モード2
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
高知市より西に10キロメートル程の所を仁淀川が流れている。
四万十川を代表に、総じて高知を流れる川は「清流」と呼ばれてもおかしくない流れだが、この仁淀川も澄んだ水が流れていた。
その広い河口近くの堤防に、真っ赤な「フォレスター」が停まっている。
中には真っ赤な髪……車の色とお揃い……をショートカットにした女性が座っていた。
「……ふぁ……もう直ぐかな……」
運転席のサクラは、欠伸をしながらスマホを見ていた。
年末も近いとは言え、今日は風が弱く、車の中は……暖房を入れなくても……暖かで眠気を誘う。
「(……忘れ物は無いはずだよな……)」
振り返ってみる後ろには「エクストラ330SC」が積まれていた。
暫し後……
「(……ん? 来たのかな?……)」
ふっ、とサクラは後ろに車の止まる気配を感じて、眼を開けた。
ルームミラーに目をやると、ミラー一杯にキャブオーバー車のラジエーターグリルが映っている。
サクラはドアを開け外に出た。
「サクラさん、おはよう」
ショートボブの女性が、後ろに止まった大きなワンボックス車の後部ドアから出てきた。
「おはよう、博美」
そちらに歩いていくと、サクラは右手を出した。
「ぁは……やっぱり自然と握手するね……」
博美も同じように右手を出した。
「……んじゃ、先導するから付いてきて」
「わかった。 よろしく……」
博美は再びワンボックス車に乗り、サクラはフォレスターに戻った。
ここ太平洋側は、冬の間乾燥している。
「(……なんにも見えないぜ……)」
その為河川敷の砂利や砂はよく乾いていて……サクラのフォレスターは、前を走るワンボックス車が巻き上げる砂塵に巻かれていた。
「(……お! 遅くなったか?……)」
しかし、それも僅かの時間だけ……
飛行場に近づいたのだろう……ワンボックス車が速度を落としたことにより、サクラは視界を取り戻した。
「(……割と広いんだ……)」
フィレスターの前方左側に、綺麗に芝生の刈り込まれた広場が見えていた。
駐機場として使われている部分と駐車場としての場所の間に、背の低いフェンスが置いてある。
博美の乗ったワンボックス車は、その側に……フェンスと平行に……止まった。
その後ろに、サクラはフォレスターを止める……
……と、博美が車から降りて走ってきた。
それを見てサクラはサイドウインドウを開ける。
「サクラさん。 車はフェンスに直角に停めて……」
運転席に駆け寄った博美が、身振りを加えて言った。
「ごめんね、サクラさん……」
フォレスターを停め直して降りてきたサクラに向かって、博美が「ぴょこっ」と頭を下げた。
「……チームヤスオカのワンボックス車って大きいから、こんな風に横向けに停めるんだ。 普通は直角に停めるのがルールなんだよ」
「別に気にしてないよ。 どこにでもルールってあるよね」
サクラが、胸の前で手を振った。
「よかった。 んじゃ、飛行機を出そうよ。 飛行機はすぐそこに置くんだよ。 私も自分のを出すね」
駐機場所を指さすと、博美はワンボックス車に歩いて行った。
学校は休みに入っているが、今日は平日なので社会人のクラブ員は、誰も飛行場に来ていない。
駐機場には博美の「ミネルバⅡ」と森山の「ミネルバ」、加藤の「ミネルバ110」そしてサクラの「エクストラ330SC」の4機だけが並んでいた。
「そういえば……新土居さんだっけ、今日は居ないの?」
メカチェックをしている博美に、サクラが尋ねた。
「新土居さんは、今日は仕事だって。 なんか「ミネルバ」の注文が凄いそうだよ……」
スイッチを切って、博美はサクラを見上げた。
そう……今、安岡模型は空前絶後の好景気に沸いていた。
「……外国からも大量注文があって……今注文しても、出来るのは2年後らしいよ」
その原因は、つまり……博美が世界チャンピオンになったことにある。
ただのチャンピオンではない。
先ごろ行われた……サクラが見に行った……選手権大会の決勝で、博美は4ラウンド全てで1000点を叩き出したのだ。
可愛い女の子が満点で世界チャンピオンになったのだから、世界中のラジコン関係雑誌が、表紙に「ミネルバⅡ」を持った博美のポートレートを乗せた。
それによって、何が起きたか……今更言うまでも無い。
「ミネルバ」というスタント機が、世界標準になり……HIROMIのファンが百万人ほど誕生したのだった。
「博美ちゃんのサイン入り生写真を同封しようか、って話もあったんだぜ。 今からでもサプライズで入れようか?」
いつの間にか森山が近くにいた。
「やめて! 恥ずかしいから……」
「ぅお! ぃてーー」
博美の抜き手が、森山の脇腹に突き刺さった。
「そんな訳で、今でも時々外国の雑誌が取材に来るんだ……」
サクラの飛ばす予定の「エクストラ330SC」のチェックをしながら、博美が話している。
「今日も、実は来るんだよねー」
あ~あっ と博美が溜息を吐いた。
「どこから?」
博美と一緒にサクラもチェックしていた。
「ん~ ヨーロッパだったと思うけど……忘れちゃった」
「な、なんか……博美らしいね」
えへっ、と笑う博美をサクラは呆れたように見た。
チームヤスオカのワンボックス車から張られたタープの下で、サクラは博美のフライトを見ていた。
「(……凄い……練習で、こんなに集中できるんだ……)」
森山の次にフライトの準備を始めた博美だが……その時から、普段の「ぽやぽや」した雰囲気は消し飛び 、とても話しかけられないほどの威圧を周囲に振りまいていた。
そして、それは今も続いている。
「(……あんなに若いのに……まるでベテランのエアロバティックパイロットのようだ……)」
サクラが吉秋だった頃、若さに任せて挑戦したエアロバティック大会……そこで見たパイロット達と、今の博美は同じ空気を纏っていた。
サクラの操縦する「エクストラ330SC」が、滑走路を右から左、左から右へと走っていた。
「(……ん~~ スロットルが右っていうのは、慣れてきたけど……)」
実機と違うスティックへの舵の割り付けに、慣れようとしているのだ。
「(……補助翼と昇降舵が別のスティックというのは慣れないなー……)」
そう、実機だと一本のスティックでエルロンとエレベーターを操作するのだが、ラジコン機は……特に日本では……右のスティックでエルロン、左のスティックでエレベーター、と別になっているのだ。
「(……高校の頃は、全然問題じゃなかったんだけど……実機を長く飛ばしてたからかなー……)」
サクラは近くまでタキシーさせると「エクストラ330SC」のエンジンを止めた。
「サクラさん、もう止めるの?」
横に立って一緒に見ていた博美が尋ねた。
「ん……やっぱり慣れない。 このままじゃ危険だよ」
博美を見て、サクラはゆっくり首を振った。
「しょうがないねー 森山さんに頼もうかな」
「ん? 何を頼む?」
「送信機の改造。 きっと簡単に直してくれるよ」
首をかしげるサクラに、博美は微笑んだ。
空を見上げ「ミネルバ110」を操縦する加藤の後ろで、サクラは博美と並んでフライトを見ていた。
「こうして見ると大きさって、そんなに違って見えないね」
「ミネルバ110」は「ミネルバ」を80%に縮小した機体で、搭載できるエンジンが一クラス小さいのだ。
「うん、そうだね。 小さい分、近くを飛んでるんだ。 だから見た目の大きさは同じだよね。 でも近い分、速度が速く感じてしまうんだよ。 だって落下する加速度って、大きくても小さくても同じだから……」
「ああ、分かった。 Gだね。 確か9.8メートル毎秒毎秒だった……」
「そうそう、そういう事」
「ふうん……」
サクラは目線を下げて、博美を見下ろした。
「ん? 何、サクラさん」
それに気がつき、博美が飛行機からサクラに視線を向けた。
「……博美って……意外と理数系の頭をしてるんだなー 理系女なんだ」
「意外と、って何? 私は高専の機械科にいるんだよ……」
博美の頬が「ぷっ」っと膨らんだ。
「……サクラさんこそ、理屈っぽいじゃない。 理系女だよね」
「当然だよ。 飛行機を操縦する者は、物理が分からなけりゃ、失格だよ。 ライセンスが取れないから」
「当然、当然かー……」
博美はサクラの言葉を口の中で転がした……
「……サクラちゃん、出来たよ」
全員が一度ずつ飛ばし……サクラは走らせただけだが……タープの下で休憩していたところに、森山がやって来た。
「……ちゃん、は……何か嫌なんだけど」
サクラは顔を上げて森山を見た。
「そうは言っても、まだ19歳なんだろ? 日本では未成年だ。 子供っていう事だね」
「(……う~~ そうだけどさー 中身はアラサーだけどなー……)」
「まあまあ、そう膨れずに……」
無言で膨れっ面を向けるサクラに、森山は送信機を差し出した。
「……はい、スティックの交換をしたよ。 これで実機と同じように操縦出来るんじゃないかな」
「あ、ありがと……」
手を伸ばし、サクラは送信機を受け取った。
「……あー スロットルが左になってる」
送信機をテーブルに置き、サクラはスティックを彼方此方動かした。
「これ、右のスティックが、エルロンとエレベーターになってるのかな? ニュートラルがあるけど」
「ああ、その通り。 左右のスティックを入れ替えて、更に繋がってるチャンネルも取り替えた。 左がスロットルとラダー、右がエルロンとエレベーターだ」
森山が「うんうん」と頷く。
「これで飛ばせるね。 トレーナーコードを繋いで飛ばそうよ」
横で聞いていた博美が……トレーナーコードを取ってくるのだろう……ワンボックス車に入っていった。
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所は変わって、ヤスオカ模型に近い路面電車の降車場。
師走の買い物客に混じって、ラフな格好をした金髪の男が二人降りてきた。
『ここで良いのか?』
そのうちの一人が、後ろに向かって尋ねた。
『ああ。 ここでいい。 あそこに見えるのが「ヤスオカ」だ』
二人の後ろには、ワイシャツに黒スーツの男が立っていた。
三人が見る先には、壁に飛行機が浮き彫りになっているビルが有った。
スロットルが右スティックに割り当てられているのを「モード1」と言い、日本では主流です。
スロットルが左で、右スティックにエルロンとエレベーターを割り当てるのは「モード2」と言います。
これはアメリカで主流らしく、ヨーロッパは混在しているようです。
「モード2」は実機に似ているので、実機パイロットの方がラジコンを飛ばすときに使っているのを雑誌で読んだ事があります。