ヤスオカ模型
「たいくつ~~~」
リビングテーブルの上に雑誌を投げ、サクラはソファーに寝転んだ。
「あんた、なにしゆうが。 年頃の娘が、ハシタナイぜよ」
それを、丁度キッチンからオヤツと紅茶を持って来た、理英子が見咎めた。
「別にええろぉ? スカートを穿いちゅう訳じゃないしぃ。 誰も居らんき」
そう……大阪に「エクストラ300LX」を持っていって2週間……ニコレットが先週から一時帰国してしまい……サクラは理英子と二人で家に居る事が多くなっていた。
二人が土佐弁丸出しで話しているのは、そのニコレットが居ないから……別にニコレットの前で取り繕っていた訳ではなく、少しでもニコレットの日本語勉強になるようにと……特に理英子は、慣れない標準語を話していたのだ。
「いかん。 絶対忘れて、人前でもするきに。 ちゃんとしときぃ」
「……はい、はい……」
渋々起き上がったサクラの前に、ロールケーキが置かれた。
「あんた、ひまひま言うて……なんかすること無いがかえ?」
「無い。 飛行機は整備中やき……」
紅茶の入ったカップを持ち上げ、サクラは一口飲んだ。
「……なんちゃー することが無い」
「あんた、えらいお上品に飲むねー」
サクラに持ち上げられたカップの下に、ソーサーが添えられている。
「ん? ニコレットに特訓させられたが。 あの人、こわいでー」
「そうかえ? 優しそうやけんど……こうするが?」
理英子がソーサーを持ち上げて、カップを口に当てた。
「そうやけんど……お母さん、似合うちょらんねー」
「放ちょいて。 どうせ、お母さんは田舎もんよね」
口を尖らせて、理英子はケーキにフォークを突き刺した。
高知市の中央に位置する「はりまや橋」。
そこから「土電」と呼ばれる路面電車で一駅離れた所に「ヤスオカ模型」はあった。
店の表は電車通りに面していて、裏側に駐車場が有る。
表側に比べて飾り気の無いそこは、普段は人気が無い。
しかし夕暮れの近い今の時間は、駐車する場所にも困るぐらいの車と、それに乗ってきた人で混み合っていた。
そんな駐車場に赤い「フォレスター」が来た。
戸惑ったように一旦止まったその車は、辛うじて一台分空いていた駐車枠にバックで入った。
狭いところに上手く収まったところで、運転席から真っ赤なショートヘアーで背の高い女性が降りてくる。
その場にいた男達の視線を気にする様子も無く、ジーンズとデニムのジャケット姿の女性は、ドアを押して店に入っていった。
後には……
「……誰だ?」
「……外人さんやろ? 社長の商売相手かぁ?」
「……えらいベッピンさんやったが……」
「……背ぇ高かったがやー ……」
「……胸、大きかったがー 外人は大きいんやな……」
「……髪が真っ赤やったで。 地毛やろうか……」
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男共の呟きが残された。
女性が店に消えて数分後、駐車場に大きなワンボックス車が現れた。
サイドに書かれた「team yasuoka」そしてその下の「Pilot Hiromi Akimoto」という洒落た文字が輝いている。
「……おー 博美ちゃんのお帰りだ……」
それを見た誰かが声を上げた。
駐車場に空きが無く、ワンボックス車は近くの道路に止まった。
後部ドアが開き、ショートボブの女の子が降りてくる。
「こんにちわー 皆さんお揃いですね」
近くまで歩いてくると、その子は和かに挨拶をした。
「今日は人が多いですねー 駐車場に空きが無いなんて」
「博美ちゃん、おかえり。 ああ、俺らーが駄弁っちょって、車が多いのは認めるけんど……そこの赤い車……さっき外人の女が来たが。 それまで空いちょったがやけんど……埋まってしもうた」
クラブ最年長の男が答えた。
「外人さんですかー 社長のお客さんかな?」
博美は、軽く首を傾げた。
「俺らーも、そう言いよったがやけんど……」
何故か、そこで言いよどんだ。
「……いやね、営業するにしても若かったがやき」
それを、別の男が引き継いだ。
「こう、真っ赤な髪の毛で……胸が大きかったが……」
「髪の毛が、真っ赤? それで……後は?」
男の言葉の最後の方は声が小さくなって、博美には聞き取れなかったようだ。
「……い、いやいや……何でもない……(……やばい……胸のことなんて言うたら、どんな目で見られるかわからーせん……)」
手を顔の前で振る男の視線は、博美の胸と顔を往復していた。
「(……真っ赤な髪の毛ねー 誰だろう?……」
博美は送信機ボックスを持ち、バックヤードに続くドアから中に入った。
在庫商品の棚に並んで、チームヤスオカの機体置き場がある。
「……博美ー 開けたままにしといてくれ」
後ろから声がした。
「はーい」
返事をしつつドアを押さえた博美の前を、背の高い男が分解された飛行機を持って通った。
「ねえ、康煕君。 真っ赤な髪の毛の外人、って……心当たりある?」
「……はあ? 俺の関係者に外人が居るはず無いだろ。 分かるわけ……」
棚の上に飛行機を置き、康煕は振り返った。
「……って、待てよ。 あの「サクラ」さん……ハンガリーの世界戦の時に会った……」
「……ああ……確かに真っ赤だったね。 でも、彼女はまだ大学生だよ。 仕事で日本に来るなんて事は無いよね」
一旦頷きはしたが、博美は腕を組んで首を傾げた。
「……なにを悩んでるんだ?」
「あ! 森山さん。 後は何が残ってます?」
そこに工具箱を提げて、森山がドアを潜ってきた。
「新土居さんが後は運ぶってさ。 っで、俺の質問への答えは?」
「あ、いえ。 えっと……サクラさんは、まだ大学生だからー 仕事で日本に来るはず無いなー って……」
「博美。 そんな説明じゃ、分かるわけないぜ」
キョトンとした森山を見て、康煕が横から割り込んだ。
「あ、ああ。 ちっとも分からん。 サクラさん、ってのはハンガリーの大会で会った女の子だよな?」
今度は森山が首を捻った。
「うん、そうだよ。 えっとね……そのサクラさんみたいに真っ赤な髪の毛の人が、お店に来たんだって」
どうやら博美の説明が、軌道修正されたようだ。
「……それで、そのサクラさんかも? と思ったけど、よく考えたら彼女は大学生だから……」
「……日本に来てることは、考えられない、って事なんだな?」
やっと分かった森山が、博美の言葉を繋いだ。
「ま、答えを知るのは簡単だぜ……店の中に行けばいい」
森山の親指が、店に繋がる通用口のドアを指した。
博美は通用口のドアを「そおっと」開いた。
「なーに こそこそ開けてるんだ?」
後ろから康煕の声がする。
「あ、あははは……なんとなく……」
言ってるうちに開放部は広がり、店の中が見え始めた。
部屋の隅にある通用口からはやや斜め前に……部屋中央にある……ショーケースになったカウンターが見える。
「(……居た……)」
いつものようにカウンターの中には専務の啓司が居て、博美からは背中が見える真っ赤な髪の女性と話していた。
「(……ほんと、真っ赤だ。 外人さん、背が高いよなー お尻も真丸で大きい……)」
「博美ちゃん、何してる?」
「っわ!」
呆然と眺めていた博美に、啓司から声が飛んできた。
「け、け、啓司さん……べ、別になにも……」
すごすご、と博美は通用口から店に入った。
「……で、何してたの?」
「……え、えへへ……外人さんが来たって聞いたから、知ってる人かなって……」
「博美!」
その外人は振り向くと、驚いたように名前を呼んだ。
「サ、サクラさん!」
そう……それは正に、ハンガリーの世界選手権の時に会った「サクラ」だった。
「えーーー! サクラさん、いつ日本に? 大学はどうしたの? 歩けるようになったんだ! 髪が短くなったねー 似合ってるけど。 お付きの女性は? イロナさんだっけ。 んで、どうしてここに? サクラさんは実機に乗るんだよね……」
「……ちょ、ちょっと待って……」
怒涛の質問に、サクラは博美の肩を押さえた。
「そんなに一遍に聞かれても……」
「ご、ごめん。 そうだよね、さすがに日本語は分からないよね」
「あ、それは大丈夫。 もう十分話せるから」
「そういえば。 発音から、完全に日本語だね」
そう、さっきから聞こえるサクラの声は、まったく訛りの無い日本語だった。
「不思議だよねー 英語で話すと怖く聞こえる外人さんが、日本語を話すと可愛く聞こえるんだよね。 サクラさんも、可愛い声だねー」
「えっ! 可愛い?」
「そう、可愛いよー」
「私、こんなに背が高いのに……」
「わー サクラさん、私って言えるようになったんだ。 やっぱり、それがいいね」
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周りの男たちは、呆れた様子で二人の怒涛のトークを聞いていた。
「……えー 日本に来てから、もう一ヶ月以上になるんだー」
サクラの話を聞いて、博美が声を上げた。
ここはモデルショップヤスオカ二階の応接室。
周りには、安岡が現役だった頃の、トロフィーが飾ってある。
博美とサクラは、向かい合ってソファーに座っていた。
「ねえ、今まで何してたの?」
「日本で住むための、いろいろな手続きをしたり……飛行機を関西の空港に運んだり……ニコレットとドライブしたり……」
サクラが指を折って行動を上げていく。
「飛行機を運んだ?」
さすが、飛行機の所に博美が食いついた。
「うん。 高知空港から八尾空港まで……」
「ねえ、何て飛行機?」
サクラがまだ話している所に、博美が質問を被せた。
「え、えと……エクストラ300LX」
「ええっ! それって……確かレースに出場してた、戸谷って人のエアロバティック機じゃない?」
博美が乗り出してきた。
「そ、そうだね……」
「それを、サクラさんが飛ばしたの? 凄いすごい!」
「あ、でも……私一人じゃないから。 室伏さんと一緒だった」
「ええ! あの室伏さん? レースに出てたよね。 優勝した事もある……」
「そ、そうだね……」
博美に気圧されて、サクラは殆ど話せない。
「いいな~ 私もエアロバティック機に乗ってみたい。 いつも外から見てるばかりなんだよねー あの中にいるって、どんな気分なんだろう? ねえ、今度乗せて」
「い、いいけど……まだ私は一人で飛ばせないの……」
サクラは、肩に伸し掛かってきた博美の手を、やんわり退けた。
「……健康診断はこの間受けたから……後は航空無線通信士の試験を受けて……それからやっと操縦士の試験が受けられるんだ」
「最後はいつぐらいになる?」
「おそらく……5月か6月ぐらいかなぁ? はっきりは分からないけど」
「あ~~ん……それじゃ、私は卒業しちゃう」
「どこかに就職するの?」
「愛知県に行くの。 中小企業だけどね」
「ラジコンは辞めないよね?」
「もちろん。 康煕君も近くに就職するんだよ。 これからも一緒に飛ばすんだ♪」
博美は花が咲いたような笑顔を、サクラに向けた。