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紅い桜  作者: 道豚
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ボトムレス

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。


 ハンガリーの首都ブダペストの夜景を遠くに眺める病院の5階、その三分の一を占める病室のベッドの上、スモールライトの優しい灯りの中、薄手のブランケットが盛り上がっていた。

 ブランケットの中で夢を見る髪の短い女性が横を向いている所為で、ヒップが高く上がっているのだ。




「……ん?……」

 ふと吉秋は目を覚ました。

「(……おしっこ……んん 今何時かな……)」

 ゆっくりと寝返りを打って、ベッド脇の時計の照明を点ける。

「(……まだ3時か……朝までもたないなー……)」

 やれやれ、と吉秋は起き上がった。

 ベッドの縁に腰掛け、足を下ろしてサンダルを探る。

「(……ふぁ~ 眠い……)」

 病室に繋がっているトイレに向かって、吉秋は歩き出した。




 便座に座ったところで、吉秋は下ろしたショーツのクロッチに、何か付いているのに気がついた。

 何かゴワゴワした紙のような物で、厚みがあるようだ。

 そしてそれは中央部が赤くなっている。

「(……へ? 何だっけ……)」

 首をひねる吉秋だが……頭の疑問とは関係なく、体は正直な物で……いつもと同じようにおしっこが出た。

 トイレットペーパーを千切り、股間を拭こうとして

「……え? ええ!……」

 便器の中が真っ赤になっているのに、吉秋は気がついた。




「(……まてまて……そ、そうだよ……月の物が始まったんだった……ふう……)」

 あやうく上げそうになった悲鳴を飲み込んで、吉秋は深呼吸をした。

「(……って事は、これを変えなきゃならないんだよなぁ……)」

 吉秋は手を伸ばしてショーツからナプキンを剥がし、横に置いてある汚物入れに投げ込んだ。

「(……さてと、新しいナプキンは?……)」

 くるくると辺りを見渡すが……

「(……も、もしかして、置いてない!……)」

 「スー」と血の気が引くのを吉秋は感じた。




 夜中の3時だというのに明明あかあかと灯りの点いた部屋の中を、下半身に何も着ていない女性が、股間に片手を当てたまま徘徊している。

「(……何処に置いてあるんだよー ニコレットは……)」

 言わずと知れた吉秋サクラなのだが……

「(……ここにも無い……)」

 彼女(彼?)はナプキンが無いので仕方なく、トイレットペーパーを丸めて股間に当てたまま探していたのだ。

『……サクラ! 何やってんの……』

「……え?……」

 ベッドの横に置いてあるテーブルの引き出しを吉秋サクラが覗いていると、部屋の入り口からニコレットの声が聞こえた。

『……ニコレット。 どうして此処に?』

『……灯りが点いてるのが見えたのよ。 一応、ここは病院だから……』

 言いながら入ってくると、ニコレットは吉秋サクラの横まで来た。

『……ボトムレスで、何してんの? って、大体分かるわ。 ナプキンが見つからなかったんでしょ……』

『……そう。 何処に置いてある?』

 左手を股間に当てている所為で、吉秋サクラは体をかしげてニコレットに向き直った。

『……此処にあるわ……』

 ニコレットは、ウォークインクローゼットのドアを開けて入っていく。

 吉秋サクラは、慌てて追いかけた。

 中は片側にハンガーパイプがあり、もう片側は棚とタンスのような引き出しが、作り付けになっていた。

 ニコレットは、その引き出しの一つを開ける。

『……これね。 何個かトイレに置いておく方が良いかしら……』

『……こんな所に あったんだ。 うん、そうした方が 良い……』

 吉秋サクラは、ニコレットから包みを受け取ると、一つを開けた。

『……ちょっと そのまま当てたってダメよ。 ショーツに付けなきゃ……』

 ナプキンを広げ始めた吉秋サクラの手を、ニコレットは捕まえた。




『……今日はリハビリを休みましょう……』

 朝食が終わったところで、ニコレットが言った。

『……うん これじゃ出来ないね……』

 言われた吉秋サクラは、食べて直ぐというのにベッドに横になっている。

「(……お腹は痛いし 腰は重いし 頭まで痛くなってきたし……)」

『……はぁ ニコレットー 毎月 こんなになるんかなぁ?』

『……人による としか言えないわね。 サクラ様は、そんなに重い方じゃなかったと思うけど……』

 食器を載せたワゴンを押して、出て行こうとしていたニコレットが、振り返った。

『……いいわ 薬を持ってきてあげる。 待ってなさい……』

 ワゴンを廊下に出すと、ニコレットはドアを閉めた。




『……ねえニコレット これ 見に行きたいな……』

 ベッドの上から窓際の椅子に移動していた吉秋サクラが、手に持った雑誌を開いて見せた。

『……頭痛は治ったの? 外に出られるかは ツェツィルに聞かないといけないけど……』

 呼ばれてニコレットは、近くにやって来た。

『……これって……昨日あなたが見てた女の子の雑誌ね……』

『……女の子って 違うよ。 これはニコレットに 買って来てもらった 飛行機の雑誌……』

 吉秋サクラは、雑誌を閉じて表紙を見せた。

『……あら ほんと……ちょっと見せて……』

 ニコレットは吉秋サクラから雑誌を受け取り、記事を読み始めた。




『……この世界選手権? ってヴェレシュ家の飛行場で行われてるみたいね……』

 吉秋サクラの隣に置いた椅子に座って、渡された雑誌を読んでいたニコレットが、顔を上げた。

『……え? ヴェレシュ家の? あのおやっさん、飛行場を持ってる?』

 ポカン、と吉秋サクラがニコレットを見る。

『……サクラ……あなた、また英語になってるわよ……それに、自分の父親を「おやっさん」だなんて……』

 吉秋サクラの鼻の天辺を人差し指で抑え、ニコレットが息を吐いた。

『……ごめん……お父さんは 飛行場を 持ってるの?』

 吉秋サクラは首を振ってニコレットの指から逃れた。

『……そうよ。 ちょっと離れてるけど……自家用機も持ってるわ……』

『……はぁー 流石はお金持ちねー……自家用機? 操縦できるの?』

『……ええ サクラ様は出来たわ。 確か去年ライセンスを取ったはずよ……』

『……え! そ、それじゃ 私は 飛行機に 乗れるの?』

 吉秋サクラは喜色を浮かべて、ニコレットを見つめた。




『……やあ! 月経が始まったって?』

 午後になって、ツェツィルがやってきた。

『……良かった良かった……』

『……良くない……』

 いつものように陽気なツェツィルを、陰鬱いんうつな表情の吉秋サクラが、ベッドに寝たまま迎えた。

『……お腹は痛い 腰は重い 頭は痛い 気持ち悪い……』

 一度は薬を飲んで落ち着いていたものの、再び調子が悪くなってきたのだ。

『……随分と言葉を覚えたね。 それだけ症状を言えるようになったんだ……おっと そう睨むなよ……』

 鼻の頭に皺を寄せる吉秋サクラに、慌ててツェツィルは両手を顔の前で振った。

『……まあ、それはさておき……月経が始まったって事は、本当に良いことなんだ……』

 ベッドの傍らに椅子を置いて、ツェツィルは座った。

『……つまりこれは、サクラの体が生きていくのに、余裕が出来たって事なんだ。 月経ってのは、ちょっとしたストレスや体調の悪化で止まるんだよ。 現に、あの事故の後、止まってたよね。 死にそうな時は、全てのエネルギーを生きるために使うんだ。 だから、とりあえず不要な月経なんかは、止めるんだね……』

 ツェツィルは「ニッコリ」して続けた。

『……おめでとう。 サクラの体は死を乗り越えた……そしてヨシアキの脳は、女性の体をコントロールするようになった……』

『……コントロール? 私は 随分前から 体を 動かせるよ?』

 ほら、と吉秋サクラは手を握ったり開いたりした。

『……いや、この場合は……そんな随意筋の事じゃなくて、不随意筋……消化器や心臓なんか……それに内分泌系……所謂ホルモンなんかだね。 そういうのも脳がコントロールしているんだ。 あ、コントロール出来なくても、基本的な動作はするからね……』

 『……良くわからない……なんか難しい……』

 専門的な単語が飛び出し、吉秋サクラはポカンとした。

 『……そうだなー 簡単に言えば……君の脳は、その体を自分の物とした。 そして子孫を残す事を始めた……残そうとして卵子の成熟を始めた……』

 『……卵子の 成熟?……』

 『……そう。 精子を受け入れ、赤ちゃんを宿す為にね……』

 『……せ、精子……(……それって……男と、アレをするって事だよな……じょ、冗談じゃないぜ……)……や、ヤダ……』

 吉秋サクラは、体を丸めてブランケットに潜り込んだ。




『……ニコレット……居る?』

 ツェツィルが部屋を出て行って静かになった部屋に、吉秋サクラの声が小さく流れる。

『……居るわよ……』

『……ねえ 英語で話して良い?』

『……ええ 良いわ……』

 いつの間にかニコレットは、ベッドの側に座っていた。

『……俺は吉秋だろ? 男だよな。 でも、サクラでもあるんだ。 サクラは女だよな……』

 吉秋サクラが、ブランケットから顔を出す。

『……俺って男なのか、女なのか……ねえニコレット、どっちなんだろう?』

『……そうね……今は男の頭脳を持った女、ってとこかしら……』

 吉秋サクラの乱れた髪を整えるように、ニコレットが頭を撫でた。

『……でもGIDではないわね。 脳が男だから……』

『……おやっさんは、この体を俺に預けると言った。 迷惑を掛けた以上……俺を助けてくれた事も含めて……この体を大事にしていく事に、異存は無い……』

 ブランケットを跳ね除け、吉秋サクラはベッドにペタンと座った。

『……でも……だからこそ……俺はサクラの体と距離を置いておきたい。 俺はサクラなんだ、なんて思ったら……無理をして、取り返しのつかない事をしてしまうだろう。 それなのに……サクラを知っている人は、俺をサクラとして話しかけてくる。 それに対して、俺はサクラとして答える。 ……このままでは、いつか俺は、この体を自分の物と思ってしまうんじゃないか? それはおやっさんとの約束を破る事……だよな? ……はぁ……』

 大きくため息をついて、吉秋サクラはベッドに倒れた。

『……どうかしら……ヴェレシュ様は、そこまでの事は言ってないと思うけど……』

 ニコレットは、ブランケットを吉秋サクラに掛けた。

『……でも一度、その辺をはっきりさせる必要があるわね……』

『……そうだね。 ねえニコレット……薬を貰えない?』

 青白い顔の吉秋サクラが、ブランケットから右の手のひらを出した。




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