打開策
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
ゲデレーの宮殿に、サクラの乗ったリムジンが着いた。
『サクラ様、おかえりなさいませ』
後部ドアからサクラが降りるのに合わせ、ずらりと並んだメイドのコーラスが響いた。
『ただいま、みんな。 変わりはない?』
『はい、皆元気でおります……』
先頭に立っていたシャロルタが、返事をした。
『……ただアンドレアの抜けた後にノリコという者が入っております』
『そう……』
サクラは、頷いた。
『……ノリコ?』
『はい……』
最後尾にいた黒髪のメイドが、頭を下げた。
『……ノリコと申します。 サクラ様、よろしくお願いいたします』
「えと……日本人?」
そう……そのメイドは、どう見ても東洋人の風貌だった。
「はい。 両親は商社に勤めておりまして、私はハンガリー生まれでございます……」
『ノリコ。 我が家の標準語はハンガリー語です。 公的な場ではハンガリー語を使う事』
シャロルタの、穏やかな……しかし有無を言わせぬ言葉が遮った。
『……も、申し訳ございません』
『ん! 頑張ってね……』
頷くと、サクラは視線をメイド達の奥に向けた。
『……で? お父様、玄関までお出でになるなんて……どういう風の吹き回しでしょうか?』
そう……そこにはガスパルを従えて、アルトゥールが立っていた。
アルトゥールの執務室では、シャロルタが紅茶の準備をしていた。
中央に置かれたソファにサクラは座って、ぼんやりとそれを見ている。
『……よろしい。 それで進めろ……』
デスクの向こうに座ったアルトゥールは……仕事だろうか……さっきから電話をしていた。
「(……なんだよ。 話があるからって、急いで来てみたら……)」
自ら玄関先に出てくるほど急いでいる風だったので、サクラは着替えもせずに執務室に来たのだ。
「(……顔を見るなり、そこで待ってろ……だもんな……)」
『サクラ様……』
シャロルタが、紅茶のカップをテーブルに置いて小さな声で話し始めた。
『……旦那様は、嬉しかったのですよ。 サクラ様に会うのが、待ちきれないほどに』
『ありがと……』
サクラは、ソーサーを持ち上げた。
『……ん、美味しい……』
サクラは、紅茶を口に含んだ。
『……で、そうなの? シャロルタ。 いつもと同じ仏頂面だけど』
『ふふ……私には分かります。 何と言っても、半世紀お傍で勤めていますもの』
シャロルタは、楽しそうだった。
『待たせたな……』
アルトゥールは、サクラの前に座った。
『……シャロルタ、ワシにはコーヒーをくれ』
『はい、ただちに』
シャロルタは、急ぎ足で続きの部屋に行った。
『いえ。 私が早く来ただけですから……』
シャロルタの後ろ姿を見送り、サクラは両手を膝にのせてアルトゥールを見た。
『……何かお話があるそうですが?』
『うむ。 少し小耳に挟んだのだが……』
アルトゥールは、腕を組んだ。
『……あのレースとかいう興行だが、次の東京での開催が難しくなっているようだな?』
『なぜそれを?……』
サクラは、目を見開いた。
『……っと……お父様にとっては、そんな情報を知るのは造作もないことですね。 失礼しました』
『つまり……その通り、という事だな……』
アルトゥールの目が鋭くなった。
『……どうやって打開するつもりだ?』
『私案はいくつかあります。 その中には、かなり費用の掛かるものもありますので……』
サクラは、視線を下げた。
『……それらの事も含めて、ここで相談をしようかと』
『よし、分かった。 その場には、ガスパルも同席させよう。 費用などは、どうとでもなる。 存分にやれ』
『お待たせいたしました』
シャロルタが、コーヒーカップの乗ったお盆を持って入ってきた。
アルトゥールに合った翌日に、サクラはホワイトボードの前に立ち、集まった者を見ていた。
『集まってくれてありがと。 で今日集まってもらったのは……』
サクラはペンのキャップを取って、ホワイトボードの上部にハンガリー語で書いた。
『……これで正しいかな? つまり……レースの東京大会を開催する方法。 結局……障害をどうやって突破するかを決めたいの』
『サクラ様……』
ガスパルが、手を上げた。
『……各自の認識を一致させるために、どういった障害があるのかを書いた方が良いと思われます』
『そ、そうね……』
サクラは、ペンを持ったまま見渡した。
『……ニコレット、書いてくれる?』
『はい。 かまわないけど……』
ニコレットは、立ち上がった。
『……サクラ。 貴女、まだ綴りに自信が無いの?』
『だ、だって……忘れちゃったんだから、仕方がないじゃない』
そう……話したり読んだりは、それなりに出来るようになったサクラだが……書くのは、まだ小学生低学年ほどしか出来なかった。
『つまり……そのマンションが邪魔であると……』
ガスパルは、ホワイトボードを見ながら呟いた。
そこには、滑走路に予定している海沿いの道路と、その周りの様子が模式的に描かれていた。
『……私には、そのマンションが中央線からはズレている様に見えますが?』
『うん、そうなんだけど……』
サクラは、頷いた。
確かに道路のセンターラインの延長線上からは、マンションは外れている。
『……それでも危ない、って日本の航空局は言ってるんだよね』
『分かりました。 どこでもお役所っていうのは、頭が固いものですな』
ガスパルは、遠くを見るような眼をした。
『ガスパルも経験があるの?』
サクラは、首を傾げた。
『ありますとも。 ヴェレシュが大きくなる過程で、どれだけ旦那様と一緒に役人と対峙した事か』
ガスパルは、微笑んだ。
『ガスパル? 一応聞くけど……その役人は、生きてるよね?』
サクラは、頬が引き攣ったような気がした。
『さて?……どうですかな? 何分、昔の事で御座いますので……鬼籍に入った者も居るでしょうな。 それが寿命だったかどうかまでは、私は知りませんが』
ガスパルは、目を閉じた。
『そ、そう』
サクラは、そっと目をそらした。
ホワイトボードには、サクラの考えた作戦が何種類か書き出されていた。
『私が考え付いたのは、これ位だけど……』
サクラは、説明を終えて見渡した。
『……これ以上の考えがあったら出して』
『いや……十分じゃないかな? 僕にはこれ以上は考えられないよ……』
メイが、隣にいる森山を見た。
『……モリヤマさんは?』
『俺もそうだ。 しかしこんなのは、長くヴェレシュに居るニコレットやイロナの方が、詳しくないか?』
森山は、頷いた。
『それでは、私から少々……』
イロナが、口を開いた。
『……役人と「お話し」というのを、提案させていただきます』
『イロナ? 法律に違反しちゃダメだよ』
サクラは、目を細めてイロナを見た。
『あら? 「お話し」するだけよ。 ちょっと周りに屈強な男が居るくらいだから』
『ダメよ、イロナ……』
ニコレットが、遮った。
『……脅しはいけないわ。 ここは家族の方に協力していただくのが良いわよ。 ヴィトンやグッチなんか、奥様方に人気よね』
『はぁ……二人ともやめてよ。 もっと真面目に考えて』
サクラは、溜息を吐いた。
『それでは、上から順番に考察していくわね……』
ニコレットが、ペンを持って立った。
『……先ずは……マンションを買い取って、その後解体する』
『これが、一番確実なんだよね。 ただねー……』
サクラは、首を振った。
『……お金が掛かるのと……どうしても時間が掛かりそうなんだよね』
『そうですな。 金なんてものは、どうとでもなりますが……』
ガスパルは、頷いた。
『……時間だけは、どうにもなりません。 時間だけが、ヴェレシュにとって自由に出来ないものですから』
『ちなみに、解体するのにどれ位掛かるんだろう?』
メイが森山に尋ねた。
『俺も専門家じゃないから詳しくは知らないが……』
森山は、首をひねった。
『……半年くらいじゃないか?』
『あら? 映像で見たことあるけど、一瞬で粉々になるのがあったわよ』
イロナが声を上げた。
『それって、爆薬で破壊するのよ……』
ニコレットは、イロナを見た。
『……確かにあの方法なら、解体は一瞬ね。 お金は掛かりそうだけど、時間は解決するわ』
『はぁ……あのね……日本で、しかも東京で出来るわけないじゃない。 二人とも、過激だよ』
サクラは、肩を落とした。
会議を始めて、もうかれこれ2時間が経とうとしていた。
『なかなか難しいものですな……』
ガスパルが、顎を撫ぜた。
『……日本というのは、勝手が違い過ぎる』
そう……みんなの思いつくこと……土地を買って滑走路を造る、自衛隊の基地を使う、空母を借りる、等……どれも簡単には出来ないことだった。
『そうなんだ。 だから……これが一番実現性がありそうなんだよね』
サクラは、ペンでアンダーラインを引いた。
『結局、役人を納得させる、ってことかぁ』
森山は、疲れた様子で頷いた。
『してくれるかしら?』
ニコレットが、首を傾げた。
『してもらおうよ。 その為のアイデアなんだから……』
サクラは、みんなを見渡した。
『……航空局にはヴェレシュの息の掛かった者が居るから、いきなり門前払いは無いはずだよ』
『そうですな。 裏から手を伸ばす……それがヴェレシュの手段ですから』
ガスパルは、悪い顔で頷いた。
会議をした翌日、サクラは自分の執務室に居た。
『ニコレット、マンションの住人を全員移動させる計画を作って。 イロナ、航空局に出す要望書をお願い。 メイは、テスト飛行をお願いするペーテルと連絡して。 森山さんは、臨時滑走路のレイアウトをお願いします……』
サクラから矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
『サクラ様、旦那様がお見えです』
そこに、ドアの傍に立っていたノリコから……今日は彼女がサクラ担当だった……声が掛かった。
『え? お父様が?』
サクラは、キョトンとノリコを見た。
『ワシだ。 入るぞ……』
入室の許可も取らず、アルトゥールがドアを潜ってきた。
後ろにはガスパルが続いている。
『……気張っとるな』
『お、お父様。 こちらに来るなんて……何か御用でしょうか?』
サクラは、慌ててデスクの前に出てきた。
『ふむ……スーツも似合っておるな……』
アルトゥールがは、上から下まで視線を動かした。
『……ワシは、ドレスの方が良いのだが』
『どうぞ座ってください……』
サクラは、ソファを指した。
『……どんな御用で? まさか私の服装について、なんてことは無いですよね?』
『うむ……まあ、お前も座れ……』
アルトゥールは「どしっ」と腰を下ろした。
『……コーヒーを貰えるか?』
『はぁ……ノリコ、コーヒーを淹れて。 私は要らないわ』
サクラは、アルトゥールの前に座った。
『なんじゃ? 溜息なんぞ吐きおって』
アルトゥールは、サクラを見た。
『お父様。 私は今、忙しいんです。 のんびりしていたら、レースの開催が出来なくなるんですから』
「年寄りの相手なんてしている暇は無いんです」というのをサクラは飲み込んだ。
『まあ、そう言うな。 少し年寄りの相手をしろ……』
アルトゥールは、サクラを睨んだ。
『……レースの事はガスパルから聞いた。 何とも手ぬるい方法を考えておるようだが……勝算はあるのか?』
『ある……そう答えたいですが……こればかりはやってみないと分かりません』
サクラは、目を伏せた。
『そうか……そうだろうな。 お前は、まだまだ経験が少ない……』
アルトゥールの目が優しくなった。
『……困ったらワシを頼れ。 如何様にでもしてやれる』
『いえ……私の道楽にお父様の手を煩わせるわけには……』
サクラは、ゆっくりと首を振った。
『……何とかしてみます』
『そう言うな。 少しは親らしいことをさせろ。 ……っとコーヒーが遅いな』
アルトゥールの頬が赤く染まった。
『旦那様。 恥ずかしいのは分かりますが、その……頬を染めるのは、らしく御座いません』
ガスパルが、後ろから囁いた。
霞が関の、とあるビルの中……
「局長。 件のレースについて、 仮の場外飛行場に関する許可願いです。 それと、それに付随した要望書も」
「鈴木君か。 君も部署が違うのに、よく働くね」
「いや、丁度居たものですから」
「そうかね。 しかし……レース関係、随分粘ることだなぁ」
「そうですね。 それでも段々と実現可能な許可願いになってきています」
「そうだと良いが。 僕だって鬼じゃない。 実現できるなら良いと思ってるからね」
「今回は、実証飛行をさせてほしいようですよ。 何だかペーテルというパイロットを呼ぶそうです」
「ペーテルと言えば、レースの発案者の一人じゃないか? それはまた力を入れてきたね。 もうお歳だと思ったが」
「それともう一人、戸谷サクラさんも飛んでみるようです」
「おやおや……あのサクラ選手かい? それなら、僕も見に行ってみようかな」
「へ? 局長自ら?」
「ああ……サクラ選手って、可愛いよね。 スタイルも良いし。 あのフライトスーツ姿なんて、モデル並みだよ」
「そ、そうですか(……なんだよ……こいつは、ミーハーか? これなら、さっさとサクラ様に出てきていただいたら、簡単に許可が下りたかもな……)」