笠岡への飛行
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
岡南飛行場に着陸して2時間、サクラ達は笠岡飛行場に向けて飛ぶ準備が出来た。
「(……はぁ……また、あのオジさんに聞かなくちゃならないのか……)」
そう……さっき着陸料を支払いに管理事務所に行った時、あのお節介な情報を教えてくれる係員が居たのだ。
「(……何が「やっぱり美人さんだったね」だよ。 セクハラだろ……)」
そうは言っても、情報を貰わないと離陸できない。
仕方なく、サクラはマイクのスイッチを入れた。
{『岡南エアーサービス エクストラ111G 周囲の情報を教えてください』}
{『エクストラ111G 岡南エアーサービス 風200度8ノット 気圧1010 視程10キロ以上 滑走路27使用中』}
「(……ん? 風向きが変わった?……)」
{『お嬢ちゃん、風が変わったよ。 気をつけてね』}
「(……わかってるよ!……)」
案の定、余計な気遣いをされてしまう。
{『岡南エアーサービス エクストラ111G 了解』}
『日本語を付けてくれてるんでしょ。 親切ね』
先ほどとは違って余裕のできたイロナが、割り込んできた。
『こう言うのを「ありがた迷惑」って言うんだよ。 一々日本語で言わなくても分かるっての……』
サクラは、エンジン始動シーケンスを始めた。
『エクストラ111G RW27へタキシー』
地上滑走も管理されてないので、サクラは無線で宣言をしてスロットルレバーを押した。
右のブレーキを掛けられた「エクストラ300LX」は、小さな駐機スポットの中で「くるり」と向きを変えた。
「(……さてと……左だな……)」
到着したときと、使用滑走路は反対になっているので、駐機場から左に出なければならない。
間違えると大変なので、サクラはコースを頭の中で確認した。
誘導路「T-4」の真ん中に描かれたマークの前で、サクラは機体を止めた。
『イロナ。 ランナップするね』
この先は滑走路まで止める場所は無い。
サクラは、ここでエンジンの調子を見ることにした。
『OK。 分かったわ』
「(……ブレーキいっぱい……スティック引いて……)」
イロナの返事を聞いて、サクラは機体が動かないように操作した。
「(……スロットル フルフォワード……)」
サクラは、スロットルレバーを前方に倒した。
「ゴーーーー……」
たちまちエンジンは、轟音を上げてフルパワーでプロペラを回し「ビリビリ」と機体が震えた。
「(……OK……OK……オールグリーン……アイドル……)」
中立に戻ろうとするスティックを引きつつ、サクラは計器をチェックし、全てが正常値である事を確かめると、スロットルレバーをアイドリングの位置に引いた。
{『岡南エアーサービス エクストラ111G 情報を』}
これで、いつでも離陸できる。
サクラは、滑走路の情報を訪ねた。
{『エクストラ111G 岡南エアーサービス 風200度8ノット 気圧1010 視程10キロ以上 滑走路27使用中 ランウェイ イズ クリヤー』}
交代したのか、無線の相手が変わっている。
「(……あの人と違う人だ。 良かった……)」
{『岡南エアーサービス エクストラ111G ランウェイ イズ クリヤー 了解』}
ほっ、としてサクラは無線を返した。
誘導路から滑走路に入り、サクラは機体を止めた。
お昼近くになり、空には小さな雲が湧いている。
「(……あの雲で良いかな……)」
サクラは、正面に見える雲を目標に決めると……
{『エクストラ111G RW27 離陸します』}
「(……ラダー右……スロットルレバー フルフォワード……)」
スロットル全開で滑走を始めた。
「(……スティック プッシュ……)」
サクラがスティックを押すと「エクストラ300LX」は、テールを上げる。
「(……よし、真っ直ぐ……)」
70度左から風速4メートルの風が吹いているにも関わらず、機体は滑走路の真ん中を走っていた。
『……65ノット Vr』
前席のイロナが、速度計を読んだ。
『Vr……』
それを聞いて、サクラは押していたスティックを中央に戻した。
「エクストラ300LX」は「フワリ」と浮き上がる。
「(……ラダーを戻して……)」
メインギヤが地上から離れた事により、機体は風下に流される。
それを防ぐために、右に切っていたラダーを中立……当然微調整は必要……に戻すのだ。
『……92ノット Vx』
そうしている間にも「エクストラ300LX」は、加速をしてクライム速度になっていた。
『Vx……』
「(……スティック プル……)」
サクラの操作により「エクストラ300LX」は、上昇を始めた。
笠岡飛行場までは、ほんの50キロ程度しかなく120ノット……時速200キロ……ジェット旅客機の着陸進入速度……で飛んでも、15分程で着いてしまう。
そんな訳で、10分飛んだ頃には、前方に飛行場が見えていた。
{『Bチーム Bチーム……』}
サクラは、トランシーバーの周波数で地上クルー……朝高知を出て、既に着いている筈だ……を呼んだ。
{『エクストラ111G Bチームです サクラ様、感度良好』}
既に待機していたのだろう……すぐに返事が来た。
{『Bチーム エクストラ111G そちらの状態を知らせて』}
笠岡飛行場は、岡南飛行場と同じく「ノンタワー」の飛行場だった。
いや、利用しようとする飛行機にとっては、同じではない。
岡南には……余計なことも言われるが……飛行場の状態を知らせてくれる係員が常駐している。
しかし笠岡には、普段は誰も居ないので、滑走路の状態を教えてもらう訳にはいかないのだ。
つまり着陸する飛行機は、空の上から観察して……ほとんどヤマ勘で着陸しなければならない。
{『エクストラ111G Bチーム 現在の風は200度から7ノット 気圧1009です 視程は10キロ以上』}
しかし今は、地上クルーのBチームが状況を教えてくれる。
これで安全に着陸ができる事になるのだ。
{『Bチーム 了解 ありがと……飛んでる飛行機は無い?』}
{『エクストラ111G 現在、オートジャイロが飛んでおります。 しかしこれは、すぐに着陸することを承知していただいております。 あと、エプロンの半分が使えません』}
どうやらウルトラライト規格のオートジャイロが、飛んでいるようだ。
{『Bチーム 了解 一旦滑走路の直上を飛んでから降りる』}
今日は選手権大会に出場する選手が、受付して機体検査を受けているはずだ。
安全確認のためにも、サクラは目視で滑走路の状態を見ることにした。
{『エクストラ111G Bチーム 了解いたしました』}
「(……さーって、と……一つ脅かしてやろうかな……)」
サクラは、エレベーターのトリムを調整するため、スティックを左手に持ち替えた。
虎の子の「ミネルバ」を抱えた山口は、初めて出場できた選手権大会の機体検査場で最後尾に並んでいた。
「(……ふぅ……やっと静かになった……)」
さっきまで滑走路の上を飛んでいたオートジャイロは、着陸して山口の並んでいるエプロンの反対側に数人に押されて行った。
「(……ほんと……こっちは、明日からの事でイッパイなんだ……こんな時に飛ばさなくても良かっただろうに……)」
そう、この大会に出場する事を目標に、彼は10年練習をしてきたのだ。
同じクラブからは誰も出場しないので、一人で……頼んだ助手は、仕事の関係で明日からしか来ない……手続きをしていたのだった。
「(……ん? エンジン音……)」
そんな時、飛行場の北東の方から爆音……さっきまで飛んでいたオートジャイロの軽い音でなく、迫力のある音……が聞こえてきた。
「(……何だ? 軽飛行機にしては、随分と太い音だが……)」
山口は、音のする方に顔を向けた。
滑走路の先、遠くに低い山が見える。
「……何だ?……何だ?……」
集まっている全員に聞こえているのだろう……周りが騒がしくなってきた。
「……あ! あれじゃないか?……あの山の上……」
目の良い誰かが、指を指した。
「(……ん! あれか? 小さい飛行機が見える……)」
山の上、小型の飛行機がこちらに向かって来ているようだ。
「……は、早いぞ!……」
その飛行機は、見る見るうちに大きくなってくる。
「……あれ……エクストラじゃないか?……」
そう今では……低翼で、割と大きなキャノピーという……特徴的な姿が分かるようになった。
「……エクストラと言えば、岡南に「エクストラ300L」が居るんじゃないか? それか?……」
「……あれは点検中な筈だぜ……」
「……おいおいオイ!……低い!……」
皆の見ているうちに、そのエクストラは「ぐん」と高度を下げた。
「……何メートルだ? 精々50メートル位か……」
「……そうだな。 翼の長さを10メートルだとして……5倍くらいだから、50メートル程度だろ……」
「……ローパスするんか!……」
・
・
・
「……ぅおーーーー!……」
飛行場に居た全員が見つめる中……「エクストラ」はナイフエッジ……主翼を垂直にして飛ぶ……の姿勢で滑走路の上を轟音とともに飛び抜けた。
左に滑走路を見ながら飛び抜けると、サクラはスティックを右に倒し機体を水平にした。
「(……スロットルを戻して……スティック引いて……)」
そして、ナイフエッジをする為に出していた速度を……「エクストラ300LX」は150ノット以上という制限がある……エンジンのパワーを下げて、さらに速度エネルギーを高度エネルギーに変える事でアプローチに使う速度に下げた。
{『笠岡飛行場トラフィック エクストラ111G オン ファイナル』}
ぐるっとトラフィックパターンを周り、サクラはRW03を目の前にしていた。
飛んでいる他機はいない事は分かっているが、一応決まりなので無線で位置を通報する。
『さあイロナ、降りるよ』
『OK』
イロナの返事を聴きながら、サクラは三つの舵……エルロン、エレベーター、ラダー……そしてスロットルを慎重に操作する。
ここ笠岡は、名目800メートルの滑走路を持つ筈だが、実際には……途中を道路が横切っている……600メートルしか使えない。
いい加減な速度管理では、オーバーランしかねないのだ。
「(……よっし……アイドル……フレア……)」
滑走路を横切った道路の上を高度50フィートで通過すると、サクラは接地の操作を始めた。
アイドリングにした事とスティックを引いた事で、どんどん速度が下がる。
やがて失速速度……約60ノット……になった時「トン・トン」とタイヤが滑走路に付いた。
強めのブレーキを掛けて減速が終わった時には、エプロンに入る誘導路は真横にあった。
サクラは左のブレーキを掛け、左のラダーペダルをいっぱいに踏んだ。
「エクストラ300LX」は、左メインギヤを中心に回った。
{『笠岡トラフィック エクストラ111Gは滑走路から出ました』}
短い……精々20メートル……の誘導路に入り、サクラは最後の報告をした。
「(……さーてっと何処かな?……)」
目の前には小さなエプロンが……奥行き40メートル、幅60メートル程度……在るが、左側にはテントが立っていて、模型飛行機を持った人が並んでいる。
「(……っと、あそこか……)」
サクラが右に視線を向けると、すぐ右側にいつものクルーが居て、大きく手を振っていた。
サクラは右のラダーペダルを踏み、スロットルレバーを進めた。
「エクストラ300LX」を「くるり」と回して……出て行きやすくするためと、排気ガスを人に向けないために……サクラは駐機場所に止めた。
「(……Boost pump OFF……Landing light OFF……)」
クルーがメインギヤに車止めを付けるのを見ながら、サクラはエンジンを止める操作を始めた。
「(……アイドリングで一分か……)」
クールダウンのため、ライカミング製AEIO-580エンジンは静々とアイドリングをしている。
「(……Avionic switch OFF……Mixture Cut OFF……)」
エンジン計器を見て問題の無い事を確かめると、混合気をカットオフ位置にする。
燃料が来なくなり、エンジンは止まった。
「(……Ignition switch OFF……Battery switch OFF……)」
止まった後、サクラはイグニッションとバッテリーのスイッチを切った。
さて、車等は普通、イグニッションを切ってエンジンを止めるのに……なぜ飛行機はガスを切って止めるのだろうか?
それは、万一の事故を防ぐためなのだ。
飛行機のエンジンは、マグネトーというエンジンによって直接駆動される発電機で、スパークプラグに火花を飛ばす。
もしエンジン内に燃料が残っていて、もしプロペラが何かの拍子で回ったら……そのまま始動してしまうかもしれない。
そんな事故を防ぐため、エンジンの中の燃料を完全に無くしておくのだった。
エンジンが止まって静かになり、エプロンの反対側の喧騒がサクラのところまで聞こえてきた。
「(……んーーー 着いたなー……)」
サクラはキャノピーを開き、大きく背伸びをした。