少しだけ助けられる
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落ち着いた平屋の住宅……床面積は相当……が、ゆったりとした間隔で並ぶ住宅地。
『イロナを呼んで』
機体が壊れた事で練習が出来なくなり、自宅で過ごしていたサクラは、待機しているアンナに声を掛けた。
『はい。 直ちに』
アンナは、弾かれたようにドアを開けて出て行った。
『なぁに? サクラ……』
のんびりとした口調のイロナが、ドアを開けた。
『……昼食には、まだ早いけど』
『はぁ……お腹が空いた訳じゃないよ……』
流石に、まだ午前10時だから。
『……まあ、座って』
『冗談よ。 っで? 何かしら』
イロナは、ソファに座った。
『質問だけど……日本から此処まで、物を運ぶのにどれ位掛かる? 最速で』
サクラもソファに座った。
『そうねー 物によるけど……ポケットに入るものなら、明日には。 輸送を頼むようなものだと……』
イロナは、スマホを出した。
『……チョッと待ってね。 ……ええと……三日から四日かしら? ほら、以前アメリカから日本に急ぎで物を運んだわよね。 それが四日掛かったと思ったわ』
『ああ、高圧コードだったね……』
そう……去年の夏、不調の「エクストラ300LX」の為に、ハーネスをアメリカのエンジンメーカーから笠岡まで運んだのだった。
『……分かった。 それじゃ……今から言う事の計画を立てて』
『何か思いついたのね。 良いわ』
イロナは、手帳を取り出した。
午後になり、サクラはイロナの運転する「アウトバック」で飛行場に来た。
『ハイ……タッカー社長……』
サクラは、気楽な様子でドアを開けた。
『……調子はどう?』
『やあ、サクラ……』
タッカーは、デスクの椅子を回した。
『……あまり良くないな。 「エクストラ300L」が無いのは……正直、キツイ』
『やはり「ピッツ」だけでは、生徒が集らない?』
サクラは、その辺りから椅子を引っ張ってきた。
『そうだなぁ……「ピッツ」はいい機体だし、曲技初心者から中級者……上級者でも満足できると思うんだが……今では選手権大会などは、単葉機が上位に居るから……複葉機は旧式だと思われやすいんだよ』
そう……「ピッツ」……ここにあるのは「ピッツSー2B」「ピッツSー2C」という複座型……は1944年に原型機が初飛行した複葉機で、ロシアの単葉機が現れるまで曲技飛行では絶対王者だった。
そして今は、単葉機……特に「エクストラ」シリーズ……が選手権の上位を占めていて、残念ながら「ピッツ」は下に見られているのだ。
『そうね……そういう風に思われてるかも……』
サクラは、持ってきたファイルをデスクに載せた。
『……そこで、私から提案があるわ。 このスクールを、少しだけ助けられるかも』
『ほぉ……それはどんな事かな? ソファに行こうか。 ジェニー、コーヒーを入れてくれ』
タッカーは立ち上がり、サクラをソファに誘った。
『はい。 コーヒーをどうぞ、サクラ』
『ありがと。 ジェニー……』
サクラは、ニッコリとジェニーに微笑みかけ……タッカーに向き直った。
『……分かります?』
『ああ……分かるよ。 つまり簡単に言えば……』
タッカーは、サクラの出した資料から顔を上げた。
『……ウチの「エクストラ300L」のエンジンを貸してくれ、って事だよな』
『はい。 それを私の「エクストラ300LX」に使います……』
サクラは、頷いた。
『……今は日本に置いてありますが、こっちに持ってきます』
『何故? その機体にはエンジンが付いてないのか?』
タッカーは、首を傾げた。
『使用期限切れです。 そして日本では手に入らなかったんです……』
サクラは、大きく息を吐いた。
『……特に「LX」用のチューンされたエンジンは』
『しかし……あのエンジンは「L」用だよ。 「LX」用じゃない』
『分かってます。 だから……』
サクラは、ウインクをした。
『……チューンさせてください』
『それは……まあ……返してくれるときに戻してくれるなら、良いけど……出来るのか?』
『出来ます。 優秀なメカニックを連れてきますから』
サクラは、微笑をタッカーに向けた。
『それと……格納庫をお借りして……メカニックも借りて……』
サクラの隣に座ったイロナは、話しながら資料にチェックを入れた。
『……こんなものかしら? タッカー社長……これで良い?』
『こんなに払ってくれるのか?……』
タッカーは、イロナとサクラの顔を交互に見た。
『……十分すぎる、と言うか……サクラ……貴方は、何処の令嬢なんだ? 普通、こんな大金は……簡単には出せない』
『うふふ……それは秘密……』
サクラは、唇の前に人差し指を立てた。
『……知らないほうが良いこともあるのよ』
『ああ……分かった。 これで構わない……すぐにサインをしよう』
タッカーは「こくこく」と頷き、ペンを持った。
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タッカーがサインをして数日後……
『サクラ様。 森山様がお見えです』
サクラの部屋をドーラがノックした。
『通して』
『分かりました』
ドアが開き……
「やあ、サクラちゃん。 すごく久しぶりだね」
エンジンメーカーに出向していた森山が入ってきた。
「ほんと、半年ぶり? 位ですね。 向こうでは如何でした? さあ、座って」
サクラは、ソファを指した。
「それじゃ、遠慮なく……」
森山は、サクラの前に座った。
「……割と居心地は、よかったな。 やっぱりヴェレシュから来た、って言うと……変なことをする奴は居ない」
「それは良かったです……」
サクラは「ホッ」と息を吐いて……
『ドーラ。 森山さんにコーヒーを淹れて。 私は紅茶』
ドアの横に立っているドーラに言った。
サクラと森山が玄関から出ると、そこには……
『サクラ様……』
男が一人頭を下げていた。
『…………』
『……イムレ……』
伏せているので顔はわからないが……声は、忘れもしない……あの辞めさせたクルーだった。
『……どうして貴方がここにいるの?』
『…………』
イムレは、顔を伏せたままで何も答えない。
『何か言いなさい』
『無理よ……』
後ろからイロナの声がした。
『……彼は、三等社員だから。 サクラに直答は出来ないわ』
『三等社員? ヴェレシュを辞めさせられたんじゃなくて……降格?』
そう……イムレは、二等社員だったはずだ。
クルーだった時は、サクラと話をしていたのだから。
『そうなるわね』
イロナは、サクラの横に来た。
『何故? 彼は、ヴェレシュを裏切ったのよ。 あのお父様が、許すなんて思えない』
サクラは、首を振った。
『それで……イムレは、どうして森山さんの下にいるの?』
飛行場に向かう「アウトバック」の助手席で、さくらは運転しているイロナに尋ねた。
そう……イムレは、後ろから付いてきている森山のパネルバン……エンジン整備の工具を満載している……の助手席に小さくなって乗っているのだ。
『アルトゥール様の判断だけど……』
イロナは、前を向いたまま答えた。
『……彼は、深く知りすぎてるの。 だから、目の届く範囲に置いていたほうが良いわけ。 下手に放逐して、そのままライバル家に行ったら……不味いでしょ』
『う~ん……それじゃ……何処かに閉じ込めておくとかは? お父様なら考えそうじゃない?』
怖い事をサクラは言う。
『はぁ……流石にそれは……今の世の中じゃ出来ないわよ。 完全に犯罪だわ……』
イロナは、息を吐いた。
『……それに彼は、二等社員だったでしょ。 あの歳で二等って事は、それなりの関係にある家の人間だってことよ』
『それなり、って?』
サクラは、首を傾げた。
『昔、分家した子孫とか……姻戚関係にあったとか……詳しくは、私には分からないけど……』
イロナは、ゆっくり首を振った。
『……そんなところね。 だから、取りあえず情状酌量して……三等社員に降格で許したのよ。 でもね……前科が付いたわけでしょ。 だから彼には監視が付いてるわ。 次、何かしでかしたら……』
『しでかしたら?』
サクラは、唾を飲んだ。
『……ヴェレシュは、犯罪も厭わないかも』
イロナは、小さく答えた。
『ところで森山さんは、何等社員なのかな?』
後ろを振り返ったサクラが尋ねた。
森山のパネルバンは、ちゃんと付いて来ている。
『ミスター森山は、特二等ね』
イロナもルームミラーを見た。
『特二等? それは二等の上かな?』
『うーん……上って訳じゃないわ。 特別な二等ね……』
イロナは、人差し指で「ぽりぽり」と頬を掻いた。
『……この場合は、サクラに対しては二等に準じて……だから彼は、サクラと直接話が出来るわけね……ヴェレシュの中では、三等扱いになるのよ。 と言っても……直ぐにでも二等になるでしょうね。 単純に、ヴェレシュに入って一年経ってないから、二等になれないだけだもの』
『へえ、そうなんだ。 早く上がれるといいね』
サクラは、頭の後ろで腕を組んでシートに凭れた。
『こんにちは、タッカー社長……』
サクラは、タッカーの執務室のドアを開けた。
『……メカニックを連れてきました』
『やあ、サクラ……』
タッカーは、立ち上がって来た。
『……早速始めるのかい? 機体は、まだ来てないんだろ』
『ええ、まだですけど……エンジンのチューンがありますから』
『ああ、なるほどね。 で……彼が、そのメカニックかな?』
タッカーは、サクラの後ろにいる森山を見た。
『はい、そうです。 エンジンメーカーで研修をしていた……』
サクラは、少し横にずれ……
『初めまして、タッカー社長。 森山と言います』
前に出た森山が、右手を出した。
サクラ達は、フライトスクールの格納庫に来た。
主翼が外された「エクストラ300L」が、ポツンと収まっている。
「これが、事故を起こした機体か……」
森山は、曲がったプロペラを触った。
「……メインシャフトにダメージが無いと良いんだが」
「どうかな? 森山さん……」
サクラは、森山の隣に立った。
「……使えそう?」
「いや……調べないと分からない……」
森山は「くるり」と体を回し……
『イムレ! エンジンを下ろすぞ』
手押し車で工具を運んできたイムレに言った。
とある町の、とあるビルの中……
『おい! ジャックの結婚の件、どうなっている? 件の女とは、接触できたのか?』
『は、はい、旦那様。 ……今のところ、接触できておりません』
『何だと! あれから何日たったと思っている。 さっさと行動しないか!』
『そ、それが……送り込むエージェントが、誰一人として帰ってきません。 行方不明になるのでございます』
『どういうことだ? 何人送った?』
『5人送りました。 全員、信頼の置ける者でございます』
『一人ずつか?』
『はい』
『それなら、一度に複数人を送れ。 互いに監視ができるだろうし……何かに遭っても一人は帰るだろう』
『は! そのように致します』
『よし。 下がってよい』