八尾着陸
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サクラの右手には、遠くに和歌山の峰々と、その手前に青々とした紀伊水道が広がっていた。
今日は風が強く、海の上は一面に「うさぎ」が飛んでいる。
その風は「エクストラ300LX」を不規則に揺さぶり、サクラは小刻みにスティックを動かしていた。
「……サクラちゃん、疲れてないか?」
後席の室伏がインカムで尋ねてくる。
それと言うのも、サクラは彼是1時間近く操縦しているのだ。
自動操縦の付いてない「エクストラ300LX」は……特に今日のように風の強いときは……常に操縦し続けなければならない。
無意識にスティックを動かしているにしても、疲れは溜まってくるだろう。
「……いえ、大丈夫です……」
当然の様にサクラは否定するが……
「いや、代わろう。 サクラちゃんは着陸操作をしたいだろ? その時になって疲れてミスをしたらいけない」
室伏は交代を「やんわり」伝えた。
「……わ、分かりました。 ユーハブ コントロール」
「……OK。 アイハブ コントロール」
「ふぅ~」
スティックから手を離したサクラは、大きく溜息を付きシートに体を預けた。
{『……徳島タワー エクストラ111Gは管制空域を出ました……』}
「(……っえ?……)」
サクラは、インカムから聞こえる無線の声に「はっ!」っと目を覚ました。
{『……エクストラ111G 125.5で関西アプローチに繋いでください……』}
{『……徳島タワー 了解……』}
{『……関西アプローチ JA111G エクストラ300LX 徳島の北東4マイル 高度7500……』}
どうやら寝ていたようで、室伏が淡々と無線交信をしている。
{『……エクストラ111G 関西アプローチ 了解 高度規正値2992……』}
「……室伏さん……」
交信が一段落したのを見極めて、サクラがインカムで話しかけた。
「お! 目が覚めたかい?」
「……はい……すみません、どれ位寝ちゃってました? 今は何処でしょう……」
「20分程度じゃないかな? 今、徳島の上を通過した……」
{『……エクストラ111G 同空域に他機あり 8時の方角 4マイル 高度4100 エアバスA321 視認したら連絡してください……』}
室伏を遮るように、無線の繋がっている関西アプローチから連絡が入った。
二人は弾かれるように、首を左後ろに向けた。
いつの間にか、一緒に飛んでいる「エクストラ300L」がそこに見える。
しかし関西アプローチは「エアバスが近くに居る」と言っていた。
つまり、そこに見える「エクストラ300L」の事ではない。
今現在、サクラたちは高度7500フィートを飛んでいる。
そしてエアバスは高度4100らしい。
つまり、下に見えるはずだ。
「……よし、見えた……」
室伏の独り言がインカムから聞こえる。
「……私には、見えません……」
{『……関西アプローチ エクストラ111G エアバスを視認した……』}
サクラの言を無視するように、室伏は報告をした。
「(……はぁ……見つけられなかった……)」
「サクラちゃん、ガッカリすることはないよ……」
見えなかった事に落ち込むサクラに、室伏が話しかけた。
「……前席からだと主翼の陰になってたんだ。 見えるわけが無いさ」
実はそういう事だったのだ。
エクストラの……小型の前後席式は概ね……前席は機体の重心位置にある。
すなわち、そこは主翼の前縁から1/3の位置となって、後方下部が見えにくいのだ。
自分で操縦していれば、主翼を振ったりして確認できるが、今サクラは操縦してない。
よって見えなくてもしょうがない事だ。
「……そ、そうか……そうですね……」
「……と、言う訳で……どうだい? そろそろ代わろうか?」
落ち込んだときは、好きな事をして気を紛らせれば良い……
室伏は、サクラの好きな事が良く分かっているようだ。
「はい!」
「はは……元気が出たか? ユーハブ コントロール」
あまりの「食いつき」に、室伏は苦笑を浮べてスティックから手を離した。
「アイハブ コントロール」
姿勢をただし、サクラはスティックを握った。
「サクラちゃん、ウェイポイントだ。 右旋回 機首方向90度」
「はい。 ライトターン ヘディング90……」
淡路島に入ったところで、二個目のウェイポイントに着いた。
ここから淡路島の南端を飛び、紀伊水道を横断する。
「……他機あり 右下方 ……ん~ 5マイル?」
右旋回のため右の主翼が下がり、下は海から上は空高くまで、サクラの視界が広がった。
「……機種不明。 旅客機だと思います」
そのサクラの視界に、小さく機影が映ったのだ。
「ああ……多分、さっきのエアバスだろう。 関空に降りるんだろうな」
そう、ここは関西国際空港に着陸する飛行機の、着陸コースの上空なのだ。
よく見ると、さっきの機体の前や後ろに、何機もの機影が並んでいる。
サクラ達の「エクストラ300LX」は、それらを飛び越えるように飛んでいた。
サクラの左前には関空が海に浮かんでいる。
田倉崎の上空で「エクストラ300LX」はゆっくりと高度を下げ始めた。
「……IWADEポイント辺りで5000になればいいから」
関空の着陸コースを飛び越え、やっとサクラたちは高度を下げることが出来るようになったのだ。
今、関空はサクラの左側に見えている。
3番目のウェイポイント「IWADE」で左旋回をして、八尾空港に向かっていた。
{『……関西アプローチ JA111G エクストラ300LX 八尾空港の20マイル南西にいます 八尾への着陸を要請します……』}
八尾空港への進入を、室伏が関西アプローチに要請した。
この辺りは空港が多く、飛行機が込み合っているので、関空で一括して管制しているのだ。
{『……エクストラ111G 関西アプローチ 左パターンのベースレグへ進入 滑走路31に着陸してください……』}
{『……エクストラ111G 左パターンのベースレグへ進入 ランウェイ31に着陸……』}
八尾も北西風が吹いているのだろう。
滑走路長がやや短い1200メートルの滑走路に着陸する事になるようだ。
もっとも「エクストラ300LX」にとっては、十分すぎる長さがある訳だが……
ベースレグに進入するため、サクラは真っ直ぐ八尾を向いていた機首を、少し右に向けた。
「━・━ ━ ━ ━ ━ ・━ ……」
サクラのヘッドフォンからモールス信号が聞こえてくる。
「(……ようし、八尾を捉えてるな……)」
これはVOR/DMEといい、飛んでいる飛行機に空港からの方向と距離を教えてくれる、無線標識である。
それ故、もし周波数を間違えてセットすると大変な事になる。
サクラが聞いたのは、そのミスを避けるために発信されている、それぞれに「ユニーク」な信号なのだ。
サクラは手を伸ばしてVOR指示計のOBSのつまみを回し、外周の目盛を33に合わせた。
こうしておけば、CDI(コース偏向指示器)の針が真っ直ぐになり……その時に空港との距離が3.2マイルならば……ランウェイ31のベースレグに乗っていることになる。
当然、今はCDIの針は大きく右にズレていた。
冬の始まりで季節風が強く、お陰で視程は十分なのだが、それでも5マイル離れると風景はかすみ、10マイル先などは霞の中である。
「(……くっそー いつも何時も、この辺りはゴチャゴチャしてて、分かりにくいな……)」
しかも日本の……特に都会近くの……街は特徴に乏しく、地文航法がしにくい。
吉秋のメインフィールドの高知は海岸線が見えるし、街が固まりになっていて、見ただけで「何町」かが分かる。
ライセンスを取り、アクロバットを練習したアメリカも、そこは似たようなものだった。
「(……っと、八尾から10マイルか……)」
DMEの受信機に10.3と表示されている。
「(……んじゃ、あそこに見えるのが天野山カントリークラブか……)」
山の斜面にゴルフのコースが何本も刻まれていた。
「(……まあまあ、コースに乗ってるな……)」
しかし、あり難い事に街の近くの山は開発されていて、その地形によって区別がつきやすかった。
DMEが残り5マイルを表示した。
左前に八尾空港が見える。
{『……八尾タワー JA111G エクストラ300LX 現在八尾の南5マイル 着陸のため接近中……』}
タイミングを計っていた室伏が八尾タワーに呼びかけた。
{『……エクストラ111G 八尾タワー そのままベースレグに侵入 ファイナルレグで連絡してください……』}
{『……八尾タワー エクストラ111G ベースレグに侵入 ファイナルで連絡……』}
「……さあ、サクラちゃん。 行ってみよう」
無事に着陸侵入の許可が下り、室伏がサクラに呼びかけた。
左にランウェイ31が見える。
高度1000フィート……サクラはスティックを左に倒し、左ラダーペダルを蹴った。
「エクストラ300LX」は左にバンクを取り、旋回をする。
{『……八尾タワー エクストラ111G ファイナルレグ……』}
機首がランウェイに向いた時、室伏がタワーに連絡した。
{『……エクストラ111G 八尾タワー 着陸に支障なし(クリヤード フォー ランディング)……』}
{『……エクストラ111G クリヤード フォー ランディング……』}
室伏の無線を聞きながら、サクラは操作に集中していた。
相変わらず風が強く「エクストラ300LX」は、上下左右に揺すぶられている。
滑走路はもう目の前で、もし大きく姿勢を乱したら着陸は失敗だ。
着陸復航する事になる。
その事は、けして恥ではないのだが、やはり着陸は一発で決めたいものだ。
サクラはエルロンの操舵力が重い事も忘れて、右手一本でスティックを握り、左手はスロットルに置いていた。
ファイナルレグの長さは、わずか3マイルほどである。
着陸のため速度を落としているとはいえ、ほんの数分で滑走路上に「エクストラ300LX」はメインギヤを着けた。
VOR/DMEの使い方は、フライトシミュレーションでの自己流です。
実際とは違っていると思います。
ま、雰囲気だけでも……