HIROMIの友人
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
「……それじゃ、サクラさん替わるね。 ユーハブ コントロール」
「アイハブ コントロール」
博美のコールに合わせ、サクラの持つ送信機がアクティブに変わる。
博美の手によって離陸した「エクストラ330SC」のスケールモデルのラジコン機は今、安全高度で水平飛行をしていた。
「(ん! 意外と敏感……)」
完璧な水平飛行で交替したのだから……スティックに触らなければ……そのまま飛んで行くはずなのだが、ついついサクラはスティックに力を入れてしまった。
「エクストラ330SC」は、だんだんと上下左右に揺れだした。
「サクラさん、貰うよ。 アイハブ コントロール」
このままでは制御できなくなると考えた博美が、操縦を替わった。
「……ユーハブ……」
機体の制御が離れた事に気がつき、サクラはスティックから指を離した。
さっきまで不安定に揺れていた「エクストラ330SC」は、ピシッと水平飛行を始めていた。
「……あはははぁ……難しい……」
風上側でターンして帰って来る機体を見ながら、サクラが零した。
「……外から見て操縦するのが、こんなに感覚が違うなんて……」
「情報が、全て「目」からだもんね。 慣れないと難しく感じるかもしれないねー」
大してスティックを操作していないのに、博美の手にかかると飛行機は真っ直ぐ飛んでいる。
「高校の頃に、少しラジコンをした事があったから、簡単に飛ばせると思ったけど……」
ふぅ、とサクラはため息を吐いた。
「……実機の感覚に慣れすぎたんだなー」
「経験があるんだから、すぐに慣れるよ。 さあ替わるよ。 ユーハブ コントロール」
「OK アイハブ コントロール」
サクラはスティックに指を添えた。
「……ふぅ……」
ワンボックス車から張られたタープの下、テーブルの上で頬杖をついて、サクラは息を吐いた。
「……難しいね。 マニューバを練習できるかと思ってたけど……とても今日は無理だね」
「そうだねー 流石にサクラさんは勘がいいけど……もう少し慣れないと無理かもね。 どうぞ……」
前に座った博美が、ポットから注いだ紅茶を差し出した。
「……ありがとう……ん、温まるね……」
両手で紙コップを持って、サクラは一口飲んだ。
「……ん? 車だ……」
砂利を跳ね飛ばす音にサクラが振り向いた。
飛行場に続く道を、後ろに砂埃を立てて、セダンがかなりのスピードで走ってくる。
「あー 安岡さんだよ。 雑誌の記者を連れてくる、って言ってたから」
同じように紅茶を持った博美が言った。
雑誌の取材を受ける博美を、サクラはフォレスターに凭れ見ていた。
「(……ドイツの雑誌か……)」
聞こえてくる言葉はドイツ語だ。
「(……ドイツ人が東洋人に興味を持つなんてなー 流石は博美だよな……ん?……)」
サクラの方に、一人歩いてくる。
「……サクラ。 久しぶり」
黒スーツの男が右手を出した。
「……ん? あなたは……ダニエルじゃないの。 どうして此処に?」
目の前でサングラスを取ったのは、何時もヴェレシュの側に居て、通訳をしている男だった。
「あの記者達の通訳で来たんだ……」
ダニエルは「チラッ」と後ろに視線を送った。
「……彼らがサクラに気が付かないように、また気が付いた時には上手く処理するように……そういう風に命じられてね。 そこで、もし良ければ車の中に居てくれないかと……」
「そう、分かった。 あなたも大変ね」
「いやいや。 これ位大した事ないさ。 それじゃ隠れる事、頼んだよ」
ダニエルは「回れ右」して帰っていき、サクラはフォレスターに乗り込んだ。
『……やあ、あそこの彼女は何者だった?』
帰ってきたダニエルに、記者の一人が尋ねた。
『HIROMIの友人だそうだ』
『美人だったろ? 一緒に取材できないかな』
『言ってみたんだが、日本人は「シュヒテルン」だからな……物凄くいやな顔されたぜ。 見ろ、車に入っちまった』
『はあ、仕方が無いな……』
ダニエルの言う通り、さっきまで車に凭れていた女性は居なくなっている。
『(……日本人ねー あんなに背が高くて、胸の大きな女が日本人に居る? なーんかおかしいんだよな……このダニエルって奴は……)』
『…………』
首を捻る記者を、ダニエルは無言で見ていた。
12月も末の今の時期は、日が暮れるのが早い。
空は綺麗な夕焼けに染まっていた。
「サクラさん。 そろそろ、今日は終わりにしようよ」
トレーナーコードで繋がった送信機を首から下げたサクラに、博美が声をかけた。
「……ん……そう?」
視線を空に向けたままでサクラは答えた。
「うん。 流石にもう暗いよ。 片付ける事を考えたら、時間切れだねー」
実際、今飛行機を出しているのは、サクラと加藤だけだった。
「……うーーーん……だいぶ慣れたところなのに……」
そう、朝から積極的に飛ばしこんだサクラは、今では殆ど博美の手助けなしで操縦していた。
「……分かった。 ねえ、着陸操作しても良いかな?」
「そうだねー 試してみる? 進入コースだけでも」
サクラの操縦を見て、博美は「いけるかな?」と判断した。
「先ずやって見せるから」
操縦を替わった博美が「エクストラ330SC」を、滑走路の正面50m程の所で風下に水平飛行させる。
「この位置が「ダウン ウインド レグ」だね。 高度はこの程度かな」
「意外に低いんだ……速度は?」
考えてみれば、ラジコン機は速度計が付いていない。
実機ならばスティックの重さで、それなりに当てに出来るのだが……送信機のスティックの重さはスプリングで決まっていて、いつも一定だ。
「これは経験だねー エレベーターの引き方とスロットルの開き方、その時のエルロンの聞き具合。 そんなもので、失速までの余裕が分かるんだ」
話しているうちにも機体は進み、風下の方で後姿を見せている。
「ターンするね……」
ゆっくりとバンクを取り「エクストラ330SC」は旋回を始めた。
「……ここがベースレグ。 少しずつ高度を下げる」
90度旋回してサイドを見せるようになった機体が、少しずつ低くなる。
「……そろそろ最終旋回。 この位置と高さを覚えてて」
滑走路の延長線上で、再びターンをすると「エクストラ330SC」は正面を向いた。
「接地点の目標は、自分の正面……つまりセンターだね」
博美は操作しているのだろうか……近づいてくる「エクストラ330SC」は、まるでレールに乗ったように、小揺るぎもしない。
「さあ、やってみて。 ユーハブ コントロール」
滑走路上をスロットルを開けながら通過したところで、博美はサクラに操縦を預けた。
「アイハブ コントロール……」
サクラがスティックに触ると、確かに「エクストラ330SC」は反応する。
「(……よーし、コントロール出来てるな……)」
スロットルを開いているせいで、機体は少しずつ上昇している。
「(……まだまだ……ん、そろそろかな?)」
「サクラさん。 旋回してクロスウインドレグに入れよう」
二人の感覚は、ほぼ同じなのだろう……サクラが思ったと同時に、博美から指示が来た。
「うん」
サクラはエルロンスティックを右に倒し、同時にラダースティックも倒す。
「エクストラ330SC」は、右にバンクをして上昇しながら旋回をした。
「(……うぇ! む、向きが……)」
無事にダウンウインドレグ、ベースレグ、と回ってきた「エクストラ330SC」が、最終旋回をしてファイナルレグに入った途端、サクラは半ばパニックになった。
「(……逆じゃないか! こ、こっちか?……)」
なぜならファイナルレグでは、機体は真っ直ぐ自分の方を向いている。
これは実機に乗っている時では、絶対経験できない状態だ。
ゲームでも、殆ど経験する事は出来ないだろう。
そう……エルロンとラダーに反応して機体の動く方向が……スティックを動かす方向と……まるで逆になったように見えるのだ。
「エクストラ330SC」は激しく蛇行を始めた……
……が、
「……アイハブ コントロール」
博美のコールと同時に「ピタリ」と揺れが止まった。
「ちょっと、サクラさんには早かったかな?」
スロットルを開き「エクストラ330SC」を上昇させながら、博美はサクラを見た。
「……う、うん……」
頷くサクラは、血の気が引いて真っ白に見える親指を、スティックに当てたままだった。
綺麗に拭き上げた「エクストラ330SC」を、サクラは「フォレスター」に積み込んだ。
「(……さて、忘れ物はないかな?……)」
リヤゲートを閉め、今日一日機体を置いてあった場所を「きょろきょろ」と見て回る。
「サクラさん。 忘れ物はない?」
そうしている所に、博美が来た。
「うん、大丈夫みたい……」
サクラは屈んでいた腰を伸ばした。
「……本当に「エクストラ330SC」を、私が持って帰って良いの?」
「持ち主に聞いたから、大丈夫だよ。 井上さん、って言うんだけど……今は愛知県の方に行ってて、借りてる部屋が狭いから置けないんだって。 小さい子がいるから……」
博美が「ふんわり」と笑った。
「……直貴君っていって、可愛いんだよ。 多分、正月には帰って来るから……初飛行会に来たら会えるんじゃないかな」
「ん、分かった。 それじゃ、家に置いておく」
頷くと、サクラは右手を出した。
「うふ……やっぱり握手なんだね……」
それを右手で博美が握る。
「……さよなら。 またメールを送るから」
「さよなら。 また教えて。 メール待ってる」
胸の前で手を振って、サクラはフォレスターに乗り込んだ。
**********
『……ダニエル。 どうしてOOSAKAに飛ぶ飛行機がキャンセルになったんだ?』
高知市内のビジネスホテルのロビーに、ドイツ語が聞こえる。
『申し訳ないパウル。 私のミスだ』
黒スーツの男が答える……が、大して気にしてないようだ。
『ま、いいじゃないか。 少しゆっくりしていこうぜ。 此処からでもメールで写真は送れるからな』
もう一人がカメラからSDカードを取り出して、タブレットに差し込んだ。
『そうだな……うん、流石はマティアスだ、綺麗に撮れてるじゃないか』
スライドされる写真は、博美と彼女の「ミネルバⅡ」だ……
『……ちょっと待て!』
いきなりダニエルが手を伸ばし、そのスライドを止めた。
そこに映っているのは……脚を交差させて真っ赤な車に凭れ、胸の下で腕を組んでいる、真っ赤な髪をシュートカットにした女性だった。
背の高い事が、車との対比で分かる。
サングラスの所為で、よく分からないが……随分と整った顔をしているようだ。
『ぅお! 何だ?』
マティアスがダニエルを見た。
『この写真は消去しろ。 他には無いか?』
ダニエルの口調が固い……
『そ、そんなことは出来ない。 彼女もHIROMIを囲む人物だ』
マティアスが言う……
『……これでもか?』
ダニエルは上着の中に右手を入れ、徐に真っ赤なカードを取り出した。
カードには金色で文字が書かれていた。
『……う! そ、それは……』
マティアスの顔色が見る見る悪くなる。
『……ダ、ダニエル。 お前は何者だ?』
パウルの声も震えていた。
『俺は、ダニエル……ただの通訳さ。 ヴェレシュ家のな……』
平然とダニエルが答える。
『……ヴェ、ヴェレシュ……』
『……わ、分かった。 消す……今すぐに』
パウルは絶句し、マティアスはタブレットの消去アイコンに触れた。
『そのSDカードは、俺が貰う。 替わりに、これを使え……』
ダニエルが新しいSDカードを出した。
『……消去しても、データは残っているものだ。 このSDカードに必要なものだけをコピーしろ。 いいか、必要なものだけだぞ』
『分かった。 言う通りにするから……頼む、見逃してくれ……』
震える手でマティアスはSDカードを受け取った。
『それと……』
ダニエルはパウルに顔を向ける。
『……今日の事は忘れろ……誰にも言うなよ。 でないと……物理的に思い出せなくなるぜ』
『今日見たことは……HIROMIの事以外は忘れる。 も、もう忘れた……』
青い顔で、パウルは何度も頷いた。
シュヒテルン=Schüchtern=恥ずかしがりや のつもりですが、合ってますかね?