アメリカの洗礼
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
にこっ
サンフランシスコ空港の入国審査官に睨まれ、サクラは微笑を返した。
『……ん!……』
当の審査官は、何度もパスポートとサクラを見比べると、口を開いた。
『……一つ聞くがお嬢さん、貴女は本当に日本人か? どう見ても、日本人には見えない』
『間違いなく、国籍は日本です。 日本のパスポートでしょ』
サクラの顔から微笑みは消えた。
『確かにそうだが……ふむ……偽造には見えないな。 しかし俺には、ハンガリーのマジャル人に見えるんだが?』
審査官は、何度も首をかしげる。
『あ! 生まれたのは、ハンガリーです。 日本人の養子になったので……』
『ちょっと待ってくれ……』
サクラの言葉を遮って、審査官はインカムに集中した。
『……そうだ……それで良いのか?……ん? 上からの指示?……総領事館から?……分かった、通過させる』
『何でした?』
サクラは首を傾げた。
『貴女の入国は、問題ないそうだ……』
審査官は、ニッコリしてパスポートをサクラに返した。
『……ようこそ、アメリカへ。 良い旅行を』
『ありがと』
サクラは、バッグにパスポートをしまってゲートを潜った。
サクラが手荷物受け取り場所に来ると、イロナとその他の使用人……アンナ、ドーラ、そしてマールク……が、待っていた。
『時間が掛かったわね。 サクラの荷物もコンベアから下ろしてたわよ』
イロナは、トランクを二つ支えていた。
『ありがと。 お待たせ……』
サクラは、トランクを一つ受け取った。
『……審査官がさ、私は日本人に見えないって……それなのに日本のパスポートだから……随分疑ってきたんだ。 最終的には、何処かからの指示で入れてくれたんだ』
『それは、災難だったわね。 ま、取りあえず行きましょ』
イロナは、トランクを引いて歩き出した。
『まったくだよ。 で、何処から指示が来たんだろうね』
サクラは、イロナの横を歩き出した。
後ろからクルー達も付いてくる。
『恐らく……ヴェレシュの方からでしょうね。 監視カメラのハッキングなんかもしてる筈だから、サクラが困ってるのに気が付いたんでしょ……ちょっと動きが悪かったわね……』
イロナは、スマホを取り出した。
『……ここの責任者は……ん……これね。 ヴェレシュに報告しとくわ』
『ちょ、ちょっとイロナ。 お手柔らかにね』
慌ててサクラは、イロナの手を取った。
税関を無事に通過したサクラ達が到着ロビーに出ると、そこには室伏が待っていた。
「やあ、無事に着いたね。 ようこそサンフランシスコへ」
「ありがとうございます。 お久しぶりです。 室伏さん、焼けました?」
サクラは、差し出された手を握った。
「そうだね。 ここは日差しが強いし、晴れが多いから……気をつけないと直ぐに日焼けするんだ。 『イロナさん。 久しぶり』」
室伏は、イロナに右手を出した。
『久しぶりね。 Mr.室伏……』
イロナは、がっちりと握手をした。
『……元気そうで、なによりだわ。 直ぐにキングシティーに向かうのかしら?』
『ああ、そのつもりだけど……何か用事でもある? やあ、クルーの皆……』
室伏は、後ろに居るクルー達にも手を差し出した。
『……ドーラさんにアンナさん、マールクだったね』
『特に無いわ……』
イロナは、クルー達と握手する室伏を見た。
『……それじゃ、早速行きましょう』
『OK……こっちだ』
室伏は、先に立って歩き出した。
『もうすぐキングシティーに着くよ』
ルート101を走ること2時間半……枯れた川を渡る橋の上で、ダッジのミニバンを運転する室伏が、後ろに向かって声を上げた。
「……んぁ……」
寝ていたサクラが、変な声を出した。
「はは……よく寝てたね」
ミラーの中に室伏の笑顔が写っている。
『Mr.室伏……女性の寝顔を覗くもんじゃないわよ……』
イロナは、サクラの肩を揺すった。
『……サクラ、起きなさい。 Mr.室伏に寝顔を見られたわよ』
『ん? イロナ? 何? ……ふぁ……着いたの?』
サクラは、ゆっくりと目を開けた。
「この橋を渡り終えると、キングシティーだよ。 ほら」
室伏の指差す先に「King City」と書かれた出口案内が、掛かっていた。
『さて、そろそろお昼だが……』
室伏は、車を減速させた。
『……ここら辺で食べるかい?』
『んーー 分からないから、お任せしますけど……』
サクラは、きょろきょろと窓の外を見渡した。
『……何があるんです?』
『ファーストフード系だな。 丁度日本のサービスエリアを想像すれば良い……』
車は、大きなロータリーに入った。
『……此処には、KFC、スタバ、マクド、あとはタコベルがある』
『見事にファーストフードですね……んん……』
サクラは、シートの上で背伸びをした。
『……ちょっと車から降りたいですよね。 イートイン出来るのは?』
『んじゃ、タコベルだな。 後のは全てテイクアウトだ』
室伏は、車を左の道に向かわせた。
さっき渡った涸れ川を右に見て走る車の中で……
『……く、苦しい……』
サクラは、シートを倒してお腹を擦っていた。
『……もう嫌だ。 アメリカンサイズなんて、滅びてしまえ』
『おかしいわねー 大した大きさじゃなかったのに……』
イロナは、横目でサクラを見た。
『……私も手伝ったでしょ?』
そう……サクラは「食べきらないかもしれない」と、ブリトーをトルティーヤで巻いてない物を頼んだのだ。
これなら簡単にスプーンで分けあえる。
「ははは……サクラちゃんも、アメリカの洗礼を受けたね……」
運転席の室伏が、話に入って来た。
「……俺も最初の頃は、随分と困ったものさ」
「今は? 慣れるものですか?」
「ん~ 慣れたのもあるけど……上手く注文が出来るようになった、ってとこかな?……」
室伏は、首を傾げた。
「……あとは……食べられなかったら、残すこと」
「えー 勿体無いですよ」
「へぇ……サクラちゃん、随分と日本人的な考えなんだね。 ハンガリー生まれだよな?」
「え、ええ。 そう、そうですけど……」
そうなのだ……ハンガリーには、いやヨーロッパには「もったいない」などと言う文化はない。
「……日本に来て、お義母さんに習いました」
「なるほど。 でも、郷に入れば郷に従え、って言ってね……つまり、その土地に合わせる方が居心地が良いんだ」
「はい、分かりました」
『なに? 室伏と何を話してたの?』
イロナが、割り込んできた。
『んっとね……食べきれないなら、残すのが良い、って』
『残すなんて「もったいない」わよ……』
イロナは、ウインクをした。
『……私が、食べてあげる』
『はぁ……そうだね。 それじゃ、お願いね』
サクラは、お腹をさするのを止めて、シートを起こした。
川沿いの通りを離れ、左折した車はルート101の下を潜った。
『ディビジョンストリート、で良いんだな?』
室伏は、カーナビを確かめた。
『ええ、そこで良いわ』
スマホの画面を見ながら、イロナが答えた。
『んじゃ、ここを右だ……』
割と大きな交差点……信号機は無い……で、室伏は車を右に向けた。
『……この左側が、この街のスーパーマーケットだ。 大型ショッピングモールと思えば良い』
『何があるんですか?』
サクラは、今は後ろになった「スーパーマーケット」とやらを、振り向いて見た。
『ドラッグストア、携帯ショップ、100均、食料品それにファーストフード、レンタルビデオなんかだな』
『色々入ってるんですね……』
サクラは、前を向きなおした。
『……室伏さんも、あそこで買い物を?』
『そうだな。 あそこで買うこともあるし、もっと小さな近くのスーパーで買うこともある。 っと、イロナさん。 何処まで行けばいいんだ』
車は、既にディビジョンストリートに入っていた。
左側には住宅が並んでいて、右側は公園になっているようだ。
『公園が切れた辺りに市役所が在るわよね。 その少し先よ……』
イロナは、スマホから顔を上げた。
『……右側の2軒目ね』
『マジかよ……その辺り、と言えば……キングシティーで、一番裕福な所だ』
流石はヴェレシュだよな、と室伏は息を吐いた。
車は、白い壁にオレンジの屋根の平屋の家の前に止まった。
可愛い門柱が立っていて、そこに一人立っている。
その男は、車に近寄りドアを開けた。
『サクラ様、ようこそいらっしゃいました。 不動産業をおこなっております、ベイカーでございます』
『ありがと……』
サクラは、差し出された手を取って車から降りた。
『……この家でいいのね? ベイカー』
『はい。 これが、サクラ様のお宅で御座います』
『ベイカー!……』
イロナが、反対側から降りて、車を回り込んで来た。
『……何、サクラに直答してるの? 身分を弁えなさい』
『これはイロナ様。 この私、先月から二等社員になりまして……』
ベイカーは、イロナを見た。
『……こうしてサクラ様と、直接お話できるようになったので御座います』
『あら……そうだった?』
イロナは「ぽかん」とベイカーを眺めた。
『はい。 ここに徽章が』
ベイカーは、スーツの襟を見せた。
『知らなくて、ごめんね……』
イロナは、目を細めた。
『……そうかー ベイカーも出世したわね。 死にそうになってヴェレシュに拾われたのにね』
『死にそう?』
サクラは、首を傾げた。
『いや……昔の事で御座います』
『ベイカーはね、不動産取引の失敗で、大きな借金を背負って……家族には逃げられ……殆ど何も食べずに、橋の下で倒れてたのよ』
『いや……お恥ずかしい。 イロナ様、そろそろ……』
『そうね……昔の事ね。 んじゃ、これからのことをするわよ……』
イロナは、頷いた。
『……皆! 中の確認、掃除。 直ぐに始めて』
『はい! 直ちに』
車から降りて、サクラ達の後ろに並んでいたクルーが、家に向かって走って行った。
「それじゃ、俺は車を返して……家に帰るから」
様子を窺っていた室伏が、サクラの所に歩いてきた。
「あ、はい。 今日は、ありがとうございました」
サクラは「ぴょこっ」と頭を下げた。
「ああ、良いよ。 えーっと、飛行場には、いつ行ける?」
「ん~ どれ位で生活が落ち着くかなー……」
サクラは、首を傾げた。
『……ねえイロナ。 何日で家が片付くかなぁ?』
『そうねー やっぱり数日は掛かると思うわ』
『んじゃ……室伏さんには、落ち着いたら此方から連絡するのが良いね』
『そうね。 それがいいと思うわ』
『そう言っとくね……』
サクラは、室伏に向き直った。
「……んっとですね……数日掛かると思うので、此方から連絡することにしていいですか?」
「ん、OK。 それでいいよ。 それと……出来れば俺が居るときには、英語で話してくれないか? そうすれば、一々サクラちゃんが日本語に通訳しなくてもいから。 勿論、秘密の話ならかまわないが」
そう……サクラは、イロナと話すときはハンガリー語を使う事が多いのだ。
『あー そうですね。 分かりました』
早速サクラは、英語で答えた。
「いや……俺と話すときは、日本語でいいよ。 偶には日本語を使いたいから」
「室伏さん……意外とメンドクサイ人ですね」
サクラは、顔を顰めた。
「い、いや……ま、そういう事で」
室伏は、慌てて車に乗り込んだ。