よろしくね、未来の旦那様
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ここキングシティに来たときは、まだ昼間は25℃以上になっていたのに、10月も下旬になり最高気温は15~16℃……最低気温にいたっては2~3℃にまで下がることも多くなっていた。
『ふぅ……寒いね』
そんな早朝、格納庫の前でサクラは独り言を呟いた。
『外は寒いわよ。 中に入ったら?』
後ろから近づいたイロナが声を掛けた。
『うん……そうなんだけど……そわそわしちゃってさ。 落ち着かないんだ』
サクラは、ポケットに手を入れたまま肩を竦めた。
『うふふ……そりゃそうよね。 やっとメイが来るんだものね……』
イロナは、微笑んだ。
『……でも、まだ1時間は掛かるわよ。 風邪をひいたらいけないから、中のストーブにあたってましょ』
イロナは、サクラの肩を抱いて格納庫に誘った。
格納庫の中には「ミクシ」と「ボナンザ」が並んでいた。
「ボナンザ」は、相変わらずエンジンカウルが外されたままで、リゼが……何故か未だにメイド服を着ている……流石に下着は付けているようだが……主翼の前でツナギを着た男と話をしていた。
『リゼ。 どんな具合?』
サクラは、そちらに近づいた。
『もう直ぐ終わりそう。 あと1~2日かな?……』
リゼはサクラに答えた後、男に尋ねた。
『ああ、そうだな。 もう殆どヘドロは残ってない……』
男は、サクラの方を見た。
『……今日一日吸引して、明日はガソリンで洗浄するつもりだ』
『そう……貴方を見つけて良かったわ』
そう……男はイロナがヴェレシュの力を使って見つけた者で、タンクや配管を洗浄する技術を持っていた。
『ほんと、良かった。 こんなビルトインされたタンクなんか、交換なんて出来ないから……』
横でリゼは大きく頷いた。
『……主翼の作り直しなんてなったら……私、何年借金を返し続けなくちゃならなくなったのやら』
『そうだな。 そうなったら、中古機でも買ったほうが良いな……』
ミクシを見ていた森山が、近づいてきた。
『……これに懲りたなら、怪しいガソリンは入れないことだな』
どういうことか?
つまり、お金の無いリゼが、安さに飛びついて怪しい男からガソリンを買った……どうやらそういう事で、粗悪なガソリンを入れられていたようなのだ。
『分かったわ……』
リゼは「ショボン」と眉を伏せた。
『……ちゃんとドレンは確認してたのに』
『相手もバカじゃない。 それぐらいは対策してくるさ』
森山は、「ぽんぽん」とリゼの肩を叩いた。
シューーーン
エプロンに止まった「サイテーション サクラ」のエンジンが、ユックリと回転を落としていく。
少しはなれた所でサクラ達が見ていると、機首のドアが外に倒れるように開いた。
そしてその開口部から現れ、ステップを降りてきたのは……
『やあ! サクラ。 久しぶり。 帰ってきたよ』
以前と変わらぬ様子のメイだった。
『おかえり! メイ』
それを見て、サクラは駆け出していた。
『これが新しい「エクストラ330LX」よ……』
サクラは、右手で「ミクシ」を指した。
『……「ミクシ」って呼んでるわ』
『「ミクシ」だね。 可愛い呼び方だけど?……』
メイは、サクラの顔を見た。
『……サクラも可愛いね。 そんなに恥ずかしかった?』
『あ~ もう! 言わないで。 柄じゃ無かった、って思ってるんだから』
いったいナニがあったのか?
つまり……さっきサクラは嬉しさのあまりメイにハグして、なおかつチークキスをしてしまったのだ。
今になってそれが恥ずかしくなり、サクラの頬は真っ赤になっていた。
『そんな事は無いよ。 サクラは、情熱的で可愛い女性だよ……』
メイは、サクラの腰に腕を回した。
『……プロポーズの事は、覚えてるよね?』
『勿論、覚えてる……』
サクラは、体を回してメイの腕から逃れた。
『……返事は、今じゃないわ。 後でね』
『期待しても良いかな?』
『ふふっ……さーてね』
サクラは、微笑んだ。
『あれ? メイドが増えた?……』
メイは、「ミクシ」の隣に置いてある「ボナンザ」に取り付いている、メイド服の女性に気が付いた。
『……それに、この「ボナンザ」は?』
『ええ、一人増えたけど……でも彼女は……ジルは、今日は家に居るはずよ』
サクラは、首を傾げた。
『いや……でも、ほら』
メイは、丁度「ボナンザ」のコックピットから出てきたメイドを指した。
『ん? ああ、彼女はメイドじゃないわよ。 あの「ボナンザ」のパイロットよ……』
納得がいった、とサクラは頷いた。
『……何故かメイド服が気に入っちゃったみたいなの』
『それはそれは……で? あの「ボナンザ」は何?』
メイは、首を傾げた。
『なるほどね。 日本に行く途中で、整備している、と……』
サクラの横で、メイは「ボナンザ」を見上げた。
『……で? 何故、此処に入ってる?』
『えっと~……そう言えば、何故かな?』
言われて、サクラは首を傾げた。
『なし崩し、じゃないかな?……』
森山が来て、右手を差し出した。
『……やあ、メイ。 久しぶりだな。 元気になったか?』
『ハイ、Mr.Moriyama。 無事に退院できましたよ。 もう体調は大丈夫です』
頷いて、メイは森山の手を握った。
『……つまり……姉さんが拾った? と……』
顛末を聞かされ、呆れたようにメイは肩をすくめた。
『……なんか……申し訳ない』
『いや……別に迷惑してるわけじゃないから』
森山は、首を振った。
『そうは言っても……って、そう言えば……姉さんは何処だろ?……』
メイは、キョロキョロと周りを見渡した。
『……確かサクラの護衛になったんだよね』
『メアリは、昼食を買いに行ってるわ……』
メイド服のリゼを連れてサクラが来た。
『……この娘がリゼよ。 彼はメイナード。 メイでいいわよ』
『初めまして、メイ。 ステファニーです』
紹介されて、リゼは右手を出した。
『初めまして、リゼ……』
メイは、リゼの手を握った。
『……何故リゼ? ステファニーの何処にリゼが有る?』
『ファミリーネームがリーゼンバーグなの。 サクラが、そこからリゼって言い出したのよ……』
リゼは、苦笑を浮かべた。
『……私は、スティーブが良いって言ったんだけど』
『ダメよ。 スティーブなんて、まるで男みたいじゃない』
『それが良いんじゃない』
サクラの言葉に、リゼは頬を膨らませた。
『……メイ、退院おめでとう!』
サクラがグラスを差し上げ……
『おめでとう!』
それに合わせて、キングシィティに居る全員もグラスを持ち上げた。
ここはキングシィティから北に80キロほど国道を走った、モントレーにあるリゾートホテル。
そこのパーティールームを借り切って、サクラ達はメイの退院祝いをしていた。
何故こんな所まで来ているのか?
それは……つまりキングシィティには、まともなホテルが無かったのだ。
『カンパイ!』
全員が、グラスに注がれたワインを口に含んだ。
『どうも、ありがとう。 僕も皆に会えて、嬉しいよ』
皆と同じようにワインを飲んだメイは、微笑んだ。
『……さあ、どんどん食べな』
メイの横に座ったメアリが、料理をメイの前に積み上げた。
『ね、姉さん! 流石にこれは無理だよ』
メイは、顔を引きつらせた。
『何を言ってるんだい……』
メアリは、メイの頭を掴んだ。
『……今日は、此処に泊まるんだよ。 サクラも一緒に。 だったら……分るよな? 奥手のメイでも。 朝まで体力勝負だよ』
『な……』
メイは、サクラをチラッと見た。
『……そ、そんな事が……あ、あるのか……な』
『ん? なあに、メイ……』
視線が来たのを、サクラは気が付いた。
『……って、随分食べるね。 肥ったらヤダよ』
『い、いや……これは、メアリが勝手に取ったんだよ』
慌ててメイは首を振った。
『大丈夫だって。 男だったら、これ位は食べられるって……』
メアリは、サクラに向かってウインクをした。
『……サクラも、しっかり食べとかなきゃ……朝まで持たないよ』
『ん? 朝まで? 何があるの?』
サクラは、ポカンとメアリを見た。
交わされる言葉が小さく聞こえる、ホテルのバー。
その隅の席に、サクラとメイは向かい合って座っていた。
皆との夕食が終わって、メイはサクラを誘ったのだ。
『ふぅ……お腹、いっぱいだ』
サクラは、お腹を摩った。
『そうだね。 ホント、姉さんも困った人だね』
メイは、苦笑を浮かべてサクラを見た。
『朝まで持たない、って……何のことだろうね?』
サクラは首を傾げた。
『あ、あははは……な、何だろう? 運動でもするのかな?』
メイは、モジモジと手を揉んだ。
『メイ? 何か変だよ。 何か言いたいことが有るんじゃない?』
サクラは、メイの顔を見つめた。
『……うん……』
メイは、サクラを見つめ返した。
『……もう一度、プロポーズしたい……僕は、本気だよ……』
メイは、ポケットから小箱を取り出し、それを開いた。
中には小さなダイヤの付いた指輪が入っていた。
『……サクラ……僕と結婚してほしい。 これを付けて』
『本当に、私でいいの? 私って、家庭的なことは何もできないわよ……』
サクラは、苦笑を浮かべた。
『……掃除も洗濯も……料理なんて壊滅的よ』
『サクラがいいんだ。 もう……僕にはサクラしか見えない……』
メイは、サクラの手を取った。
『……それに……姉さんが、あの通りだから……僕は、何でもできるよ? 心配しないで』
『メイ……あなたって……そんなに私を思ってくれるの? 聞いたでしょ……ヴェレシュの事……』
サクラは、握られた手を見た。
『……私は、そのヴェレシュを継ぐのよ。 私の下に……直接で数万人。 関係が有るのは数十万人。 影響を与えるのは数百万人。 そんな未来が待ってるのよ』
『うん、大丈夫だ……僕がサクラを支えるから……』
メイは、握る力を強くした。
『……知ってるかい? 僕の職業を……弁護士だよ。 そして、今はガスパルから家令の事を習ってるんだ』
『そう……メイもヴェレシュに入ったのね。 ちょっと……手が痛いわ』
『あ! ごめん』
メイは、慌てて手を離した。
『うふふ……そんなに慌てなくてもいいのに……』
サクラは、微笑んで小箱に手を伸ばした。
『……綺麗なダイヤね。 高かったでしょ?』
『い、いや……そんなには。 まぁ……ちょっと頑張ったけど』
『どうして、指のサイズを知ってるの?』
サクラは、首を傾げながら指輪を取り出した。
『えっと~ ツェツィルが教えてくれた』
『え~ ツェツィルぅ~ やだぁ、何でしってるのよ……』
サクラは、口を尖らせた。
『……ねえメイ。 あんまりツェツィルに近づいちゃダメよ』
『あ、ああ……分った』
メイは、カクカクと頷いた。
『あの人って、天才だけど変態だから……』
サクラは、指輪を左手の薬指に嵌めた。
『……うん、ピッタリ』
『サ、サクラ……』
メイは、ポカンと口を開けた。
『……付けちゃった』
『ん? うん、付けたわよ……』
サクラは、ニッコリした。
『……受けるわ。 貴方のプロポーズ』
『良かった……頑張って生きてきて良かった……』
メイは、再びサクラの手を取った。
『……きっと……きっとサクラを幸せにするから』
『よろしくね、未来の旦那様。 でも……結婚するのは5年後だからね』
サクラは、メイに向かってウインクをした。
サクラや使用人たちがモントレーに行ってしまって、ガランとして静かな家の中。
関係者じゃないからと、行かなかったリゼ。
そして、リゼ一人ではイケないからと、一人残ったジルが夕食をとっていた。
二人の前にはレトルトを温めたスープ、電子レンジで解凍された食品が並んでいた。
『ごめんリゼ。 こんな物しか出せないの』
『十分だよジル。 私だって、料理できないもの』
『少しは出来るようになったのよ。 でも……まだ一人では調理させてもらえないの』
『そうなんだ。 ジルって、ここに入るまでは、何してたの? 凄いお嬢様だったりして』
『分らない。 何も覚えてない。 記憶があるのは、病院のベッドで目覚めたときから』
『へえ~ ジルって、記憶喪失? そんな事って、本当にあるんだねぇ』
『ええ、多分そう。 ツェツィルは……私の主治医ね……思い出さないほうが良い、って言うんだ。 つらい過去だから、って』
『そ、そうなんだ』
『それでも……何だかサクラ様は、とても愛おしく思えるの。 過去に何かあったのかしら』
『そう……それはきっと、サクラとの間に良いことがあったんだろうね。 そんなサクラの下で働けるのって、幸せだろうね』
『そうね。 今はとても幸せだわ』