キャンプ終わり、帰国
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2週間のキャンプが終わった。
旅支度を整えて、サクラはエプロンに居た。
『またね、サクラ……』
ナタリーが右手を出した。
『……今度会うのはレース会場ね』
『うん、そうだね……』
サクラは、ナタリーの手を握った。
『……1月だから、だいぶ先になるね。 その時までには、ナタリーに勝てるようになってるから。 期待してて』
『あら、そう? 期待しておくわね……』
ナタリーは、ウインクをした。
『……でも、返り打ちよ。 そう簡単に負けないわよ』
『そりゃ、初日に1回勝てただけだけどさ。 次は、そうはいかないよ……』
そう……サクラがナタリーより良いタイムを出したのは、初日の一回目だけだった。
その後のコースでは……良いところまではいくものの……もう少しが届かなかったのだ。
『……それじゃ、行くね』
『ええ、気を付けてね。 グッデー』
『うん、ナタリーもね。 グッデー』
二人は、お互いに手を振りあって離れた。
サクラの「ミクシ」が滑走路を走り出したのを、ナタリーは見ていた。
『行っちゃたね……』
横に立っていた、ミカエルが零した。
『……どう? 彼女、伸びるかな?』
『あら? 貴方、そんなにサクラの事が気になるの?……』
ナタリーは、視線をミカエルに移した。
『……フィアンセが居るって、分かってるでしょうに。 メイとも話をしてたわよね』
『そんな事は、分かってるよ。 メイも良い男だったしな……』
ミカエルは、視線を落とした。
『……はぁ……彼女、可愛かったなぁ……って、そうじゃない!……』
ミカエルは、視線をナタリーに向けた。
『……サクラは、レーサーとしてやっていけるのか? って事を言ってるんだ』
『うふふ……』
ナタリーは、ミカエルの肩を叩いた。
『……良い子ね。 よく我慢できたわ』
『おい! 子供扱いは止めろよ』
ミカエルは、ナタリーの手を払い落した。
『あら? 私より10歳も下なんだから……子供よ。 何だったら、今夜慰めてあげようか?』
そう……ナタリーは30代半ばで、ミカエルは20代半ば……メイと同じぐらいの齢なのだ。
『馬鹿野郎……そんな事……』
ミカエルは、離陸して離れていく「ミクシ」を目で追った。
『……何度目の失恋かな』
『泣かない、泣かない。 ほら、行くわよ』
ナタリーはミカエルの肩を抱いて、歩き出した。
『サクラ様、メイナード様、おかえりなさいませ』
キングシティの「メサ・デル・レイ」空港に降りたサクラとメイを、並んだメイドが迎えた。
『ただいま。 元気だった?……』
サクラは、にっこりと彼女たちを……特に先頭に居るジルを見た。
『……っで? 相変わらずイロナも入ってるのね』
『何度も言ってるように、これは様式美なのよ。 だから一足先にサイテーションで帰ったのよ』
最後尾に立っているイロナは、すまし顔で言った。
そう……イロナとクルーたちは、サクラが離陸するより先にキャンプ地を飛び立ったのだ。
当然、巡航速度が違っているので、イロナ達は数時間前に到着していた。
『そうじゃなくて、イロナはもうメイドじゃないでしょ。 いつまでも、そんなんじゃいけないよ』
サクラは、ゆっくりと首を振った。
『いいえ。 私の始まりは、サクラ専用のメイドだったのよ……』
イロナは、優しく微笑んだ。
『……貴女が年を取るまで……私が年老いるまで……私は貴女のメイドで居るわ』
『はぁ……分かった。 好きにして』
『あの……サクラ様……』
遠慮がちなジルの声が、横から聞こえた。
『……留守の間、当地は問題ございませんでした』
『あら、ごめん。 ついイロナと話してしまったわね……』
サクラは、ジルを見た。
顔色もよく、元気そうだ。
『……一人で寂しかったでしょう?』
『いえ……イレムも居ましたので……それなりに』
ジルは、軽く頭を下げた。
『そう、それならよかったわ。 彼とは話をした?』
サクラは、微笑んだ。
『はい。 私の事を気にかけてくださって……』
ジルの頬が、赤らんだ。
『……彼は、良い人です』
『あら? ……』
サクラは、離れた所に立っている……級が低いので、この場には来れない……イレムを見た。
『……そういう事?』
『も、申し訳ありません。 お留守を守る、という仕事中に』
ジルは、深く頭を下げた。
『良いのよ。 仕事は仕事、プライベートはプライベート。 プライベートの事を仕事に持ち込まなければね。 イレムも心得ておいてね!』
サクラは、再びイレムを見た。
『……』
イレムは、無言で頭を下げた。
キングシティに帰ってから1週間、のんびりと体を休めたサクラは、サイテーションサクラのタラップを上っていた。
もう全員……ジルとイレム以外……乗り込んでいて、後にはイロナしかいない。
『いいの? あの二人を残したら、子供が出来るかもよ?』
ドアを潜りながら、サクラは後のイロナに言った。
『いいわよ。 ちゃんと「くぎ」を刺しておいたから……』
イロナは声を潜めた。
『……ここで上手く勤められたら、イレムの級を戻すことを上に進言する、ってね』
『あ、そう……いいの?』
そう……イレムは、サクラを裏切ったことで降級させられたのだ。
それは、そんなに昔の事ではない。
『大丈夫、進言するだけよ。 それが通るかどうかは? 分からないもの……』
イロナは、黒い笑みを浮かべた。
『……でも、もし級が戻ったら、二人は一緒になれるわ。 今のままでは無理だけどね』
『それって……飴と鞭のアメ?』
サクラは、イロナを見た。
『そうよ。 効果的でしょ』
イロナの笑みは、さらに深くなった。
『サクラ様、おかえりなさいませ』
赤い絨毯を引いた玄関のわきに……ずらりと並んで……控えたメイドたちが、揃って頭を下げた。
ここはブダペストの郊外、ゲデレーにある宮殿と呼ばれるヴェレシュの屋敷だ。
『ただいま……』
リムジンを降りたサクラは、前を見たまま彼女たちの前を通る。
そして
『……お父様、戻りました』
正面に立っていたアルトゥールに頭を下げた。
『うむ……よく帰った……』
アルトゥールは、頷いた。
『……アメリカでのことは、聞いている。 そこの男と婚約したこともな』
『はい。 これで良かったのですか?』
そう……メイの事は、確かアルトゥールが進めてきたはずだ。
『良い。 奴は、なかなか見込みがあると……ガスパルも言っておった……』
メイは、ガスパルの下で家令の勉強をしている。
『……後でゆっくり話をしよう。 ワシの部屋に来るといい』
『分かりました』
サクラは、再び頭を下げた。
ミュンヘンの北東部のウンターフェーリングにあるガラス張りのビル。
そこの玄関に、サクラはBMWで乗りつけた。
『さあ着いたよ、アンドレア……』
サクラは、イロナの開けたドアから降りた。
『……ここが、貴女の仕事場になるよ』
『はい、分かりました』
助手席から降りた、ビジネススーツ姿のアンドレアは、長旅の疲れも見せずに頷いた。
そう……サクラ達はミュンヘンまで「サイテーション サクラ」で飛び、そこからイロナの運転で走ってきたのだ。
『おかえりなさいませ、サクラ様……』
フリーダが玄関から出てきて、お辞儀をした。
『……お久しぶりでございます』
『久しぶりねフリーダ。 しっかりやってくれてるから、安心してるわ……』
サクラは、後に居るアンドレアを指した。
『……彼女がアンドレアよ。 連絡しておいたように、今日からここで働くわ』
『アンドレアで御座います』
アンドレアは、頭を下げた。
サクラ達は、4階の役員室のあるソファに落ち着いた。
サクラの前には、会社の決算報告書が置いてある。
『……これが、今年半期の収支で御座います』
フリーダが、それの下に書かれている数字を指さした。
『うん……あまり良くないね』
サクラは、溜息を吐いた。
『はい……正直、もう少し数字が欲しいところです……』
フリーダは、頷いた。
『……キラーコンテンツが在れば良いのですが』
そう……サクラの会社……モータースポーツのネット配信……は、初期には契約者が伸びたものの、ここ最近は伸び悩んでいたのだった。
『そうねー……やはり、F1やラリー、リノのエアレース……以前からのモータースポーツに割り込むのは、簡単じゃないものね』
そう……歴史のある……世界的に人気のあるスポーツには、サクラの会社は上手く入り込めていないのだった。
歴史の浅いスポーツは、やはりファンの数は少なくて、そろそろ飽和し始めていた。
『はい。 2次ソースでは、顧客のニーズを十分に満たせません』
フリーダは、再び頷いた。
『仕方がないわ。 今は高望みをしてもしょうがない。 そこで彼女よ……』
サクラは、隣に座ったアンドレアの肩を叩いた。
『……アンドレアは、こういうことを大学で研究してきたの。 頑張って収支を改善してもらいたいわ』
『はい。 私の得意分野ですから、良い結果を出して見せます』
アンドレアは、頷いた。
『それにね……』
サクラは、ニッコリした。
『……レースは、きっとキラーコンテンツになるわ。 これは、うちの独占だから』
『つまり、儲けは独り占め、ですか?』
フリーダは、黒い笑みを浮かべた。
赤い絨毯を引いた玄関のわきに、メイドたちが控えていた。
『お父様、行ってきます』
開かれたドアの前で、サクラはアルトゥールに頭を下げた。
『うむ……気を付けて行くんだぞ……』
アルトゥールは、軽く顎を引いた。
『……あちらの両親にも宜しく言っておいてくれ』
『はい、もちろんです』
そう……12月も半ば、サクラは日本に帰ろうとしていた。
『レースとやらは、1月から始まるのだったな?』
アルトゥールは、真っすぐにサクラを見ている。
『はい、第三週です』
サクラは、頷いた。
『うむ……ガスパル、そのあたりの予定は?』
アルトゥールは、前を見たまま斜め後ろのガスパルに尋ねた。
『そのあたりは、新年の挨拶などが有りますので……現地に行くことは無理でございます』
特にメモを見るなどせず、ガスパルは答えた。
『そうか……』
アルトゥールは、一瞬顔を曇らせた。
『……い、いや……ワシは「行く」等と言っておらん』
『お父様……』
サクラは、アルトゥールの手を取った。
『……レースは、1月だけではありません。 何時か、予定が空いた時にお出で下さい』
『そうか……そうだな……』
アルトゥールは、握ったサクラを手を見た。
『……あ、いや……よ、予定が空けばな』
『うふ……それでは、行きます』
微笑むと、サクラは手を離した。
そして……
『サクラ様、いってらっしゃいませ』
メイドたちのコーラスを聞きながら、リムジンに乗り込んだ。