東京ラウンド(3)
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{ }で括られたものは無線通信を表します。
青地にサクラの花吹雪が舞う、そんなカラーリングの格納庫に仕舞われた「ミクシ」はカウリングが外され、森山のチェックを受けていた。
その格納庫の一角、パーティションで囲まれた中でサクラは、コース通りに並べられたミニパイロンの周りを……スティックを持つように手を前に出して……歩いていた。
「……ふぅ……」
チェック模様のパウロンの間を通り抜け、サクラは息を吐いた。
『55秒だね』
その様子を見ていたメイは、ストップウォッチを止めた。
『55秒かぁ……』
サクラは、メイを見た。
『……大体良いところに来たかな?』
『そうだね。 始めたころに比べて、安定してきたよ』
メイは、頷いた。
二人は何をしているのか?
つまり……昨日のフリー飛行で取ったデータを基に、飛ぶときの操作のシミュレーションをしているのだ。
極限状態になると、一々パイロンや景色を見て判断をする暇はなくなる。
そうなったときのため、スティックを動かすタイミングを体に覚えこませていたのだった。
『しかし……55秒かぁ……』
サクラは、何だか凝ったような気がする肩に手を当てて揉んだ。
『……もう少し早く飛べないかな? エキスパートクラスの52秒なんてのは無理でも、もう1秒くらいは縮めないと勝てないよね』
そう……フリー飛行での最速は、ナタリーの54秒台だったのだ。
ちなみにサクラは、55秒台後半が最速だった。
『一つ思いついたことが有るよ』
『え!……』
サクラは、メイを見つめた。
『……何か考え付いた?』
『うん。 効果は少しかもしれないけど……』
メイは、並んだミニパイロンに近づいた。
『……このスタート直後の左、右と切り返すところ……』
メイは、右手を飛行機に見立てて動かした。
『……サクラは、左旋回から右旋回に直接変えてるよね?』
『そうだけど? それが普通じゃない?』
何を言い出したのか?
サクラは、首を傾げた。
『でもさ……このパイロン同士の距離は、スラロームよりも離れてるんだよ……』
メイは、腕を広げてスラロームの場所と問題にしている場所のパイロン間を比較して見せた。
『……ほらね』
『そうね。 それで?』
サクラは、頷いた。
『つまり……この距離だと円弧を二つ繋げるより、間に直線飛行を挟む方が飛行距離が短くなるんだ……』
メイは、再び右手で飛び方を示した。
『……しかもGが掛からないから速度が上がる』
『そうか! つい切り返しだからと、直接旋回方向を変えてたけど……どいて……』
サクラは、メイを押し出してミニパイロンの間に立った。
『……こうだね。 うん! 行けそうだ』
『ちょ、ちょっとぉ……乱暴だなぁ……』
メイは、パーティションの前でたたらを踏んだ。
『……で? どう?』
『もぉ最高!……』
サクラは、メイに飛びついた。
『……やっぱりメイは頭が良いわねぇ』
『おあっ!……』
メイは、ぶつかってきたサクラを抱きとめた。 が……
『……痛ててて……』
何故かメイは、胸を押さえた。
『あ、ゴメン。 胸を固めてたんだった』
そう……これから飛ぶ予定のサクラは、いつものようにケブラーのブラで胸を固めていたのだ。
それがぶつかってきたものだから、メイとしては二つの砲弾が胸に突き刺さったようなものだった。
チェック模様のパイロンが、視界の左右に消えた。
「……くっ!……」
サクラはスティックを左に倒し、同時に左のペダルを踏んだ。
景色が右に回る。
それが垂直なる寸前……
「……くっ!……」
サクラはスティックを中立に戻した。
直後、それをお腹に付くぐらい引く……
「(……ぐぅぅぅぅぅ……)」
体に力を入れてGに耐えながら、上に見える……横に倒れた次のパイロンが降りてくるのを待った。
1秒にも満たない時間後……
「……くっ!……」
パイロンがカウルに隠れると同時に、サクラはスティックを戻すとそのまま右に倒した。
景色が左に回る。
「……くっ!……」
機体が水平になったとき、サクラはスティックを中立に戻した。
次のパイロンは、右前に見えていた。
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「……おや? サクラ選手、今日は切り返しに水平飛行を挟んできましたね……」
フリー飛行二日目の今日も、サクラの会社はインターネット放送をしていた。
「……そうですね。 今日は飛び方を変えてきたようです。 確かに昨日はタイミングを取るのに苦労していたようですから。 これはいい方法だと思います……」
「……これは、ナタリー選手と同じ飛び方ですよね……」
「……そうなりますね。 これは、ますます二人の争いから目が離せなくなりました……」
「……もしかして、サクラ選手がコピーしたのでしょうか?……」
「……そこは分かりませんね。 しかし、コピーするにも同等の技術がないと出来ない訳ですから……けして非難されるものではないですね……」
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『気が付いたみたいね……』
黒地にイエローのラインが入った「エクストラ330LX]のコックピットで、ナタリーはスマホで実況放送を見ていた。
『……ま、秘密でも何でもないんだけどね』
『ん? サクラが飛んでるんだろ? 何に気が付いたって?』
独り言を、ナタリーのクルーの一人が聞いていたようだ。
『スタート直後の切り替えしよ……』
ナタリーは、スマホに視線を落としたまま答えた。
サクラの「ミクシ」は、ループに入るための左旋回に入っていた。
『……昨日は直接切り返してたけど、水平飛行を入れた方が楽だって……今日はそう飛んでるわ。 ほんと……このループを低く飛ぶ方法が知りたいわね』
画面の中には、他の機体より随分と低い高度でループする「ミクシ」が映っていた。
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「(……ふぅ……)」
「ミクシ」は、スラロームを抜けて一旦水平飛行をしていた。
しかし、それも一瞬……
「……くっ!……」
サクラは、「ミクシ」を左旋回させ……
「……くっ!……」
直ぐに水平に戻した。
直後、対になったパイロンが左右に分かれて通り過ぎる。
「……くっ!……」
サクラは、再び「ミクシ」を左旋回に入れた。
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「……サクラ選手、横のターンに入ります……」
「……上手いこと飛んでますね。 この……短い間に旋回と水平飛行を繰り返すコースを上手く読んでいると思います……」
「……そうですねぇ。 これほど狭い間隔でパイロンが並んでいると、傍から見ていても大変さが分かります……」
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「(……ぐぅぅぅぅぅ……)」
コックピットから見える景色は、右半分は水面で左半分は空。
そんな中、サクラはスティックを引いていた。
Gメーターは、さっきから10を表示している。
「(……ぐぅぅぅ……もうすぐ……)」
限界まで上を向いた視界の中で、対になったパイロンが降りてきていた。
「……よし!……くっ!……」
パイロンが正面に来たところで、サクラはスティックを左に倒した。
パイロンと水面が右に回る。
「……くっ!……」
空かさずサクラはスティックを中立に戻した。
パイロンが視界の左右の飛び去った。
「……くっ!……」
それを気にすることもなく、再び右旋回をする。
その先には、スラロームをする3本のパイロンが立っていた。
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スラロームをするパイロン近くの海岸には、バズーカのような望遠レンズが並んでいた。
「……来たぞ、来たぞ……」
誰かの声がした。
真正面から、機銃掃射でもするように低空を飛行機が飛んで来る。
途端にシャッター音が響き始めた。
それらの音が重なって、まるで反撃の対空砲火の様だ。
「(……まだだ……まだ早い……)」
そんな中に居て、その男はじっとシャッターチャンスを待っていた。
覗いたファインダーの中で、コックピットの中に居るパイロットが段々と大きく見えてくる。
ヘルメットに付いたバイザーの所為で、顔は見えないけれど零れた髪の色は紅だ。
「(……今だ!……)」
被写体の僅かな動きを察知して、男はシャッターボタンを押した。
2000ミリのレンズを付けたニコンが、軽快な音を立てて秒12コマの連写を始めた。
直後、その飛行機のエルロンが動き左にバンクをした。
「(……よし! 良いタイミングだった……)」
機体を追ってカメラを振りながら、男は「ニンマリ」していた。
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ナタリーの見ているスマホの中では、「ミクシ」がチェックのパイロンに向かって最後の直線を飛んでいた。
『(……ほんと、あのループは反則よ……)』
そう……2回目のループも、サクラは他のパイロットより低く飛んだのだ。
『(……あの武器があるから、サクラは有利だわ。 これは……私もしっかり飛んでおかなくちゃね……)』
『……54.882秒! サクラ、今日最速のタイムだ!……』
スマホからMCの男の声が響いた。
『(……追いついてきたわね。 さて……気合を入れましょ……)』
ナタリーは、スマホを閉じ……
『行ってくるわ。 これ持ってて』
すぐ傍に立っていたクルーに渡した。
『了解……』
クルーは、スマホを受け取った。
『……サクラは、良いタイムだったみたいだな』
『そうね。 負けられない……燃えるわ』
ナタリーは、ヘルメットを持ち上げた。
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「……さてサクラ選手、残りの時間はどうするのでしょうか?……」
ゴールのパイロンを通過して上昇している「ミクシ」を見て、MCのアナウンサーが言った。
「……そうですね。 持ち時間はタップリありますから……多くの選手は何度かコースを飛ぶんですが……」
「……おや? サクラ選手、スタート位置には行きませんね……」
そう……「ミクシ」は、スタート位置とは逆になるループの方に行っている。
「……これは……どうやらスラロームに直接入るようですね……」
「……そのようですね。 高度を下げて……ループ後に通過するパイロンに向かっています……」
「……間違いないですね。 十分上手く飛んでいたと思うんですけど……横のターンを練習するんじゃないでしょうか……」
「……横のターンですか? あの……短い間に旋回と水平飛行を繰り返す部分ですよね……」
「……そうです。 私には十分だと思えましたが……サクラ選手は、満足できなかったんでしょう……」
「……さ、どういう風に飛びを変えてくるのか? 今、スラロームに入りました……」
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「(……ぐぅぅ……)」
頭上にスラローム最後のパイロンを見ながら、サクラはスティックを引いていた。
先に見える対になったパイロンが降りてくる。
「……くっ!……」
それがエンジンカウルに隠れたと同時にスティックを戻し、直後左に倒す。
空と海が回り、水平になった。
パイロンは、左前に見える。
「……くっ!……」
サクラは、スティックを左に倒し同時に左のペダルを蹴った。
再び空と海が右に回る。
それが垂直になる寸前……
「……くっ!……」
スティックを戻し、引く。
「(……ぐぅぅ……)」
10Gに耐えるのも一瞬。
「……くっ!……」
スティックを戻し、右に倒す。
景色が左に回り、対になったパイロンが左右に見え……直後、視界から消えた。
「……くっ!……」
すかさずサクラは、スティックを左に倒し同時に左のペダルを蹴った。
「ミクシ」は、1秒に400度というとんでもない回転速度で左に回る。
10Gの旋回で釣り合うバンク角までは、ほんの0.2秒ほどしかない。
「……くっ!……」
姿勢を確かめる暇もなく、サクラはスティックを戻し、引いた。
「(……ぐぅぅ……)」
体をシートに押し付ける10Gに耐えるのも一瞬。
「……くっ!……」
サクラはスティックを戻し、右に倒した。
「(……よし! ぴったり……)」
正面に、横のターンを始めるパイロンが見えた。
「(……さあ、やってみよう……)」
サクラは、スティックに付けたレバーを握った。
プロペラピッチが増え、抵抗の増えた「ライカミングAEIO-580」が唸りを上げた。
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「……軽快にパイロンを通過したサクラ選手、横のターンに入りました……」
「……そうですね。 上手くパイロンを通過しています……」
「……おや? 随分と旋回半径が小さくないですか?……」
「……ええ、小さく回ってますね。 えと……Gは? 10Gを超えてないですね……」
そう……小さく旋回するためには、大きなGを掛けなければならないはずだ。
「……これは……縦のターンと同じでしょうか?……」
「……あ、そうですね。 よく似ていますが……これ、私には理解できないんですよね。 いったいどうやってGを掛けずに小さく回れるのか?……」
「……不思議ですよね。 さしずめ「サクラマジック」とでも言いましょうか?……」
「……「サクラマジック」……それ良いですね。 何時か種明かしがされるまでは、そう呼びましょう……」
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「(……メアリのアイデア、上手くいった……)」
スティックを引きながら、サクラは「ニンマリ」していた。
フリー飛行を終え、ナタリーは格納庫に戻ってきた。
『やあ、お疲れ……』
クルーが声をかけてきた。
『……気合が入ってたね。 最速は54.655秒だったよ』
『そう……』
メアリは、ミネラルウォーターを受け取って椅子に座った。
『……サクラは54.8だったっけ?』
『54.882秒だ。 これなら勝てるな』
『それって、最初に回ったタイムよね。 その後はどうだったのかしら?』
『ナタリーが見た後は、サクラはコースを回ってない。 横のターンを練習しているだけだった』
『あらそうなの? 上手く飛んでいる様に見えたけど』
『俺たちにもそう見えたな。 何が気になるんだろうな?』
『そのフライトの録画は無いの?』
『いや、すまん。 そんな所を練習するなんて思ってもみなかったから、録画してないんだ』
『気になるわね。 よそのチームが持ってないかな?』
『分かった。 知り合いに聞いてみるよ』
『おねがい。 私も尋ねてみるわ』