KARINポイント
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「上手いじゃないか……」
誘導路を走る「エクストラ300LX」の後席から、室伏がサクラに話しかけた。
実はベテランになると、地上走行だけで腕前が分かるのだ。
特に「エクストラ」シリーズのような尾輪式の機体は、機首が上がっている所為で前方視界が悪く、さらに舵を切る尾輪の加重が小さいので方向安定も悪い。
前方視界を確保するには、時々蛇行して横から前を窺う必要があり、そして方向を制御するには、左右別々に掛けられる主輪のブレーキも使わなければならない。
更に、今日のタキシーウェイのように追い風が強い時は、水平尾翼が吹き上げられて尾輪加重が少なくなりやすい。
もしそうなったら、垂直尾翼に働く風の力でグランドループ……制御できない水平方向の回転……車で言う「スピン」のようなもの……を起こしてしまうだろう。
それを防ぐために、操縦桿を前に押して昇降舵を下舵にする。
これにより、後ろから吹く風の力で尾輪を地面に押し付けるのだ。
これらの複雑な複数の操作を過不足なく瞬時に行わなければ、テールドラッガーは離陸どころかタキシーすら出来ない。
いや、この場合は……風の強い日のテールドラッガーは……離陸の方がタキシーより簡単だ。
「……離陸操作もするか?」
滑走路の手前までタキシーした時に室伏が聞くのは、ある意味当然と言えた。
「……はい……」
待ちかねたチャンスだ。
落ち着いた声で返事が出来た事に、サクラは内心驚いていた。
{『……高知タワー JA111G 機種はエクストラ300LX 滑走路32 離陸許可を願います……』}
誘導路が終点に近づいた時、室伏が管制塔に無線を繋いだ。
{『……エクストラ111G 着陸機がある その場に待機……』}
予測していた……管制塔からは、飛行機の動きは丸見えだから……のだろう。
直ちに返事が来た。
{『……高知タワー エクストラ111G 待機 了解……』}
どうやら着陸してくる飛行機があるらしい。
サクラは、ブレーキを掛けて「エクストラ300LX」を止めた。
待つこと数分、サクラ達の前を定期便のB737が通り過ぎ、白煙を上げて着陸した。
見る見る遠ざかり、やがて右に向きを変える。
{『……エクストラ111G 高知タワー 滑走路32 離陸に 障害なし (クリヤード フォー テイクオフ)……』}
B737が完全に誘導路に入ったところで、管制塔から離陸許可が出た。
{『……高知タワー エクストラ111G クリヤード フォー テイクオフ……』}
サクラの手によってスロットルを開かれた「エクストラ300LX」は、滑走路に入っていった。
滑走路の中心線を右に見て、サクラは右のブレーキを掛けた。
中心線の延長線上に丁度有った浮雲が正面に見えた所で、サクラはブレーキを離す。
これで滑走路の中心線に機体の軸が合った筈だ。
「離陸します」
一言室伏に言い、サクラは左手でスロットルを全開にした。
機体を震わせ、定格315馬力の「ライカミング」製水平対向6気筒エンジンがフルパワー出す。
走り始めた「エクストラ300LX」は、強力なエンジンのトルクにより機首を左に向けようとする。
それを右足でペダルを蹴って……方向舵を右に切って……押さえながら、サクラは前方にスティックを押した。
すぐに尾翼が持ち上がり、滑走路が見えるようになる。
うまくセンターを走っているようだ。
さっき見た浮雲に向かって走る「エキストラ300LX」は、ものの数百メートルで空中に浮き上がった。
「(……お、重い……)」
サクラは機体が浮き上がった途端に、これまでに無い違和感を感じた。
折しも冬の始まりで、今日は季節風が強い。
サクラは、乱気流で揺れる機体を修正しようとするが、補助翼の操作力が大きいのだ。
「……ん? おかしいか?」
不自然に機体が揺れるのに、室伏が気がついた。
「……エルロンが、重いんです」
「……ちょっと替わろうか」
しばらく飛んでなかった飛行機だ。
どこか不具合があるかもしれない。
室伏は初心者の……そう思っている……サクラでは対処出来ないかもしれない、と操縦を替わることにした。
「はい ユーハブ コントロール」
素直にサクラは、操縦桿から手を離す。
「アイハブ コントロール……よし、もらった……」
操縦桿を握った室伏は、すかさず左右にそれを倒した。
「エクストラ300LX」は鋭く左、右、と翼を振った。
「(……ん~~ おかしい所はないなー……)」
吉秋の使っていた「エクストラ300LX」は、室伏の操作に過不足無くついてくる。
「(……なかなか素直だ……)……サクラちゃん、おかしな所はない。 もう一度操縦するか?」
「はい、します……アイハブ……」
「OK ユーハブ……」
再びサクラがスティックを握った。
「(……ふう~~ さっきの室伏さんの操作は鋭かった。 俺の操作は遅い……ひょっとして、入院で俺の腕力が無くなってるのか? って言うか……今は女だよな……男より力は無いのは当たり前か?……そうだ……)」
サクラはスロットルを抑えていた左手を離し、スティックを持つ右手の下に添えた。
「(……お! これなら力は足りそうだ……)」
サクラは、さっきの室伏と同じようにスティックを左右に動かした。
「エクストラ300LX」は同じように……やや遅いが……左右に翼を振った。
「(……これで行こう……)」
いつの間にか機体は、十分な高度に上がっている。
一旦右手をスティックからトリムレバーに移すと、サクラはスティックに掛かる力が消えるまで動かし、また右手をスティックに戻した。
{『……エクストラ111G 高知タワー 管制空域を出ようとしています 125.0で関西デパーチャーに連絡してください……』}
どうやら空港から大分離れたようだ。
ここから航空管制は、関西国際空港に変わる。
{『……高知タワー エクストラ111G 125.0で関西DPEに連絡 さようなら……』}
{『……エクストラ111G 高知タワー さようなら……』}
{『……関西デパーチャー JA111G 機種はエキストラ300LX 現在高知空港の北西3マイル 高度3500 ……』}
{『……エクストラ111G 関西デパーチャー 了解……』}
忙しいのだろうか、管制官の連絡は素っ気ないものだった。
「さ、これで大手を振って飛べるぜ……」
そんな管制官の態度を気にせず、やれやれと室伏は背伸びをして……
「……サクラちゃん 右旋回 コース90度」
サクラにコースを指示した。
90度(東)に向かって飛び始めて10分ほど経っただろうか……その後80度に変更はしたのだが……
{『……エクストラ111G 関西デパーチャー 5時の方向に他機あり 機種はエクストラ300L 同高度 視認できますか……』}
いきなり無線が来た。
すでにサクラ達は、予定高度7500フィートを水平飛行をしている。
「……ああ……中村さんが追いついたんだろう」
「……そうですね。 あちらは近回りをしたでしょうから……」
二人はそろって右後ろを見た。
そこには、精々500メートル程度の距離にエクストラ300Lがいて、どんどん近づいてくる。
{『……関西デパーチャー エクストラ111G エクストラを視認した……』}
室伏は関西DPEに報告して、セカンドの無線機をアクティブにした。
これは出発前に、航空機同士の通話に使われる122.6MHzにセットしてある。
{「……中村さん……いつの間に追いつきました?……」}
さっそく室伏が呼びかけた。
{「……つい、今し方だよ。 誰が操縦してる? 室伏君にしては、やや揺れてるようだが……サクラちゃんかな……」}
{「……はい、私です。 そんなに揺れてます?……」}
インカムでそれを聞いたサクラが、やや不満げに割り込んだ。
{「……やや! 聞かれちゃった♪」}
中村の楽しげな声が返ってきた。
{「……冗談だよ。 カマを掛けたんだ。 本当、初心者とは思えないほど、この風の中、安定してるよ……」}
{「……あ、ありがとうございます……(……すみません。初心者じゃないんです……)……」}
サクラは心の中で謝り……
{「……えっと……ナビゲーションを室伏さんがしてくれてますから、楽なんです……」}
当たり障りの無い言い訳を口にした。
「……っと、そのナビゲーターから……」
そこに室伏の声が被さってきた。
「……そろそろ「KARIN」ポイントだ。 そこから機首45度。 ターンのタイミングは教える」
飛行機は、自由に飛んでいるわけではない。
離陸前にフライトプランを提出しなければならないのだが、そこに通過地点を記載しているのだ。
空港の近くだけを飛び、再び同じ空港に戻るのであればフライトプランはいらない。
しかし、今回は高知を出て八尾に着陸する。
よってフライトプランの提出は義務でもあった。
室伏の作ったフライトプランには、しっかり通過地点が記載されていた。
その最初の通過地点「KARIN」からは、次の通過地点「AJE」に向かって飛ぶ事になる。
このコースは、四国の東側の海岸を、やや山沿いに飛ぶコースだ。
「エクストラ300LX」は単発機。
つまりエンジンは一つしか付いていない。
もしエンジンにトラブルがあれば、問答無用に不時着である。
だが、四国は山がちで、不時着に適した場所は海岸しかない。
そんな訳で、室伏はこのコースを選択したのだった。
「さあ「KARIN」だ。 レフトターン、ヘディング45度」
室伏がインカムで指示する。
「はい、 レフトターン」
サクラはスティックを左に倒し、合わせて左のラダーペダルを踏んだ。
「エクストラ300LX」は綺麗なカーブで左に旋回をした。
「エクストラ300」のようなエアロバティック機は、多くが尾輪式……垂直尾翼の下に小さな車輪が付いている……昔の飛行機によくあった……です。
おそらく、軽量なのと空気抵抗が引込み脚でない前輪式……セスナのような軽飛行機によく使われている……より小さいからでしょう。
しかし文中に書いたように、地上走行時は前方視界がほぼありませんし、離陸時も……尾翼が持ち上がって、相対的に機首が下がるまで……滑走路端が見えないことになります。
そのため、遠くの山や雲など自分より高くて遠い目標を見つけて、それに向かって行く様に操縦することになります。