『……ちょっとした 冗談だったのに……』

 頬に大きな湿布を張ったツェツィルが、吉秋サクラのお腹に聴診器を当てている。

『……笑えない冗談だわ……』

 横に立ったニコレットは、ツェツィルの手元を見張っていた。

『……そうそう 午前にフランツィシュカ様が来てたわよ。 ドイツでの仕事は終わったのかしら』

『……え!……フランツィシュカが?』

 ツェツィルの手が、止まった。

『……ん? どうしたの ツェツィル……』

『……い、いや 用事を思い出した……』

 訝しげに首を傾げる吉秋サクラをそのままに、ツェツィルは診察道具をカバンに詰め……

『……異常は無いよ。 何か有ったら連絡して』

 部屋を飛び出して行った。

『……どうしたんだろう あんなに 慌てて……』

『……ふぅ……』

 吉秋の呟きを聞きながら、ニコレットは溜息を吐いた。

『……ツェツィルと フランツィシュカ様は 夫婦なのよ』

「……ええ! ツェツィルって結婚してたんだ……」

 驚きのあまり、吉秋は日本語になった。

『サクラ、日本語よ……それで ツェツィルは フランツィシュカ様に 頭が 上がらないの……』

 やれやれ、といった風にニコレットがソファーに座る。

『……恐妻家? って言うのかしら』

『……恐妻家? それ何?』

 ハンガリー語では、吉秋には難しすぎる表現だった。

『……ん~ 奥さんが 怖い 男?』

「……ああ、恐妻家か……」

『……サクラ、また日本語よ。 気をつけなさい……』

 ニコレットの人差し指が、吉秋サクラの唇に当てられた。

『……あ、ごめん……』

 吉秋サクラはニコレットの手首を押して、人差し指から唇を解放した。

『……でもさ そんなに 奥さんが 怖いのに……よく 私の胸に 触ってたよね。 奥さんに バレたら 大変だ……』

 何となく、吉秋サクラは胸に手を当てた。

「(……ブラのお陰かな……しっかり形を保ってるよなー……触った手にも柔らかさが伝わらないぜ……)」

『……そうね もしフランツィシュカ様に 知れたら どうなる事かしら……』

 ニコレットが、妖しく微笑む。

『……これは 良い 手札を 手に入れたわね……』

「(……ヤバい ニコレット、ヤバい……)」

 吉秋は、心の中で「なむ……」とツェツィルに手を合わせた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ