直った!
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
サクラが「エクストラ300LX」の元へ来ると、森山はサクラのクルー……主にメンテナンスをしている、以前機関士だった男……と一緒にハーネスを取り付けていた。
「……そこは、そうじゃない……」
森山の指示が、小さく聞こえた。
「……なんだって? こうするようにマニュアルにある……」
それに対して、クルーは否定をしていた。
「森山さん、出来たんですね……」
サクラは、機首の横に置いてある踏み台に上った。
「……あは! 元のハーネスが黒だったから、赤いハーネスが混ざって……まるでツートンのヘアカラーみたい」
そう……森山が買ってきたのは、ハイクラスの高圧コードだったのだ。
「っと! サクラちゃん、来たんだ」
森山は、慌ててサクラから距離を……うっかり胸が当たらないように……取った。
『それで……貴方は、何を拒否してたの?……』
サクラは、下に立ってハーネスを取り付けようとしている、クルーを見た。
『……私は、彼の指示に従うように言っておいたはずよ』
『サ、サクラ様……』
クルーの顔が、真っ青になった。
『……私は、ただ……マニュアル通りでないのは、いけないのではないかと』
『そう……分かったわ……』
サクラは、森山を見た。
「……どうしてマニュアル通りにハーネスを固定しないんですか?」
「んー そうだな……簡単に言うと、そのマニュアル通りに固定したら……」
森山は、マニュアルを指差した。
「……熱が篭る、と思うんだ。 そうなると、コードの被覆が弱くなって……漏電する」
「そんな事も、考えてあると思うんですが?……」
サクラは、首を傾げた。
「……仮にも世界中で飛んでる機体ですから」
「いや……俺からしたら、これは無いな。 特にここなんか……」
森山が、排気管の側を通るコードを押さえた。
「……近すぎる」
「はぁ……そうですか? 触らないようにクランプで固定されてますけど」
「考えてごらん。 熱ってのは……離れてても伝わるよな。 輻射熱って言う奴だ……」
森山は、サクラを見た。
「……だから、余裕があれば……出来るなら……こんな熱に弱い物は、なるだけ遠くに置きたい。 そして、それが出来る余裕があるだろ?……」
森山は、コードを引っ張ってみせた。
「……な! ここを通せば、いいだろ」
「そ、そうですね……」
サクラは、頷いた。
「……でも、そんな所には固定できません」
「だったら、ブラケットを作ればいいだろ? 今すぐ作ってやる」
森山は、踏み台から降りて走って行った。
『申し訳御座いません、サクラ様……』
残されたクルーが、サクラに頭を下げた。
『……やはり彼の者は、私には信用できません。 ヴェレシュの人間では無いので』
『そうね、確かに貴方達からすると、信用するには実績が無いわ……』
サクラは、胸の下で腕を組んだ。
『……でも彼は、イロナが欲しがるほどの人間なの。 すぐに貴方もそれを知る事になるはずよ』
『そうで御座いましょうか?』
『今は、いいわ。 さあ、この間に点火時期の調整をしましょう。 タイミングライトを持ってきて』
『此処に御座います』
クルーは、足元の工具箱から懐中電灯のようなものを取り出した。
『ふふっ……用意がいいわね』
満足げに微笑むと、サクラはライトを受け取った。
「ウィ・ウィ・ウィ・ウィウィウィ……ズドドドドドド……」
コックピットに座ったサクラがスターターを回すと、ライカミング製AEIO-580エンジンは機体を揺すって始動した。
「OKだな」
主翼のすぐ前……エンジンの横……に立って、前席から伸ばしたインカムを付けた森山が頷いた。
「はい。 暖機したらマグネトーのチェックをします」
スロットルをアイドリングの位置にして、サクラはインカムで答えた。
「その間に、俺はさっき作ったブラケットの具合を調べる。 そちらの用意が出来たら教えてくれ」
「分かりました。 でも、気をつけてくださいね。 プロペラが回ってますから」
「OK、OK」
森山はインカムを外すと、エンジンに近づいた。
「(……オイル温度、圧力。 シリンダー温度……オールグリーン……)」
サクラの目の前で、エンジンの状態を表す計器が全て許容値に収まった。
「(……よし……)」
サクラは……カウルが外されむき出しの……エンジンに視線を向けた。
右側に、森山の頭が見え隠れしている。
『暖機が終わったわ。 森山さんに伝えて』
直接知らせる方法が無いので、サクラは無線でクルーを動かした。
すぐに一人クルーが走ってきて、森山に何か告げるのが見えた。
「ブラケットは問題ないぜ……」
エンジンの下を潜って左側に来た森山が、インカムを付けた。
「……上手いこと振動を吸収してる」
「それは、良かったです。 それじゃ、マグネトーのチェックを始めます」
「OK」
「行きまーす」
森山の返事を聞いて、サクラはゆっくりスロットルレバーを前に進めた。
「今、1800……この回転数で調べます」
サクラは、スロットルレバーから手を離し、マグネトースイッチに伸ばした。
「マグネトーR……1700……マイナス100回転」
素早く回転数を読むと、サクラはスイッチをBothにした。
「次はLです……」
サクラは、再び回転数が1800になったのを確認した。
「……マグネトーL……1720……マイナス80回転……」
再びマグネトースイッチをBothに切り替え、サクラはスロットルレバーをアイドリングの位置にした。
「直った! 直りました、森山さん」
静かに回り出したエンジンの音に被さり、サクラの声がインカムから森山に届いた。
カラフルな複葉機の着陸するのが「エクストラ300LX」の置いてあるエプロンから見えた。
「えー ただいまの飛行を持って、今日の公式練習は終了です。 各自、片付けを行なって下さい。 この先、エンジン始動やフライトをした者は、失格となります」
本部テントのスピーカーから放送が聞こえた。
「ん! 終わったみたい……」
サクラは、座っていた椅子から立ち上がった。
「……それじゃ、テスト飛行をしましょう」
「ああ、いいぜ。 俺も乗せてくれるんだよな」
森山は、頷いた。
「もちろん……」
サクラも頷き返す。
「……ちゃんと責任をとってもらいますね」
エンジンが止まった時はね、とサクラはウインクをした。
「(……よくタキシーできるな。 全然前が見えないじゃないか……)」
滑走路上を離陸位置に向かって走る「エクストラ300LX」の前席で、森山は驚いていた。
そう……前輪式の機体は、機首が上を向いた状態で地上滑走するのだ。
特に前席は低く座っているので、前を見ても空しか見えない。
「なあ、サクラちゃん……」
疑問は聞くに限る、と森山はインカムに向けて声を出した。
「……前は見えてるんか?」
「え? 正面は見えませんよ……」
何を今更、と驚いたサクラの声が答えた。
「……でも、左右斜め前は見えてますから、それを参考に走らせてます」
「そ、そうか……んじゃ、何かが正面に飛び出してきたら?」
当然の疑問である。
「あー 撥ねちゃいますね。 ま、だから滑走路には簡単に入れないようにしてあるんです……多分?……」
サクラの答えは、いささか自信が無いようだ。
「……まあ、いいじゃないですか。 そろそろ離陸位置です」
どうやら滑走路の端に着いたようだ。
サクラは機体を右側に寄せた。
くるり、と左の車輪を中心にして回り「エクストラ300LX」は、それまでと180度向きを変えた。
{『笠岡トラフィック JA111G ランウェイ21 離陸します』}
サクラが無線で宣言をするのが聞こえると、後席と連動しているスロットルレバーが前方に倒された。
森山の目の前にあるエンジンが咆哮を上げ、体がシートに押し付けられる。
立待ち速度は上がり、これも連動しているスティックが少し前に押されると尾部が上がった。
「(……おー 前が見える……)」
相対的に機首が下がり、左右のフレームを掴んで体を支えている森山は、前を見ることが出来た。
「Vr」
サクラの声がインカムから聞こえ、メインギヤの走行音が「ふっ」と消えた。
機体は「ふわり」と浮き上がる。
「(……ん? 浮いたけど……上昇しないんだな……)」
確かに機体は浮かんだ筈なのに……見える景色は変わらなかった。
「(……加速してる……)」
森山の目の前にある速度計の針は、右に回っていく。
「クライム」
針が110ノットを指した時、インカムからサクラの声がした。
「(……ん!……)」
途端に大きなGが、森山を襲った。
しかし、それも一瞬の事……
「(……おおーーー 凄い上昇角だ……)」
「エクストラ300LX」は、青空に向かって急上昇をしていた。
「(……ん! パワーが上がった?……)」
昇降計の数値を見ると、此処最近と違っている。
「(……2400フィート……んー 速度は……110ノット……良いよな……)」
サクラは今、飛行速度が110ノットになるように、スティックを加減して引いていた。
つまり、遅くなったら引く力を緩め、早くなったら引く。
そうすると、それに連れて機体の上昇率が変わるのだ。
「(……夏になって、2200フィート位になったのに……200フィートも大きい……)」
これはどういうことか……簡単に言うと、エンジンのパワーが大きくなって……つまり余剰パワーが増えた、と言うことだ
「森山さん……」
サクラは、インカムで話しかけた。
「ん? 何だ?」
森山の落ち着いた声が返った。
「……何だか、パワーが上がってますが……何かしました?」
「いや……特に何もしてないぜ。 コードを換えただけだ」
「そうですよねー 不思議だな……」
サクラは、スティックをゆっくりと押した。
「……十分上がったので、水平飛行にします」
「エクストラ300LX」はゆっくりと、上を向いていた機首を下げ始めた。
それにつれて、速度が上がっていく。
「おう、そう言えば……」
森山が、話し始めた。
「……ちょっと点火時期がズレてないか?」
「え! そうですか?」
「ああ、音なんだが……少し濁って聞こえる。 右か左のマグネトーがズレてるんじゃないかな?」
「ええーーー タイミングライトで調べましたよ」
そう……サクラ自ら調整をしたのだ。
「そうは言ってもだな……音が悪いんだ。 恐らくだが、エンジンが冷えてるときと運転中は変わるんじゃないだろうか」
「ん……否定できません」
「だろ。 着陸したら調べようぜ」
「分かりました……」
サクラは、素早く左右を確認した。
「……んじゃ、軽くアクロをしますね」
「OK」
森山は、改めてフレームを握りなおした。