命じる
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
「……な、な、な……な、なんで俺が女の子の姿で映ってるんだ!」
モニターから目を離し、吉秋はニコレットを真正面で見た。
「……なあ、ニコレット。 ドッキリだよな……ソフトで合成してるんだろぉ……」
青み掛かった灰色の瞳が揺れ、ソプラノが響く。
『……お、落ち着いて。 ヨシアキ、英語でお願い。 日本語になってるわ……(……み、耳が痛い……)』
ニコレットが吉秋の肩を揺すった。
「これが落ち着けるかよ! なんで俺があの娘の姿で映らなきゃならないんだ。 嫌がらせか!」
吉秋は腕を振り回す。
『……危ないわ ほんと落ち着いて……』
ニコレットが吉秋の腕を押さえた。
「放せよ!」
白く細い腕は、簡単にニコレットに押さえられている。
『……ねえヨシアキ。 これ、あなたの手? あなたってこんなに華奢な手だった?』
「……っ!……」
吉秋が固まった。
『……綺麗な指……』
ニコレットが一本ずつ指を撫でる。
『……ニ、ニコレット……くすぐったい……』
吉秋が指を抜こうとするが、ニコレットは離さない。
『……ね……感じるわよね。 これはあなたの指よね……とても男の指とは思えないでしょ……』
そして、とニコレットは入院衣の前を肌蹴た。
『……ほら……大きいわね、嫉妬しちゃいそう……』
そこには可愛い顔に似合わない、大きな乳房が現れていた。
ニコレットは、吉秋の手をそれに当てると、ゆっくり撫でる様に動かした。
『……今は触られる方は何も感じないかもしれないけど……触ってる手には暖かさを感じるわよね……』
確かに吉秋は、掌に暖かく丸い物体を感じていた。
それは確かな重量感を持って、しかし柔らかく手を押し返す。
吉秋は、目線をおもいっきり下に向けた。
左右に広げられた入院衣の間から、滑らかに二つの膨らみが立ち上がっている。
それなりに重量が有るのだろう、それは重力に引かれて少し左右に流れている。
吉秋は、それを体から引き剥がすように引っ張った。
『……た、確かに俺にくっついてる……』
両手を当てて力を入れるが……寝たきりで筋力が落ちているのもあり……少し伸びただけで剥がれない。
『……はぁ……疲れた……』
吉秋はだるくなった手をベッドに落とした。
『……なあ、ニコレット これはどういう事だ? 説明してくれるんだよな……』
ニコレットは、吉秋の入院衣の前を合わせ、乱れてしまったブランケットを掛けなおしている。
『……ええ ちゃんと説明するわ。 って言うか、簡単に言えば「治療の副作用」なんだけど……ヨシアキは納得しないわよね……』
『……ああ、納得できないね。 こんな副作用なんて聞いたことがない……』
吉秋は、掛けられたブランケットから手を出し、自分の顔をニコレットが持って来た手鏡で映した。
『……完全に他人だ……』
写っているのは……毬栗頭だが……モデルと見間違えるような美人だ。
『……詳しい説明はツェツィル先生がするわ。 彼は午後に来るはずだから……その前に昼食にしましょう……』
用意するわね、とニコレットは出て行った。
『……遅いな……まだ先生は来ないのか?……』
ベッドの上の吉秋が、側に座っているニコレットを見た。
流動食の昼食を食べて?……飲んで、もう彼是1時間は経つだろうか。
『……もう来るはずよ。 一緒に来てくださる方が忙しいから、少し待ってるみたいね……』
ニコレットは吉秋を見返した。
『……やっぱり髪があると、より綺麗だわね……』
吉秋は、ふんわりとウエーブの掛かった、赤毛のウイッグを被せられていた。
割と長く、先端は胸の上辺りまである。
『……はぁ……治療のために髪を切るのは分かるけど、なんで態々ウイッグを付けるんだ? 外に出るわけじゃないんだろ……』
吉秋は、毛先を摘んで目の前に持って来た。
『……赤毛……日本人には無い毛色だ……んで、誰かが来るのか?』
『……それは来てのお楽しみよ……っあ! いらしたみたいね……』
ノックの音が聞こえてきた。
「(……いらした? なんでニコレットは敬語? 何者なんだ……)」
ドアに向かって歩くニコレットを吉秋は見送った。
『……はい! ニコレット、ヨシアキ……』
開いたドアからツェツィルが現れ、そして
『……失礼するよ……』
後ろから、パリッとスーツを着こなした、壮年の紳士が入ってきた。
『……ヴェレシュ様、お久しぶりです……』
その紳士にニコレットが頭を下げる。
それはまるでメイドが主人を迎えるようだ。
「(……ヴェレシュ? 誰だ? 結構な歳みたいだが……ん~ 60位かな?……)」
紳士の顔には皺が刻まれ、髪が少なくなっている。
ハンガリー語で話される言葉は理解しにくいが、ベッドの中の吉秋は紳士の名前は聞き取れた。
『……おお!』
突然、ヴェレシュが吉秋を見ると、それまで細かった目を見開いた。
『……おおお!……サ、サクラ……』
そして吉秋のベッドに近寄った。
「(……サクラ? 桜? このオッサン、知ってる日本語を言ってるんか?……)」
呆然として吉秋は、ヴェレシュを見た。
『……ヴェレシュ様、彼女はサクラ様では……』
ツェツィルが近寄り、耳打ちをする。
「(……サクラ様? 名前? だれの?……)」
『……っ! そ、そうだったな……』
ぽかん、と見ている吉秋の前で、ヴェレシュは一度顔を顰めると、表情を消した。
『……確かヨシアキだったな。 ワシは「ヴェレシュ アルトゥール」だ……』
重々しい英語が聞こえてくる。
『……そして……お前が……お前が入っているのは……ワシの娘「ヴェレシュ サクラ」だ……』
「(……はぁ? この体の父親だって! ……ほんとうかよ……随分歳をとって生まれたんだな……)」
『……は、はじめまして……でいいのかな? 俺は「トヤ ヨシアキ」です……』
戸惑いながらも、吉秋は返事をした。
『……んで……この体は貴方の娘さんなんですね……こうなった訳は、俺には分からないのですが……』
『……ふん、そうだろうな……お前が何をしたか、気が付いてはおるまい……』
『……ヴェレシュ様、それから先は私が……』
ツェツィルが横からヴェレシュの言を止めた。
『……先ずは何が起きたか、順を追って話そう……』
吉秋のベッドの前に椅子を並べ、三人が座ったところでツェツィルが口を開いた。
『……事故を起こしたヨシアキの飛行機は、一旦水面で跳ねた後、サクラ様の乗ったヨット……ヴェレシュ家のモータークルーザー……に向かって突っ込んできた……』
ツェツィルは手に持ったファイルを見ている。
『……それは覚えてる。 俺は、とっさに補助翼を切って避けたはずだ……』
『……その通り。 目撃者によると、飛行機は右に捻るように向きを変えてヨットを避けた……』
うんうん、とツェツィルが頷く。
『……避けられたんだよな?』
『……ああ……しかしバランスを崩した飛行機は、右の翼から水面に突っ込み……撮影していたビデオによると……まるで床運動の側転をするように回って、パイロンの台船にぶつかった……』
ツェツィルはファイルから目を上げ、吉秋を見た。
『……君は……バラバラになった飛行機と一緒に浮いていた。 怪我は……かなりショッキングだが聴くかい?』
『……っああ……き、聞かせてくれ……』
吉秋は、唾を飲んだ。
『……両足、両手の欠損……背骨と肋骨の骨折……重要な臓器の殆どに、何らかの障害……』
ツェツィルが、ファイルを指でなぞりながら読み上げる。
『……も、もういい……それで、よく生きてたな……』
『……当然、そのままでは1日と生きてなかったろうな……』
真っ青になった吉秋の顔を見て、ツェツィルは頷いた。
『……そして、サクラ様の方だ……』
ツェツィルは、ファイルを捲った。
『……サクラ様の乗ったヨットの操縦者は、飛行機から逃げようとスロットルを開けた。 当然ヨットは走り始める……だが不幸な事に、彼は錨を入れていたことを忘れていた。 ヨットは、アンカーに引かれて急停止をして、さらに急旋回をした……』
『……そいつには、それ相当の償いをしてもらった……』
ヴェレシュが小さく呟く。
「(……っ!……)」
吉秋は、ヴェレシュを見た。
「(……なに、それ……お、おやっさん……マフィアなんか?……)」
『……そういった急激な動きにより、サクラ様は転倒して頭を打ち、ドナウ川に落ちてしまった……』
ヴェレシュの言葉が聞こえなかったのか、ツェツィルは話を続けている。
『……ヨットのクルーにより引き上げられたときには……低酸素脳症を起こしていた……』
ツェツィルは顔を上げた。
『……つ、つまり……意識不明って事か?……』
『……いや……脳死すれすれ……この病院に運ばれたときには、もって1日だろうと思われた……』
吉秋の言葉を簡単に否定すると、ツェツィルは言った。
『……分かるか? ここに体が死ぬ脳と、脳が死ぬ体がある……』
『……相談を受けたとき……ワシは悩んだ。 そうだろう? 朝、にこやかに出て行った娘が死ぬんだぞ。 しかも……原因が……サクラの好きだった、ヨシアキというパイロットの操縦する飛行機だって言うじゃないか……』
低い声で話すヴェレシュの拳は、硬く握られている。
『……俺が好きだった? ファンってことか?』
吉秋の声は、震えていた。
『……そうだ……サクラは、いつもお前の事を話してくれた。 なぜサクラという名前か分かるか? あれの母親が、日本が好きだったんだ。 だから娘が生まれたとき、サクラと名づけた。 そのせいだろう……サクラは日本が好きになり、そして一人で頑張るヨシアキというパイロットのファンになった……』
ヴェレシュの頬から涙が床に落ちた。
『……ワシは……ヨシアキというパイロットを許さん。 ワシのサクラをこんな目に合わせて……さっさと逝ってしまう事は、許さん……』
『……ヴェレシュ様……』
ニコレットがハンカチを差し出す。
『……ああ、ありがとう……』
ヴェレシュはそれを受け取った。
『……ヨシアキ! ワシは貴様に命じる。 サクラの意識が戻るまで、貴様にはサクラの体を預けておく。 いつになるかは分からない……しかし、いつかサクラは起きる。 その為に研究をさせる……このツェツィルにな。 いいか、死ぬな。 その体で死ぬ事は、絶対許さん……』
病室を沈黙が覆った。