東京ラウンドに向けての練習
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春を迎えた浜改田の海岸は、「ポカポカ」とした陽気で座っていると眠くなってくるようだ。
「ゴーーー……」
そんなのんびりした空気を引き裂くように、高回転で回るエンジン音を響かせて、一機の飛行機が飛んでいた。
{1分3秒。 ちょっと早くなった}
トランシーバーを握った森山は、トークボタンを押して言った。
{了解。 スラロームの上下動は? 気を付けて飛んだんだけど}
スピーカーからサクラの声がした。
{ん~……ちょっと待ってくれよ……}
森山は、パソコンに表示されているグラフを見た。
{……まだ上下してるな}
{はぁ……そうなんだ……難しいね。 ん……そろそろ帰るかな}
サクラの声は、少し疲れた様子だ。
{ああ。 もう30分以上飛んでるからな。 休憩した方が良いだろう}
二人は何をしているのか?
そう……2年前と同じように、高知空港近くの海岸に仮のポールを立てて「ルクシ」で練習しているのだった。
{んじゃ、帰るね。 データは格納庫で見せて}
「ルクシ」は、機首を東に向けた。
{了解。 格納庫だな}
森山は、周りに設置してある機器のコードを、まとめ始めた。
格納庫の前に「ルクシ」が帰ってきて、マールクの合図でエンジンを止めた。
サクラはラッチを外して、キャノピーを押し上げた。
『おかえり……』
そこにメイが来た。
『……しっかり練習してたね。 予定時間を過ぎてるよ』
『ただいま……』
サクラは、ベルトを外して立ち上がった。
『……どうにも、納得できない所があったから。 ちょっと熱くなっちゃったわ』
『そうなんだ。 それは「ルクシ」だからかな? 「ミクシ」だったら変わるかもよ』
メイは、主翼の上に足を下ろしたサクラに手を伸ばした。
『ん~……どうだろ? そんなに変わらないと思うけど……』
サクラは、メイの手を取った。
『……ま、分からないわね。 どうせ「ミクシ」に乗れるのは、レース期間だけだから……』
そう……「ミクシ」は改造機なので、日本で乗るには特別な許可が必要なのだ。
『……「ルクシ」で練習するしかないしね』
『サクラ様、点検はどういたしましょうか?』
メインギヤに車止めを掛けたマールクが来た。
『ん……通常通りで良いわ。 「ルクシ」の調子はいいから』
サクラは、主翼から降りた。
『は! 畏まりました』
マールクは、頭を下げて行った。
『っで? サクラはこれからどうする?……』
メイは、マールクを目で追った。
『……森山さんは、まだ帰ってこないけど』
『シャワーを浴びるわ……』
サクラは、空港ビルの方に歩き出した。
『……その後、さっきのデータを森山さんと解析して……それから昼食かしら。 メイはどうする?』
『一緒に居るよ』
メイは、サクラの横に並んだ。
『分かった。 シャワーは別だからね』
サクラは、横眼でメイを見た。
『分かってる、おとなしく待ってるよ』
メイは、サクラの肩に手を置いた。
空港ビルの2階にある部屋に、サクラとメイ、そして森山が居た。
『ん! 今のところ、もう一度』
大きなモニターを前にサクラが言った。
『OK……っと此処かな』
それを聞いて、森山がパソコンを操作した。
『そう、そこそこ……ぁあー、やっぱりズレてる』
モニターの中には「ルクシ」の中で操縦するサクラと、それによる各舵の動き、そしてその時の「ルクシ」の位置と速度、そして加速度がそれぞれ表示されていた。
『どれどれ……森山さんもう一度……』
メイのリクエストで、森山は再び操作した。
『……ん~……ズレてるかなぁ~』
『ズレてるよぉ~。 森山さん、もう一度……』
『ロープ再生させるぜ』
何度も繰り返すのが面倒な森山は、パソコンを操作した。
『……ありがと。 スローに出来る?』
『出来る……これで良いか?』
モニターの中のサクラが、ゆっくり動き出した。
『うん、それでいいわ。 っで……ここ!……』
サクラは、モニターを指した。
『……ほら! スティックの動きに対してラダーペダルが遅れてる』
『う~ん……』
メイは、腕を組んで首を傾げた。
『……確かに、少し遅れてペダルを踏んでるようだけど?……でも、大体は少し遅れて踏むものじゃない?』
そう……自身も操縦するメイは、考えてみれば……スティックを動かしてからラダーペダルを踏んでいる。
『普通なら、それでいいんだけど……レースの時みたいに物凄く早く操作するときは、そんな悠長な操作じゃ間に合わないんだよ。 もう決め打ちでペダルを踏むんだ……』
サクラは、手をスティックを動かすように動かした。
『……上手くいってるデータってあるかなぁ?』
『映像データだけでいいなら、あるぜ……』
森山は、キーボードを操作した。
『……これなんかはどうだ? この間のカンヌラウンドでのデータだ』
モニターの映像が切り替わった。
『あ、いいね!……』
サクラは、頷いた。
『……ね! どう? 違うでしょ』
『ん? 違う……かなぁ~』
再びメイは、首を傾げた。
『もぉ~ 分からないの?……』
サクラは、頬を膨らせた。
『……森山さん、二つの映像を重ねて表示できない?』
『出来るぜ。 ちょっと待ってくれ……』
森山は、キーボードを叩きだした。
『……これでどうだ?』
『ん! これなら分かりやすいね……』
モニターの中に、二人のサクラが重なって映っている。
そして、その二人がスティックを左に倒した。
『……ほら、ペダルを踏んだ足が太くなった』
『本当だ……』
メイは、頷いた。
どういうことか?……つまり、ラダーペダルを踏むタイミングがズレているため、サクラの足がダブって映っているのだ。
『……ズレてるね。 これって、早いのかな? 遅いのかな?』
『遅いね。 どれぐらいだろ? 分からないけど、遅れてるってのは分かる。 測れる?』
サクラは、森山を見た。
『ん……出来るぜ。 少しづつスタート位置をずらすから……』
森山は、マウスポインタを動かした。
『……これ位か?』
『うん……大体合ったね。 何秒』
『0.2秒だな』
森山は、サクラに答えた。
『了解。 はぁ……結構遅れてるね。 何故だろう?』
サクラは、溜息を吐いた。
『疲労じゃないかな。 もう5日連続で練習してるからね』
メイが、サクラの肩に手を置いた。
『そうかなぁ?』
サクラは、首を傾げた。
『それは俺も思う。 現に今日は昨日よりタイムが悪いし、機体の上下動が激しい』
森山は、頷いた。
『そっかー んじゃ、今日はもう止めて、明日は休みにしよう』
サクラは、肩の上に乗ったメイの手に自分の手を重ねた。
『それが良い。 明々後日からは、レースコースのテスト飛行で東京に行くから、しっかり休んでいた方が良いからね』
メイは、重なったサクラの手を握った。
『そうね、そうしましょう。 「ルクシ」をフェリーしなくちゃならないし、体調を整えていた方が良いわね。 それじゃ、森山さん。 今日はこれで終わり。 続きは東京から帰ってからにします』
『了解。 さて、片付けるか』
森山は、マウスを操作してパソコンの電源を切った。
手荷物受取所から待合ロビーに繋がるドアが開き、キャリーケースを引いた初老の男性が現れた。
日本の玄関口だけあって、広いロビーのそこかしこで挨拶が行われている。
『(……さて……迎えが来ると聞いたが……)』
彼は立ち止まり、ゆっくりと見渡した。
『ペーテルさん』
そこへ彼を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、真っ赤な髪の背の高い女性が片手を上げている。
『……これはサクラ様……』
慌ててペーテルはサクラに駆け寄った。
『……まさかサクラ様自ら、こんな老いぼれを迎えていただけるとは』
『何を言ってるんですか。 私なんか、ペーテルさんに比べたら「ひよっこ」ですよ……』
サクラは、出された手を握った。
『……大先輩を迎えるのは、当然じゃないですか』
『いや……サクラ様は生まれが違いますから。 私のような庶民には、恐れ多いことです……』
ペーテルはサクラの手を離すと、隣に立っている男に手を差し出した。
『……なあ、ムロフシ』
『ようこそ日本へ、ペーテル……』
室伏は、がっしりとペーテルの手を握った。
『……ただ、まあ……俺には、そんな身分なんかは分からない。 話を振られたって、どうしようもないぜ』
『はぁ……これだから、日本ってのは困る。 あの「ヴェレシュ」のお嬢様なんだ。 素晴らしいお方なんだ』
ペーテルは、ムロフシを睨んだ。
『おいおい。 そんなら、何で簡単に握手するんだ? お手に触れるなんて、不敬じゃないか?』
室伏は、口角を上げた。
『あ! あぁぁぁ……』
ペーテルは、サクラに向かって頭を下げた。
『……も、申し訳ございません。 お手に触れてしまいました。 平にご容赦を』
『はぁ……何言ってるんです? 今更じゃないですか。 それに私から握ったんですから、ペーテルさんが悪い訳じゃないですよ……』
サクラは、溜息を吐いて肩を竦めた。
『……まあ、茶番はこれまでにしておきましょう。 ペーテルさんもいいですね』
『ええ、それでは仕事に行きましょうか』
ペーテルは頷いた。
埼玉県の河川敷にある、長さ600メートルの滑走路を持った小さな飛行場。
そのエプロンに駐機している「ルクシ」と室伏所有の「エクストラ330SC」の傍に3人は居た。
『さて……それでは飛んでみましょうか』
フライトスーツを着込んだペーテルは、肩を回した。
『時差は大丈夫ですか?……』
サクラはペーテルを見た。
『……着いたばかりですが』
『大丈夫です、サクラ様。 飛行機の中では、ずっと寝てましたから。 明日から役人の前で飛ぶんです。 無様な飛びでは「レース」の開催に悪影響ですからね。 ここはしっかり練習して、明日は役人の度肝を抜いてやりますよ……』
ペーテルは、「エクストラ330SC」に近寄った。
『……それじゃ借りるな、ムロフシ』
『ああ、使ってくれ。 調子は良いはずだ』
室伏は、ペーテルの肩を叩いた。
霞が関の、とあるビルの中……
「局長。 明日は本当に行かれるので?」
「ああ、そのつもりで届は出しておいた。 君も行くんだろう? 鈴木君」
「はい。 私は安全に関する立場ですから、当然見ておきたいですね」
「そうか、よろしく頼むよ。 事故があっては大変だからね」
「もちろんです」
「いやー……ようやくサクラ選手を間近で見られるね。 どうかな? 朝から床屋に行って髭をそっていた方が良いかね?」
「ま、まあ……身だしなみに気を使われるのはよろしい事かと……(はぁ……お前なんか、サクラ様が気にかけてくださるはずがないだろぉ。 勝手にしろ)」