航空無線通信士試験
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
2月の第3日曜日、サクラは再び大阪に来ていた。
目の前には9階建てのビル。
その入り口横には「日本無線協会近畿支部」の文字が見えている。
『んじゃ、サクラ、頑張ってね。 私は大阪城を見に行くわ』
横に立つイロナが「そわそわ」としている。
『んー 今日も行くの? 昨日も行ったのに』
そう、昨日と今日の二日掛けて、ここで航空無線通信士の試験が行われるのだ。
『だって……すぐ先、歩いて行けるところに大阪城があるんだから。 行くしかないでしょ』
そしてイロナは、ただ待つのは「もったいない」と大阪観光をしていた。
『はいはい、分かったよ。 それじゃ、1時30分には帰っててね』
『はーい。 それじゃねー』
サクラを残し、イロナは交差点を渡って行ってしまった。
さくっ、と試験は終わり……既に持っていた資格であり、吉秋にとっては欠伸が出るほどの問題だった……サクラはビルから出てきた。
『サクラ、出来は如何?』
そこには、既にイロナが居た。
『ん……完璧。 全問正解じゃないかなぁ……』
眩しさに手のひらで庇を作って、サクラはイロナを見た。
『……最後の英会話なんか……面白かったよ』
『英語の会話? そんなのも試験にあるのね』
駅に向かって歩き出したサクラの横に、イロナは付いてきた。
『うん。 試験官と差し向かいで話すんだけど……私の顔を見るなり、その試験官の顔色が変わったんんだよね……』
思い出したのか、サクラは「くすくす」笑い出した。
『……もう、噛む噛む。 それで、見てると真っ赤になってね……「いいです」だって……』
『それは、サクラに見とれたのかしら?』
イロナがサクラの顔を覗き込んだ。
『え! 違うちがう……』
サクラは、イロナの顔の前で小さく手を振った。
『……聞いたら「ネイティブの方なら試験の必要は無いです」だって。 私はネイティブじゃ無いのにね』
『……んん? そうよねー 日本人って、白人は皆んな英語がネイティブだって思ってる。 実際は違うのに』
『そうだよねー イロナなんて、英語不得意だもんね』
『でも、ドイツ語は得意よ!』
ぷいっ、とイロナは顔を背けた。
『八尾に行くのよね?』
イロナがチケット販売機の前に立った。
『うん、そうだよ……』
その横でサクラは路線図を見上げた。
『……ん~ 直接は繋がってないね……調べるから、待って』
『そうなの? んじゃ……どうぞ』
イロナは横にずれ、後ろの人に順番を譲った。
「ああ、サンキュー」
サラリーマンだろうか、スーツを着た若い男がたどたどしくお礼を言った。
『どういたしまして……』
イロナはサクラの横に立った。
『……日本人は、ちゃんとお礼を言うわよね。 それは凄いと思うわ』
『まぁね。 そういう風に教えられてるから……』
スマホのスクリーンを指で擦りながら、サクラはイロナの独り言のような言葉に答えた。
『……よし、分かった。 ここからメトロで天王寺まで行って、そこでJRに乗り換えだね』
『天王寺までチケットを買うのね……』
イロナは列に並びなおそうと後ろを振り向いた。
「どうぞ」
『……あら? ありがとう』
しかし、並んでいた女性がイロナに順番を譲った。
『ね。 親切にすると、こんな風に自分も親切にされるんだよ。 これを「情けは、人の為ならず」って言うんだ』
その様子を見て、サクラはイロナに耳打ちをした。
「こんにちは、室伏さん……」
八尾空港に来たサクラは、中村の会社の格納庫で室伏と会っていた。
「……今日、運んで頂けるんですか?」
「やあ、サクラちゃん……」
握手のために右手を出した室伏は、フライトスーツを着込んでいる。
「……そうだね。 もう、いい加減出さないと、格納庫が満杯だ」
そう、サクラの「エクストラ300LX」は、とっくに整備は終わっていたのだが、それなのに「どうせ飛ばせないから」と預かってもらっていたという訳だ。
しかし、流石に邪魔になってきていた。
「あ、それじゃ格納庫の鍵を渡しておきますね……」
『イロナ、おねがい』
それを聞いて、イロナがバッグから大きな鍵を取り出した。
「……どうぞ。 勝手に開けて構いません。 私たちが帰るのより室伏さんが早いでしょうから」
「OK それじゃ格納庫で待ってるとしよう」
室伏はイロナから鍵を貰うと、バッグに仕舞った。
辺りが闇に包まれた頃、サクラとイロナは並んで高知空港のボーディングブリッジを……今日の使用機材はボーイング737だった……歩いていた。
窓から見えるエプロンは照明が当たっていて明るいが、サクラの使っている格納庫の辺りは薄暗い。
「(……格納庫に灯りが点いてない。 室伏さんは如何してるんだろう?……)」
『格納庫、暗いわね……』
イロナは、外を見ているサクラに気が付いた。
『うん、そうだね。 室伏さんは何処だろう?』
サクラは外を向いていた視線を戻し、止まっていた歩みを再開した。
「やあ、おかえり」
到着ロビーに出たところで、サクラに声をかけてきたのは、室伏だった。
フライトジャケットではなく、セーターにジーンズという姿だ。
「室伏さん。 こんな所に居たんですか……」
キャリーバッグを引いたサクラは、室伏の前に歩いていった。
「……格納庫が暗かったから、どうしたんだろう、って思ってました」
「いや、誰も居ない格納庫の中に居たって、つまらないだろ……」
室伏は手を伸ばして、サクラのキャリーバッグを引き寄せた。
「……どれ、持ってやるよ。 んで、これから如何するんだ?」
「軽く食事でも、って思ってますが……イロナ?」
サクラは後ろのイロナに合図をした。
『はい。 予約できてます』
イロナは頷いた。
「それじゃ、行きましょ。 室伏さんもどうぞ」
歩き出すサクラを、室伏とイロナは追った。
三人の眼の前に……鰹とウツボのたたき、鰹コロッケ、鯨のカツ、巻き寿司……等が並んだ。
「ん~~ 美味しそう」
眼を細めて香を嗅ぎ、サクラは「にこにこ」と箸を持った。
ここは漢字一文字の名前の付いた、高知では有名なレストランの空港店だった。
「な、なかなか珍しい物があるね……」
室伏は、並んだ料理とメニューを見比べている。
「……郷土料理なのかな?」
そう「鰹のたたき」なら、今では全国で食べられるが「ウツボのたたき」などは、なかなか食べられる物ではないだろう。
鯨のカツなど、中央に行くと高級料理になるかもしれない。
「ん? そうなのかなぁ……」
さっそく巻き寿司を一口齧ったサクラが、首を傾げた。
「……よく知らないけど、多分そう」
『ほらー 飲むんだろ?』
横からイロナが、ビールの瓶を室伏に突き出した。
「ただいまー」
『帰りました』
玄関の鍵を外し、サクラとイロナはドアを開けた。
「おかえり。 遅かったね」
それを聞きつけ、理英子が居間から出てきた。
玄関に置いてある時計は、9時30分を指している。
「うん。 室伏さんと晩御飯を食べて、ホテルに送ってきたから」
脱いだ靴を揃えながら、サクラは軽く答えた。
「あ、あんた……」
それを聞いた理英子は眼を見開いた。
「……男とホテルに行ったの! イロナさんも居るのに……」
「行ったんじゃ無い。 送ったの!」
サクラは立ち上がって、理英子を見下ろした。
『なに? いきなり大声で』
突然始まった応酬に、イロナが口を挟んだ。
『室伏さんとホテルに行った、って言うんだよ……』
サクラは振り返って、まだタタキに立っているイロナを見た。
『……ねえ、ただ送っただけだよね』
『そうね……』
イロナは頷き……
「……りえこ さん サクラ は けし て ホテルに はいって ませ ん」
たどたどしく、理英子に言った。
「あ、そう……イロナさんが言うなら……」
ほっ、と理英子は息を吐き……
「……あんた、お風呂に入るでしょ。 出たらお父さんが話があるって。 居間においで」
そう言って、居間に入って行った。
風呂から上がり、髪を乾かした……少し伸びて、今は長めのショートボブ? 程度になっている……サクラは、ダボッとしたパジャマ姿で居間にやって来た。
そこでは孝洋がテレビを見ている。
「なに? お父さん……」
サクラは、邪魔にならないように後ろを回って、ソファに腰掛けた。
「……何か、話があるって?」
「ん。 ちょっと、おまえに仕事をさせようかと……」
孝洋はテレビのスイッチを切り、サクラを正面に見るように体を回した。
「……いくら金持ちでも、遊んでばかりではダメだろう」
「あ、遊んでなんてないよ! ちゃんとレースに出るための準備をしてるんだから」
いきなりの事に、サクラは声が大きくなった。
「そうか? そのレースに出るには、いったい幾ら掛かるんだ? その費用は誰が出すんだ? 結局はヴェレシュさんのお金だろ……」
孝洋は、腕を組んだ。
「……吉秋。 おまえはどうやってレースに出てた? 自慢じゃないが、俺には財産なんてものは、殆ど無い。 だから……おまえは自分で稼ぎ、スポンサーを探して出ていたよな」
「……う、うん。 全部自分でしてた」
「そうだ。 ところが今はどうだ? 転がり込んできた財産を使うだけでレースに出ようとしている。 それは、お前が迷惑を掛けたサクラさんに、申し訳ないと思わないか?」
「……うん。 そ、そうだね……」
俯いたサクラは、小さく答えた。
「と、言う訳で。 お前が出来そうな仕事を見つけてきた……」
孝洋はテーブルの下から、A4のプリントを取り出した。
「……英会話の先生だ。 これなら体力的にも大丈夫だろ?」
「んー 多分……」
サクラはプリントを取った。
「……へー 高専の臨時講師?」
ハローワークから貰ってきたのだろう。
そのプリントには、就労条件や連絡先が書いてある。
「ああ。 なんか、今の講師が帰国するらしい。そんな話を聞いたから、プリントを貰ってきた……」
孝洋はサクラの持っているプリントを指差した。
「……週3日で、それも半日だから。 飛行機の練習もできるだろ?」
「うん。 その辺は大丈夫だと思うけど……高専って20才まで通ってるんだよね。 私と同じ年なんだけど……舐められないかなぁ」
「そこは問題無いだろう。 授業の相手は1年生と2年生らしい」
「んじゃ、15才と16才かー 生意気盛りだね」
「その辺のあしらいは外国暮らしで慣れてるだろう? どうする?」
「ん……やってみようかなぁ」
サクラは、プリントを見るために伏せていた顔を上げた。
「よし。 そう言うと思ったから、来週に面接を申し込んでおいた」
「はあ! なんで、勝手に決めるんだよぉ~」
サクラは、今上げた顔を伏せてしまった。
自家用飛行機を飛ばす場合は、航空無線通信士までの資格は必要でなく、航空特殊無線技士という資格があれば良いようです。