東京ラウンド(4)
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
「……ナイジェル選手、2度目の縦のターンを終えて……今! ゴールしました……」
格納庫の中で、サクラはモニターを見ていた。
「……タイムは? 53.022。 ナイジェル選手、公式練習は53.022秒でした……」
昨日までのフリー飛行は終わり、今日は公式練習だった。
「……これまで5人飛んでいますが、やはり皆さん無理をせず飛んでいますね……」
「……と、言いますと?……」
「……昨日までのフリー飛行だと、52秒台が出ることもあったんですが……今日は、まだ出てないです……」
「……そうですね。 でも、なぜでしょう?……」
「……色々理由はあると思いますが、おそらくは昨日までのフリー飛行で作戦等は終わっているのでしょう。 所詮は練習ですから、ここで無理をする必要はないですね……」
「……言われてみれば、予選は明日ですから……今日はタイムを詰める必要はないですか?……」
「……そういうことです。 さて、次は室伏選手です……」
カメラは、スタート位置に向かってくるシルバーの機体を映していた。
「……室伏選手は、昨日のフリー飛行で52.897を記録していましたが……今日は、どうですかね……」
「……先ほどの話では、今日は攻めたフライトはしないだろう、ということでしたが?……」
「……ええ、私の予想では、おそらく流して飛ぶでしょうね……」
「……さあ、どうなりますか? 今! スタートです……」
モニターの中で、室伏の「エッジ540V3」がパイロンを通過した。
「(……エキスパートクラスは、明日からが本番だけどさ……チャレンジクラスは、今日からなんだよ……)」
サクラは、心の中でMCにツッコミを入れた。
そう……予選が行われないチャレンジクラスは、今日の公式練習のタイムが決勝の対戦相手を決める事に使われるのだ。
『そろそろ「ミクシ」を出そうか』
森山が、後ろから声をかけてきた。
『うん。 メンテはOK?』
サクラは、振り向いた。
『バッチリだ。 今日の「ミクシ」は、「エッジ」にも負けないぜ』
森山は、ウインクをして見せた。
『それ……毎日言ってるけど……「エッジ」は「エッジ」でもV3じゃなくてV1でしょ?』
サクラは、ジト目を向けた。
『いいじゃないか。 「エッジ」は「エッジ」だ。 ここは気分の問題さ』
森山は、口角を上げた。
『はいはい。 じゃ、準備しましょうか』
サクラは、チラリとモニターに視線を向けた。
「……スムーズにスラロームを抜けて、室伏選手……横のターンに入ります……」
室伏は、もう半分ほどコースを飛んでいる。
サクラはモニターをそのままにして、そこから「ミクシ」に向けて歩き出した。
駐機場の周りに張り巡らされているフェンス。
その向こう側に、少しでも近くからレース機を見ようとする観客が、張り付いていた。
{『フランシス レースコントロール RW12にタキシー』}
「ミクシ」のコックピットの中で、サクラは無線の声に耳を傾けている。
{『レースコントロール フランシス RW12にタキシー』}
落ち着いた男の声が、答えるのが聞こえた。
「(……始まったね。 一番手はフランシスか~……)」
そう……これからはチャレンジクラスの公式練習……実質は予選……が始まるのだ。
サクラは、右膝に付けたメモを見た。
「(……今日は4番目、ミカエルの後だだから、もうちょっとあるね……)」
そこには、今日の予定や使用周波数などが書き込まれていた。
{『ミカエル レースコントロール RW12にタキシー』}
計器盤の上に置いたヘルメットのレシーバーから、無線が聞こえた。
{『レースコントロール ミカエル RW12にタキシー』}
返事が聞こえたと思う間に、隣の駐機場から「スルスル」と「エクストラ330LX」が走り出した。
『次だね……』
メイは、コックピットに収まったサクラを見た。
『……コースはOK?』
『ん。 大丈夫……』
サクラは、頷くとメイに顔を近づけた。
メイもサクラに近づいた。
「……キャー……」
途端にフェンスを囲む観客から、黄色い悲鳴が響いた。
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青地に紅い桜の花びらの舞う、そんな綺麗な「飛行機」が止まっている場所を囲むフェンスの外にはカメラを手にした観客が集まっていて、その中には……他の場所に比べて女性が多く含まれていた。
「……隣の飛行機が出て行ったわ……」
「……そろそろよ……」
「……あ、メイナードが、サクラに何か話してる……」
彼女たちは、何を期待しているのか……
「……キャー……」
「……した! キス。 見れたわ!……」
そう……彼女たちは、今やルーティンと化しているサクラとメイのキスシーンを楽しみにしているのだ。
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離陸して高度を取ったサクラは、右下に視線を向けた。
海岸の砂浜は観客で埋まり、どこにも砂の色は見えない。
そのすぐ傍に立っている3本のパイロンを、今「エクストラ330LX]が縫って飛んでいた。
「(……さて……調子はどうかな?……)」
サクラは視線を前に向けると左手をスロットルレバーから離し、スティックに付いたレバーを握った。
プロペラ回転数を表示する針が少しだけ左に回り、エンジンの音が変わった。
「(……OKだね……)」
サクラは、すぐにレバーから手を離した。
回転数が戻り、エンジンの音も元に戻った。
「(……よしよし、OK……さすが森山さん。 今日も完璧だね……)」
この、ワンタッチでプロペラ回転数を変える装置が、サクラの秘密兵器なのだ。
「(……こんなのが「サクラマジック」の仕掛けだ、なんて知ったら……)」
フフッ、とサクラは口角を上げた。
「(……マネする人が出るかな?……さて……そろそろ待機空域だね……)」
サクラはスロットルレバーを調整すると、旋回を始めた。
ミカエルの「エクストラ330LX」が、急上昇してコースから離れた。
{『ミカエル レースコントロール ただちに着陸に向かえ』}
繋いでいる無線から、ミカエルへの指示が聞こえた。
{『レースコントロール ミカエル 了解 タイムは?』}
誰もが自身のタイムは、気になる様だ。
{『暫定55.021だ』}
{『了解 ありがとう』}
「(……55秒を切れなかったんだ。 チャンスあるかな?……)」
臨時滑走路に向けて飛んでいく「エクストラ330LX」をサクラは見送った。
{『サクラ レースコントロール レースコースクリア スタート位置に移動』}
そこに無線が入った。
{『レースコントロール サクラ 了解』}
「(……よし……行こう……)」
サクラは、スロットルレバーを引き「ミクシ」をダイブさせた。
左翼の下を青い……残念ながら真っ青とは言い難い……海面が流れていく。
「ミクシ」は、やや左に見えるチェッカーマークのスタートパイロンに向けて、緩やかな左旋回をしていた。
「(……この後に左旋回が待ってるってのに……こんな所にも罠を張ってるんだよな……流石にペーテルは嫌らしい……)」
そうなのだ。
今回のコースは、スタートパイロンに直線で進入しようとすると、横のターンで通過するパイロンが邪魔をするようになっていた。
そのため、左旋回をして侵入しなければならなかった。
つまりスタートする瞬間に、バンクを戻して水平飛行にする、というひと手間が余計にかかるのだった。
そして、この左旋回をどんな大きさですればいいのか? そんな事も各パイロットたちの作戦になっていた。
ちなみにサクラは、比較的緩やかな旋回を選択していた。
さらに……
「(……208ノット……よし、ここから上げて……)」
やや早い速度で飛んできて、それを上昇するエネルギーに変換することでスタート時の速度を安定させる飛び方をしていた。
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「……サクラ選手、やや速い速度でスタートに向かっています……」
「ミクシ」からテレメトリーで送られてくるデータを確認している森山の横に置いてあるモニターの中で、MCが話していた。
「……ええ、昨日のフリー飛行からあのスタートの仕方ですね……」
「……どうなんでしょうか? あのスタートの仕方は……」
「……良いとも悪いとも言えませんね。 ただ、結果がすべてだと思います、が……つい緊張のあまりスロットルを大きく動かしてしまう、という事に対しては効果があるでしょう……」
「……というと?……」
「……つまり……もし速すぎた場合、スロットルを絞る訳ですが、慣性力があるわけで、機体の速度は直ぐには変化しません。 スタートが近づいていると、つい大きくスロットルレバーを動かしてしまう、そういうことをしてしまう。 その点、エネルギーの交換はレスポンスがいいので、そういうオーバーシュートとでも言いますか……行き過ぎが少ないんです……」
「(……この解説者、良く分かってるな……)」
森山は、感心した様に頷いた。
「……はぁ……凄いですね。 そんな細かいことも気にして飛んでいるんですね……」
「……というのは、サクラ選手から聞いたことなんです。 「私はスロットルレバーを握ってませんから、仕方なくなんです」って言ってましたけどね……」
「……あ、そうなんですか……さあ、サクラ選手スタートです!……」
「(……って、サクラちゃんが喋ったんかい!……)」
森山は、「がくっ」と肩を落とした。
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ゆっくりとスタートパイロンが正面にやって来る。
「(……んっ!……)」
サクラは、スティックを少しだけ引いた。
「ミクシ」はそれに忠実に答え、少しだけ高度を上げた。
「(……よし!……)」
眼前にある速度計の針が左に動き、テレメトリーの送信機に表示されている数字が200に変わった。
「ミクシ」は、今だ左にバンクをしている。
「(……んっ!……)」
サクラは、右にスティックを僅かに倒した。
「ミクシ」は、右にロールする。
水平になった所で、スティックを戻す。
スロットルレバーを押し込み、左手をスティックに移す。
直後、チェッカーマークが左右を通過した。
「……くっ!……」
サクラはスティックを左に倒し、同時に左のペダルを踏んだ。
「ミクシ」は、左にロールした。
サクラの出発したエプロン。
チームの全員が格納庫に入って行ってしまい、無人になっているのに……
「……サクラ、早く帰ってこないかしら……」
「……飛行機が止まってからの二人のやり取りも素敵なのよね……」
フェンスの周りには、未だ女性ファンが居た。
「……サクラが長身のせいで、並ぶとメイナードはあまり高く見えないけど、実際は背が高いのよね……」
「……そうそう、サイン貰おうと近づいたら、ビックリしたわ……」
「……それでも外人にしては、低い方よね……」
「……だから良いんじゃない。 怖くないもの……」
「……はぁ……私もあんな彼氏がよかったなぁ……」
どうやら彼女たちはメイのファンの様だ。




