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紅い桜  作者: 道豚
131/147

失速

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します。


 扉の閉められた格納庫の中で、森山は「ミクシ」のエンジンを調べていた。

「(……おかしなところは無し……)」

 森山の持つライトに照らされ、隅々まで磨かれた「ライカミングAEIO-580エンジン」は輝いていた。

『ハーイ! 森山さん……』

 メインの扉の横にあるドアから、サクラが入ってきた。

 後ろにメイがついている。

『……出来たって?』

『やあ、お帰り。 旅行は楽しかった?……』

 森山は、持っていたライトを消してサクラを見た。

『……もっとゆっくりしてきても良かったのに』

『ん? 元々一泊の予定だったし、これが出来たって聞いたらね……』

 サクラは、ちょっと苦笑を浮かべた。

『……居ても立っても居られなくなっちゃった』

『そうなんだよ、モリヤマサン……』

 メイが、口を挟んだ。

『……そのメールを見た途端、「もう帰る」って言い出してね。 ちょと「ミクシ」に嫉妬したよ』

『はは、そりゃ同情するよ。 ま、飛行機に敵う男は居ないだろうから、それに慣れることだな』

 森山は、口角を上げてメイの肩を叩いた。

『なによ、二人とも……』

 サクラは、頬を膨らせた。

『……ちゃんと人と物との区別ぐらいつくわよ。 で? もう飛べるの?』

『ああ、飛べるぜ。 ただ、まあ……あくまでも動作するってだけだがな。 地上で十分テストしてから飛んだ方が良いだろう』

 森山は、エンジンを「ポンポン」と叩いた。

『分かったわ。 それじゃ、今からテストしましょう。 「ミクシ」を出すわ』

 サクラは、格納庫のドアに向かって歩き出した。

『ちょっと! 今から?』

 メイの声が上ずった。

『メイ……諦めな』

 森山は再びメイの肩を叩くと、「ミクシ」の車止めを外し始めた。




 格納庫の前で、しっかり車止めを掛けられた「ミクシ」が……カウルを付けずに丸見えになっている……エンジンを唸らせていた。

{「どうだい? 今何回転?」}

 コックピットに居るサクラのヘッドセットから、森山の声が聞こえる。

{「ん……油温、シリンダー温度、燃料圧……オールグリーン……」}

 サクラは、エンジン計器に目を走らせた。

{「……回転数は2700」}

{「OK。 こっちの計器にも異常は無い……」}

 テレメトリーで送られてくるデータが、森山の見ているパソコンに表示されていた。

{「……それじゃ、テストしよう」}

{「はい。 行きます……」}

 サクラは、スティックに付けられた引き金状のレバーを握った。

 途端にエンジン音が変わる。

{「……上手くいった! えーっと……2600?」}

{「こっちでも確認した。 上手く動いたようだ……」}

 森山の声は、嬉しそうだ。

{「……ちょっと効きすぎか?」}

{「そうですねぇ……」}

 サクラは、レバーを握ったまま首を傾げた。

{「……確かアブダビの時は、2650だったから、ちょっと下がりすぎ? 『そこにメイは居る?』」}

{『居るよ……』}

 英語の呼びかけに、メイは無線に出た。

{『……何かな?』}

{『確かアブダビの時は、2650だったよね?……ちょっと煩いね……』}

 サクラは、レバーから手を放し、更にスロットルレバーを引いた。

 エンジンは、アイドリングで回りだす。

{『……今は2600だけど、これはどうなの? パワー落としすぎかな?』}

{『ん~……今すぐには返事が出来ない……』}

 困惑したような声が聞こえた。

{『……あの時は、コース全てをその回転数で飛ぶことを条件に計算したんだ。 それが今回は、ループの時だけ、っていう条件になる。 計算し直さないと、分からない』}

{『はぁ……そうなの……それじゃ、今は……』}

 サクラは、溜息を吐いた。

{『……何もできない、って事ね。 仕方がない。 今日は止めよう……』}

 サクラは、ミクスチャーレバーを手前に引き切った。

 ガソリンの来なくなったエンジンは、静かに止まった。

{「……森山さん、今日はもう終わりにするわ」}

{「ああ良いよ。 ちゃんと機能することが確かめられたんだ。 後はセッティングだけだ……」}

 森山は、無線を切って「ミクシ」に近づいた。

「……お疲れさん。 整備をしておくよ」

「良いの? それじゃ、お願いします」

 サクラは、キャノピーを開けて立ち上がった。




「……はーい! 高槻さん居る?」

 スクールのドアを無遠慮に開け、サクラは中を見渡した。

『サクラ……流石に、もうちょっと礼儀を付けてくれ』

 デスクの後ろで、タッカーが頭を抱えていた。

『あら、タッカー社長……私、株主ですけど?』

 そう……結局タッカーは、サクラからの資本を受け入れたのだった。

『そうだけどさぁ……やっぱりサクラは上流階級の人間だろ? 常識を身に付けないと……』

『はいはい、お小言はもう十分……』

 サクラは、タッカーの言葉を遮った。

「……居た居た。 高槻さん、ちょっと良い?」

「ん? いいけど……」

 高槻は、自分の机から立ち上がった。

「……何かな? 訓練だったら、今は無理だぜ。 予定でイッパイだ」

『俺の前では、英語で話してくれ……』

 タッカーが割り込んできた。

『……ユウイチ、ちゃんと断るんだぞ』

『失礼ね、まだ何も言ってないじゃない……』

 サクラは、振り向いてタッカーを見た。

『……大した事じゃないわよ』

『で? 俺に何の用かな?』

 高槻は、サクラの前に立った。

『レースの練習をしたいんです。 ムラオカさんに連絡付けていただけませんか?』

 ちょこっと首を傾げて、サクラは高槻を見た。

『ムラオカの爺さんか?……』

 高槻は、腕を組んだ。

『……そうだなぁ……今、使えるかは分からないが、連絡はしてみよう。 交渉は自分でしてくれるか?』

「ありがとうございます。 連絡を待ってます……」

 サクラは、ぴょこっと頭を下げると……

「……じゃね、タッカー社長」

 タッカーに手を振って、ドアを開けた。

『英語で話せって言っただろぉ。 最後、なんて言ったんだ?』

 デスクの後ろでタッカーは立ち上がった。

 しかし……

『グッバイ』

 サクラは、構わず外に出て行った。




 古ぼけた住居や倉庫が囲む広い庭に、真っ赤な「アウトバック」が入ってきた。

 運転席からベンが降り立つと、車の前を回って助手席を開けた。

『此処で良いんだよね……』

 ベンは、手を取ったサクラに尋ねた。

『……どこにでもある様な農家だけど』

『ここで良いよ……』

 サクラは、ベンに手を引かれて車から降りた。

『……ここがムラオカさんの家だよ』

『ヤア! 良く来たね、サクラ……』

 母屋のドアが開き、ムラオカが顔を出した。

『……タカツキから聞いてるよ』

『お久しぶりです、ムラオカさん……』

 サクラは、駆け寄って右手を出した。

『……またお願いして良いですか?』

『ああ、構わないさ……』

 ムラオカは、サクラの手を取って「ふんわり」笑った。

『……そいつが婚約者かい?』

『ええそう。 メイナードよ……』

 サクラは、少し横によけた。

『……メイ、こちらが空を貸してくれるムラオカさん』

『初めまして、メイナードです……』

 メイは、右手を出した。

『……お目に掛かれて光栄です』

『よせやい。 こんな老いぼれにおべっかなんて……』

 ムラオカは、メイの手を握って目を細めた。

『……ムラオカだ。 見たどおりの百姓さ。 お前さんは……』

 ムラオカは、メイの顔を見つめた。

『……うん。 良い顔をしている。 サクラ、いい男を見つけたな』

『ちょっと、ムラオカさん。 私、顔で婚約したんじゃないんだけど』

 サクラの頬が、少し膨らんだ。

『そうじゃないよ。 言い方が悪かったか?……』

 ムラオカは、メイの手を放してサクラを見た。

『……いい顔ってのは、美醜じゃないんだ。 こいつは……』

 ムラオカは、親指でメイを指した。

『……これまで苦労もして、それでも芯を曲げずに生きてきた。 そんないい男の顔をしている。 そういう意味だ』

『ん? そうなの?……』

 サクラは、メイを見つめた。

『……憎らしいほどハンサムだってことは分かるけど』

『ちょ、ちょっと……面と向かって、そんな事言わないで……』

 メイは、顔を手で覆った。

『……まあ、昔は大変なこともあったさ。 でも今は、そんな苦労も忘れられるほど幸せだから』

『そう……それが私の所為だとしたら、嬉しいけど』

 サクラは、ニッコリした。

『もちろんだよ。 僕は、サクラの傍にいることで幸せなんだ』

 メイは、サクラに向かって微笑んだ。

『やれやれ……』

 ムラオカは、両手を肩の高さに上げた。

『……二人とも若いな。 かみさんと付き合いだした頃を思い出すぜ』

『ムラオカさんと奥さんは、どんな出会いだったんです?』

 サクラは、ムラオカを見た。

『そうだなぁ……ま、中に入ってくれ。 かみさんがコーヒーを淹れてるはずだ。 ゆっくり話そう』

 ムラオカが脇にズレ、サクラとメイはドアを潜った。




 緩やかな起伏のあるキャベツ畑の上を「ミクシ」は飛んでいた。

 コックピットに座ったサクラは、前方に見える2対の巨大なパイロンを見て「ミクシ」を誘導している。

「(……よくまあ、あんなデッカイのをつくったねぇ……)」

 そう……それら……エアーで膨らませた……パイロンは、高さが100メートルあり底辺の直径が30メートルもあるのだ。

「(……安全のために、高度を高くしたいのは分かるけどさ……よし200ノット……)」

 サクラは、速度計の数値を確認し……

「(……てっぺんに合わせて……)」

 手前と遠くのパイロン頂点を見通した高さに「ミクシ」を合わせた。

 これで「ミクシ」はキャベツ畑から100メートルの高さを飛んでいることになる。

「(……まずは、奥のパイロンでパワーダウンだね……)」

 サクラは、何をしようとしているのか?

 つまり……どういうタイミングでパワーを下げるレバーを握れば一番良いのかを、実験して調べるのだ。

{『メイ、始めるよ』}

 サクラはマイクのスイッチを入れて、地上でビデオを撮っているはずのメイに言った。

{『了解、気を付けてね』}

 間髪を入れずに、メイからの返事が返った。

{『大丈夫だよ。 良いデータを取って帰るから』}

 サクラは答えると、マイクのスイッチから指を離した。




 一対のパイロンが、左右に視界から消えた。

「(……今!……)」

 サクラは、左手の人差し指でスティックに付けたレバーを引いた。

 途端にエンジン音が変わる。

「(……くっ!……)」

 それを確かめる間もなく、サクラはスティックを引いた。

「(……ぐぅぅぅぅぅ……)」

 「ミクシ」はループに入り、サクラはシートに押し付けられた。

「(……ぐぅぅ……ぐぅぅ……10……)」

 息をするのも苦労する中、サクラはGメーターを見ながら10Gを保つようにスティックを引き続けた。

 「ミクシ」は、やがて宙返りの頂点付近に近づいた。

「(……ぐぅぅ……ぅ……あれ? Gが抜けた?……)」

 サクラは、いきなり体が軽くなるのを感じた。

「(……って、ヤバい! ストールした……)」

 そう……過大な迎え角をとった主翼から、耐えきれずに気流が剥離してしまったのだ。

 Gを作り出しているのは、主翼の揚力なので……当然のように、失速状態ではGは発生しない。

 「ミクシ」は、背面のまま高度を下げ始めていた。

「(……パワー!……)」

 サクラは、左手で握っていたレバーを離した。

 さっきまでくぐもった音を出していた森山チューンの「AEIO-580」が、轟音を立てて回り始める。

「(……引いて……ラダー蹴って……左!……)」

 サクラの操作により「ミクシ」は、スナップロールをした。

「(……よし! これで……)」

 「ミクシ」は、今は機首を下げて急降下していて、正面にさっき通過したパイロンが見えた。

「(……くっ!……)」

 高度に余裕はない。

 サクラは、スティックを引いた。

「(……ぐぅぅぅぅぅ……)」

 再びサクラは、シートに押し付けられた。




{『サクラ! サクラ! 大丈夫!?』}

 ヘッドセットから、焦った様子のメイの声がする。

 「ミクシ」は、今は十分な高度で緩く旋回していた。

{『ハイ! 大丈夫だよ、メイ……)』}

 サクラは、マイクのスイッチを押して答えた。

{『(……ちょっと焦っちゃったけどね)』}

{『はぁ……無事で良かったよ。 どうする? 一旦切り上げて空港に帰ろうか?』}

{『そうねぇ……』}

 サクラはコックピットを見渡し、スティックを細かく動かした。

 「ミクシ」は、サクラの操作に合わせてユラユラと反応した。

{『……「ミクシ」は、特に異常は見られないけど……』}

 サクラは、暫し考え……

{『……やっぱり「ミクシ」が心配だから、帰ろうか』}

{『そうだね。 見えないところにストレスが掛かっているかもしれない。 今回のデータは、上手く取れたから……帰って精査しよう』}

{『了解。 先に帰ってるね』}

 サクラは「ミクシ」を空港に向けた。





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