身体検査
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
高知で借りている物と比較にならない大きさの格納庫の前で、サクラは「エクストラ300LX」のエンジンを止めた。
騒音から解放され「ほっ」としてヘッドセットを外す。
「……やれやれ……やっと着いた」
後ろの席の室伏が、年寄り臭い事を言うのがインカム越しでなく、直接耳に入ってくる。
「……え、えっと……そうですね?」
「聞かれたか?……サクラちゃんは、若いからなー これぐらいは平気なんだろうな」
苦笑気味に言うと、室伏はキャノピーを開けた。
「……い、いえ。 私も疲れてます。 それに室伏さんは往復したんですから。 仕方がないですよ」
ベルトを外して自由になったサクラが、振り返り室伏を見た。
「フォローをありがとう。 さあ、降りるか……」
それに「ウインク」をしてみせると、室伏はコックピットから体を引き出した。
いつの間にか、グランドスタッフの置いた踏み台が、機体の下にある。
室伏が降りたのを見て、サクラもコックピットから抜け出し、踏み台に足を置いた。
「(……ニコレットも無事着いたね……)」
すぐ後ろを飛んでいた「エクストラ300L」がすぐ隣までタキシーして来ると、グランドスタッフのサインに合わせて機体を止める。
エンジンが止まると、スタッフに手伝ってもらいながらニコレットが降りてきた。
『はぁ~ やっと着いたわ……』
ハンガリー語で愚痴を零しながら、サクラの方に歩いてくる。
『……ニコレット おばん臭い……』
『だって 狭いし 煩いし 揺れるし お尻は痛くなるし……』
ニコレットの鼻の上に、数本のシワが出ている。
『……だから、それが年寄りの言うこと みたいなんだって……』
「……ニコレットさんは、何だって?」
二人が言い合っているところに、中村が近づいてきた。
「あ、えっとですね……」
『……ま、待って!』
ニコレットが、慌ててサクラを止めた。
『……ねえ、そのまま訳すんじゃ無いわよね?』
サクラの肩を掴んで回れ右をさせると、ニコレットも回り、耳元で囁く。
『……ん? そのつもりだけど……』
『やめてよ。 恥ずかしいじゃない……それに、中村さんに失礼だわ』
『……んじゃ、どう言えば良いのさ?』
サクラが、首を傾げる。
『私が、自分で言うから』
ニコレットはサクラの肩から手を離し、中村に向き直った。
中村は我慢強く、女性二人の内緒話が終わるのを、待っていた。
「……Nakamuraさん ありがとう ございます たいへん きもちの いい Flight でした……」
にっこり、とニコレットは微笑んだ。
ニコレットは先に立って空港ビルを出ると、そのままそこに止まっていたハイヤーの運転手に声をかけた。
『連絡したヴェレシュだけど……』
『……はい、承っております。 伊丹まで、でよかったですか?』
意外な事に、その中年の運転手はニコレットの英語に、英語で答えた。
『そうね。 最終目的地はItamiでいいわ。 ねえサクラ』
『……う、うん。 そうだね……』
あまりの用意周到さに、サクラは付いていけない。
『……ねえ、ニコレット。 いつの間にハイヤーを予約した?』
『そうねー Awazi island の辺りかしら……これを使ってね……』
ニコレットは、バッグから通信衛星を使う携帯電話を、出して見せた。
『……でも、よく間に合ったね。 精々30分程度の余裕だよね……』
『……あら……そんなこと……ヴェレシュ家にとって、どうって事ないわ』
さ乗りましょ、と運転手が開けたドアに、ニコレットはサクラの手を引いた。
『……直接伊丹まで行きますか?』
ドアを閉めた運転手は、エンジンを掛けながら尋ねてきた。
『……先ずは、大阪市の中山小児内科クリニックに行って……』
『小児内科? サクラ、なんで子供の病院? に行くの?』
このまま伊丹から飛行機で帰ると思っていたニコレットが、サクラを見た。
『……そこって、航空身体検査ができるんだよ。 小児科なのにね……』
サクラもニコレットに顔を向けた。
『……と言う訳で……ニコレット、予約をして……』
『OK……分かったわ……』
ニコレットは、バッグからタブレットを出した。
八尾空港からクリニックまで、僅か5キロ程度しか離れていない。
10分後には、小さな子供達が居る待合室に、サクラたちは居た。
『……流石はヴェレシュだね。 こんな飛込みで検査が出来るなんてね……』
そう……このクリニックは、事前予約でしか検査を受け付けていないのだ。
しかも午前10時以前に眼科の検査……車で10分ほど離れている、他の病院で行う……を受けておかないといけない。
然るに、サクラたちが着いたのは10時を30分過ぎていた。
八尾空港に着いたのが10時ごろだったのだから、仕方がないことではある。
『まあね……でも、あんまり使っちゃダメよ』
『……うん、分かってる……』
「……おねえちゃんたち がいじん?」
「……っえ……」
いきなり声が聞こえて、サクラは首を回した。
そこにはサクラの顔を覗き込むようにした、小さな女の子が居る。
「……かみの毛、まっかだし……おめめもくろくない……」
「う、ううん。 私は日本人よ……見た目は違うけどね」
サクラは首を振った。
そう、どんなに日本人離れした風貌でも……サクラは日本人なのだ……戸谷家の養子なのだから。
「……そうなんだー いいなー りっちゃんも そんなに なりたいなー……」
「りっちゃん? りっちゃん、って誰?」
いきなりの個人名に、サクラは首を傾げた。
「りっちゃんは この人」
「……りっちゃん 呼ばれたわよ……」
女の子が自分自身を指差した時、お母さんと思われる女性がやって来た。
「……早くしなさい。 ここの先生は怖いんだから……」
「う、うん。 それじゃねー おねえちゃん……」
女の子は、そのまま手を引かれて診察室に消えていった。
「……戸谷さん。 戸谷サクラさん。 第2診察室にどうぞ……」
看護師が、扉の前でサクラを呼んだ。
「……ハーイ……(……第2診察室?……そんなの有った?……)」
ここはサクラが吉秋だった頃にも、身体検査に来ていた病院なのだが……第2診察室など、入った事が無かった。
「……サクラさん?」
前に立ったサクラを見て、看護師は疑問符を頭に浮かべたようだった。
それもそのはず、どう見ても日本人の名前なのに、目の前の女性は日本人には見えない。
「……はい……」
見上げる看護師に、サクラは頷いた。
「……そ、それでは付いてきてください……」
どうやら納得したのか、看護師は後ろの扉を開けて中に入っていった。
サクラ達の連れてこられた部屋の中央には、大きなドーナツ形の機械が置いてあった。
詰まる所、MRI装置なのだが、その側に居たのは……
『やあサクラ。 久しぶりだね……』
『……ツェ、ツェツィル!……』
ブダペストに居るはずのツェツィルだった。
『……な、何でツェツィルがここに?』
ニッコリと微笑むツェツィルを無視し、サクラは振り向いてニコレットを見た。
『仕方がないわ。 あなたは、もし調べられたら……特に、このMRIなんかでね。 脳に影が映りかねないんだから……』
ニコレットは、サクラの肩に手を置いた。
『……だから、ツェツィルが秘密裏に日本に来てたのよ。 ヴェレシュ家が手を回して、あなたが立ち回る先々に彼は現れるわ……鬱陶しいわよね』
『……うん、鬱陶しいよね……』
二人が横目で見たツェツィルは、笑顔のまま固まっていた。
ベッドに縛り付けられたサクラが、「ドーナツ」の穴に固定された頭を突っ込んでいる。
部屋の壁沿いに置かれた操作卓の前には、ニコレットとツェツィルが座っていた。
『……ん! 完璧だ。 どこにも出血や瘤が無い』
『……そうね。 これまで生活していて頭痛を起こしたり、目眩や手足の痺れを訴えた事は無いわ』
『どうやらサクラと吉秋は、とても相性が良いようだ』
『サクラ様は吉秋のファンだったものね。 もしかして Love だったのかしら……』
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モニターの前で二人が話し合い、
「……す~……」
久しぶりの操縦で疲れたのか……サクラは、いつの間にか寝てしまっていた。
診察室の扉が開き、母親と、手を引かれた女の子が出てきた。
「あー きれいな おねえさんたち いなくなってるー」
「なあに、りっちゃん 誰がいないって?」
「すごく きれいな おねえさんが ふたり いたんだよ。 まっかな かみのけでー おめめが はいいろなの。 もうひとりの おねえさんは きんぱつ だったよ」
「あらー 外人さんかしら。 小児科に、なんて珍しいわね」
「がいじんさんじゃ ないんだよー にほんじんだって いってたもん」
「あら、そう? んじゃ、髪の毛を染めて……カラコンを入れてたのかしらね」
「カラコン、ってなに?」
「お目々の色を変える……ん~ プラスティックの小さな板? かなー」
「りっちゃん それするー りっちゃんも あんなに きれいに なりたいー」
「ちょ、ちょっと……りっちゃんには、早いかな?」
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