デモレース(2)
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
全体が黒に塗られ、それにイエローのラインが入った小型機が急降下しながらロールを始めた。
『さあ、ナタリーが引き起こし前のロールを始めた!』
スクリーン……高い位置のヘリコプターからの映像、パイロンと同じ高さのクレーンからの映像、そしてコックピット内の映像が写っている……の前で司会者が叫ぶ。
『うん……なかなかスムーズなロールです』
ペーテルは、落ち着いた話ぶりだった。
『そうですね。 彼女、エアロバティックがとても上手い。 今も、ループを少し捻った事で、真っ直ぐにロールすればパイロンに向かう様にしてます』
ペーテルの言葉を受けて、室伏は少し細かいテクニックを話した。
そう……今回のコースは、縦のターンを真っ直ぐにすると次のパイロンに向かうために、少し右に旋回する必要があるのだ。
『えっと……つまり?』
司会者には、それの結果が分からないようだ。
『つまり、0.1秒……0.2秒……位タイムが良くなるだろう、と言うことです』
『なるほど、それはすごい事ですね。 っと、引き起こしも滑らかです』
ナタリーの「エクストラ330LX」は、高度15メートルで水平飛行を始めた。
最後のパイロンを通過して、ナタリーは少し右に機体を向けた。
『(……これで、よし……)』
ゴールのチェックに塗られたパイロンが、だんだん左に見えてくる。
『(……今だ!……)』
タイミングを見計らい、ナタリーは左に旋回を始めた。
『(……ふっ!……)』
宙返りと同じ4Gの加速度が、ナタリーを襲う。
しかし、そんな物は大したことではない。
ナタリーはスティックを細かく動かし、機体をパイロンの正面に向かわせた。
『(……よし……)』
ナタリーは、スティックを右に倒した。
瞬間……「エクストラ330LX」は、パイロンの間を通過した。
『ナタリー、ゴール……』
パイロンを通過して急上昇をした「エクストラ330LX」を、司会者は見上げた。
『……えーっと……タイムは……1分14秒? ですか』
『1分14秒332ですね。 なかなか良いタイムだと思います』
ペーテルが、正確なタイムを読んだ。
『さっきまでの男性陣は、1分10秒台だったと思いますが? これは、女性だからですか?』
そう……ハンネスやマーティンは、10秒台で飛んでいたのだ。
『いや、そうとは言えません……機体が違うんです。 今日は男性達はレース専用機を使ってます。 しかし、これから飛ぶサクラも一緒ですが……彼女達はエアロバティック機を使っているのです』
室伏が、説明した。
『つまり、エアロバティック機は遅いと?』
そう言うことになる。
『ええ、そうです。 エアロバティックは、狭いボックスの中で演技をします。 早すぎる機体では、急旋回をしなければならなくなって……高Gを掛けることになります。 それはパイロットの負担が大きいですね』
『だからエアロバティック機は、比較的空気抵抗が大きいんです。 速度を抑制するために』
室伏の説明をペーテルが補足した。
{『レーサーピンク レースコントロール サクラ様、スタートできますか?』}
湖の上空で旋回していたサクラに、ペーテルから無線が入った。
{『レースコントロール レーサーピンク はい、大丈夫です』}
ナタリーの「エクストラ330LX」の行方を目で追って、サクラは答えた。
{『それでは始めてください。 レースコース クリヤ』}
{『レースコース クリヤ』}
サクラはスロットルレバーを少し引き、「ルクシ」を降下させ始めた。
高速回転のエンジン音を響かせ、青からピンクにグラディエーションで変わる……遠くからはそう見える……塗装の「エクストラ300L」が、湖の方からRW27に向かって低空を飛んで来た。
スクリーンには、桜の花びらが散りばめられた模様のフライトスーツを着て、コックピットに収まっているサクラが映っている。
カメラがやや下側に取り付けられているせいで、彼女の大きな胸がしっかり映っていた。
『ミス サクラ スモーク オン』
『スモーク オン』
司会者の掛け声に合わせ、サクラはスイッチに手を伸ばした。
ポンプが回り、熱い排気管にオイルが送られる。
「ブワッ」っと煙が吐き出され、機体の後ろに白い航跡が現れた。
上半分にチェックの模様が描かれた2本のポールが、正面から近づいてくる。
凄い勢いで流れる風景の中で、その対になったポールが見る間に大きくなり、そしてその間が広がってきた。
「(……178……)」
サクラは、取り付けられた速度計のデジタル表示を見た。
「(……よし、このまま……)」
スタート時の速度は、180ノット以下にしなければならない。
「(……高さ……OK……バンク……OK……)」
目線を遠くにして、ポールの模様と地平線を見通し、機体の姿勢を確認する。
「(……今!……)」
二つのポールが視界から消え去ると同時に、サクラはスロットルレバーをイッパイ前に倒し、左手をスティックに添えた。
「……くっ!……」
両手を使いスティックを左に倒し、左ペダルを蹴る。
地平線が右に回った。
「……はっ!……」
地平線が垂直になる寸前に、サクラはスティックを右に倒しロールを止めた。
「……くっ……」
空かさずスティックを引く。
「(……ぐぅぅぅ……)」
体をシートに押し付けるGに耐えながら、顔を上げて次のポールを見つめる。
その青いポールが正面にやって来た時……
「……くっ!……」
サクラは、スティックを右に倒した。
地平線が左に回る。
「……ふっ!……」
それが水平になった時、サクラはスティックを中立より少し左まで動かし、直ぐに中立に戻した。
直後、対になった青いポールが機体の左右に消える。
「(……次はあそこ……)」
スラロームをする赤いポールが、正面に見えた。
「(……少し右に向けて……)」
スラロームは、左旋回から始めなければならない。
サクラは、小さくスティックを倒し、緩やかに右旋回をした。
『サクラ選手……スタートは、上手く飛んでますね』
ステージの上で、こちらに向かって飛んでくる「ルクシ」を見ながら、司会者が室伏に話をふった。
『そうですね。 今のところペナルティは無いようです……』
室伏は、頷いた。
『……まあ、まだ始まったばかりですから……どこまで集中力が持つかどうかです』
『なかなか厳しい意見ですが……さあ、サクラのスラロームです!』
スクリーンに、サクラが左にスティックを倒すのが映った。
「……くっ!……」
真横に倒れたコックピットの中で、サクラはスティックを引いた。
「(……ぐぅぅ……)」
Gによりシートに体が押しつけられる、が……
「……くっ!……」
それもわずかな時間でサクラはスティックを戻し、すぐに右に倒した。
地平線が左に回り、次の赤いポールが視界に入った。
「……ふっ!……」
地平線が垂直になったところで、スティックをニュートラルに戻す。
「……くっ!……」
左ペダルを踏んで機体が沈むのを防ぎながら、サクラはスティックを引いた。
「(……ぐぅぅ……)」
当然、体がシートに押しつけられる、が……
『……ハーイ!……』
大きく上を向いて観客を見ると、サクラはスティックから左手を離して振った。
『見ました? サクラが、旋回中に手を振りましたよ!』
盛り上がった観客の歓声に負けないように、司会者は大声でペーテルに聞いた。
『ええ、見えました。 なかなか余裕があるようです……』
ペーテルは、目を丸くしている。
『……まあ……意外と旋回中でも釣り合いが取れていれば、手を離すことは出来るんですが……彼女がそんな事をするのは予想できませんでした』
『そうですか? 彼女、意外とお茶目な所がありますよ……』
室伏が、口を挟んだ。
『……地上に居るときは、大人しくて「シャイ」なんですが……空に上がると、途端に「はっちゃける」様になりますね』
『そうなんですね。 それは知りませんでした。 私にとって、彼女は「様」をつけて呼ぶ様な方ですから……』
ペーテルは、ゆっくりと首を振った。
『……にわかには、信じられません』
『おっと……話している間に、サクラはスラロームを終わってました』
サクラの「エクストラ300LX」は三本目のポールを周り、滑走路の方に離れていくところだった。
右前方に二本並んで青いポールが見える。
「(……もうちょい、もうちょい……今!……)」
サクラはタイミングを計り、「ルクシ」を右旋回させた。
「(……よし! 正面……)」
旋回を止めた所で、二本のポールは正面に見えた。
「(……水平……OK……高度……OK……)」
ポールを通過する瞬間は、完全な水平飛行でなくてはならない。
そしてこの後には、宙返りが待っている。
「(……スロットル……OK……)」
之までもフルスロットルで飛んできたのだが、サクラはスロットルを確認した。
上半分が青いポールが、視界の両側に消えた。
「……くっ!……」
両足を踏ん張り、サクラはスティックを引いた。
Gメーターは跳ね上がり、レッドゾーンに近づく。
そして……
「(……ぐぉぉぉぉぉぅ……)」
サクラは、これまでに無い力で……メーターは10Gを指している……シートに押し付けられた。
「(……ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……)」
エアロバティックの宙返りならば、上昇するにつれスティックを戻して行くのだが……早くターンを終わらせたいレースでは、逆にスティックを引き足してGが下がらない様にする。
「(……くぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……)」
そのため、機体が宙返りの頂点を過ぎるまで、サクラはGに耐えていなければならなかった。
Gを耐えるサクラの様子が、スクリーンに映っている。
『かなり苦しそうです! サクラ……』
司会者は、スクリーンを見つめている。
『……これは、どうですか?』
『そうですね……』
室伏もスクリーンを見た。
そこには、テレメーターで送られてくる速度とGの値が、コックピットの画像と共に映っていた。
『……かなり頑張って10Gを保っています。 これは、上手いですね』
『Gを耐えるのは、無駄ではないと?』
『ええ、これは小さくターン出来ますよ。 ただ……』
室伏は、映っている速度の数値を見た。
『……んー おかしい……速度の低下が少ない』
『それは?』
司会者には、室伏の言葉が理解できなかった。
『あんなにGを掛けていたら、もっと速度が下がるはずです……』
室伏は、司会者を見た。
『……あのエンジンは、もしかしたら……特別にパワーが有るのかも知れない』
『それは、聞き捨てならないな……』
ペーターが、割り込んできた。
『……このレースは、イーブンの条件で行うのが基本だ。 エンジンのチューンはしてはならない』
『そうだな。 ま、あくまでも俺の想像だから……それに、今はデモだ。 細かい事は言わずにおこう』
室伏は、ペーターの肩に手を乗せた。
逆さになったポールが見える。
引いていたスティックを戻したサクラは、今は背面姿勢で降下していて-Gを受けていた。
「(……ロール……)」
スティックを左に倒す。
「ルクシ」は左に回り始めた。
ポールが右に回る。
「(……よし!……プル……)」
ポールが真っ直ぐになった所でロールを止め、サクラはスティックを引いた。
段々と地面は近づき、そしてポールが正面に見えてくる。
「(……よし、水平……)」
ポールの青く塗られた場所と地平線が同じ高さになった時、機体は水平飛行をしていた。