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紅い桜  作者: 道豚
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新たな契約

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 大型連休ゴールデンウイークの谷間の月曜日、VIPとプレートの貼られた高知空港の二階奥の豪奢なドアが、内側から開かれた。

『んじゃ、行ってくるね』

 ニコレットの抑えたドアから出てきたのは、パンツスタイルのビジネススーツに身を包んだサクラだった。

『今日は、午前に3コマ、午後に1コマだったわね』

 尋ねながら……実際は確かめながら……ニコレットは、バッグをサクラに渡した。

『ん、そうだよ。 今日は部活が無いから……3時頃には帰られるね』

『昼食は? ここに戻って食べる?』

『どうしようかなぁ……4時限目の物質工学科は女の子が多くて、一緒に食べようって誘われるんだよね』

『あらー モテるわね。 嬉しい?』

 「にひっ」とニコレットが口角を上げた。

『止めて! そりゃ、嬉しくないわけは無いけど……』

 サクラは、渋い顔の前で左右に手を振った。

『……はっきりしたらメールするね。 それで良い?』

『良いわ。 出来るだけ早くお願い。 いってらっしゃい』

 ニコレットは、歩いていくサクラに手を振った。




 さて、サクラは何処に行ったのか……

 先ほどのやり取りから30分ほど後、鉄筋コンクリート作りの廊下をサクラは歩いていた。

「(……うん、静かだな。 流石は高専だよなー ちゃんと時間には教室に入ってる……)」

 そう、サクラは春から高専で、英会話の臨時教師をしていたのだ。




 さて、そのサクラが向かっている教室……

「……わくわく……」

「……そわそわ……」

「……にまにま……」

     ・

     ・

     ・

「……ざわざわ……」

 ……と、あらゆる擬音が当てはめられるほど、学生達は教師サクラが現れるのを待ちわびていた。

 やがて「コツコツ」と靴音が聞こえてくる。

「………………」

 それを聞き、全員が固唾かたずを呑んで、前方の扉を見つめた。




 「カラカラ」と扉が開き、スーツ姿の背の高い女性が入ってきた。

 彼女は白い顔に笑みを浮かべて、ゆっくりと教壇に向かう。

『……起立……』

 当番の声に合わせて、全員が立ち上がった。

『……礼……』

 彼女が教壇の横で此方を向いた時、号令が掛かる。

『おはようございます。 ミス サクラ』

『おはよう 皆さん』

 全員の挨拶に、サクラは落ち着いて答えた。

『……着席……』

「……さてと……ん! 休んでる人は居ないね」

 教室を見渡し、空いている席が無い事をサクラは確かめた。




「……さ、今日はこのへんにしましょうか」

 終業のチャイムの鳴る数分前、サクラは授業をやめた。

「……やった……」

「……さすがはサクラ先生……」

「……若いだけあって、よく分かってる……」

     ・

     ・

     ・

 途端に教室が「ザワザワ」としはじめた。

 そう……古今東西、授業が長引くのは学生にとって苦痛なのだった。

『はい。 当番の人』

 苦笑しながらサクラがテキストを畳んだ。

『……起立……』

『……礼……』

『……着席……』

 なかなかに鋭い掛け声で、全員が行動する。

 そして……

「……美人だよなー……」

「……巨乳だし……」

「……あの髪の毛……」

「……ああ、真っ赤だよな……」

「……あれ、地毛だよな。 凄いよなー……」

「……巨乳だし……」

     ・

     ・

     ・

「……綺麗な声をしてるよなー……」

「……それそれ。 英語の発音なんか、ウットリするよな……」

「……巨乳だし……」

     ・

     ・

     ・

 サクラが教室を出て行き、それを数人の女子が追いかけ、結果的に教室の中に男子だけになった所で、残った男子のざわめきが教室に渦巻いた。




 学食……それは三大欲求の一つ、食欲を満たす場所である。

 青少年にとって、それは最大の欲求かもしれない……しかし、寮住まいの学生には寮の食堂に昼食が用意されているので、普段はそれほど学食に足を運ぶ者は居ない。

 ところが……

「……先生、ここで良いですか?……」

「……お茶は私が注いできます……」

「……先生、隣で良いですか……」

「……バッグ、ここに置きますね……」

     ・

     ・

     ・

 今日は、背の高いスーツの女性を囲んで、何人もの女学生が騒いでいた。

「……あ、ありがと……そ、そんなにいっぺんに話されても、答えられないよ……」

 返事に窮したサクラは、運んできたカレーライスをテーブルに置いて、首を振った。

「……ごめんなさい。 そうよ皆、先生は日本語はネイティブじゃないんだから、話すときは一人ずつユックリにしましょ」

「でも、発音はネイティブよね。 しかも、土佐弁のイントネーションだし」

「そうそう。 先生は何処で日本語を習ったんですか? 日本語の先生が高知出身だったとか」

「ねえねえ、先生。 「こじゃんと」って分かります?」

 いったい、ユックリ話そう、っと言ったのは何だったのか……夫々が食事をしながら、というのに……弾丸のように話が飛び交う。

「……ん! んぐ……こじゃんと? すごく? かな」

 口の中のカレーを飲み込み、どうやらサクラは、最後の質問に答えられた。

「そうそう。 やっぱり先生、土佐弁が分かるんだ」

 女学生は嬉しそうに手を叩いた。

「だ、だって……高知に住んでるんだから、分かるようになるよ?」

 元から知ってる、とは言えず、ついサクラは疑問形になり……

「やーだー 先生。 なんで疑問形?」

 やっぱり突っ込まれることになった。




「ただいまー」

 午後3時を少し回った頃、サクラは空港に帰ってきた。

『おかえり、サクラ。 予定通りね』

 ドアを開けて迎えたニコレットは、体を横向にしてサクラを通した。

『うん。 さすがに、すぐそこなんだから……授業が終わったら、真っ直ぐ帰ってくるよ』

 サクラはスーツの上着を脱いで、ニコレットに渡した。

『ん? カレーの匂いがするわ』

 受け取ったスーツを、ハンガーに掛けようとしたニコレットは、顔を顰めた。

『あー お昼にカレーライスを食べたんだ。 そんなに臭う?……』

 サクラは、着ているブラウスの袖を鼻に近づけた。

『……感じないなー』

『自分じゃ分からないわよ……』

 言いながら、ニコレットはサクラの髪の毛の匂いを嗅いだ。

『……やっぱり臭うわ。 サクラ、シャワーを浴びなさい』

『えーー めんどくさい』

『ダメよ。 これから室伏さんに会うんでしょ。 そんな匂いをしてたら、幻滅されるわよ』

『ハァ……仕方がないか』

 ため息をつきつつ、サクラはパンツ(ズボン)のベルトを外した。




 格納庫の通用口を開けて、サクラは中に入った。

 中央にシルバーに輝く「エクストラ300LX」が置いてある。

『ご苦労様』

 サクラは、その周りで整備に余念のないグランドクルー達に、声を掛けた。

『……いえ、もったいないお言葉です。 これが私たちの仕事ですから』

 その声に手を止めて、グランドクルー達はお辞儀をした。

『それでも感謝してるわ。 続けて』

 再び機体に取り付くクルーを見て、サクラはソファーを置いてあるすみに向かった。

 そこには……

「室伏さん、お待たせしました」

 室伏が座っていた。




「契約は「ライセンスが取れるまで。 それは3月から5月まで」というものでしたね……」

 サクラは契約書を机の上に広げた。

「……この時、4月中に取れた時のことを決めてなかった、と思うのですが」

「ああ、そうだな。 こんなにスムーズにトレーニングが進むとは思ってなかった……」

 サクラの顔を見て、室伏は頷いた。

「……サクラちゃんの腕が良かった、って事だな。 ヨーロッパのライセンスも伊達じゃない」

「そ、それでですね……」

 面と向かって褒められ、サクラの頬に紅色が現れた。

「……これからどうしましょう?」

「どうするって?」

「えっと……つまり、契約書の前提が変わってしまった、って訳で……」

 サクラは机の上の書類を指差した。

「……この契約書は無効になるのか?」

 室伏は、書類に目を落とした。

「いえ、無効では無いですが……あ! 勿論、成功報酬の100万円は支払いますよ。 そうじゃなくて、この5月はどうしましょう、って事なんです」

 そう、これまでのやり取りで分かると思うが……サクラは、先日のテストに合格していた。

「ああ、そういう事か。 つまり、俺は5月まで契約で縛られているが……ライセンスは取れたので、それのトレーニングをする必要が無い。 だけど、次の……更に上のトレーニングをしたくても、契約が無いので、出来ない」

 うんうん、と室伏は頷いた。

「はい、そういう事です。 で、ですね……ニコレット……」

 後ろに立っていたニコレットが、新しい書類を出してきた。

「……これが、一つの案です。 これで良ければ、5月いっぱい契約をお願いしたいのですが」

「うん……」

 室伏は、その書類を取り上げた。

「……んー アクロバットは、分かる。 「エクストラ300LX」だもんな……アクロバット機だ。 でも、この「レースコースのフライト」ってのは何だ?」

「あ、それはですね……私も室伏さんのようにレースに出てみたい、って……」

「やめたほうが良い!……」

 室伏が、サクラの言葉を遮った。

「……あれは、女の子がするもんじゃない。 確かに、飛んでる女性も一人いるが……見ていると、大変そうだ。 それに、今は中断している。 知ってるように、一人亡くなったからね。 危険なんだ」

「でも、でも……室伏さんは出てるじゃないですか! あの「ルクシ」ちゃんは、その戸谷さん……私の入った家の方、がレースのトレーニングに使ってたものです。 飛べなくなって、可愛そうです」

 サクラは、胸の前で両手の拳を上下に振り、大きな膨らみが反動で上下に揺れた。

「……そ、そう言ってもだ……」

 一瞬、下に向いた視線を、室伏は戻した。

「……かなり体力がいるぞ。 退屈な筋トレをしなくちゃならない。 それも……半年じゃ足りないかも」

「大丈夫です。 それに……どうせ今は中断中だから、今すぐ出場するわけじゃないですから」

「つまり……」

 室伏は、組んだ拳の上に顎を乗せた。

「……ちょっと経験してみたい、ってことか?」

「……はい……」

 サクラは頷いた。

「……そうか……分かった。 それなら、良いだろう……」

 室伏は、胸ポケットからペンを取り出した。

「……ここにサインをすれば良いんだな」

「はい、それで良いです。 報酬は、そのままですが……それで良いんですね?」

「ああ、構わない……」

 返事をしながら、室伏はサインをした。

「……これで良いな。 んで、いつから飛ぶ?」

「連休明けからお願いします。 その頃には、ライセンスも届くでしょうから……」

 受け取った契約書に、サクラもサインをした。

「……はい、保管をお願いします。 ニコレット……これを保管していて」

 そして複写された契約書を室伏に渡し、オリジナルをニコレットに渡した。




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