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紅い桜  作者: 道豚
28/147

教官

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 国際線の到着ラッシュとなる朝の関西国際空港。

 その国際線到着フロアにある、女神のマークのコーヒーショップにサクラは居た。

 胸の下で腕を組み、スマホを眺めるサクラの前には、弱々しく湯気を上げるコーヒーカップが「ぽつん」と置いてある。

「(……7時45分の到着だから……)」

 スクリーンをスワイプして、サクラは時計を表示させた。

 既に時刻は8時になっている。

「(……もう直ぐ来るかな?……)」

 手を伸ばし、サクラはコーヒーカップを取り上げた。




 サクラがコーヒーを飲み干した頃、店の入り口にブラウンの髪をショートカットにした、パンツスーツの女性が立った。

『サクラ!……』

 彼女は店の中を見渡すと、そのガッチリした体で椅子やテーブルを器用によけて、サクラに向けて歩いてきた。

『……元気そうね』

『いらっしゃい、イロナ。 日本へようこそ』

 サクラは立ち上がると、両手を広げた。

『ん~~ 相変わらず細いわね……』

 同じように腕を広げて、イロナはサクラをハグした。

『……ちゃんと食べてる? ダイエットなんてしちゃダメよ』

『た、食べてるよ……んで、苦しいんだけど……』

 力の強いイロナにハグされて、サクラは息が詰まっていた。




『……っま、それもあってイロナに来てもらったんだけど』

 サクラは2杯目のコーヒーに口を付けた。

『そういう事なら、私に任せときなさい。 ニコレットじゃ、トレーニングのことなんて分からないわ』

 機内食の朝食では足りなかったのか、イロナの前にはサンドイッチが置いてある。

『頼もしいね、よろしく……』

 サクラはコーヒーカップを置いた。

 つまり、どういうことかと言うと……サクラは最近、体力の無い事に気が付いたのだ。

 ふつうに暮らしていくには、まあどうにか問題は無いのだが……エアレースに出るのは、いささか……いや、かなり心もとない。

 吉秋の入る前のサクラは……やはりお嬢様だった事もあり……せいぜい同年代の女の子程度の筋肉量だった。

 しかるに、エアレースを飛ぶときはプラス10Gもの加重の下で、重い操縦桿スティックを引き続けなければならない。

 しかもブラックアウト……脳に流れる血液が足りなくなって、視野が失われる……を防ぐために、体幹に力を込め続けるのだ。

『……ま、それも高知に帰ってからだね』

『あら……今すぐじゃないの? 私の筋肉は、既にうずいてるわよ』

 イロナは、サンドイッチにかぶりついた。

『今日は八尾空港に行って、私の飛行機の様子を見たいんだ。 ついでにエアロバティックのトレーニングについて相談するつもりだから。 って、よく食べるね……』

 サクラの目の前で、サンドイッチはイロナの口に消えていった。




 八尾空港に程近いビルの中、古ぼけたソファにイロナと並んでサクラは座っていた。

「……え~っと……点検整備は、あと数日で終わる予定です」

 二人の前に座った……50代だろうか……ラフな姿の男が手元の資料をテーブルに出した。

「分かりました中村さん。 予定通りですね……」

 サクラは、資料を引き寄せた。

「……ん~~ 意外と掛かってますね。 これ……は必要かー ん! 溶接?」

 資料から目を上げて、サクラは中村を見た。

「あ、ああ。 それは……」

 中村は手を伸ばして、サクラの持っている資料を捲った。

「……ここに書いてあるけど」

 数枚捲ったところを、中村は指差した。

「尾輪取り付け部の補強……」

 サクラはそこを読んだ。

「……もしかして、あのままじゃ折れた?」

「いやー まず大丈夫だろうけど……」

 ぽりぽり、と中村が人差し指で頬を掻いた。

「……うちのメカニックがさ、どうしても気になるからって」

「そうなんだ……」

『……サクラ、何か問題?』

 困り顔のサクラを見て、イロナが聞いた。

『……ん? うん。 大丈夫かも知れないところを、メカニックの人が溶接したんだって』

 サクラは、資料を持ち上げて、イロナに見せた。

『見せられても、日本語じゃ読めないわよ。 でも……それは必要な事だったの? それとも過剰?』

『分からない。 でも、もし折れたら……』

 サクラは宙を見た。

『……運が悪いと、地上でひっくり返るかな?』

『そういうことなら、それは必要ってことじゃない? 予防安全よね』

『そう……そうだね……』

 サクラは中村を見た。

「……ん、分かりました。 このまま支払いましょう。 小切手でいいですね?」

「ありがとう。 もちろん小切手でかまいませんよ」

 ほっ、とした顔で中村が頷いた。

『イロナ。 このままの金額で小切手を用意して』

『はい。 今すぐに書くわ』

 イロナはビジネスバッグを開け、分厚い小切手帳を取り出した。




「少し相談があるんですけど」

 金庫に小切手を仕舞ってきた中村に、サクラが切り出した。

「何かな?」

 中村は、先ほどと同じ場所に座った。

「2月にある航空無線の試験を、受けるつもりなのですが……」

 サクラは、事務の女性が淹れてくれた、紅茶に口をつけた。

「……その後、ライセンスを取る為の、教官を紹介してくれませんか? なるべく早く取りたいので、専属で教えてくれる方が良いのです。 費用は少々高くても構いません」

「それは高知で、って事かな? そういう滞在費も持つと……」

 中村も紅茶のカップを手に取った。

「はい。 そういう経費は全て持ちます。 誰か心当たりは?」

「うん、一人居るよ。 と言うか「エクストラ300LX」なんて飛ばせるのは、日本に何人も居ないからね。 丁度、仕事がなくて困ってるようだ。 今から聞いてみようか?」

 中村はポケットからスマホを取り出した。




{……うん、そうそう。 全て持ってくれるそうだよ……ん? それは相談すれば良いんじゃないかな? ……そうか、とりあえず話を聞いてみるかい? んじゃ、八尾の格納庫で}

 中村は電話を終え、スマホをポケットに戻した。

「あの……今のは? ひょっとして……」

 その様子を見て、サクラは尋ねた。

「……そう、室伏君だよ。 彼、エアレースが中断して、収入が減っちゃってるんだ。 スポンサーからの資金も減っててね……何かないか、頼まれてたんだよ」

「そ、そうなんですね。 そう言えば、この間はフェリー要員してましたね」

「そう、そんな事も頼んでるよ。 彼なら「エクストラ」シリーズは詳しいから、教官には申し分ないよね……樋口さん、格納庫に行ってくるから」

 中村は、事務の女性に声をかけると、立ち上がった。




 広い格納庫の中に、セスナやエアロスバル等の軽飛行機や、モディナやグローブ等のモーターグライダーが並んでいた。

 そして、その中でシルバーに輝いているのは、サクラの「エクストラ300LX」だった。

「うわぁ! 綺麗になったー……」

 それが目に入った途端、サクラは駆け出した。

「……すべすべー……」

 そしてサクラはエンジンカウルに抱きつき、頬をこすりつけた。

「ははは……気に入ってくれたかい?」

 そのサクラに、誰かが話しかけた。

「……え! 誰? ルクシが喋った?」

 びっくりして、サクラは周りを見渡した。

「誰だい? ルクシって……」

 そう言って、機体の反対側から現れたのは、青い「つなぎ」を着たごま塩頭のオジサンだった。

「あ、オジサンの声でしたか……ごめんなさい。 えと……ルクシっていうのは、この子のことです」

 恥ずかしくなったサクラは、頬を染めて「ぴょこっ」と頭を下げた。

「ああ、そうか。 LXだからルクシだね。 女の子は、よく愛称をつけるもんなー なかなか可愛い名前じゃないか……」

「……塩頭しおずさん。 なぜか知ってるみたいだが、彼女がオーナーのサクラさんだよ」

 そこに中村が来た。

「……ああ、知ってるよ。 こんな可愛い女の子がアクロ機を持ってるなんて、評判になってたからな」

 塩頭はサクラに向かって「にっこり」微笑んだ。

「それでサクラさん、この塩頭さんが、さっき溶接したって言ったメカニックだよ」

 塩頭の肩に手を置いて、中村はサクラに言った。

「(……え、塩頭さんって言うんだ。 ずっとオジサンで通ってたから、知らなかった……)」

 そう、サクラはけして初対面ではない。

 吉秋だった頃に、何度も「エクストラ300LX」を持ち込み、整備をしてもらっていたのだ。

「……は、始めまして。 サクラといいます」

 しかし、そんな事はおくびにも出さず、サクラは右手を出した。

「はい、始めまして、塩頭です。 ここのチーフメカニックです。 ま、皆はオジサンと呼ぶから、サクラさんもそう呼べばいいからね」

 塩頭は、慌ててウエスで拭った右手で、サクラの手を握った。




「……それで、このスペードなんだが……」

 点検項目を説明しながらサクラと「エクストラ300LX」を一周したところで、塩頭が主翼の下を指差した。

 そこには、補助翼エルロンから出たアームに付いた、小さな板が見える。

「……見たところ、サクラさんには小さいんじゃないかな?」

 その板は……スペードと呼ばれている……空気の流れを利用してエルロンの操舵力を低減させる物なのだ。

「これは、吉秋君が使っていた時のままだろ?」

 塩頭は指差したまま、振り返ってサクラを見た。

「ええ。 そのままです」

 サクラは頷いた。

「やっぱりな。 ここまで飛ばしてきたって聞いたんだが、エルロンが重かっただろ? 少し大きくしようか……」

「……それが良いな」

「わ!……」

 直ぐ後ろから突然聞こえた声に、サクラが振り返った。

「よ! 久しぶり」

 そこには……何時の間に近づいていたのか……ポケットに手を突っ込んだ室伏が居た。




「……で? サクラちゃんは、俺を雇ってくれるんだって?」

 格納庫の中にしつらえた休憩場所……小汚いソファと、近くに自販機がある……に移動したところで、室伏が切り出した。

『サクラ、チョッと待って……』

 そんな室伏を遮って、イロナはバッグから綺麗な布を取り出すと、ソファに掛けた。

『……はい、いいわ』

『ありがと』

 サクラはゆっくりとソファに腰掛けた。

「はい。 室伏さんが宜しければ、3月から……ん~ 5月? ライセンスが取得できるまで、という事で」

「期間的には、大丈夫だ。 それで、必要経費は全て持ってくれるのか?」

 室伏は、サクラの正面のソファに座った。

「はい。 ホテル代、交通費、食事代等、全て持ちます。 それに報酬として3カ月で150万、ライセンスが取得できた時に、成功報酬で100万支払います……」

 背筋を伸ばし、サクラは室伏を見た。

「……3カ月を過ぎた場合、延長分として一ヶ月につき30万。 これは日割り計算します」

「……ん、随分と高待遇だが、其方はそれで良いのか?」

 膝の上に頬杖を突いて、室伏は聞いた。

「もちろん。 これで良ければ契約書を作りますが?」

「OK それで俺も問題ない」

「ありがとうございます……」

 サクラはニッコリすると……

『……イロナ。 今すぐ契約書を作って』

 後ろに立っているイロナに命じた。




 ここでストックが無くなりました。

 次回からは不定期投稿になります。

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