送別会
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少しずつ暖かくなってきた3月の半ば、サクラは体育館に並べられたパイプ椅子の一つに座っていた。
「(……そう言えば……ホワイトデーなんだな~~……)」
なんてのん気なことを考えているが……実は、体育館には厳粛な空気が流れていた。
サクラの目の前には、百五十人を超える学生が緊張した様子で座っていて、その向こう……体育館の反対側には、スーツ姿の……それなりに立派そうな……中年から初老の紳士が座っている。
「(……流石は国立だけのことはあるよなー 大臣の代理まで来てるんだから……)」
そう……向こうに並んでいる紳士達の中に、文部科学大臣という札を前に置いている者が居るのだ。
「機械工学科。 荒木浩太」
「はい!」
名前を呼ばれた一人が、大きな声で返事をして立ち上がる。
そして彼は、列の間を歩き出した。
「上田祐二」
「はい!」
再び名前が読み上げられ、返事が体育館に響いた。
・
・
・
次々に名前が呼ばれ、学生が返事をしてステージに向かう。
そう……今日は高専の卒業式だった。
式が終わり、サクラは教員室に戻ってきた。
「サクラさん、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
隣の英語教師は、今日は日本語だった。
「日本の卒業式、って如何? 初めてでしょ」
「……ん~~……」
サクラは、返事に困った。
確かにサクラは、日本の卒業式に出席するのは初めてなのだが……吉秋としては、小中高校と卒業式に参加している。
そしてサクラとしては、一度も卒業式を経験してないのだ。
「……そうですねー 基本的には、変わらないと思いますけど……日本の卒業式は厳格な式、だと思います。 それに比べると私が経験したのは、もう少し砕けた物でした」
結局サクラは具体的なことは言わず、一般的に言われている事でお茶を濁すことにした。
「そうみたいね。 動画サイトなんかを見ると、ダンスが始まったり……お祭りかな? なんてのも有るわね」
「あはは……そんなのも有るみたいですね。 私の場合は、もう少しまともだったと思いますけど」
愛想笑いをするだけのサクラである。
「そう言えば……サクラさんも卒業ですね。 確か1年契約でしたでしょう?」
「えーっと……そうなりますね。 卒業って言うのは変かもしれませんが……あ、っと、御免なさい……」
サクラは、壁に掛かっている時計を見た。
「……校長先生との話がありますので、失礼します」
「あら? そうなの」
「はい。 態々時間を頂いたんです」
いそいそと、サクラは教員室を抜け出した。
「それでは、戸谷サクラ先生の門出を祝して……カンパーイ!」
田舎の小さな料亭で、サクラは普通科の教職員たちに囲まれていた。
サクラの契約が終わることを知り、送別会を開いてくれたのだ。
「……カンパーイ!……」
其処此処でビールの入ったコップが、打ち合わせられる。
「……はい……はい……カンパイ……」
サクラの握ったコップにも、四方八方からコップが打ちつけられた。
『……あははは……先生、それって……』
「……戸谷さん、それって日本語じゃないですよー……」
「……あはははー ごめんなさい……つい……」
「……何語です? 英語とは響きが違ってますが……」
「……えーっと? 私って、何語で喋ってました?……あははは……わかんなくなっちゃった……」
「……ちょっと、サクラさん……顔が真っ赤よ。 飲みすぎじゃない? って言うか、あなた達! サクラさんに勧めすぎよ」
宴会が始まって1時間……勧められるままにビールを飲んだサクラは、見事に酔っ払っていた。
『……あはははー 大丈夫ですよー 私に掛かればビールの5杯や10杯位……』
話しかけてきたのが英語の教師だったので、サクラは自然に英語で話し始めた。
『ダメよ、サクラさん。 貴女……見たところ、あまり飲んだ経験が無いわね。 どれだけ飲めるか分からないうちは、少しずつ飲むべきだわ』
『……経験?……』
サクラは首を傾げて考えた。
『……ありますよー 10年以上は飲んでるかなー』
そう……吉秋はアラサーだったのだから、10年以上酒を飲んでいたとしてもおかしくない。
しかし……
『貴女……やっぱり酔ってるわね。 10年以上前って……10歳じゃない。 いくらヨーロッパだと言っても、そんなはずないわ』
サクラは20歳なのだから……お酒は初心者の筈だった。
『ま、まあまあ……難しいことは考えず……先生、どうぞ』
サクラは、テーブルの上からビールの瓶を取り上げて差し出した。
『え、ええ……いただくわ』
高知の慣例として、差し出されれば受けるのが当然である。
そして……
『さあ、サクラさん……返杯よ』
必ず注ぎ返される。
『ありがとうございます』
こうしていつまでも飲み続ける事になるのだ。
サクラは、席を移動して教務主任の前に来ていた。
「主任先生ー……お世話になりましたー」
ここでもサクラは、ビールの瓶を差し出す。
「おお……これは、ありがとう……」
主任は、急いでコップの中身を飲み干した。
「……戸谷さんは、これからどうするのかな?」
「んー 一応、会社経営をすることになってます……」
サクラは、差し出されたコップに向けてビール瓶を傾けた。
「……勉強しながらですけど」
「それは凄いね。 因みに、どんな会社かな?」
主任は、コップに口を付けた。
「今は広告代理ですけど……これからは、ネットを利用した動画配信をしようと思ってます」
「ひょっとして、ヴェレシュ関係なのかな」
主任は、さくらの面接をした関係で、その辺りの事を知っていた。
「いえ……資本は入ってますけど……私の思うように経営することになってます」
「そうか……さ、どうぞ」
サクラの言葉に頷くと、主任はテーブルからビール瓶を取った。
「はい。 いただきます」
「戸谷さんは、まだ若い。 色々ことをしてみるのは、いい事だね……」
主任は、サクラがコップを口に持っていくのを優しく見た。
「……頑張りなさい。 きっと素晴らしい経験が出来るよ」
「ありがとう御座います。 頑張ります」
サクラは、一息でビールを飲み干した。
宴会場の襖が、薄く引き開けられた。
「お じゃま し ます」
そこから顔を出したのは……
「おお、イロナさん。 よく来たねー どうだい、一杯やっていくか?」
何故か「のん兵衛」なのを知られているイロナだった。
「いえ くるま なので……」
イロナは、きょろきょろと部屋を見渡した。
「……サクラは どこ?」
『お迎えにきたの? サクラさんなら、あそこよ』
イロナに気が付いた、英語の教師が奥を示した。
『おう! あんなところで寝ちゃってる』
部屋の奥、座布団を枕にしてサクラは寝てしまっていた。
上着を布団代わりに掛けてはいるが、なかなかに無防備な状態である。
『大丈夫よ。 私が見張ってたから』
『お手数かけちゃったわね……』
イロナは、英語教師と共にサクラの元に来た。
『……これも久しぶりね』
『イロナさん……力が強いのね』
簡単にサクラを横抱きにした……リハビリ中で歩けなかった頃は、よく抱き上げていた……イロナを見て、英語教師は目を丸くした。
「あれ? 此処は何処?」
リクライニングされたフォレスターの助手席で、サクラは目を覚ました。
『起きた? サクラ』
運転席のイロナは、直ぐに気が付いた。
『うん……寝ちゃってたんだね。 んで、此処は何処?』
『浜改田の辺りよ』
『そう……十市を通って帰るんだね』
『そうよ。 その方が国道を通るより早いわ』
国道で帰ると高知市を通ることになり、少し遠回りになる。
その点、今走っている道は、家に向かって直線的に繋がっているのだ。
『そうだねー ……っで、私オシッコしたいんだけど』
『少し我慢できない? この辺りにトイレは無いわ』
『無理!』
『そう……この辺りなら暗いから……見られることは無いかしら』
人家がほとんど無いので、さっきから辺りは真っ暗だった。
イロナは、車を歩道に寄せて止めた。
『大丈夫だよ』
一人で大丈夫かと聞くイロナに答えながら、サクラは歩道に降りた。
「(……はぁ……心配性だなー……)」
サクラは、歩道の外に向かって立ち、パンツ……パンツスーツを着ている……のジッパーを下ろした。
そして、そこから手を突っ込む……
「(……あれ? な、無い……出すところが付いてないよ、このパンツ……)」
当然である。
女性用のショーツを履いているのだから……
「(……えーっい……脱いじゃえ……)」
サクラは、パンツのベルトを外した。
「(……やっぱり出すところが無い……これも脱いじゃえ……)」
サクラは、ショーツも下げた。
「(……あれ! あれ? 無い……)」
サクラの右手は、何も無い股間を彷徨った。
「(……ど、どうしよう……オシッコが出るところがないよぅ……)」
『イ・イロナ!ー オシッコが出来ないよ!ーー』
泣きそうな声が、暗闇の中に響いた。
『ビ、ビックリしたよぉ……』
サクラは、しゃがんだままイロナにしがみ付いていていた。
『……オシッコするところが無いんだもの』
『大丈夫よ。 サクラは女の子だから……座ればオシッコが出来るのよ』
そう……車から飛び出してきたイロナに言われてしゃがんだら……しっかりオシッコが出たのだった。
『あれー 私って……いつから女の子だったっけ?』
『貴女は、生まれた時から女の子よ』
『そう? 男の子だったって思ってるところがあるよ?』
『そんな筈はないわ。 私は、サクラが生まれた時から知ってるもの』
『そうなの? んじゃ良いや……』
サクラは立ち上がり、ショーツとパンツを引き上げた。
『……あれ! 何だか揺れてるよ。 地震かな?』
『違うわ……』
イロナは、慌ててサクラを抱き上げた。
『……貴女、貧血を起こしてるわよ』
『そうなの?』
『そうよ。 ちょっと飲みすぎたみたいね……』
イロナは、サクラを助手席に乗せた。
『……少し眠ると良いわ』
『うん。 そうする』
サクラは、大人しく目を閉じた。
サクラの乗ったフォレスターが、走り去って直ぐ……
「此処だわ。 停めて」
何処にでもあるような、白いフィールダーが止まった。
中から数人の女性が降りてくる。
「さあ、直ぐに始めるわよ」
彼女達は、リヤゲートを空けてバケツやデッキブラシを下ろした。
「チーフ。 水は?」
「今繋ぐわ」
チーフと呼ばれた一人が、屋根に積んだ大きなタンクにホースを繋いだ。
コックを開くと、ホースから勢いよく水が流れ出す。
「始めるわよ」
彼女達は、さっきサクラがしゃがんでいた辺りを洗い始めた。
数分後……
「OKね。 引き上げるわよ」
彼女達は、素早く片付けるとフィールダーに乗り込んだ。
直ぐに車は走り去る……
後には、水で少し濡れた歩道が残された。
ブルーツースで繋がった、イロナのスマホに着信があった。
『イロナ様、案件終了です』
『分かりました。 目撃者は居ないわね?』
『はい。 周囲のクルーから「誰も居なかった」と報告を受けています』
『よろしい。 では、通常業務に移行しなさい』
『分かりました』
電話は切れた。
『(……ふぅ……サクラが酔うと、幼児退行するみたいね……)』
助手席では、サクラが小さな寝息を立てている。
『(……普段押さえてる「男」の行動も表に出るみたいだし……)』
イロナは、人差し指で鼻の横を「ぽりぽり」と引っかいた。
『(……ガードの人数は、減らせないわね……)』
やれやれ、とイロナは肩を竦めた。