離陸
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
{『エクストラ111G 高知タワー 離陸に支障なし(Cleared for take off)』}
滑走路32の端に着いた所で、管制に従ってタワーに繋ぐと、直ぐに離陸許可が下りた。
{『高知タワー エクストラ111G Cleared for take off』}
「さあ、行こう」
それに答えると、室伏はサクラに言った。
「はい……(……ブーストポンプON……燃料OK……)」
サクラは、電動燃料ポンプのスイッチを入れ、スロットルを開けた。
「エクストラ300LX」は滑走路に進入した。
「ここで質問だ……」
機首が滑走路の向きである320度になったところで、室伏が尋ねた。
「……現在風向き270度。 これは安全に離陸できる横風成分か?」
飛行機は、基本的に風に向かって離着陸する。
そのほうが地面に対してゆっくり飛べるから、なのだが……
厄介なのは、風は滅多に滑走路の向きに吹かない事だ。
強い横風を受けると、飛行機は風に流され滑走路からはみ出してしまう。
「……ルクシちゃんの「実証された最大横風風速」は15ノットです。 滑走路と風向のズレは50度。 だから……」
サクラは右の太腿に目をやった。
そこには、さっき書いたメモと、簡単な数表が付けてある。
「……横風成分は10ノット弱ぐらい……」
その中の三角関数を見て、サクラは暗算をした。
飛行機には夫々、離着陸するときに許されている横風の強さがある。
正確には、テストフライトで実証された強さなのだが……まあ、あえてそれを越す風の中を離着陸する酔狂なパイロットは居ないだろう。
「……ん、大丈夫です」
「OK。 よく出来た。 それじゃ上がろう」
満足げに、室伏は頷いた。
サクラの操作により、フルパワーを出したライカミングエンジンが「エクストラ300LX」を加速させた。
走り始めて、直ぐにサクラは操縦桿を押して、尾翼を持ち上げ胴体を水平にする。
「(……わっとー! ラダーが足りない……)」
胴体が水平になったお陰で前方視界が開け、サクラは進行方向が左に曲がっているのに気が付いた。
慌てて右のラダーペダルを蹴飛ばし、機首を滑走路と同じ向きに合わせる。
「エクストラ300LX」に搭載されているエンジンは、パイロットから見て時計の針の回る向きと同じ方向に回っている。
こういう回転方向のプロペラから押し出される気流は、垂直尾翼を左から押す性質があり……結果として、機首を左に向けようとする。
それを防ぐために、パイロットは……殆ど無意識のうちに……右のラダーペダルを蹴る。
サクラも、当然の様に操作していたのだが、左からの横風のせいで、思ったよりラダーの効き具合が少なかったようだ。
「……ふふっ……」
機体の動きを知るためにシートに体を沈めた室伏は、その辺りの経緯を感じて、微笑んだ。
向かい風成分10ノット……風速5メートル程度……の風を受け「エクストラ300LX」はドンドン加速する。
そして百数十メートルほど走っただろうか……
「(……68ノット! ローテート……)」
離陸速度になった時、サクラはそれまで押していたスティックを、ゆっくりと引いた。
ふわり、と「エクストラ300LX」は地面を離れる。
「(……ん!……)」
地面の影響を受けなくなったせいで、機体は右に流れていこうとした。
サクラは、それまで踏んでいた右のラダーペダルの力を緩めた。
すこし左に向けて、流されない様にするのだ。
「(……エルロンが軽くなってる。 流石は塩頭さんかな?……)」
スペードを大きくした事により、操作力が軽減されたエルロンで傾きを修正しながら、サクラは「エクストラ300LX」を殆ど上昇させず、さらに加速させた。
そうして百数十メートル……
「(……110ノット……よし……)」
およそ、時速200kmになった時、スティックをもう少し引いた。
「エキストラ300LX」は機種を上げ、力強く上昇を始めた。
サクラは操縦桿を左手に持ち替え、右手をサイドにある「エレベータートリム」のレバーに添えた。
ゆっくりと「アップ」側に動かし、左手のスティックに掛かる力の変化を見る。
「(……よっし、こんなもんかな……)」
ある所で、スティックを引く力が要らなくなる。
これで、手放し飛行ができる様になった。
「(……エンジン2400rpm……)」
再び右手でスティックを握り、左手でスロットルを調整する。
いつまでもフルパワーでは、エンジンをオーバーヒートさせてしまう。
このライカミングエンジンは……フルパワーでは2700rpmで回るのだが……それは5分以内に制限されていた。
「(……ブーストポンプOFF……)」
そして、上昇姿勢の安定したことを確認して、サクラは電動ポンプを止めた。
「エクストラ300LX」は今、毎分2000フィートの割合で高度を上げていた。
{『エクストラ111G 高知タワー 管制空域を出ようとしています 周波数変更許可』}
上昇しながら左に90度ターンしたあたりで、管制から無線が入った。
{『高知タワー エクストラ111G 管制空域離脱 それじゃ、後ほど』}
それに室伏が、砕けた調子で答えた。
「スコーク 1200」
それを聞きながら、サクラはトランスポンダーのコードを打ち込んだ。
これで、この飛行機は「有視界飛行」をしている事を、レーダーサイトからの問い合わせに対して自動的に答える様になった。
眼下を海岸線が通過していく。
「(……高度3500……)」
ぽつりぽつり、と千切れ雲の浮かんだ空間で、サクラは水平飛行に移行する用意を始めた。
スティックを僅かに押し、上昇率を下げていく。
それに連れてスピードが上がるので、様子を見ながらスロットルレバーを引いてパワーを落とす。
「(……アルティチュード4500……スロットル60%……162ノット……)」
曲技飛行機としては物足りないほど、の余裕を持って「エクストラ300LX」は水平飛行に入った。
「(……混合気 薄い(リーン)……エレベータートリム……プロペラピッチ クルーズ……)」
水平になった所で、サクラは混合気調整ノブをそれまでのパワーポジション……濃い(リッチ)……からリーンに動かし、エレベータートリムレバーを調整した。
飛行機のエンジンは、空気の濃い地上から薄い上空まで対応できるように、混合比が変えられる様になっている。
リッチのままでも飛べるのだが、燃費が悪くなるのだ。
リーンすぎるとエンジンがオーバーヒートしてしまうので、その辺は温度計を見ながら調整する事になる。
そしてエレベータートリム……
これは重要で、ズレたままではスティックにいつも力を入れ続けなければいけない。
短時間なら良いが、流石に長くなると疲れてしまう。
更に……
飛行機の速度は、このエレベータートリムで変わると言っても良い。
主翼の発生する揚力は、気流に対する上向きの角度……迎角と言う……によって変わり、その迎角を変えるのが昇降舵で、そしてエレベーターの中立を変えるのがエレベータートリムなのだ。
迎角が大きいと揚力が大きくなり、結果としてゆっくり飛べる。
迎角が小さいと揚力は小さくなり、早く飛ばないといけない。
こう書くと、分かりやすいだろうか……
ある迎角に対応する速度は一つなのだ。
例えば50%のパワーで水平飛行をしている時、60%にしたらどうなるだろうか?
自動車なら速度が早くなる。
しかし飛行機は速度はそのままで上昇するのだ。
40%に下げたら?
そう、飛行機は同じ速度を保ったまま、高度を下げる。
ならば、飛行機はどうやって速度を変えるのか……
そこで登場するのが迎角であり、それを変えるエレベーターであり、それを調整するエレベータートリムと言う訳だ。
そして、最後に調整したのはプロペラピッチ。
これは、簡単に車に例えれば、走行状態によってギヤを変えるようなものだ。
これまでは登っていたのでローピッチ。
水平飛行になったのでハイピッチ。
そこまで単純ではないが……大体そんなものと思えば良いだろう。
「(……エンジン2200rpm……)」
ピッチが大きくなって抵抗が増え、回転数が僅かに下がったが、これは正常だ。
「……ふぅ……」
忙しい離陸操作が終わり、サクラは息を吐いた。
「エクストラ300LX」は高度4500フィート(およそ1400メートル)を時速300キロメートルで飛んでいた。
エレベーターと速度の関係は、分かりにくいですね。
パイロットから見れば、スティックを押せば早くなり、引けば遅くなります。
勿論、高度の変化を無視して考えればですけど……
因みに、最後の状態で一時間当たり50リットルほどのガソリンを消費します。
時速300キロですので、車のような表記だと6km/Lの燃費ですね。
ただ使用できるガソリンは航空用の100オクタンですので、1リットルで350円位します。
今回、一時間のフライトを予定していますから、水平飛行だけで17500円です。
それに離陸分とエアロバティック分、そして余裕分が要るので……35000円ほどガソリンを積み込んでいます。
吉秋だったころは大変だったでしょうね。
サクラはお金持ちだから……どおってことは無いでしょう。