室伏さんも、遂に始動ですか?
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
『お世話になったわね、サクラ……』
ボナンザの横で、リゼは右手を出した。
『……お陰で日本まで飛べそうよ』
『どういたしまして。 でも、それはメアリや森山さんに言ってあげて……』
サクラは、リゼの手を握った。
『……私は、ただ彼らに許可を出しただけだから』
『勿論よ。 でも、サクラがやっぱりボスだから、一番に言わなくちゃね。 それに1万ドルもプリペイドカードに入れてくれたでしょ?』
リゼはニッコリすると、森山たちのほうに歩いて行った。
『クリヤー!』
リゼの声が聞こえ、次の瞬間……
「ズドドド…………」
ボナンザのエンジンが始動した。
「森山さん。 リゼと最後に何を話したの?」
少し離れたところに立って、サクラは尋ねた。
「ん? 大したことは話してないよ。 彼女から感謝されたのと、俺からは気を付けて、って言ったぐらいだ」
「そうなの? 割と話してたみたいだったけど……」
サクラは、ボナンザから森山に視線を移した。
「……アプローチ掛けられたとか?」
「いや! 流石にそれは無いな……」
森山は、ボナンザを見たままだ。
「……目的地を聞いただけだよ。 高知だってさ」
「え! 高知?……」
サクラは、再びボナンザに視線を向けた。
「……そうなんだ。 じゃ……今度帰ったら、ボナンザが高知空港に居るってことだね。 リゼは、その後どうするんだろう?」
「ん~ 流石にそんな事まで聞けないな。 イロナにバレたら、ヤキモチ焼かれるぜ」
森山の視線の先で、リゼは忙しく計器を確認している。
『わぉ! お惚気? あ……OKみたいだね』
リゼが顔を上げてサクラ達を見た。
「ああ、そうだな。 良い音で回ってる」
リゼは、ニッコリすると手を振った。
『またね。 どこかで会いましょう』
手を振り返すサクラ達の前から、ボナンザは走り出した。
『何処まで飛んだかなぁ?』
リゼの離陸を見守ったサクラは、スクールのソファにメイと並んで座っていた。
『サンフランシスコの空域侵入要求をする無線が聞こえてから、もう30分は経ったから……』
メイは、壁の時計を見た。
『……ゴールデンゲートブリッジが見えてるんじゃないかな』
『無事に日本にたどり着けたら良いね。 少しお金をあげたから……』
来たばかりのリゼの様子を思い出すように、サクラは天井を見た。
『……流石にあんな状態で飛んでいかないと思うけど』
『聞いただけなんだけど、そんなに酷い恰好だったのかい?』
メイは、サクラを見た。
『酷かったよ~……』
サクラは、顔を顰めた。
『……アンナが、有無を言わせずシャワールームに突っ込んだんだから。 全部ひん剝いてさ』
『ひん剝いた……』
何を想像したのか……メイは顔を赤くした。
『……大人の女性を』
『な……何、想像してるのよ……』
釣られてサクラも頬を染めた。
『……シャ……シャワーを浴びるんだから、脱ぐのは当り前じゃない』
「よっ! なかなか良い雰囲気じゃないか」
エプロンに出られるドアが開き、日本語が聞こえた。
「えっ!……」
びっくりして、サクラはそちらを向いた。
「……室伏さん」
そう……そこにいたのは、二人の男を連れた室伏だった。
「室伏さんも、遂に始動ですか?」
ローテーブルの向こう側に座った室伏に、サクラは尋ねた。
『此処は英語で話そう……』
室伏は、チラッと周りを見た。
『……秘密じゃないからね。 っで、その通り。 俺たちもレースに向けて準備を始めることにした』
『分りました……』
サクラは、頷いた。
『……それでは……お二人は、室伏さんのチーム員?』
『ああ、そうだ。 彼はデズ。 マネージャーだな』
室伏は、褐色の髪をした……やや額が広くなり始めた……ともすれば、セールスマンのような風貌の男を指した。
『初めまして、デズモンドだ。 デズと呼んでもらっていい』
デズは、右手を出した。
『初めまして、サクラです。 室伏さんの生徒? です』
サクラも右手を出して握手をした。
『そちらは長江。 空力が得意なんで、テクニカルコーディネーターをしてもらってる。 日本人だ』
デズの隣に座った長江が、軽く頭を下げた。
『初めまして、長江です』
長江も右手を出した。
「初めまして、サクラです。 日本語も話せますよ。 よろしく」
サクラは、握手をしながらウインクをした。
『室伏さんのチームって、これだけですか? 室伏さんを入れて3人?』
サクラは、ジェーンの淹れたコーヒーの入ったカップを持った。
それぞれの前に、同じコーヒーが置いてある。
『いや、あと二人。 ……』
『室伏! もう来てたのか?』
エプロンに繋がるドアが開いた。
『……っと……丁度来た。 ベンもチームに入ってる。 戦略担当だ』
『ん? ……ま、そういう事だ。 今更自己紹介はいらないよな』
ベンは、サクラを見ると「ニヤッ」とした。
『へ?……ベンが戦略? ベンが?……』
サクラは、ポカンと口を開けた。
『……室伏さん……人選、間違ってません?』
『な・何が間違ってるんだよ!』
ベンは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
『あと一人は、少し遅れてくることになってる……』
ベンが落ち着いたところで、室伏は続けた。
『……俺の体調管理とフィジカルトレーナーだ』
『フィジカルトレーナーですか……』
サクラは、頷いた。
『……やっぱり室伏さんもトレーニングしてるんですね』
『そりゃそうさ。 何もしなかったら、どんどん筋力も落ちていく齢だからな』
室伏は、苦笑を浮かべた。
『そんな……まだまだですよ。 ちなみに、男性ですか?』
『いや……女性だ。 って言うか……俺の娘だよ』
室伏は、ポリポリと頬を掻いた。
『娘さん? そう言えば……』
サクラは、宙を見上げた。
『……以前聞きましたね。 私と同い年の娘さんが居るって』
『ああ、確か言ったことがある。 真由佳と言うんだが……』
室伏は、頷いた。
『……大学でスポーツ科学を専攻しててな。 なんか……手伝ってくれるそうなんだ』
『うわぁ! 親孝行な娘さんですね』
『いや……恐らくは……俺の監視だと思うよ。 浮気しないように』
室伏は、再び苦笑した。
『それで……サクラちゃんの方は? こっちに来て、もうそろそろ一か月経つから、人選も進んでるだろ?』
室伏は、ソファの背凭れに体を預けた。
『そうですねー……』
サクラは、隣で黙っているメイの肩を叩いた。
『……彼が……メイが戦略担当になります』
『あらためまして。 メイナードです……』
メイは、室伏に右手を出した。
『……Mr.ムロフシとは、久しぶりです。 あとの二人とは、初めまして』
『ああ、久しぶり。 パインカップの時以来だな。 それに……』
室伏は、メイの手を握った。
『……サクラちゃんと婚約したんだって? おめでとう。 サクラちゃんを守った経緯も聞いたよ』
『ありがとうございます。 あの時は夢中でした』
メイは、はにかんだ微笑みを浮かべた。
「ミクシ」の格納庫から数棟離れた格納庫の前に、サクラは来ていた。
跳ね上げ式の大きなドアの横で、長江がスイッチを押している。
「さてと……」
森山は、少し持ち上がったドアの下を潜った。
「……久しぶりだが……どうかな?」
「森山さん。 危ないですよ」
言いながらも、サクラは同じようにドアを潜って格納庫に入った。
「うわぁ!……綺麗!」
サクラは、照明に照らされて輝く機体を見て歓声を上げた。
そこにあったのは、シルバーグレーにブルーが鮮やかな……「エクストラ330LX」と違って純粋なレーサーである……「ジブコ・エッジ540Ⅴ3」だった。
エプロンに引き出された「エッジ540Ⅴ3」の周りに、サクラ達やスクールのメンバーが集まった。
『……流石はレーサーだ。 見るからに早そうだ……』
『……小さいよな……』
『……あれで、エンジンは340馬力だぜ……』
・
・
・
『……あのキャノピーの小ささを見ろよ……』
『……あれじゃ……ヘルメットがやっと出るくらいじゃないか?……』
『だよね……よくあれで離着陸できるよね』
・
・
・
野次馬の騒ぎをよそに、室伏と彼のチーム員は全員で機体の点検をしていた。
軽くテスト飛行をした後、室伏のチームはサクラの家に招かれていた。
テーブルには御馳走が並び……真ん中には、皿鉢がある……それをサクラのチームと室伏のチームが囲んだ。
当然のように、其処此処にメイドが……メアリも混ざっている……立っていた。
『これは……何だろう? 「さしみ」みたいだけど……』
メイは、カツオのたたきを箸で摘まんだ。
『……なんか、縁の色が違ってる……焼いてるのかな?』
『それは「たたき」だよ。 カツオの表面を焼いて、その後刺身の様にスライスしてあるんだ』
説明しながら、サクラは巻き寿司を取っている。
『へえ……刺身とは違うの?』
メイは、しげしげと「たたき」を見た。
『食べると分かるよ。 私は「たたき」の方が好きだな。 滅多に食べられないけど「うつぼ」の「たたき」なんかは、最高だよ』
サクラは、パクリと巻き寿司を咥えた。
『これは高知の郷土料理ですよね……』
向こう側に座った長江も「たたき」に箸を伸ばした。
『……ワサビじゃ無くて、生姜醤油で食べるんでしたっけ。 って……何で高知の料理が?』
『ああ……サクラちゃんは、両親が高知に居るんだ。 っと、ありがと』
森山の持ったコップに、イロナが日本酒を注いだ。
『へぇ……サクラさんは、日本人? 見た目は、コーカソイドだけど……』
長江は「たたき」を醤油につけた。
『……そう言えば、日本語が話せるって言ってましたね』
「ええ、話せますよ……」
サクラは、ニッコリした。
『……ここでは主に英語で話してますけど。 ハンガリー語も話せます。 ハンガリー生まれですから』
『ん?……どういう事?……』
長江は、首を傾げながら「たたき」を口に入れた。
『……美味い』
『長江さん。 戸谷君を覚えてるかい?』
お猪口を持った室伏が、横から話しかけた。
『うん、覚えてるよ。 もう2年半前になるのかな? 確かハンガリーで墜落したんだっけ……』
長江は、ナプキンで口を拭った。
『……残念な事だったね』
『サクラちゃんは、その戸谷君の家に養子に入ったんだよ。 だから、サクラちゃんは戸谷君の妹だね』
室伏は「くいっ」とお猪口を空けた。
『私は、その時……目の前で見てたんです。 って言うか……彼は、私を巻き添えにしないように、無理な操作をして……』
サクラは、目を伏せた。
『いや! あれは、橋に機体を当てた戸谷君が悪い。 サクラちゃんが其処に居たことは、ただの偶然だ……』
室伏は、サクラを見た。
『サクラちゃんが、責任を感じることはないよ。 もっとも……こんな美人がレースに出場してくれることになって……戸谷君は、いい仕事をしたね』
『そう……そう言っていただけると……ありがたいです』
サクラは、うっすらと微笑んだ。
「室伏さんたちは、これから如何するんですか?」
「ん?……そうだな。 あと少しテスト飛行をして、いい具合だったらスロベニアに移動するよ」
「スロベニアですか。 そろそろレースの準備に入るんですね」
「ああ、向こうでクオリフィケーションキャンプがある。 サクラちゃんたちは?」
「私たちチャレンジクラスは、アリゾナでキャンプが予定されてます。 11月の中旬になったら移動します」
「そうか。 調子はどうだい?」
「今のところは、問題なく飛べてますね。 だいぶ慣れてきました」
「そうか。 無理せず安全に飛んでくれよ」
「はい、分ってます。 もう事故は起こしません」