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紅い桜  作者: 道豚
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うん、乗る

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します。


 あれほど人の居たエプロンに、今は誰も居ない。

「ゴォォォーーーーー…………」

 そこに迫力のあるエンジン音が響いていた。




 プロペラの巻き起こす突風の中で、森山は滑り止めの付いた軍手をはめて、マグネトーを掴んでいた。

「(……っく……これでどうだ!……)」

 森山は、マグネトーを捻った。

「ゴォォーーォォーーーー…………」

 エンジン音が、僅かに……本当に僅かに……途切れて聞こえた。

「(……逆か!……こっちか……)」

 すかさず、森山はさっきと逆にマグネトーに力を込めた。

「ゴォーーーーーーーーーーー…………」

「(……よし!……こんなもんか?……あちら側も回すか……)」

 いったい何をしているのか……

 つまり、点火時期の調整を森山は、エンジンが回っているうちにしようとしているのだった。

 森山は、エンジンの反対側に居るサクラのクルーに合図をした。

『……ン……』

 頷くと、クルーは森山のサイン通りにマグネトーを捻った。

「ゴォーーッカ・ゴォーーッカ・ゴォーー…………」

 いきなりエンジンは、つかえるような音を立て始めた。

「(……いかん! 逆だ……)」

 森山は、捻る方向を逆にするようにサインを出した。

『……ン……』

「ゴォーーーーーーーーー…………」

 エンジンに詳しいクルーだけあって予想していたのか、直ぐにマグネトーは逆に捻られた。




 エンジンが止まり、静かになった「エクストラ300LX」のコックピットに座り、サクラは森山の話を聞いていた。

 クルーは、マグネトーの取り付けボルトを規定トルクで締めている。

「……えっとー つまり、少しズレていた訳ですね」

「ああ、特に右のマグネトーだ。 と言っても、ブラケットの外周で1ミリ程度だけどな」

 森山は頷いた。

「たったそれだけで変わるんですね……」

 サクラは、計器盤を指差した。

「……シリンダーの温度が、少し下がったんです。 勿論、最初もグリーンに入っていたんですけど」

「そうか……若干早期点火だったんだろう。 音も良くなったから、これで調整はOKだな。 この2600回転で使う、という条件だが」

「それは大丈夫です。 恒速プロペラですから、飛行中は基本的に回転数は変わりません。 と言うか、エアロバティックの時は2600回転で使います」

 サクラの言う「恒速プロペラ」とは何か……

 別名「定速プロペラ」とも言い、負荷によって自動的にピッチが変わるプロペラだ。

 つまり、負荷が軽くなって……例えば降下するとき……エンジンの回転数が高くなろうとするとピッチが大きくなってエンジンに掛かる負荷を増やし、結果的にエンジンの回転数を抑える。

 もし負荷が大きくなると……例えば上昇するとき……負荷に負けてエンジンの回転数が下がろうとするとピッチが減って負荷を軽くする……結果、エンジンの回転数は下がらずに済む、と言うわけだ。

 自動車に例えると、無段変速のオートマチック変速機……CVT(ベルト式の変速機)……の様な物になる。

 ただ、自動車と違って飛行機は、回転数をパイロットが任意に……勿論、範囲はある……決めることが出来るのだ。

 普通は、パワーの必要な時……離陸時やエアロバティックをする時……は、使用できる最高の回転数にセットし、省エネで遠くに飛びたい時等は回転数を低くする。

「そうか、そうだよな。 そこら辺は、固定ピッチのラジコン機とは違うんだ……」

 森山は、頷いた。

「……んじゃ、これで調整は終わりかな?」

「はい。 これで十分なパフォーマンスが出せます。 ありがとうございました」

 シートベルトを外しながら、サクラは「にっこり」微笑んだ。




「森山さん、終わりました?」

 森山が「エクストラ300LX」から離れた時、正面から博美が歩いてきた。

「ああ、終わったぜ……」

 森山は立ち止まった。

「……これでサクラちゃんも、明日からデモ飛行が出来るよ」

「良かったですね……」

 博美は、森山の横まで来た。

「……それで、乗った感じはどうでした?」

「んー なんか凄い勢いで振り回された、って感じかな? 怖いという風には思わなかったぜ」

 森山は、首を傾げて振り返った。

「怖くなかったですか?……」

 振り返った先にはサクラが居た。

「……途中から無口になったから……怖いんじゃないかと思ったんですけど」

「え、えーっと……サクラちゃん、居たんだ」

「ええ、追いかけてきました。 はい……」

 サクラは、封筒を差し出した。

「……今回の謝礼です」

「おお! そんな物が貰えるのか?」

「当然ですよ。 あのマグネトーの不調には、長い事困ってましたから……」

 サクラは、にっこりした。

「……それと……これも検討してくださいね」

「なんだい、これは?」

 サクラの差し出した物は……何か複雑な紋章の付いた……ファイルの入る大きさの封筒だった。




{『笠岡トラフィック JA111G 滑走路に入ります』}

「サクラさん、今のは何?」

 「エクストラ300LX」を滑走路に進めるため、サクラが無線で宣言したのを、博美がインカムで聞いた。

「んー ここはコントロールされてない飛行場だから、パイロットは自分の行動を報告しなくちゃいけないんだ」

 スロットルを開きながら、サクラは答えた。

「誰に報告するの? どこかの管制塔?」

 博美の疑問も、もっともだろう。

「いや……誰か聞いてる人。 誰も居ないかもしれないけど……」

 サクラは、右のブレーキを掛けた。

「……言われて見れば、変だね。 でも決まりだから」

「ふーん。 そんなものなんだ……」

 博美は、両手でコックピットのフレームに掴まった。

「……前が見えないって、不安だね」

 右に向きを変えた「エクストラ300LX」は、滑走路を走っていた。




 さて、何故博美が「エクストラ300LX」の前席に乗っているのか……

 話は簡単……「昨日、乗せて上げられなくてゴメンね。 よかったらこれから乗る?」とサクラが持ちかけたのだ。

 博美の答えは当然……「うん、乗る」だった。




{『笠岡トラフィック JA111G ランウェイ21 離陸します』}

 滑走路の端で「エクストラ300LX」をUターンさせると、サクラはスロットルレバーを一番前に倒した。

 グン、と加速した機体は、サクラの操作によりすぐに尾翼を持ち上げた。

「ローテイト」

 100メートルも走らないうちに……サクラの宣言と同時に「エクストラ300LX」はフワリと浮き上がった。




 シートに押し付けられながら、博美は左の景色を見ていた。

「(……わ! もう浮いたんだ……)」

 下に見えていた滑走路が、少し遠くなった。

「(……まだ加速してる……)」

 シートに押し付けられる力は変わってない。

「クライム」

「(……わー!……)」

 サクラの声がしたと思う間も無く、機首が上を向いた。

 視線を機外から計器盤に移すと、速度計は110ノットを示している。

 昇降計の針が跳ね上がり、高度計の針は右に回り始めていた。

「(……すごい!……こんなに急上昇できるんだ……)」

 再び左を見ると、もう滑走路の側のエプロンは小さく見えるようになっていた。




「(……2600回転……110ノット……2500フィートか……)」

 快調に回るエンジンの音を聞きながら、サクラはスティックを操作していた。

「(……さっき飛んだときより、さらにエンジンのパワーが上がってる……のかな?……)」

 そう……森山と飛んだときは、上昇率は2400フィートだったのだ。

 それが、今は2500フィートと100フィート早くなっている。

「(……博美が軽いからかな?……)」

 太ってはいない森山だが、流石に博美の方が15キロは軽いだろう。

「(……条件が一緒で無いから、分からないか……)」

 エンジンパワーは、空気の状態……気温、気圧、湿度……によって大きく変わる。

 また飛行機の性能も空気の状態によって影響を受ける。

「(……燃料の量も違うしな……やーめた、今は考えないでおこう……)」

 分からない事として、サクラは考えるのを止めた。




「博美、何からしようか?」

 十分な高度になったとき、サクラは尋ねた。

「んー ロールからで良いかな?」

「ん、OK。 ラジコン機でするエルロンロールをするね」

 ロールと言っても実機では色々な種類がある。

 その中からサクラはラジコン機で一般的なエルロンロール……エルロンを使い機体の前後を結ぶ軸を回転する軸とする……をすることにした。

『ライトターン……クリヤー……レフトターン……クリヤー』

 サクラは、クリアリングターンをした。

「今のは何? 左右に旋回したんだよね」

「空域に飛行機が飛んでないか確認したんだ。 バンクを掛けないと、下側が見えないから」

「あー そうだねー ……」

 博美は、左右から下を覗き込んだ。

「……本当だ。 見えないや」

「んじゃ、始めるね。 180ノットまで加速するよ」

 サクラがスティックを少し押し「エクストラ300LX」は、緩降下を始めた。

 位置エネルギーを速度エネルギーに変え、機体はドンドン加速する。

「180ノット」

 サクラは、スティックを中立に戻した。

「博美、スティックが大きく動くから、膝を開いてて」

「うん、分かった」

「エルロンロール……ナウ」

 一人で練習するときは特に宣言しないが、同乗者が居るときは、サクラは宣言する事にしている。

 サクラは、スティックを左に……スティックが当たらないように左脚を外側に開いて……最大に倒した。

 そして、それと同時に左のラダーペダルを蹴る。

 あっという間に機体は裏返しになり、その時にはスティックは少し押されて、右のラダーペダルが蹴られていた。

 次の瞬間「エクストラ300LX」は、何事も無かったように水平飛行をしていた。

「ええっ! もう終わっちゃった?」

 素っ頓狂な博美の声が、インカムから流れた。

「うん。 一回転したよ」

「早すぎて、どんな操作したのか全然分からなかった」

 「エクストラ300LX」のロールレート(横転の速さ)は、400度/秒なのだ。

 つまり一回転するのに0.9秒しか掛からない。

 これでは博美といえども、サクラの操作を眼で追える筈はなかった。

「んー それじゃ、スローロールしようか?」

 スローロールならゆっくりと回転するので、操作も分かりやすいだろう。

「良いの?」

「別に秘密じゃないから……んじゃ、スローロール……ナウ」

 機体は、さっきから180ノットで飛んでいる。

 サクラは、スティックを少し左に倒した。

 「エクストラ300LX」は、今度はゆっくりと左に回り始めた。

 エンジンカウルの先に見える水平線が右に回る。

 シートベルトで固定された体が、左に落ちそうになった。

 サクラは、一旦左を踏んだラダーペダルを、今は右に踏み変えている。

「これを、トップラダーって言うんだよ……」

 サクラは、博美に説明を始めた。

「……ラジコン機と一緒だよね。 ラダーで機首を上げておくんだ」

「うん。 こんな風に飛んでるんだね」

「そうだねー ラジコン機も、乗ってたらこんな感じじゃないかなー」

 話している間にも機体は回り、背面飛行になった。

 海面を頭上に見ながら、二人はシートベルトでぶら下がっている。

「少しスティックを押してるよ。 機首が下がるから」

「うん。 水平線の位置が、正面と違うのが分かる」

「また垂直になるから、左のペダルを踏むね」

 機体は回り続け、再び主翼が垂直になった。

「もうすぐ終わりだね」

 特別な事も無く「エクストラ300LX」は、水平飛行になった。




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