表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い桜  作者: 道豚
35/150

ケブラー入りのブラ

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します。


 サクラが室伏に操縦を習い始めて3週間経った。

 春ということで、なかなか晴れが続かずに練習できたのは2日に1日程度だったが、日に2回飛ぶこともあったので、飛行時間は15時間になっていた。

「クリアリング ターン」

 サクラの宣言に続いて「エクストラ300LX」は右、左、と旋回をする。

「オールクリア……ループ ヘディング270度で開始」

 小さなバンクを取って少しコースを修正すると、サクラはピッチレバーを調整してエンジン回転数を2400rpmに合わした。

「(……ん! こんなもん……)」

 そのまま左手をスロットルレバーに添え、速度を慣れた所に合わせる……

「(……よっし! ……)」

 そして、スティックを握っている右手の下に左手を持って行き、握った。

「(……ヘディング、速度……OK……エイッ!)」

 素早く計器をチェックし、サクラは足を踏ん張って一気にスティックを引いた。

 「エクストラ300LX」は大きく機首を上げて、空を駆け上がる。

「(……ぅん!……)」

 計器盤に付いたGメーターの針が回り、サクラはシートに押し付けられた。

「(……ン!……ン!……)」

 強いG……ループは最小でも4G(これ以下では頂点で速度が落ちすぎる)……により頭部の血液が減り、貧血状態になるのを防ぐため、サクラは短く息を吐いて、体幹に力を込めた。




 やがて「エクストラ300LX」は垂直を通り越し、背面姿勢に近づいた。

「(……フローティング……)」

 やや上を向いた姿勢で水平線を見ながら、サクラは引いていたスティックをニュートラル付近に戻す。

 遠心力が小さくなり……重力と同じくらいになり……サクラは無重力状態(0G)になった。

「(……ふぅ……)」

 この先には、再びGに耐える時が来るが、とりあえずサクラは一息入れた。




 空は機首の下に消えていき、眼前には青い海が広がっている。

「(……アイドル……)」

 一旦左手をスティックから離して、サクラはスロットルレバーを引きエンジンのパワーを落とした。

 すぐに左手をスティックに戻すと、ゆっくりと引き始める。

 「エクストラ300LX」はループの後半に入った。




「……ン!……ン!……」

 再び体幹に力を込めてGに耐えながら、サクラは水平線を見ていた。

 そして……

「(……レベル!……)」

 水平線が正面に来た時にスティックをニュートラルに戻すと同時に……

「……ドンッ!……」

 「エクストラ300LX」は軽いショックを受けた。

「(……上手くいった……)」

 これは何が起きたのか……つまり、ループを始める前に自分が起こした乱気流に、自分自身が飛び込んだのだ。

 要するに、スタートと同じ高さ、同じ位置に戻ったと言える。

「(……スロットル……)」

 サクラはスロットルを開いた。

「今のは上手かった。 さあ、そろそろ帰ろうか」

 前席でサクラの操縦を見ていた室伏が、インカムで言った。

「はい」

{『……高知タワー エクストラ111G ……』}

 サクラは返事をすると管制を呼んだ。

 そう……ライセンスが来て、サクラは自分で無線が使えるようになっていた。




 周囲をガラス窓で囲まれた部屋の中に、数人の男が居た。

{『……高知タワー エクストラ111G ……』}

 突然、流暢な英語がスピーカーから流れ出す。

 ヘッドセットを付けた男達が、我先に手元のスイッチを倒した。

{『……エクストラ111G 高知タワー どうぞ……』}

 他の男達との争奪戦に勝った者が、頬に笑みを浮かべてマイクに向かって話し出した。

「(……くっそー 野郎、二度目だろうが……)」

「(……ああ……サクラちゃん……次は俺が話すから……)」

「(……あのオッパイ……)」

     ・

     ・

     ・

 周囲からは羨望や嫉妬の眼差しが向けられていた。




 サクラの乗った「エクストラ300LX」が格納庫の前に止まると、男女二人ずつ、計4人のグランドクルーが駆け寄った。

 男は車止めを置いたり、機体の整備を始める。

 女性は踏み台を置き、キャノピーの開くのを並んで待っていた。

 そこにニコレット……そう、イロナは帰国しニコレットが来ていた……が近寄った。

 キャノピーが開き、前席から室伏が降りてくる。

「室伏様、おつかれさま」

「おつかれさまでした」

 ニコレットに続いて、並んだ女達がお辞儀をした。

「お! おお……いつもながら、慣れないな……」

「もう一週間経つのに……」

 気圧された様に立ち止まった室伏に、サクラがコックピットの中から言った。

「……ま、仕方がないかなぁ……」

 このグランドクルー達は、ニコレットがハンガリーから連れてきたのだ。

「……メイドなんて、日本にはいないもんね」

 そして女性達は……服装は整備士の様な「ツナギ」だが……実はメイドなのだった。




『……それで、具合はどうだった?』

 サクラと並んで歩きながら、ニコレットが尋ねた。

『ん、良かったよ……』

 サクラが頷いた。

『……今日はプラス5Gからマイナス1G位掛かったんだけど、特にズレも無くて痛くもならなかった』

『そう……それじゃ、あと何枚か作っておくわね』

 ニコレットはチラッとサクラの胸を見た。

『ん、お願い』

 さて、二人は何の話をしているのか……

 ……あまり大きな声では言えないが……

 サクラのブラの事なのだ。

 あの恥ずかしいフライトスーツを覚えているだろうか。

 なぜ、あれほど胸が強調されていたのか……

 ……実は、胸の場所にしっかりした補強が入っていたのだ。

 アクロバットをすると、パイロットには大きなGが掛かる。

 「エクストラ300LX」は、プラス10Gからマイナス5Gまで掛ける事が出来るほどだ。

 つまり、体重が10倍になることもある……そうなっても機体は壊れない。

 重くなるのは、体の全てであるから……当然、サクラの大きな胸も重くなる。

 普段でも重いそれが、10倍の重さになったら……市販のブラの肩紐など、いともたやすく切れてしまう。

 実際「恥ずかしいから」と普通のフライトスーツで飛んだとき、簡単にブラの肩紐は切れて、その上ホックも壊れ……ノーブラ状態になったのだった。

「(……あれは痛かった……)」

 数キロ……あるいはそれ以上?……の物が暴れまわるのだから、痛くないわけはないだろう。

「(……恥ずかしかったし……)」

 その時上げた悲鳴を室伏に聞かれ、さらにその理由を説明するのは……サクラは、今思い出しても顔が熱くなる。

 そんな訳で、サクラはニコレットに連絡して「ケブラー」入りのブラを、作ってもらったのだった。

 因みに、ヒップや太腿の部分がピッチリしていたのもGに対抗するためだった。

 つまり……Gによって……下がってくる血液により足が浮腫むくむのを防ぐ効果を持たせていた。




 サクラの真っ赤な「フォレスター」が空港の駐車場に置いてある。

『……妖精ちゃんに会えるのね』

 サクラのやや後ろを歩きながら、ニコレットが嬉しそうに言った。

『うん。 飛行場に行くって言ってた。 今日が高知で飛ばす最後だよ……』

 サクラはキーを取り出すと、解錠ボタンを押した。

『……愛知県に行くんだって。 寂しくなるね』

『そうなの? タイミングが合わずに、ハンガリーでも会えなかったのに……』

 ニコレットはサクラを追い越し、運転席のドアを開けた。

『……これで会えなくなるのかしら』

『これで最後って事はないと思うよ……』

 サクラは、ニコレットが押さえているドアから「フォレスター」に乗り込んだ。

『……博美も、偶には帰ってくるだろうし……ライセンスが取れれば、行っても良いしね』

 ニコレットが助手席に乗って来るのを待って、サクラはエンジン始動ボタンを押した。

『それって……あの飛行機で行くってことね……』

 ニコレットは、シートベルトを締めた。

『……遠慮したいわ』

『え~~ なんで? ルクシちゃんの何処がいけないのさ』

 ギヤを入れながら、サクラが口を尖らせた。

『だって せまいし うるさいし 揺れるし お尻は痛くなるし……』

『前もそんなこと言ってたよね。 ニコレット……おばん臭い』

『失礼ね。 私はまだ30前よ……』

『つまり、アラサーって事だね』

『…………』

 黙ってしまったニコレットを乗せて、サクラがアクセルを踏んだ。




「来てくれたんだー!」

 サクラが「フォレスター」を駐車場に止めると、博美が駆け寄ってきた。

「もちろん! 当たり前じゃない」

 サクラは窓を開けて答え、それからドアを開けた。

「飛行機の練習をしてるんでしょ? 来れないかも、って思ってた……」

 車から降りたサクラの手を、博美は握った。

「……それで、そちらの方は?」

「……はじめ まして。 わたしは ニコレット と言います……」

 いつの間にか、サクラの斜め後ろに来ていたニコレットが、右手を出した。

「……ようせい さんには いぜんから あいたかったです」

「あ、はい。 初めまして……」

 博美は、ニコレットの手を握った。

「……日本語が話せるんですね。 サクラさんやイロナさんとは、どういう関係ですか?」

「ニコレットは、私専属のメイドだったんだけど……」

 横からサクラが説明を始めた。

「……今は秘書? かな。 イロナはトレーナー兼第2秘書、って感じ」

「……そう ですね。 それが いちばん あってるかも」

 それを聞いて、ニコレットは頷いた。




 大きなワンボックス車から張られたタープの下……どうやって持って来たのか分からない程大きなテーブルの上……「さわち」が二皿置いてあった。

 テーブルの周りにはラフな……端的に言えば、小汚い普段着……姿の男が何人も立っている。

「やあ、いらっしゃい……」

 サクラたちを見た一人が、持っていたカップを置いて右手を出した。

「……久しぶり、サクラちゃん」

「安岡さん、おじゃまします……」

 サクラは、その手を握った。

「……一月以来ですね。 おひさしぶりです」

「ああ、そうだね。 あの時は寒かったよね……」

 安岡は、サクラの後ろに視線を向けた。

「……今日はイロナさんと一緒じゃないんだね」

「ええ。 イロナは帰国しまして、代わりに彼女が来たんです」

 サクラが、少し横にズレた。

「……はじめ まして ニコレット です」

 ニコレットが前に出て、右手を差し出した。

「や、日本語が話せるんだね。 はじめまして、ヤスオカです。 このクラブのオーナーです……」

 安岡はニッコリと握手をした。

「……なかなか美人さんだ。 博美ちゃんが居なくなって、飛行場が寂しくなるけど……サクラちゃんやニコレットさんが来てくれれば、それも紛れるね」

『……サクラ……ミスターヤスオカは、なんて言ったの?』

 安岡の言うことが聞き取れなかったニコレットが、小さな声で聞いた。

『ニコレットは美人だから、飛行場が華やかになるって。 良かったね』

『あら、嬉しい……』

 ポッ、と頬を染めたニコレットだった。




「……今日で、チームヤスオカは解散となります。 5年間、ありがとうございました……」

 カップを持って、新土居が皆の前に立っている。

「……しかし、博美ちゃんと我々は、これからもチームメイトです」

「皆さん5年間に渡り、お世話になりました……」

 新土居の横に博美も立っていた。

「……時々は帰って来ます。 その時は、今までと同じように、色々教えて下さい」

「それでは、博美ちゃんの門出を祝って……乾杯!」

「「乾杯!」」

 新土居の掛け声に合わせて、皆がカップを上げた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ