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紅い桜  作者: 道豚
50/147

インターミディエット

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します。


 伊吹山を左に見ながら、高度13500フィートをピンクの双発ジェット機が飛んでいた。

{『FDA342 名古屋アプローチ ALT9000』}

{『Nagoya approach FDA342 ALT9000』}

 左の機長席で、真っ赤な髪の……けして染めているわけではない……40代だろうか、男が流暢な英語で管制と通信している。

「(……何で……今朝になって、機長が交代するんだ?……)」

 右のコパイ席に座った、こちらは50代の……もっとも髪は黒い……日本人が、釈然としない表情をしながらも、手を伸ばしてダイヤルを回した。

 ブラジル製の小型ジェット旅客機「エンブラエルE175」は、機首を下げ降下を始めた。




『降下を始めたね』

 窓側に座ったサクラが、通路側のイロナに言った。

『そうね。 もう少しでサービスが終わるかしら……』

 イロナは、テーブルの上に置いたチューハイの缶を取ると、一息に飲み干した。

『……ハイ! もう一本持ってきて』

『えと……イロナ様、そろそろお止めになった方が……』

 ハンガリー語で返事をするのは……日本人離れをした……金髪で瞳の青いキャビンアテンダントだった。

『何言ってるのよ。 まだ大丈夫でしょ』

『イロナ、もう3本も飲んでるよ。 そろそろ酔っ払うんじゃ無い?』

『サクラ様も、ああ言ってお見えですから……』

 キャビンアテンダントは、すまなそうな顔で行ってしまった。

『ん、もう……サクラ、貴女がそんな事言うから……』

 イロナは、ジト目を向けた。

『……ちゃんと酔えなくなったじゃない』

『ちゃんと酔う、って……まだ朝だよ』

 そう、この便は朝8時35分に高知を出たのだ。

『良いじゃない。 これはツアーみたいなものだし……』

 イロナは、摘みに用意したチーズを齧った。

『……偶にはリラックスしたいわ』

『イロナが緊張してるのは、見たこと無いけどね。 ……にしても、何でキャビンアテンダントが、私たちのことを知ってるのかな? 日本人じゃないし、ハンガリー語だし……』

 さっきの彼女は、少し先の乗客と何か話をしている。

『……日本語も話せるようだけど』

『当然よ。 彼女達は、ヴェレシュの者だから……』

 イロナは、サクラの耳元に口を寄せた。

『……機長もヴェレシュの人間よ。 貴女の安全を、他人に任せるわけにはいかないもの』

『っへ! そうなの? それでかー さっきの挨拶で機長がハンガリー語も使ったのは。 随分親切だ、って思ったけど。 ティモシィ、だったっけ。 機長の名前……』

 サクラは首を回し、イロナを正面で見た。

『……どういう者なのかな?……って、イロナ!お酒臭い』

『お、おう……』

 慌ててイロナは、顔を正面に向けた。

『……ごめん。 飲みすぎたかしら?』

 ペットボトルを開け、イロナはミネラルウォーターを飲んだ。

『……ふふっ……』

 笑みを浮かべたサクラが外を見た時、千切れ雲が通っていった。




 ベルトコンベアーの前にイロナは立っていた。

『なかなか出てこないね』

 その横でサクラは、自分のキャリーバッグの取っ手を持っている。

『そうね。 小さな空港だから、人手が少ないのかしら?』

『イロナも、機内持ち込みが出来る大きさにすれば、良いのに』

 そう、サクラの持っているキャリーバッグは、機内に持ち込んでいたのだ。

 だから、手荷物が出てくるのを待つ必要は無い。

『そうはいかないわ。 私のバッグには、貴女の物も入ってるのよ……』

 イロナは腰に手を当てて、体を左右に倒した。

『……そんな訳で、荷物が多くなったんだから』

『それって、イロナが勝手に……これが要る、この服も持っていく……なんて詰めたんじゃないか。 洋服なんて、一つ有ればいいよ。 特にジーンズなんか、この一本あれば……』

『来たわ!……』

 コンベアーが回りだし、イロナのバッグが先頭で運ばれてきた。

『……っで? ジーンズは着たきり雀で良いですって? ……』

 バッグを下ろすと、イロナはサクラを正面に見た。

『……どの口が言うのかしら?』

『え! ええと……ええと……』

 迫力に押され、サクラは後ずさった。

『……わ、分かった。 分かったから、そんなに睨まないで』

『分かれば良いわ。 それに、クライアントに合うときもジーンズで行くつもり?』

『ダ、ダメかな……』

『ダメね。 責任ある大人なら、ビジネススーツでしょう……』

 イロナは、出口に向かって大またで歩き出した。

『……部屋を確保しておいたわ。 そこで着替えるわよ』

『うん、分かった』

 サクラは小走りで付いていった。




 名古屋駅に併設されているホテルの一室で、スーツ姿のサクラとイロナはソファに座っていた。

 正面には、日に焼けて真っ黒になった初老の……見た目だけは……紳士である成田が、座っている。

「これで良いかな?」

 成田は、バッグから二通のファイルを取り出した。

「確認します……」

 サクラは一つを受け取ると、一枚ずつ読み始めた。

『……イロナも読んでみて』

 そして読み終わった順番に、イロナに渡す。

 気を使ってくれたのだろう……中は日本語と英語が併記されていて、イロナでも読めるようになっていた。

     ・

     ・

     ・

 そうして数分……

「はい、これで私は問題ありません……」

 サクラは、最後の紙をイロナに渡して、顔を上げた。

『……イロナは?』

『チョッと待って……』

 イロナは、渡された紙を手に持って読んでいる。

「成田さん、ABGASの代金は、実費で支払って頂けるんですよね? 契約書ではそうなってますが……それって私の事を信用してる、ってことですね」

 イロナは、読むのに時間が掛かるようなので、サクラは序に聞いた。

「ああ、そうしてくれると助かる。 そんな特殊なガソリン代なんて、俺達では分からないからな……」

 成田は、大きく頷いた。

「……こんな美人さんだ、男なら騙されたって良いと思うぜ。 いや、ほんと」

「べ、別に騙そうなんて思いませんけど……」

 慌ててサクラは、顔の前で手を振った。

「……初めての相手を、よく信用できるな、って」

「あはは……サクラちゃんは、日本人的なアクションをするね……」

『サクラ。 私もこれで良いと思うわ』

 契約書を読み終えたイロナが、声をかけてきた。

「……っと、イロナさんは何と?」

「イロナもこれで良いそうです。 それじゃ、サインしましょうか?」

「ああ、お願いするよ。 俺もサインしよう」

 サクラと成田は、夫々ペンを持った。




 名古屋市から西に高速道路を走ること30分……木曽川の河川敷に模型の飛行場があった。

 日曜日という事もあり、朝も早くから10人ほどの者が自慢の飛行機を並べている。

 そこに千葉ナンバーの「ハイエースロングバン」がやって来た。

「(……やっぱりラジコンって言ったら、河川敷だなー……)」

 後部のスライドドアが開き、ジーンズ姿のサクラが降りてくる。

「(……うわ スタント機ばかり……)」

 並んでいる飛行機は、全てフルサイズのスタント機だった。

「(……あ……「アルフィナ」と「ミネルバ」だ……)」

 その中に、5月の大型連休ゴールデンウィークに見た機体がある。

 そう、この飛行場は、博美が練習している場所だった。

「……ひ・ろ・みーーー!」

 サクラは「アルフィナ」の横に立っている博美に向かって手を振った。




 胴体の大きなスタント機が、ゆっくりと……主翼を垂直にして……飛んでいる。

「凄い……あんなに僅かな機首上げで……あんなにゆっくり飛べるなんて」

 送信機を持つ博美の横で、サクラが感嘆の声を上げた。

「ん! そうだねー……」

 博美は「アルフィナ」を180度ロールさせた。

 さっきまで見えていた背中が向こう側になり、こちら側は機体のお腹が見えるようになる。

「……サクラさんのアイデアのお陰で、癖が無くなったんだ。 だから「ナイフエッジ」が凄く楽になったんだよ」

 博美の言う通り……ロールをしたというのに……「アルフィナ」は、まったく上下動をしなかった。

「おいおい……しれっ、と簡単に飛ばすけどよ……」

 二人の後ろから成田の声が聞こえた。

「……あのロールレートだったら、ラダーとエレベーターを使ってるよな。 どんだけ気流を制御してるってんだ」

 そう、成田の言う通り……いま博美が行ったロールは、早くも無く遅くも無く……丁度、ラダーとエレベーターを釣り合せるのが、一番難しい回転速度だったのだ。

 早ければエレベーターを使わなくても、何とかなる。

 遅ければ……ラダーとエレベーターを……機体の姿勢を見ながらでも制御できる。

「そうなの?」

 サクラが、博美に尋ねた。

「ん? そうかなー……」

 博美は、連続ロールを始めた。

 「アルフィナ」は回りながら飛んでいく。

「……そんなに難しくはないと思うけど」

「ばかやろ……だから、そんな事が出来るのは天才だけだっての。 ちくしょう……本田に見せたら落ち込むじゃないか」

 前に出てきたのだろう……成田の声は博美の横から聞こえる。

「本田さん、先週来てましたよ……」

 博美は「アルフィナ」をターンさせて此方に向けた。

「……何も言ってなかったですけど」

「はぁ……それはな……何も言えなかったって事だよ」

 成田は、大きな溜息を吐いた。




「サクラちゃんは、どんなデモフライトが出来るんだ?」

 駐機場に張った博美のタープの下で、成田がサクラに聞いた。

「ん~ あんまり大した事は、出来無いんですよね……」

 サクラは、イロナの淹れた紅茶を一口飲んだ。

「……エアロバティックを初めて、三ヶ月ぐらいですから」

「ロールやループは出来るんだろ? 別に低空飛行で云々(うんぬん)、なんてのは期待してないぜ……」

 成田も紅茶のカップを手に持った。

「……お! 美味うまい」

「美味しいですよね、流石はイロナさんだ。 久しぶりに飲めた……」

 同じテーブルで、博美も紅茶を飲んでいる。

「……確か、世界選手権の時も淹れて頂いたよね」

「何だ、そんな時から知ってるのか?」

 成田が博美を見た。

「ええ、決勝の日に……えーっと、車椅子が壊れてたんだったよね」

「うん、あの頃は怪我のリハビリ中で……長く歩けなかったんです」

 サクラは頷いた。

「そんなけが人が、どうして模型飛行機の大会を見に来たんだ? サクラちゃんは、模型は飛ばさないんだろ」

「あ……いえ、飛ばさない訳ではないんですけど……実機の飛ばし方の確認をするぐらいですね。 あとは……実機は一人で練習してるんです。 だから、仲間が欲しいから……」

「なるほどな。 模型の飛行場に行ったら、同じ趣味の仲間が居るか……」

 ふんふん、と成田が頷く。

「ええ、そんなところです」

「ん、でだ……さっきのデモフライトの内容だが?」

「え、えーっとですね……Intermediate位は出来ると思います」

「ん? イ、インターミディエット?……」

 いきなりの英語に、成田が目を白黒させた。

「……なんだ、そりゃ」

「競技会は、演技の難しさで5段階に分かれているんですが、その丁度真ん中のクラスです……」

 サクラはイロナに手を差し出した。

『……イロナ、スコアシートを出して』

『はい、これね』

 すかさずイロナが、バッグからファイルを取り出した。

『ありがと』

「これですね。 アレスティですけど……」

 サクラは、受け取ったファイルをテーブルに置いた。

「……分かりますよね?」

「おう、分かるぜ。 なになに……これは「リバース シャークツース」か……次は「インメルマンターン ハーフロール フルロール ディレクションズ」だな……」

 小さな三角や点線、矢印等で描かれた図形を、成田は次々と読み解いた。




「ねえねえ、康煕君」

「何だ、博美」

「サクラさんのあのスコアシートって、解読できる?」

「ああ、出来るぜ」

「だったらさ、これから演技してみようか。 アンノウンの練習になるかも」

「そうだな。 やってみよう」




「あれっ? 博美……その演技って……」

「あ、サクラさん。 気がついた?」

「うん。 Intermediateの演技だよね」

「そうだよー 初めて見るから、アンノウンの練習に使うことにしちゃった」

「そうなんだ。 ハァ……流石に上手いね。 とても太刀打ちできないや」

「えへへへ……それほどでも……」

「……なーに、ヘラヘラしてるんだ。 ほら、ローリングサークル・1/4旋回・1/2ロールだ」

「はーい……」

「(こんなに緩くても、飛行機はピシッと飛ぶんだよなー 理不尽だ)」


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