表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い桜  作者: 道豚
7/145

すけべおやじ

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 病室へと続く渡り廊下を、車椅子に乗って吉秋は、進んでいた。

『……どうだった? 今日のリハビリは……』

 リハビリ病棟を出たところで、車椅子を受け取ったニコレットが、後ろから押している。

『……ああ……疲れた。 なんか、凄いスパルタなんだけど……』

 ツェツィルがセクハラをしてから2週間が経ち、吉秋の麻痺は足の先まで完全に無くなっていた。

 しかし落ちてしまった筋肉を取り戻さないと歩けない。

 今日からリハビリを始めたのだ。

『……仕方がないわ。 筋肉がほとんど無くなったんだもの……』

 渡り廊下が終わり、ニコレットは「裏」の病棟に入るドアにカードキーを差し込んだ。

『……そういえば……ヨシアキ、あなたハンガリー語の練習はどこまで行ってる?』

『……ん~ 普段の会話ぐらいかなぁ? ……それが何?』

 吉秋は、最後のフレーズをハンガリー語で言ってみせた。

『……詳しいことは、ツェツィル先生から話があると思うけど、そろそろ「表」の病棟に移るから……』

『……えっとー 聞き取れなかった……もう一度言って……』

 ハンガリー語の少し長いフレーズは、まだ吉秋は理解できない。

『……「表」の 病棟に 移るから ……そこではハンガリー語が 必要よ……』

『……ええ! マジ?』

『……マジよ……』

『……はぁ~~……』

 吉秋が車椅子の上で脱力した。




『……やあ、お帰り……』

 部屋に帰ると、ツェツィルが待っていた。

『……うん……黙っているとお嬢さんに見えるね……』

『……ツェツィル、それってどういう事だ? 俺にお嬢さんをしろって?』

 なんとなくツェツィルの視線が胸にきているようで、吉秋は胸の前で手を組んだ。

『……なかなか女性的な反応をするじゃないか……』

 にまにま、とツェツィルは嫌らしい顔をする。

『……っま、少し話す事があるから、ベッドに上がってくれるか?』

『……っとに……ツェツィルは「すけべおやじ」か?』

 ニコレットがベッドに車椅子を近づけると、吉秋は腕を使ってベッドによじ登った。

『……「すけべおやじ」ってなんだ?』

 日本語で言ったせいで、ツェツィルには通じなかったようだ。

『……えっと……セクハラをする中年男って感じかな?』

『……はぁ……ツェツィルにはぴったりね……』

 ため息を吐きながら、ニコレットがベッドに横になった吉秋の腕に、血圧計のカフを巻いた。

『……ぅはっ!……』

 ショックを受け胸を押さえるツェツィルを放って、ニコレットがゴム球で空気を送る。

『……110の74ね……』

 聴音器を外すとニコレットはファイルを開いた。

『……いつも通りだけど……ちょっと低いわね。 頑張ってもう少し食べたほうがいいわ……』

『……う~~ん ちゃんと食べてるつもりだけど……すぐにお腹がいっぱいになるんだよなぁ……』

『……なあ そろそろ俺の話を聞いてくれよ……』

 ショックから立ち直ったのだろう、ツェツィルが口を挟んできた。

『……なあに? 「すけべおやじ」さん』

 ニコレットが何気に冷たい。

『……おっ! なんだ、ニコレット。 妬いてるんか?』

『……なんでそう思えるのかしら?』

『……まあ、まあ。 んで、ニコレットは何カップ? Cかな?』

『こ、このセクハラ男ーーー!』

 パーーーーン

 ツェツィルはドアまで飛んで行った。




 『……問題が無ければ、2週間後に「表」の病室に移ってもらう……』

ベッドの上で「とんび座り」した吉秋の前に、ツェツィルがファイルを持って椅子に腰掛けている。

 彼の右頬には大きなガーゼが貼り付けられていた。

『……「表」「裏」って聞くけど、それって……なんとなく想像はつくけど、何だ?』

 吉秋は眉を下げた。

『……ん~ 簡単に言うと……「表」って言うのは……まあ、普通の病院だな。 ここは総合病院だ……そして「裏」ってのは……』

 ドアが開く音がして、ツェツィルが言葉を切って振り返った。

『……ニコレット、異常は?』

 入ってきたニコレットに、ツェツィルが短く聞いた。

『……問題ないわ……』

 何時に無く真面目な声で、ニコレットが答えた。

『……ん……っとそれでだ……』

 ツェツィルが吉秋に向き直った。

『……「裏」だが、これも簡単に言えば……医療研究をする場所だ。 君も当事者だから話すが……これから聞くことは、口外するな。 もし漏らす事があれば……君の脳は君の体を追うことになる……』

「(……おいおい……そんなにヤバイ事なんか?……)」

 普段のツェツィルとはあまりに違う雰囲気に、吉秋は「こくこく」頷くだけだった。




『……事の始まりは、第二次世界大戦の頃まで遡る……分かるか?』

『……知ってる 学校で習った……』

 ツェツィルに向かって吉秋は頷いた。

『……よし。 それじゃ、その戦争がどんなに悲惨な物だったか習ったよな。 時にヨーロッパじゃ、人を物としか扱わないような……そんなグループが居た。 そいつらは考えたのさ。 死んだ兵隊……いや、人ならばだれでもいい……そんな死体から部品……四肢や臓器……それを、まだ生きている重傷の兵隊に取り付ければ……そうすればそいつは、また働ける。 つまり、現代風に言えば移植医療だ。 目的は、他国の兵隊をより多く殺すためだけどな……』

 息を整えるように、いったんツェツィルは言葉を切った。

『……これだけなら、まだいい。 どうせ死んでしまう兵隊を使って実験するならね……人道的には問題があるだろうが……』

『……も、もしかして……助かる人を使った、とか……』

 吉秋は、唾を飲み込んだ。

『……それどころじゃない……奴らは生きている人間……捕虜だったり、場合によってはレジスタンスや、それと疑わしい市民……そんな人を使って実験を行った……』

『……酷い……それじゃ殺人だ……』

 吉秋の声は、震えていた。

『……やがて戦争は終わった。 もし、この行為が白日の下に晒されたら……死刑は免れないだろう。 奴らはヨーロッパから逃げた……他人の命は奪ったのに、自分の命は惜しかったのさ。 ちょうど、東西冷戦が始まり、上手い事奴らは東西の大国に保護され、そのまま研究を続ける事ができた。 戦争中のデータを、どちらの国も欲しがったってわけだ……』

「(……人ってのは……そんなに無責任になれるものなのか……)」

『……その冷戦も終わった。 奴らはどうしたと思う?』

『……また逃げた……』

 吉秋が、ぽつりと零した。

『……ところが、そうじゃなかった。 なぜなら奴らはもう歳をとり過ぎていた。 半数以上は死んでいたしな……』

『……んーー 分からない。 どうしたんだろう?』

『……奴らは、これまでのデータもろとも自殺しようとした。 身勝手な奴らだ……』

 首を捻る吉秋に向かって、ツェツィルは冷たく言った。

『……人道的でないとはいえ、これまでに何千人……いや何万人……の犠牲の元に集まったデータだ。 消してしまうのは惜しい。 そうだろ?……』

『……そ、そうかな……なんかおぞましい……呪われそうだ……』

 吉秋は、両腕で自分の肩を抱いた

『……そこに現れたのが「ヴェレシュ アルトゥール」……サクラの父親だ。 遠く中世から続く名家で、今でも多数の企業を持っている。 彼は奴らを保護する代わりに、データを手に入れた。 そのデータを使って、移植医療を発展させるためにね……』

『……も、もしかして……俺の脳が移植されたのって……』

『……いや、勘違いしちゃいけない……』

 ツェツィルは、吉秋の言葉を手を上げて遮った。

『……確かに君に確認せずにしたことだけど、けして人体実験ではないんだ。 少なくとも、僕は治療だと思ってる。 動物実験では、8割以上の成功率なんだ……』

『……俺が初めてなのか?』

『……人間に対しては……』

 ツェツィルは、頷いた。

『……ヴェレシュ様の意向ではあるけど……サクラ様の意向でもあるんだ。 秘密にしているが、彼女はここに収容されたときに、一瞬覚醒した。 その時に、体をヨシアキ……きみにやってくれ、と言ったんだよ。 彼女は、きみが助からないほどの怪我を負うのを、理解していたんだろうね。 そして自分が、助からない事もね……』

「(……そんな……このは、自分を犠牲にして、俺を生かしたのか……俺のせいで、こんな事になったっていうのに……)」

『……君にとっては、いろいろショックな事だろうが……これが事実だ。 そして、この事実は外に出してはいけない。 この治療法の根源をなすのが、奴らのデータだ。 漏れたら確実に使えなくなるだろう。 人間ってのは、理屈じゃないからな……』

『……分かった……』

 吉秋は大きく頷いた。

『……いろいろショッキングな事だけど……俺は、このに助けられたってことだな。 そしてその事は、誰にも話しちゃいけない。 つまり俺は、サクラにならなくちゃならない。 だからハンガリー語を覚える必要がある。 女性的な話し方の……』

『……そうよ。 だから目を覚ましたときから勉強してもらってたの……』

 ニコレットが口を開いた。

『……しかし、ハンガリー語ってのは難しすぎる。 絶対にサクラでないのはバレる……』

『……大丈夫よ。 あなたは低酸素脳症を起こしたの。 言語障害があってもおかしくないわ。 記憶障害もね……』

『……そ、そうなのか?』

『……そうよ。 それに私が専属で付いてあげるわ……』

 ニコレットは、吉秋に向かってウインクをした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ